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「あっという間の船旅」

小さい頃から体を動かすことが大好きだった私は、小中学生時代は必然的に勉強よりもスポーツを優先させる日常生活を送り続けていました。野球、相撲、陸上競技をはじめ、あらゆる競技に一通りは手を付けたことがあってスポーツは何でも得意という自信を持っていたのですが、そんな私にも実は一つだけ苦手なものがあったのです。

それは水泳でした。小学校入学時のツベルクリン検査で陽転していると言われたため、夏の間水泳をしないようにという指導を受けました。当時は結核が大変恐ろしい病気として警戒され、特に体力のない小さな子供については大事を取り過ぎるくらいの配慮をして患者を出さないようにと学校なりの努力をしていたようです。それからの3年間はじっと我慢して水泳の時間はおろか海水浴まで控えたほどでした。更に、齢の離れた私の兄たちもそれぞれ進学で家を離れてしまったため私に泳ぎを教えてくれる人も無く、漸く4年生になって独りで家の近くの海水浴場に行き、溺れかけながら何とか体を浮かせるコツを掴んでどうにか泳げるようになった始末でした。ですから、水泳大会だけは選手として参加した経験がないのです。

勿論今は泳げますが、それでは海に遠泳をしに行きたくなるかと聞かれれば、とても自らトライしようという気にはなれません。釣り船やヨットに乗ることがあっても余り遠くまでは行きたくないと思う口です。水に対する警戒感とか怖れが未だに体の何処かに潜んでいるような気がするのです。あるとき、運勢占いの方に見て頂いたところ水難の相ありと言われ、やはり自分はそのような星の下に生まれてきているのだと妙に納得したことがあります。従って、船に乗って長旅をするということなど、自分にとって全く関心のあることではありませんでした。

そんな私に「ぱしふぃっくびいなす」号(26,000トン)という豪華客船に乗ってお客様に講演をしてくれませんかという仕事の依頼が来たのは今年春。クルーズそのものは8月28日に横浜港を出て9月7日に同港に戻って来る日本一周の旅でしたが、私どもスタッフを含めた一行はスケジュールの都合上最初の3日間だけ乗船して2日目に講演を行って3日目に寄港地である小樽港で下船をすることになっていました。船内で宿泊する旅はこれまで一度も経験したことがなかったので、(正確に申し上げますと、戦後の昭和21年に中国本土から引き揚げ船で長崎に引き揚げて来たときに船内で赤痢などの患者が出たため佐世保港で一月ほど下船できずに船内生活を強いられたという経験をしているのですが当時2歳の私には記憶が全くありません。)船は苦手という意識がありましたが、何事も経験ということで仕事を受けさせて頂きました。

8月28日は10時30分に横浜港大桟橋に集合、一般のお客様より前に乗船させて頂き船内の状況を見せて頂きました。なるほど26,000トンの豪華客船は想像通り大きく、ご用意頂いたスイートルームはとてもゆとりがあり居住性が優れているので、この部屋で宿泊できるなら船旅が好きな方の気持ちが少し理解できるような気がしました。

全ての手続きを済ませて、正午丁度にぱしふぃっくびいなす号はおよそ300人の乗客を乗せて出港しました。岸壁でテープを握って手を振りながら見送りをしている乗客の家族の方も結構いていよいよ船旅が始まったぞという気分になりました。

好天の下、船は東京湾をゆっくり航行し、とても長閑で穏やかな旅のスタートでした。東京湾を出て太平洋を一路北に進路をとります。時速18ノット(33km)くらいで北上して行くのですがさほど揺れも気にならず、思ったより船旅もいいものだなと感じ始めていました。一つだけ心細さを覚えたのは携帯電話の電波の受信状態が陸地から離れるに従って悪くなり、そのうちに「圏外」が表示されるようになってしまったことでした。勿論船内にはテレホンカードで使える公衆電話があるので、いざという時にはそれを使えばいいことなのですが、現代人の友である携帯電話が使えなくなるというのは妙に寂しさを感じるものです。

乗船してすぐに軽い昼食、そして夕方6時半には夕食が始まります。基本的には船内でずっと生活するので地上にいるときよりどうしても運動量は少なくなります。従って、カロリー量も摂取過剰にならないよう食事には細心の注意が払われていて、初日の夕食である洋食のコース料理も決して味を濃いものではなく、お腹がもたれないようにとても気を配った分量でした。さて、夕食の後は部屋に戻りますと少し船の揺れが大きくなってきました。神経質なタイプの私としては船酔いをしないように大事を取って即座に酔い止めの薬を服用しました。これは正解だったようで以後多少揺れても殆ど気にならなくなり、翌々日の下船までとても気分よく過ごせたのです。

翌2日目の朝食は7時半頃に私どもを引率して下さるスタッフの皆さんとご一緒に頂きました。この船の良さの一つは、船内の何処を歩いていても乗務員の方々から「おはようございます」、「こんにちは」、「こんばんは」、ととても心地の良い挨拶の声が掛けられるというところにあります。当然のこととは言え教育が行き届いていると思いました。

朝食後少し間を置いて、午前10時から1時間半の間、私の講演になります。会場のメインラウンジに乗客の殆どの方々が席を取って待っていてくれました。放送人として42年間に亘って仕事をしてきた経験の中から興味深いと思われるお話をさせて頂きました。その中では特に、日本人は年齢に対し細やかな神経を持っていることが災いして新しいことを始めることにやや消極的になってしまう傾向にありますが、年齢は何かを為そうとするときにそれを阻害する要因にはなりえない、ということを強調しますと、聴衆の皆さんからはその意見に同調するという力強い拍手を頂戴しました。話し手にしてみるとここで良い仕事ができて良かったなと感じる幸せな瞬間です。講演が終わると昼食で、皆さんが先ほど聞いた講演を肴にして食事を楽しんで居られました。

2日目の夕食は翌日の寄港地の小樽にある「小樽オーセントホテル」の中村功二シェフが腕によりをかけて作った和風懐石料理で、一品一品が素晴らしい出来栄えの本当においしい料理でした。小樽では船は港に停泊してお客様は同地でオプションツアーを楽しむ予定になっているので、中村シェフとしては「ようこそ小樽へ」という熱い思いを込めて力を入れて作って下さったのだと想像した次第です。夕食の後はメインラウンジで、フルート奏者前田綾子さんを中心としてピアノ、ドラム、キーボードも加わったユニット「フェリティシモ」がポップスや日本の名曲を披露して楽しませてくれました。演奏の最中に船の揺れが最も大きくなったのですが流石はプロフェッショナル、「私たちも思いきり揺れましょう」と言ってそれを物ともせぬ完璧な素晴らしい演奏でした。

翌日は早めの朝食を済ませると朝8時に小樽港到着です。荷物を纏め精算を終えて10時には下船。私の短い初めての豪華客船の旅はあっという間に終わりました。想像していた以上に快適で色々な楽しみがある船旅。またいつの日かチャンスが巡ってくるだろうと思います。

実は今回、NHK時代にお世話になった二ュースデスクの石井彰さんと25年ぶりに巡り合う事ができました。石井さんはとても心優しい方で、アナウンサーの立場からいつも尊敬の眼差しで慕わせて頂いた二ュースデスクの方でした。石井さんは現在埼玉県和光市で和光市民文化センターの理事長として活躍なさっているということで、昔と変わらず颯爽となさっていました。そして横には素敵な奥様がご一緒で、恐らく多忙だったNHK時代の分も含めて奥様孝行をなさっているのだろうと推察しました。船旅にはこのような久々の思い掛けない再会もあるものなのだな、と今回の旅に感謝したことでした。

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