Home > 日々の思い > 「信賞必罰の原則」

「信賞必罰の原則」

日本テレビ「THEワイド」が終了してから一年が経過しました。公の場で社会問題に自らの見解を申し上げることが少なくなりましたが、これだけは物申したいと思うことがあり筆を執りました。

それは、今世間を騒がせている「事故米」の問題です。黴が生えたり農薬が許容量を超えて含まれていたりなど食用にはできない輸入米を事故米と呼ぶということも初めて知りましたが、それを工業用の糊にするという名目で購入していながら偽装して食用米として転売していたことが発覚し、更にそれが一部の悪徳業者だけではなく、ほぼ全面的に当り前のように行われていたというのですから驚愕してしまいました。この件について一切の管理責任を持つ農林水産省が実質的な監視や調査など徹底しないで、農水省には責任があるとは思わないと言い切るのですから、日本も凄い国になったものだと思います。

このような有様では、毒入り餃子事件に関して日本政府が中国を一歩的に批判することにとても違和感を覚えてしまい、哀しい気持ちにさせられてしまうのは私だけではないでしょう。国際的な取り決めで一定量の米を買い上げなければならない義務があることは理解できますが、輸入に当たっては厳密な検査を行って不良品は突き返し、お金を出して買えるものを要求するのは農水省の最低限果たすべき務めだと思います。ところが実際は不良品であろうと何であろうと買うだけ買って内容の吟味もせず、黴が生えていても許容量を超える農薬が含まれていても、先方にクレームもつけられないとは恥ずかしい話で、自分たちの務めを放棄していると指摘されても致し方ないのではないでしょうか。

まして、こうして抱え込んだ事故米を工業用の糊の素材として売り出す場合、少なくも工業製品専門の業者を相手に販売しなければならないはずなのに、売り渡し先がほとんど食品業者だったというのは一体どういうことなのでしょう。厳しい言い方をすれば、後はどうなろうと知ったことではない、食品に転用されても自分たちの責任では無いという姿勢が根底にあったと言われても仕方ありません。極めて嘆かわしい状況です。

13年前、日本を恐怖の底に陥れたオウム真理教がサリン事件などの凶悪事件を引き起こしたとき、大きな反省材料として挙げられたことを思い出します。あの上九一色村に彼らがサティアンと呼ばれる施設を次々に作ったとき行政機構はほとんど調査もせず、それをいいことに彼らはサリンなどの化学兵器の製造に邁進していきました。勿論それは明らかに間違いで、不審な建物が一度出来上がれば建築基準法等現行法を緻密に運用し、社会にとってのマイナス要素を排除することに本来は行政機構が責任を負わねばならないはずです。であるにも拘らず、相手が宗教法人だからクレームを付けられたら面倒だと言うことで結局は野放しにしてしまいました。

本来自分たちの職責を果たすためには持っている権限を最大限駆使して国民のため社会のために積極的に力を尽くすべきなのに、何もしないでじっとしていた、所謂不作為の罪の大きさがそこにあったのです。今回の「事故米」問題も行政側の怠慢が国民を大混乱の中に陥れてしまったといえます。それにしても、「偽装」というものが社会全体に充ち溢れ、もはや信じられるものは無いという感じすらしてきました。

その原因の一つは、社会全体に「信償必罰」の原則が貫かれなくなってしまったからだと私は思っています。素晴らしい業績をあげた人は賞賛され、悪事を働いた人はペナルティーを受けるというごく当たり前のことがなされなくなってきたのです。

とくに、悪いことをした人たちは言い訳を述べるだけで、責任を取らなくなってしまいました。経営上の大ミス、食の安全を失わせるような行為、一生ものの買い物であるマンションの偽装など、責任者が形式的に頭を下げ謝罪を行うことを目撃することはありますが、本当の意味で責任を取った人がいたのでしょうか。このような無責任体質を放擲し、一人ひとりが各々に課された義務と責任は最低限果たす、そして出来る限り他人に優しく対処することを社会の原則にすべきだと常々思うのです。

Home > 日々の思い > 「信賞必罰の原則」

フィード
タグ
写真
  • 12221502.png
  • 12221501.png
  • 03031502.jpg
  • 03031501.jpg
  • 10061401.JPG
  • 10061402.JPG
  • 08041402.JPG
  • 08041401.JPG
  • 03031401.JPG
  • 01291402.JPG
リンク

このページの上へ