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日々の思い Archive

「駿府城の謎 クイズショー」

2月28日(日)静岡市で行われた「駿府城の謎 クイズショー」に司会進行役として参加しました。駿府城というのはおよそ400年前築城された徳川家康公の居城であり、家康公が永眠したということでその構造も含め歴史的にも大変価値の高い歴史遺産です。

この催しは現在駿府城公園として市民に親しまれる場所になっている、その元々の駿府城について正しい知識、認識を持ってもらおうということで市が主催したイベントでした。通常この種のイベントはパネルディスカッション形式のものが多いのですが、真面目で固い話に終始する傾向が見られ、観客からももっと身近に感じられるものにしてほしいという要望が多く寄せられたということもあり、思い切ってクイズショー形式でやることになったということです。

クイズショーの解答者役として、静岡市出身のピエール瀧さん、同じく静岡市出身のアテネ五輪体操金メダリスト水鳥寿思さん、講談師の田辺駿之介さん、NHK静岡の神門光太朗アナウンサー、それにしずおかクイーンの女性三人トリオ、と賑やかな顔触れでした。更にクイズの解説は静岡大学名誉教授小和田哲男さんが担当して下さり厚みのあるものになりました。

クイズは、易しいものからちょっと考えさせられるものまで全部で5問。会場の観客の皆さんも一緒に楽しんで下さり、とても良い雰囲気のうちにエンディングを迎えました。駿府城がとても身近なものに感じられ、もっと色々なことを知りたいなという気持ちにさせてくれたからです。解答者の皆さんも持ち味を発揮し、小和田先生もサービス精神旺盛で分かり易く解説して下さり、終了後も会場には良い雰囲気の余韻が漂っていました。静岡市の担当者の方々からは満面の笑みとともに「素晴らしいイベントになりました。本当にありがとうございました」とご丁寧なお礼の言葉を頂きました。私自身も楽しくて参加することができ、本当に良かったと感じたのです。

「本当にいい旅・夢気分でした」

先週、テレビ東京の長寿番組「いい旅・夢気分」のロケーションで山形に行ってきました。

夏の山形は毎年のように行っていますが、冬の山形は初めてです。蔵王の樹氷、通称山寺と呼ばれる「立石寺」の急階段登り、銀山温泉、最上川ライン下り、などを体験しながら真冬の山形の魅力に迫ろうというもので、今回は酒井和歌子さん、玉ちゃん(浅草キッド)との三人で一緒に旅することになりました。

玉ちゃんと私は「草野☆キッド」以来の盟友で、酒井和歌子さんとはテレビ番組でこれまで何度も御一緒させて頂いているという関係なので、最初からとても良い雰囲気で旅は展開し、最後まで本当に気持ち良くコミュ二ケーションを交わして無事旅は終わりました。終わったときの皆の感想は「またこの3人で別の場所を旅行できたらいいね」というものでしたから私たちの相性はとても良かったのだと思います。

ところで、今回とても嬉しい出来事がありました。山寺でのロケを終え、下まで降りてきて石段に座って一休みしていたときのことです。近くの家でその様子を見ていた小学生の姉妹が私のところまで来てくれて「どうぞこれを召し上がって下さい」と言って地元名産品の「だだちゃ豆おかき」を一袋持ってきてくれたのです。これには感激しました。言葉使いといい、他人を思いやる心の優しさといい、小学生とは思えない心遣いに、旅に出てこんなに感動したことは無かったなと感じ、山形に来て本当に良かったなと思いましたね。勿論、帰京後彼女たちにはお礼の手紙を送りました。旅はやっぱり良いものですね。

「いい旅夢気分」の放送日は10日(水)の午後8時です。どうぞお楽しみに。

「不安な迷走ぶり」

一年前アメリカ人の期待を背負って登場したバラク・オバマ大統領は、核廃絶を目指す大演説でノーベル平和賞を受賞したものの、国内では不況からの脱却には道遠く、医療保険改革法案もなかなか思うようには進んでいません。また、テロ対策に関しても去年の暮れ乗客の機敏な反応と協力で飛行機爆破を未然に防ぐことができたものの、テロリストのリストに含まれていた人物の搭乗を許してしまうなどのミスが露わになりました。さらに、アフガン情勢に関しても更に増派を決断せざるを得なくなるなど状況は悪化するばかりで支持率も40%台に落ちてしまい、「CHANGE」が期待通りに速やかに遂げられるか否かは微妙な状況になっています。

一方、去年9月に誕生した民主党鳩山政権は事業仕分けで部分的には多くの国民の支持を得ましたが、その後はマニフェスト通りに改革が順調に進んでいるというわけではありません。加えて鳩山首相自身の母親からの献金問題や小沢幹事長関連の陸山会の土地購入をめぐる4億円の出所の問題など対応の不適切さも加わって、こちらも支持率は40%台に急落。日米双方とも改革が期待通りに進まず、新政権への期待が大きかった分失望した人も多いという似たり寄ったりの状況です。

このような迷走ぶりの結果困るのはやはり国民です。特に日本の場合は、戦後通用してきたシステムが機能不全に陥っていて、まずは大胆な転換がなされなくてはならない重要な時期に来ているからです。日米安全保障条約を巡ってもむしろ日本側から新しい提案が出され、結果として更に強固な関係が育まれるような方向に歩み出して行かなければならないのに、両国の間に溝を作ってブレーキをかけるような動きばかりが目立つのは一体どうしたことなのでしょうか。また、もっと外に向かって強力に人材を動員し、諸外国と良好な関係を築いていかなければならないのに、これまで通りのODAという形式だけでは本当の意味で友好関係を築き上げることはできないと思うのです。

その点、中国は天然資源の問題も含めあっと驚くほどの人員や資本を当該国に投入して、将来長きに亘っての良好な関係を築き上げるという手法で世界中の重要ポイントを既に押さえているのです。日本の指導者は何故このような展望を考えられないのでしょうか。次の選挙でいかにして勝つことが最大の優先事項となっている現状では臨んでも無理なことなのかもしれないのですが、ついついしっかりして欲しいと考えてしまうのです。

「25年の節目に」

今年の3月で私がNHKを辞めてフリーのキャスターになってから丸25年が経過します。

人間にとってこれから先の25年というのは気が遠くなるほど先のことですが、過ぎ去った25年はあっという間だったような気がしてなりません。私程度の人間がこの間にこうして多くの皆様とご一緒にお仕事をさせて頂けたのは、偏に私が道を踏み外すことのないようにと皆様が配慮して下さり、見守って下さったからであり、改めて皆様にお礼を申し上げなくてはならないと思っております。本当にありがとうございます。

独立した翌年から担当している「日立世界ふしぎ発見!」はこの4月から放送25年目に突入することが決まっており、日立グループの創業100周年に当たる今年はスペシャル回も計画されているようで幸せな年になりそうです。

ここ数年浅草キッドのお二人と一緒に「草野★キッド」を担当させて頂き、お二人の導きのお陰で放送の世界での対応力にも少し柔軟性が出てきたようで仕事の幅がとても広がりました。こうしてみると本当に放送局の方々、広告宣伝会社の方々、企画会社や制作会社の方々そしてたくさんのタレントの方々ととても素晴らしいチームを組んで色々な仕事をさせて頂いて、そしていつも変わらず応援し続けて下さる多くの視聴者の方々からの声援に本当に勇気付けられ、私は最高に幸運な男だと感じています。

今年はこうした皆様への感謝の気持ちを表す機会を模索している心算です。私自身もロートルではありますが少しは進化した部分もあると認めて頂けるようにこれからも努めて参りますのでご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

「年の初めに思うこと」

2010年の年明けは気候の上では冬らしく寒くなりましたが、大きな事件や人々を心配させるような出来事もなく穏やかに明けたという感じですね。それでも良く考えてみると日本にとって現実は厳しく去年よりもっと多くの難題を抱えたままのスタートとなりました。

鳩山政権にとって俗に3Kといわれる「景気」「基地」「献金」の三つの大テーマはどれも危うさを含んだまま解決への道筋がはっきりと見えないままです。やはり一番の問題は、首相自らが国民に向かって堂々とそして分かりやすく語ってくれていないことではないでしょうか。この国の進むべき道、例えば5年後10年後の日本の社会はどのようになり、国民生活はどのように変わっていくのかなどといったことを総理自身の言葉で聞かせて欲しいのです。仮に自分が同じ立場にあったとしたら、考えていること、そしてやろうとしていることについて思う存分語ってみたいという気持ちになるのではと思いますね。アメリカの大統領のように炉辺談話のような形で定期的にメディアに出て国民に向かって話しかけ、思いを語れば国民の方もさまざまな問題について理解をしようとするでしょう。

普天間基地の移設問題ではどちらかと言うと周りに動かされてアメリカの強い反発を招いたように見えたのですが、事態が悪化する中で防衛相から新たにアメリカ通のスタッフを紹介されると途端にその人たちの説明通りにグアムへの移設は無理だと思うと言い出す始末で、首相自身の考えがそもそもそこにあったのか無かったのか、とても心配になってきます。リーダーがブレーンの意見を聴くことは大事ですが、最後はそれらの意見を聞いた上で自分が判断し、その判断が一貫性の有るものでなくてはならないと思います。景気の問題も重要ですが、国家の命綱ともいえる日米関係を容易く不安定にしてしまうようでは日本がアジアの孤児になってしまうのではととても気がかりです。国民が揃って安心して任せられるような強力なリーダーシップを発揮してくれる指導者はもう出て来ないものなのでしょうか。

「今年一年を振り返って」

2009年もあっという間に終わろうとしています。今年もまたあれもやろうこれもやろうと心に決めていながら、完遂したのはごく僅かで多くのことを来年に持ち越してしまいました。

来年こそはもっときりっとした年にしなければと考えているところです。高齢者にはそんなに時間は残されていないのですから心して過ごしたいですね。今年は仕事の面では色々と変わったことにも挑戦してきました。一般の方のお宅にアポなしで出向いて泊めて頂く「田舎に泊まろう」への出演はなかなか体験できないことで衝撃的な番組でした。結果的には本当に心優しい方と巡り合って一夜の宿を提供して頂くことができて幸運でしたが、上手くいっていなかったら大変なことになるところでした。以後泊めて下さった方との交流は続いておりまして人間の縁というものは不思議なものだと感じています。

6月二ューヨークに渡り松井秀喜選手を取材する特番への出演も昨年に引き続き果たしました。今季最後には松井選手がMVPを獲得してくれたので、去年今年と両膝の手術で苦労していた彼の姿を追い続けていた我々としては彼のMVP獲得は自分のことのように思え感激しました。

9月になんば花月の舞台に立たせて頂いたことも印象に残ります。吉本の舞台に立っている人たちのサービス精神あふれるアドリブの連打。それでいて流れを壊さないセンスの良さなど勉強になることが一杯の体験でした。フジテレビの「オールスター芸能人歌がうまい選手権」も、制作の皆さんがじっくりと時間をかけ多くの芸能人の魅力を発揮させながら見事な構成で4時間のオンエアにもかかわらず20%を超える視聴率を挙げて、見せるその技術の高さに舌を巻かされました。TBS「パニックフェイス王」ではダブルエンジン、響の2組にドッキリをかけて驚かすなどということもやりました。深夜番組としてよく見て頂いたテレビ朝日「草野☆キッド」では9.1%という番組最高視聴率も得て視聴者の皆様に応援して頂きました。考えてみると幸せな体験の多かった一年でした。来年ももっともっと見て頂けるような番組に出演して頑張って行きたいと考えております。引き続き宜しくお願い致します。

「第42回日本有線大賞」

先日20日にオンエアされたTBS「第42回日本有線大賞」で今年も司会を担当させて頂きました。今年で3回目だったので全体的な流れは体の中に入っていて落ち着いて仕事に臨むことができました。

2009年は誰もが口ずさめるようなビッグヒット曲がなかったので全体的には少し地味な印象を与えたかもしれませんが、出演した歌手のみなさんの歌を聴いているとやはりプロフェッショナルは声量、テクニック、観客へのアピールの仕方など何処をとっても凄い、流石だなと思わされることばかりでした。

新人賞を取ったさくらまやさんは何と11歳の小学5年生で、可愛い顔で「大漁まつり」という演歌を堂々と歌い上げる歌の実力にはびっくりさせられました。北海道帯広の出身で本名は「草野まや」さんということで、何と私と同姓でした。自分の孫と言ってもおかしくない年齢のまやさんの笑顔とパワフルな歌を聴いているうちに、この先頑張って存在感のある歌手になってほしいと心から思いました。

最優秀新人賞受賞の韓国のグル―プBIG BANGの「声を聞かせて」は歌詞が日本語、英語、日本語という構成になっているのですが、二十歳前後の五人組の彼らの日本語も英語もどちらもとても上手で、聞いている限り日本のグル―プかなと思わされるほどでした。音楽に国境は無いことを改めて認識させられました。

有線音楽優秀賞受賞の樋口了一さんの「手紙~親愛なる子供たちへ」は人生とは何かということを考えさせる不思議な力を持った曲でした。年老いて衰えていく親の姿を見ても嘆かずに理解して欲しい、貴方の人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように、私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい、と子供たちに語りかけた歌です。聴いていると「人間は何時も今の自分の立場からしか人生を見ない。そうではなくてもう少し視野を広げて、人間は赤ん坊として生まれつき親に手をかけて育てて貰い、大人になって独り立ちすると自分で大きくなったように感じたりもするけれど、でもやがては年老いて周りから助けて貰いながら生きて行かなければならないものだということが分かっていれば周囲の人たちにもっともっと優しくなれる」と樋口さんは訴えたいのだなと感じました。

最後に有線大賞を受賞したのは氷川きよしさんの「ときめきのルンバ」で氷川さんの熱唱で幕が降りました。並外れたヴォリュームと伸びやかな歌語で観客を魅了した氷川さん。歌声を聴きながら「演歌のイメージを一新するような力強い爽やかさに満ちている」と氷川さんを評した専門家のコピーを思い出しました。紛れもなくその通りの歌声でした。

「総理の考えは・・・」

以前このブログで、与党連立政権が行った事業仕分けは税金の無駄使いがかくも大胆に構造的に分かりにくい形を作って継続的に行われてきたものだということを知らせるという点でとても意味のあることだった、と書いたことがありました。勿論仕分け作業の中には日本の将来像や目指すべき方向が分からないままただ予算を削ればいいという捉えられ方をして世の批判を浴びるという醜態もありました。とはいえ、この仕分け作業は一応国民の支持を得るものではありました。どの世論調査を見ても70%をこえる人たちが事業仕分けは良かったと答えていました。

ところがその後の政府の迷走ぶりはいかがでしょうか。日本の国防と密接に関わる沖縄の普天間飛行場の移設問題で政府の考えは右往左往の様相を呈していて、アメリカ側を苛立たせる様子ばかりが目に付きます。

世界の中で日本はどのように進んでいくべきなのか、そのためにはどの国とより親密な関係を構築していくのかといったことについて、政府としてのスタンスがはっきりと見えてきません。また、天然資源に恵まれない我が国は国民一人一人がいわば大切な人材、資源であり、それぞれの国民が持って生まれた才能や資質を開花させるように国は環境整備を行う必要があるはずで、そのためにはどのような教育が施されるべきなのか、更には技術開発や物作りの創意工夫でどのようにして世界をリードして行くのかなど、しっかりと国家としての目標を掲げなければならないと思うのです。

ところが、総理大臣の考えが何事においても明確ではなく、本当に何をしたいのか、何を目指そうとしているのかが伝わらないというのでは心配ですね。普天間の問題ではオバマ大統領には「私を信じて欲しい」と伝えたものの、その後の行動が言葉とは裏腹というのではアメリカ側が怒るのも無理はありません。世界の首脳同士の信頼感は、面と向かったときには言いたいことをきちんと言い、その発言が自己主張だけでなく相手の側に立っても物事を見通すほどの考えの深さを持ったものであれば相互の間に自然と生まれていくものだと思います。そういう立場で話をすれば、激しく論争することがあったとしても人間としての相互信頼は深まるものだと過去の世界の首脳の回顧録にも紹介されたことがありました。

ここは一つ総理自身が日本の将来方向を含め基本的な考え方を日本国民にきちんと分かり易く説明することが必要でしょう。その話を聞くことで国民も判断し易くなるのではないでしょうか。

「大きな一歩」

このところ政府の行政刷新会議のワーキンググル―プによる事業仕分けが行われています。これは官僚によって計上されてきた予算の査定を行うものですが、公開で行われていますので連日その模様がテレビ二ュースで伝えられています。とても画期的なことだと評価する声も有れば、仕分け人が担当官僚に厳しく当たり、事業の中止などをその場で決めているので行き過ぎではという懸念の声も出ています。

でもこの状況を見ながら、取りあえず一旦政権交代が行われて本当に良かったなと思うのです。今まではこうしたお金の使い方が国民の目に触れることなど無いままに、ほぼ官僚機構の計画通り予算執行が許されてきたわけですが、それを一つ一つ俎上に上げて本当に意義のある事業なのかを問い質してチェックを行うということですから、そこには大きな変化が起きたということになります。この仕分け作業のやり取りを見ても一目了然ですが、税金の無駄使いがこれまではほぼノーチェックで継続的に行われてきました。戦後64年が経ち、その中でも恐らく日本が財政上豊かになってからのことでしょうが、官僚機構は退職後の身分保障も含めて自由に渡り歩ける組織を上手に作り続け、お金がうまく流せるような仕組みを工夫し、結果的に一見しただけでは絶対に見破れない構造を作り上げてしまった、それがありとあらゆる特殊法人なのだと思います。

「かんぽの宿」をはじめ何百億という資金を投じながら造ったものの、負債を背負いこんで動きが取れなくなって、挙句の果てに極めて低い値段で売りさばいた物件の何と多いことでしょう。国民の血税を何と心得るのか、と言いたくなるようなこのような行為は許容しがたいのですが、現実には誰も責任を問われないまま推移してきました。それは主に長い間与党にいた自民党の政権にしっかりとした管理体制が無かったと言われても仕方がありません。これまで特殊法人などが具体的にどのような事業を行っていて、どれくらいのお金が使われていたのかが、今回の事業仕分けを通じて初めて国民の目に触れるようになりました。短時間で結論を出し過ぎるとかもっと議論を深めるべきだとか色々と問題点が指摘されていますが、何よりも「無駄使いは許されない」という国民の意志に沿う政策がとられているのは事態改善に繋がる大きな一歩だと心から思います。もし政権交代が行われていなければ従来通りの税金の使われ方が継続されていたわけで、その点だけをとっても政権交代のインパクトは大きいですね。この機会を捉えて深部に至るまで問題点をできるだけ明らかにしてほしいと思います。

「はるな愛さん、おめでとう」

来月12月にオンエアされるテレビ東京の特番の収録で先週久し振りに熱海に行きました。

今回は二人で旅をする番組ですが、私のパートナーは何と今をときめく「はるな愛」さんです。大ブレークする前からはるなさんとは「草野☆キッド」を通じて何度も一緒に仕事をしているので、気心が知れていて安心して旅ができるということで今回の旅を楽しみにもしていました。

9日早朝ロケバスでテレビ東京を出発し、東名高速、厚木小田原道路ともスムーズに流れ僅か1時間半で熱海に到着しました。新幹線こだまを利用してもたったの50分ですから熱海は東京から本当に近いですね。簡単な打ち合わせを済ませて収録スタート。はるなさんと駅前の商店街を歩いて買い物をしたり、お店の方とお話をしたりしながら熱海市内をそぞろ歩きました。

このところ客足がめっきり落ちて元気がなくなったと言われた熱海ですが想像以上に観光客の姿が見られ、その全ての人たちがはるなさんの姿を見て「愛ちゃん世界一おめでとう」「愛ちゃんきれいだよ」「愛ちゃん良かったね」と祝福の声をかけてくれたのです。ちょうど1週間前にタイで行われた二ューハーフのミス・コンである「ミス・インターナショナル・クイーン」のタイトルを獲得しましたが、やはり観光客の皆さんは二ュースでそのことを聞いていて、タイミング良くその愛ちゃんを目の当たりにしたものですから興奮気味に大きな声をかけてくれました。

それにしても「はるな愛=二ューハーフ世界一の称号獲得」という一般の事実認知度はほぼ100%で、これは凄いと思いました。今だったら知名度はあの鳩山由紀夫首相より間違いなく上だと感じましたね。はるなさんに聞いたところ、この大会に備えるため6カ月で15kgの減量に取り組み見事成功して栄冠に結びついたというのですから、愛ちゃんの意志の強さは並大抵のものではありません。

また、こんな話も聞かせてくれました。二ューハーフの世界に入り、父親にそのことを報告しようと思ったとき、それまでは男っぽい生き方をしてきた父親だから恐らく怒鳴られてしまうだろうと心配になったそうです。ところが実際には、意外にも涙ぐんだ表情の父親は「お前が決断したんだったらしようがない。その代わりその道で思いっきり頑張るんだぞ」と言ってくれたとのことです。そして「ここまでやってきて世界一になれたので父も喜んでくれていると思います」と語ってくれたはるなさんの目も涙で潤んでいました。私も「はるなさん、これからももっと頑張らなくてはね」と言いながら心の中で彼女に拍手を送っていました。

「再生への道は・・・」

民主党が政権を握って1月余り、まだ具体的な独自の政策が動き出したわけではないのでその成否を問えない段階ですが、全般にややたどたどしいところはあるものの責任を与えられた大臣が懸命になって何かをやろうとする姿勢だけは国民の目にしっかりと映っているようです。先日の神奈川、静岡の参議院補欠選挙では投票率は低かったのですがそれぞれ民主党候補が圧勝しました。現段階では民主党の打ち出している方向性に特に異論はないという感じの有権者の反応でした。

普通二大政党制の下では、どちらかが圧勝した次の選挙では揺り戻しが起きて反対側の党が逆に盛り返すということがごく普通に起きるものです。では今回の衆議院選挙で大敗を喫した自民党が次回の衆議院選挙で嘗てのような勢いを取り戻すことができるかどうかということになりますと、今のところはどうも否定的にならざるを得ないような気がします。麻生太郎前総裁の後任として選ばれた新総裁が谷垣禎一氏は、自民党を根幹から変えていくエネルギーがあるようにも見えず、どちらかと言えば穏健な人柄で調整型のタイプの政治家のイメージが強いので大変動期のリーダーには見えないのです。もっと若々しくて国民の誰もが期待を抱くような人のほうが良いとは思うものの、そういう若手もいないというのが谷垣氏に対抗する対立候補の出方からも伺えました。

そう言えば、テレビで自民党の動きが報道されることも非常に少なくなり、偶に伝えられても映像から自民党の政治家のエネルギーや情熱などといったインパクトが感じられないように思えて仕方がありません。このままの状態で時間が経過していけば何年後になるのかはわかりませんが、次の衆議院選挙でも自民党は勢いを取り戻すことは極めて難しいのではないかと思えます。去る8月の衆議院選挙で大敗を喫したときに自民党の選挙対策責任者の一人である菅義偉氏が「自民党の賞味期限はとっくの昔に切れていたのかもしれない」と語りましたが、それが真実なのではないかと全くの同感です。

賞味期限が切れていたからこそ、自民党をぶっ壊すと言った小泉純一郎氏が自民党総裁になり辣腕を振るって何とか自民党政権を延命させてこられたというのが実情なのでしょう。そしてその小泉氏が退陣してしまって、もはや賞味期限切れが誰の目にもはっきりしてしまったということですね。

だとすると二大政党制の下であっても簡単には揺り戻しは起きそうにもありません。野党となった自民党はこれまでのあり方を続けていても再生は厳しいと思います。政権党の位置に甘んじている間に体の中に巣食うようになってきた生活習慣病的な要素を払拭しなければなりません。組織に頼って上から下へと指令を出して票固めをしておけば選挙に勝てる時代ではなくなりました。国民一人一人の支持を得られなければ選挙には勝利できないことをしっかり噛みしめて一から出直しを図ることが求められていることを認識することでしょう。優秀な人材はまだまだどこにでもいるわけですから、解党的出直しを行い自分たちこそが国民と共にある政党だということを強くアピールしていくことが最も肝要なことだと私は思います。

「真相報道バンキシャ!」を見て

去る10月11日、夕方6時からの日本テレビ「真相報道バンキシャ!」で興味深い内容のリポートが放送されました。

丁度八ッ場ダムについて工事が本当に必要なものかどうか議論が持ち上がっていますが、番組が独自に日本のダムについて詳しく調べてみたところ何と計画のスタートから40年以上が経過しているのにいまだに完成していないダムが結構沢山あるというのです。ダムは住民の生命財産を守り、治水のためにはどうしても必要であるということで計画されたはずなので、着工して4、5年、どれだけ長くても10年くらいのうちには完成させなければ意味がないはずです。それが八ッ場ダムも含め40年を超えても完成していないというのは一体どういうことなのでしょう。その間に大きな治水上の問題は基本的には起きてなさそうなので、そもそもダムは本当に必要なのだろうかという疑問も出てきます。

さらに驚いたのは、あるところではダムが完成したので貯水してみたところ、地盤が軟弱だったため地滑りが起きてしまい貯水できないのでそのまま使われずにいる、という殆ど笑い話にしか聞こえないケースもあるということなのです。素人が考えても、ダムを造るのであればその地域の地質調査をまず重点的に行ってからダムの建設に移るものだと思いますが、いざ完成してみたら付近の地盤が軟弱でダムとしては使い物になりませんでしたというのでは開いた口が塞がりません。

国民は本当に甘く見られているのだなとつくづく思います。基本的にはお上を信用している国民の善意に付け込んで、大切な国のお金が無駄に使われてきたことが今回のリポートを通じて良く伝わって来ました。しかし、こんなにも酷いことが繰り返されてきたのかと思うと呆れるとともにちょっと悲しくなりましたね。戦後の64年間、ただ右から左へと国民の税金を浪費することが色々な場面で行われてきたわけです。確かに政治とはそんなに簡単なものではなく、常に柔軟性を持って時代の流れに順応しなければならないのですが、何よりも未来を見据えて国民全体の幸福を実現するために有効な手段を選択し実行に移すことが大切なわけで、その意味で無駄と思える工事を繰り返してきた従来のやり方には絶対にメスを入れる必要がありますね。

この日の「真相報道バンキシャ!」の放送は重要なポイントに着目し、しっかりとした取材で問題点を提示してくれました。良い意味でテレビの力を見せつけるものだったと思い、独りテレビの前で拍手を送っていました。

「政権が交代して」

民主党政権が発足して早2週間。鳩山総理や閣僚たちの動きが二ュースで伝えられ、確かに自民党政権時代とは変わったなと思わされることが多くなりました。

先ずは予算ですね。今までは慣例に則って右から左へといとも簡単に大金が動かされていましたが、民主党政権下では詳しく精査を行って予算措置が取られることになってきたという点が大きな変化(CHANGE)ですね。

これが本来のあり方ではないでしょうか。予算は立てたらその年度内に使い切らなければならないというのは本来あるべき形ではないと思うのです。そもそも使い切らないと次年度に予算を減額されるので減額されないためには使い切ってしまわないといけないという発想から悪循環が生まれ、財政も悪化してきました。従って、特別必要でもないものに無駄にお金を使うことには十分に慎重になることが要求されることになったのです。

民主党政権がこの点で精査するようになって、戦後64年の間に綿密に作り上げられてきた特殊法人など特定の利益を守るためのシステムの巧妙さが少しずつ顕在化してきつつあるように思えます。時間を掛けて出来上がったものだけに簡単には改革が進まないことと予想されますが、こういったところに初めてメスが入れられようとしているわけですから大変意義深いことだと思います。少なくも今後は国民の税金を湯水のように無駄使いするようなことは極めて難しくなりました。

民主党政権が今後どのような政策を打ち出していって、それらが国民の喝采を受けるようになるかどうかはまだ現段階では分かりませんが、大きな無駄使いが減じられる動きが見えてきたのは確実な変化が起きていることだと思います。閣僚たちが意気込みを持って任務を果たそうとしていることには好感が持てます。是非とも国民のためになる良い仕事をして欲しいと心から願います。

「爆笑!ふれあいコメディ こちらかきくけ公園前」

去る9月17日、大阪の「なんばグランド花月」に行きました。朝日放送(ABC)で放映中の「爆笑!ふれあいコメディ こちらかきくけ公園前」にゲストとして出演するためでした。レギュラー陣は交番のお巡りさん役の陣内智則さん、弁当屋「ふじい亭」の店主役の藤井隆さん、コヤブ医院院長役の小藪千豊さん、工事現場作業員役の池乃めだかさん、コヤブ医院ナース役の友近さん、ストリートミュージシャン役のNON STYLE井上さん、石田さんの他に、未知やすえさんや浅香あき恵さんなど芸達者な皆さんが勢揃いして織り成す人情コメディに毎回ゲストが招かれて参加するものなのです。

第25話の放送回のゲストとして御指名を受けて出演することになったのですが、当日の1週間くらい前からプレッシャーがかかり「大丈夫だろうか。皆さんの芝居の流れを阻害したりしないだろうか」と悩み始めました。3日前に台本が手元に届き読んで見ると、私の役は近くの板金工場の社長で、コヤブ医院にて健康診断を受けたところ余命3か月の重病に侵されていて、もう手の打ちようが無いと宣告されて苦悩している立場の人間だったのです。

芸人さんのように上手く演じることはできないでしょうが、セリフだけは全て頭に入れて周りの皆さんに迷惑を掛けないように頑張ろうと決心して備えました。当日は午後2時過ぎから本読みリハーサル、ドライリハーサル、本番に備えてのリハーサルを行い、午後7時半から本番の収録が始まりました。生の舞台劇は勿論初めてだったので大変な緊張状態でしたが、普段は司会者の私がこの場に出てくるとはさすがに観客の皆さんも全く想像もしていなかったようで、いざ私が舞台に登場したときにはびっくりして今まで聞いたことのないような大歓声で迎えてくれました。逆にこれで気持ちが収まり何とか皆さんに迷惑を掛けないで済んだようです。

それにしても陣内さん、小藪さん、池乃めだかさん、友近さんをはじめ出演者皆さんが台本の流れに沿いながらもアドリブを雨あられと繰り出して傍にいて思わずくすりと笑いそうになることもしばしばでした。その中で、台本上では池乃めだかさんが浅香あきえさんに向かって「もういい、もう沢山だ。お前は何時からそうなってしまったんだ。昔はそんなじゃなかった。このガーリック」と罵ることになっていたところを、本番で突然「このブロッコリー」とアレンジしてしまったものですから、その言葉を受ける浅香さんが瞬間言葉に詰まるシーンがあり、結局出演者全員が大笑いしてしまいました。

このような展開で私自身も段々その雰囲気の中に包まれていくところでエンディングとなりました。観客の笑いを取ることに執念を燃やして舞台に上がっている人たちのプロフェッショナリズムに圧倒された今回のお仕事でした。彼らの持っているものから自分の仕事にも生かせることは無いのか、改めてじっくり分析してみようと思いました。

「素晴らしき結婚披露宴」

先週の土曜日12日に結婚披露宴に出席しました。新郎は日本テレビの人事部に所属する森浩一さんで、NTV「THEワイド」でずっと一緒にお仕事をした経緯がご縁でこのたびご招待を頂きました。

森さんは東大法学部出身で日本テレビに入社した時に「THEワイド」にアシスタント・ディレクターとして配属されました。以来12年間番組の取材、制作に関わり常に前向きで確かな実績を積み上げて大きな貢献をしてくれた実力派のテレビマンです。制作の現場ではさまざまな話題の取り上げ方や、お茶の間に伝える話題の優先順位などを徹底的に思案して自分の強い思いをぶつけてくる作り手で、一緒に仕事をしている立場の人間にとってはとても頼もしいディレクターでした。正直なところ、東大出身というと個人的には、「なるほど」と肯かせるタイプの人もいれば、「え、この人が」と首を傾げさせるタイプの人がいるなど人によって受ける印象が本当にまちまちですが、森さんは灘中、灘高、東大といわば受験界の王道をスムーズに駆け上がってきた人で、東大時代は学業も究めながら東京大学管弦楽団に在籍してトランペットを担当し、芸術をこよなく愛する心豊かな青年でもありました。エリートコースを歩いてきた人間が陥りがちな心の狭量さなど微塵も持ち合わせてない本当に優しい心の持ち主なのです。

100人前後の人間が出入りしていた「THEワイド」には学歴を含めさまざまな背景を持った人たちがいました。中にはアルバイトという待遇で殊の外厳しい条件で雇用されている人たちもいたのですが、森さんは一貫してこうした弱い立場の人たちに何時もやさしく接し相談相手になってあげて、その結果彼らからとても慕われていたのです。

そのような森さんが人生の伴侶として選んだ方はどういう人なのかとても興味深かったのですが、新婦寛子さんの笑顔を拝見し、挨拶の言葉を交わした瞬間に流石森さんが選んだだけあって素晴らしい人だなと即座に感じました。山形県の生まれで幼い頃から2歳年上のお姉さんと一緒に合唱団に入って歌の練習を続けているうちに、歌そのものを専門的に学びたいと志して勉学に励み、お姉さんの後を追うように東京芸術大学声楽科に入って優秀な成績で卒業しました。そしてコンサート活動を続けながら大学院修士課程を今年の春終了した音楽界のホープといえる方なのです。お姉さんも大学院博士課程に進んで研鑽を続けているそうで、姉妹同士のお互いを思う愛情の深さなど、姉妹が育ってきたご家庭が家族愛に包まれた心優しい方々の集合体だったのだということがとても良く理解できました。

披露宴の司会は「THEワイド」でリポーターとして活躍した杉本純子さんが担当しました。森さんからするとずっと姉のような立場で親しく接してきた杉本さんが、彼についてはありとあらゆる情報を持っているので、お祝いに来た人たちにその時その時の状況を分かり易く砕いて話してくれました。そのため場内は時に爆笑に包まれたり、「素晴らしいね」と感嘆の声が飛んだりと本当にアットホームな雰囲気に満ち満ちていて、皆が幸せな気持ちになれる素晴らしい披露宴でした。

これは第一に、新郎新婦の清々しさや心の豊かさ、優しさが溢れていたことが大きいと思います。それはとりも直さず、新郎新婦が育ってきた森家佐藤家が愛情豊かな家庭だということでしょう。また、第二に司会の杉本さんの雰囲気作りが絶妙で皆がリラックスして心を開くことができたことも大きな要素でした。私は思わず彼女に「『THEワイド』のときより一段と上手くなったね」とジョークを言ってしまいました。これまで結婚披露宴には随分と出席していますが、今回の披露宴ほど爽やかな気分になった披露宴はありません。出席できたことはとても幸せなことでした。そして「THEワイド」を通じて森さんや杉本さんのような優秀な人たちとご一緒できたということが自分にとってはかけがえの無い財産であることを改めて実感した次第です。

新郎新婦は間違いなく幸せで素晴らしい家庭を築いてくれるでしょう。森さんは何れまた制作の現場に戻ってディレクターとして素晴らしい番組を世に送り出してくれると思います。そして寛子さんは優れた声楽科としてこれからも聞く人たちに安らぎを与えて行かれることでしょう。心よりお二人の末長いお幸せをお祈り致します。

「あっという間の船旅」

小さい頃から体を動かすことが大好きだった私は、小中学生時代は必然的に勉強よりもスポーツを優先させる日常生活を送り続けていました。野球、相撲、陸上競技をはじめ、あらゆる競技に一通りは手を付けたことがあってスポーツは何でも得意という自信を持っていたのですが、そんな私にも実は一つだけ苦手なものがあったのです。

それは水泳でした。小学校入学時のツベルクリン検査で陽転していると言われたため、夏の間水泳をしないようにという指導を受けました。当時は結核が大変恐ろしい病気として警戒され、特に体力のない小さな子供については大事を取り過ぎるくらいの配慮をして患者を出さないようにと学校なりの努力をしていたようです。それからの3年間はじっと我慢して水泳の時間はおろか海水浴まで控えたほどでした。更に、齢の離れた私の兄たちもそれぞれ進学で家を離れてしまったため私に泳ぎを教えてくれる人も無く、漸く4年生になって独りで家の近くの海水浴場に行き、溺れかけながら何とか体を浮かせるコツを掴んでどうにか泳げるようになった始末でした。ですから、水泳大会だけは選手として参加した経験がないのです。

勿論今は泳げますが、それでは海に遠泳をしに行きたくなるかと聞かれれば、とても自らトライしようという気にはなれません。釣り船やヨットに乗ることがあっても余り遠くまでは行きたくないと思う口です。水に対する警戒感とか怖れが未だに体の何処かに潜んでいるような気がするのです。あるとき、運勢占いの方に見て頂いたところ水難の相ありと言われ、やはり自分はそのような星の下に生まれてきているのだと妙に納得したことがあります。従って、船に乗って長旅をするということなど、自分にとって全く関心のあることではありませんでした。

そんな私に「ぱしふぃっくびいなす」号(26,000トン)という豪華客船に乗ってお客様に講演をしてくれませんかという仕事の依頼が来たのは今年春。クルーズそのものは8月28日に横浜港を出て9月7日に同港に戻って来る日本一周の旅でしたが、私どもスタッフを含めた一行はスケジュールの都合上最初の3日間だけ乗船して2日目に講演を行って3日目に寄港地である小樽港で下船をすることになっていました。船内で宿泊する旅はこれまで一度も経験したことがなかったので、(正確に申し上げますと、戦後の昭和21年に中国本土から引き揚げ船で長崎に引き揚げて来たときに船内で赤痢などの患者が出たため佐世保港で一月ほど下船できずに船内生活を強いられたという経験をしているのですが当時2歳の私には記憶が全くありません。)船は苦手という意識がありましたが、何事も経験ということで仕事を受けさせて頂きました。

8月28日は10時30分に横浜港大桟橋に集合、一般のお客様より前に乗船させて頂き船内の状況を見せて頂きました。なるほど26,000トンの豪華客船は想像通り大きく、ご用意頂いたスイートルームはとてもゆとりがあり居住性が優れているので、この部屋で宿泊できるなら船旅が好きな方の気持ちが少し理解できるような気がしました。

全ての手続きを済ませて、正午丁度にぱしふぃっくびいなす号はおよそ300人の乗客を乗せて出港しました。岸壁でテープを握って手を振りながら見送りをしている乗客の家族の方も結構いていよいよ船旅が始まったぞという気分になりました。

好天の下、船は東京湾をゆっくり航行し、とても長閑で穏やかな旅のスタートでした。東京湾を出て太平洋を一路北に進路をとります。時速18ノット(33km)くらいで北上して行くのですがさほど揺れも気にならず、思ったより船旅もいいものだなと感じ始めていました。一つだけ心細さを覚えたのは携帯電話の電波の受信状態が陸地から離れるに従って悪くなり、そのうちに「圏外」が表示されるようになってしまったことでした。勿論船内にはテレホンカードで使える公衆電話があるので、いざという時にはそれを使えばいいことなのですが、現代人の友である携帯電話が使えなくなるというのは妙に寂しさを感じるものです。

乗船してすぐに軽い昼食、そして夕方6時半には夕食が始まります。基本的には船内でずっと生活するので地上にいるときよりどうしても運動量は少なくなります。従って、カロリー量も摂取過剰にならないよう食事には細心の注意が払われていて、初日の夕食である洋食のコース料理も決して味を濃いものではなく、お腹がもたれないようにとても気を配った分量でした。さて、夕食の後は部屋に戻りますと少し船の揺れが大きくなってきました。神経質なタイプの私としては船酔いをしないように大事を取って即座に酔い止めの薬を服用しました。これは正解だったようで以後多少揺れても殆ど気にならなくなり、翌々日の下船までとても気分よく過ごせたのです。

翌2日目の朝食は7時半頃に私どもを引率して下さるスタッフの皆さんとご一緒に頂きました。この船の良さの一つは、船内の何処を歩いていても乗務員の方々から「おはようございます」、「こんにちは」、「こんばんは」、ととても心地の良い挨拶の声が掛けられるというところにあります。当然のこととは言え教育が行き届いていると思いました。

朝食後少し間を置いて、午前10時から1時間半の間、私の講演になります。会場のメインラウンジに乗客の殆どの方々が席を取って待っていてくれました。放送人として42年間に亘って仕事をしてきた経験の中から興味深いと思われるお話をさせて頂きました。その中では特に、日本人は年齢に対し細やかな神経を持っていることが災いして新しいことを始めることにやや消極的になってしまう傾向にありますが、年齢は何かを為そうとするときにそれを阻害する要因にはなりえない、ということを強調しますと、聴衆の皆さんからはその意見に同調するという力強い拍手を頂戴しました。話し手にしてみるとここで良い仕事ができて良かったなと感じる幸せな瞬間です。講演が終わると昼食で、皆さんが先ほど聞いた講演を肴にして食事を楽しんで居られました。

2日目の夕食は翌日の寄港地の小樽にある「小樽オーセントホテル」の中村功二シェフが腕によりをかけて作った和風懐石料理で、一品一品が素晴らしい出来栄えの本当においしい料理でした。小樽では船は港に停泊してお客様は同地でオプションツアーを楽しむ予定になっているので、中村シェフとしては「ようこそ小樽へ」という熱い思いを込めて力を入れて作って下さったのだと想像した次第です。夕食の後はメインラウンジで、フルート奏者前田綾子さんを中心としてピアノ、ドラム、キーボードも加わったユニット「フェリティシモ」がポップスや日本の名曲を披露して楽しませてくれました。演奏の最中に船の揺れが最も大きくなったのですが流石はプロフェッショナル、「私たちも思いきり揺れましょう」と言ってそれを物ともせぬ完璧な素晴らしい演奏でした。

翌日は早めの朝食を済ませると朝8時に小樽港到着です。荷物を纏め精算を終えて10時には下船。私の短い初めての豪華客船の旅はあっという間に終わりました。想像していた以上に快適で色々な楽しみがある船旅。またいつの日かチャンスが巡ってくるだろうと思います。

実は今回、NHK時代にお世話になった二ュースデスクの石井彰さんと25年ぶりに巡り合う事ができました。石井さんはとても心優しい方で、アナウンサーの立場からいつも尊敬の眼差しで慕わせて頂いた二ュースデスクの方でした。石井さんは現在埼玉県和光市で和光市民文化センターの理事長として活躍なさっているということで、昔と変わらず颯爽となさっていました。そして横には素敵な奥様がご一緒で、恐らく多忙だったNHK時代の分も含めて奥様孝行をなさっているのだろうと推察しました。船旅にはこのような久々の思い掛けない再会もあるものなのだな、と今回の旅に感謝したことでした。

「総選挙が終わって」

第45回衆議院総選挙はご存知のように民主党が圧勝し、自民党は結党以来初の歴史に残る大惨敗を喫して終わりました。

この結果は読売新聞、朝日新聞、毎日新聞などが事前に実施した世論調査の結果とほぼ同じであり、調査に応じた人たちが正直に語った通りに投票したということになります。中でも今回目立ったのは、これまで自民党を支持してきた人たちの中に今の自民党にはまずお灸を据えねばならないと考えた人が多かったということです。そうした多くの有権者の意向を汲み取ることができず、旧来通りの選挙戦を戦った自民党には勝ち目はありませんでした。失政に次ぐ失政を重ねた上、選挙戦に入って麻生総理大臣の第一声がこれまでのお詫びから始まるようでは戦いにならないと指摘されていましたが、これという有効な戦術も見られず後は民主党のマニフェストが無責任なものだと攻撃を繰り返すだけに終始する有様。街宣活動で集まった人たちの反応が良いという自信だけで、総理自身が世論調査で示されている数字より実際にはもっと得票できると捉えていたようです。

そして有権者の「自民党NO」の意思表示が結果的に民主党の記録的圧勝に繋がりましたが、多くのマスコミが指摘しているように民主党の全ての主張が無条件に支持されたというわけでもありません。それだけにこれからは国民を納得させ流石と言わせるような政権運営ができるかどうかが注目されます。他人のやることを批判するのは易しく、自分がいざ同じことを成し遂げようとすると想像以上に困難が付きまとうのが世の常です。言っていることとやっていることが違うではないかと言われないように精励、奮闘して欲しいものです。何故ならもはや日本は色々な局面で苦境に立たされていて、失敗は許されない状況にあるからです。

ところで今回の選挙で私自身は東京11区に立候補、民主党推薦の新党日本の有田芳生候補を個人的に応援しました。なぜならテレビの情報番組を通じて12年余りに亘り一緒に仕事を続けてその素晴らしい人間性に魅かれていたからです。ジャーナリストとしての責任感の強さ、高い倫理性、継続する行動力、広い視野、どこをとっても国会議員としての資質をこれほど持っている人はいないと確信していたからでもあります。有田芳生候補は彼の人間性に惚れ込んだ熱心なボランティアの方たちに囲まれて涙ぐましいほどの手創りの選挙戦を繰り広げましたが、11万3998票を獲得したものの僅か4000票余り及ばずに現職の自民党候補に敗れました。

単に勝つことだけを考えれば民主党所属の候補として出馬してこの追い風で勝利できたと思うのですが、有田芳生候補は自分を国政の場に誘った田中康夫新党日本代表に義理を通して新党日本所属の候補として戦い、結果残念な敗戦となってしまいました。あくまで派手なことは何一つせず本当に地道な戦いを展開しただけでこれだけ多くの有権者の信頼を得たというのは、多くの方が有田候補に良き政治家になれる可能性を感じ取ったということだと私は思います。目標を諦めずに有田さんには今後の活動も是非前向きに考えて頂けたらな、と勝手に思った次第です。

「薬物事件を聞くにつけ」

このところ人気芸能人が、合成麻薬「MDMA」を使用で、もしくは覚せい剤の保持容疑で逮捕されるなど薬物がらみの事件が相次いでいます。21世紀の人類にとっての課題の一つは薬物との戦いであると指摘されて久しいのですが、一向にこのような事件が減る兆しはなく、むしろ増加傾向にあることは間違いありません。

科学技術が進み、人間の生活リズムに加速度がついてくると、人間にはより多くのストレスがかかり精神的な不安定感を覚える人が増えてきます。そこに誘惑の手が伸びてきて余り意識もしないまま薬物に手を染めてしまうということが起きてしまうのでしょう。一方薬物を製造、販売する側にとっては捕まるリスクはあってもその収益率の高さは止めるに止められない誘惑の力を持っています。従って、そうした薬物を捌く組織などは手を替え品を替えして覚せい剤を痩せ薬や疲労回復剤などと偽り一般市民にいつの間にかそれを売り渡したりしているのです。また国家として覚せい剤等の製造販売をやっているのではと指摘されている近隣国家からの日本国内への薬物の流入もあって、我々の身の周りには手の届き易いところにこうした覚せい剤などの違法薬物が存在するのが現実なのです。

では、どのようにしたら薬物問題を克服できるのでしょうか。私は先ず何といっても大切なことは「薬物が如何に人体に有害で、使用してしまうと自分だけでなく子供にまで強い悪影響を与えてしまうものである」という実態を幼少期からの教育の中で子供たちに徹底して教え込むことだと思っています。

一度薬物に染まってしまうと、それを完全に克服するには途轍もない時間と労力を要求され膨大な犠牲を強いられてしまうものです。一時期多用されていながら最近は殆ど聞かなくなった「覚せい剤やめますか。それとも人間やめますか」というものがありましたが、このキャッチフレーズほど端的に麻薬の恐ろしさの現実を訴えているものは無く、是非これからもこの言葉を使って薬物の害をアピールしていくべきだと思います。

更に、このような危険な代物を人々に売り渡して利を得ようとする人たちには極刑も含めた厳罰をもって対処するという社会全体の共通認識が必要だと考えます。とかく法律の常識として初犯の人間には温情をもって処するということになっているのですが、この薬物問題だけは薬物そのものが人類共通の敵であるわけですから、他の法律案件とは全く異なる次元での対応が必要になるでしょう。

とにかく、有害薬物だけはどんなことがあっても排除するという強い共通認識をどの世代でも共有できる社会にしていかなければならないと今回の事件を見ていて感じました。

「三枝氏、堀氏の共著を読んで」

先日PHP研究所から出版された「特攻とは何だったのか」(三枝成彰、堀紘一共著)には色々と教えられ、考えさせられました。そもそもは㈱ドリームインキュベータ会長として幅広く活躍をされている堀紘一氏と堀氏と昔から親しい作曲家の三枝成彰氏の二人が力を合わせて「特攻隊」をテーマにオペラを創ろうと考え、堀氏が台本を担当するということでそれぞれ「特攻隊」についての調査、研究、取材を積み重ねたことが本書の生まれる起点となりました。そしてそこから二人が掴みとった「特攻隊」の実像を二人の対論の形で纏めた物が一冊の本として出版されたのが、この「特攻とは何だったのか」に当たります。

先ず私が驚いたのは、特攻隊員として戦死した人の総数が何と1万4009人にものぼるということでした。特攻というものは物量乏しくなって窮余の一策として考えられたものだと思っていたので、その時点で使える飛行機の数も限られているでしょうから、まさかこれほど多くの人たちが死を義務付けられて敵艦船を目指して突っ込んでいったとは思っていなかったのです。

堀氏の分析では「特攻」の経過をたどってみると、特攻作戦が正式に採用される前にも敵に対して攻撃を行っているとき、やむを得ず自分が敵機に対して体当たりを敢行して撃墜し敵機もろとも戦死したケースが見られ、これを仮に「フェーズ1」とすると、有無を言わさず正式の作戦として行われるようになった特攻が「フェーズ2」と考えられるというのです。この段階では小さいながらも敵に与えた損害だけを見ればまだ戦果ゼロとまでは言えない状況だったようで、その後ほとんど戦果が期待できないまま特攻隊員にただ死を強いるようになった特攻「フェーズ3」の段階に入って行きます。そしてさらに事態は悪化し、目的も意味も無くそこに飛行機があり搭乗員がいるからという理由だけでルーティン作業と化してしまった「フェーズ4」まで、もうこんなことは止めさせようという動きも無いままに時間が経過し徒に犠牲者を増やすことになっていきました。

両氏とも感情論に流されることなく論理的に日本の当時の軍隊のあり方や人間の動きを分析して何処がいけなかったのか、どの部分がどう機能すればよかったのかなどといったことを鋭く指摘しています。こうした指摘を耳にしますと、あれだけの大きな犠牲を払いダメージを受けながら、第二次大戦についての国民的な総括が未だにはっきりとなされていないのではと思うこともあります。

明治政府がつくられたときには理想に燃えたリーダーたちのエネルギーが迸りました。ところが日露戦争に勝利してからは、アジアの一流国になったと驕った気分になったからでしょうか、日本の戦略にどうも陰りが見えてきたようでなりません。超大国を相手に戦争に突入するならば、戦後の展望も見据えつつ講和条約の締結やさまざまな対応のシミュレーションをしておくべきなのですが、当時の日本の指導者層はどうもはっきりとした展望も持たないまま国民をあのような結末へとずるずると引き摺っていったような気がします。

そして戦後64年が過ぎましたが、ある意味当時のように指導者層が国家の進むべき方向性を明確に描き出せないような政治の混迷ぶりがあり、そして日本人の最大の武器だった読み書き算盤などの知力が相対的に減退しているという残念な状況を見るにつけ、これからこの国は何処へ向かおうとしているのだろうか、という思いが致します。

この本を読みながら、今からでも立て直しは間に合うのだろうかと考えたりしたものです。その意味で是非皆様にも手にとって読んで頂けたらと思いました。

「オードリーがやって来た!」

日本テレビの人気番組「メレンゲの気持ち」の人気コーナー「ビューティフル・ライフ」出演に際し、人気絶頂のお笑いコンビ、オードリーのお二人が我が家にやって来ました。と言っても、大したものがあるわけではない我が家ですから、どんなロケになってしまうのだろうかと心配していたのですが、オードリーのお二人はさすがです!何ということはない会話の中から面白可笑しくストーリーを導き、終わって見ると何とも言えず楽しかったなあという気分にさせられました。(8月オンエア)

オードリーは高校時代の同級生若林正恭さんと春日俊彰さんが2000年にコンビを組み活動を続けてきましたが、中々スポットが当たらず一時はコンビ解散を若林さんは考えていたそうです。そんなときにも春日さんだけは暢気なもので、スポットが当たらないのは時代が自分たちに追いついていないだけで、必ず何時か自分たちの時代が来ると言い続けていたのだそうです。その陰でネタ創りに精を出し、知恵を絞ってオードリーの基本形を築こうと頑張っていたのは若林さんだったのです。

その当時実は春日さんがツッコミ、若林さんがボケをやっていたということなのですが、ある先輩に「春日のツッコミは変だぞ」と指摘されたことがあったそうです。そう言われ改めて確認してみると、春日さんのツッコミのタイミングやポイントなど明らかに間違えていることが多く、そこが全体の面白さを損ねていることに彼らは気がつきました。そこで春日さんはボケで若林さんはツッコミに転換したところ、とても巧く行くようになったということでした。先輩の指摘が無ければひょっとしたら、今のオードリーは無かったかも知れません。人間にとって持つべきは良き師、良き先輩だとつくづく思うのです。

ここまで書くと春日さんは何もしていないように聞こえますが、勿論そのようなことはなくどんなときにも気持で相方を引っ張って行くそのエネルギーは際立ったものを持っています。磁石のS極とN極が引き付け合うように、若林さんあっての春日さんであり、
春日さんあっての若林さんなのだなとつくづく感じた次第です。オードリーとはこれまで「草野☆キッド」で一緒にお仕事をしたことがありましたが、我が家の訪問を通じて一段と仲良くなれたなと勝手に思い込んだことでした。

「かみのやまへの旅」

弊社の年中行事である山形かみのやま温泉旅行に今年も6月下旬に行ってきました。

さくらんぼ狩りを楽しめる川口観光果樹園でたわわに実をつけているさくらんぼの木から直接実をもいで好きなだけ食べ、上山温泉にある「日本の宿 古窯」に一泊して食と温泉を楽しむという旅行を初めてしたのは今から21年前のことです。丁度、私自身がNHKを辞めて民放で仕事をするようになって3年が経過したころで、「自分の仕事の本質は視聴者の皆様に向けて情報を分かり易く伝える情報サービス業なので何処までも視聴者の皆様に対してのサービスを徹底しなければならない」という認識を持って仕事に臨んでおりました。当時から「古窯」はお客様を持て成すさまざまな工夫と努力を重ねている大変素晴らしい旅館という評判を伝え聞いていたので、観光客を持て成す「古窯」と私とでは業種は異なるものの「サービス」という点においては共通の認識基盤を持つ「古窯」が具体的にどのようなサービスを実践しているか是非この目で見てみたいと思い、足を運んだのが最初でした。

思えばまだ当時は山形新幹線が開通しておらず、まず上野駅からは福島駅まで東北新幹線で移動し、福島駅で山形行きの在来線特急に乗り換えてかみのやま温泉駅まで行くという、合わせて3時間半近くかかる旅でもありました。(現在は東京駅から山形新幹線に乗れば2時間半で着きます)

長時間の移動でしたが、かみのやま温泉駅に降り立つと「古窯」の従業員の方がマイクロバスで迎えに来てくれていて、10人足らずの私たちのグル―プを大歓迎してくれたのです。バスに乗った途端温かくやさしい歓迎の言葉と共に、冷たく冷やしたおしぼりを一人一人に配ってくれました。お客様へのサービスは駅への出迎えの瞬間から始まっていました。この時の冷たいおしぼりの心地よさは何時までも忘れえぬ感激として今もはっきりと覚えております。勿論このおしぼりは季節に合わせて温かいおしぼりにも変わります。その場その場の状況に合わせて従業員の方々が判断して対応するというきめ細かなサービスのスタートポイントになっているのです。

10分ほどのバスでの移動の後、「古窯」に到着すると気持ちのいい「いらっしゃいませ」という声が私たちに掛けられました。その声が音声学的にもとても聞きやすく良い感じなのです。話の専門家である私の印象ですが、おそらく皆で相当研究し、鍛錬を積んで歓迎の言葉を自分のものにしたのだということが伺えました。これほど皆が同じレベルで好感の持てる挨拶のできる従業員がいらっしゃる宿は他に見たことがありません。基礎的なことは勿論のこと、どの段階に至ってもこの旅館はお客様を和ませ寛がせる力を持っていることがとても印象に残りました。

以後この旅行が年中行事になったのは、自分たちがまずは楽しみたいということもありますが、一方で「古窯」のお持て成しからサービスの本質を学びとり、自分の体の中に取り込んでしまおうという狙いもあったからなのです。梅雨時の旅行なので本来ですと道中雨に苛まれて苦労しそうなものですが、実はこの21年間不思議なことに旅行の日は一度も本格的な雨に出会ったことがありません。ひょっとしたら神様が唯遊びに行くだけでなく半分は勉強のためという姿勢を買って雨を降らせないでいてくれるのかも知れないなと思ったりしたものです。

「『おもいッきり』な水曜日」

6月10日、日本テレビ「おもいッきりDON!」に出演しました。番組のMCを担当している中山秀征さんとは昔から親しくさせて頂いていて、彼の結婚式に出席したことを今でも懐かしく思い出します。奥様は元宝塚のトップスター白城あやかさんで、披露宴の席で初めてお会いしたときに「こんなにも清楚で美しく輝いている花嫁さんが本当に存在するものなんだな」とびっくりしたほどそれはそれは素敵な女性でした。その奥様との間に4人のお子様を儲けて少子化問題にも身を持って貢献し、勿論その家族をとても大切にする良き家庭人としても広く知られていますが、仕事の面ではみのもんたさんの後を受けて日本テレビのお昼の顔として大活躍と、今最も輝いている人の一人でもあります。

年下の人からも「秀ちゃん」と呼ばれるほど親しみやすくフランクな人柄で、出演者への細かい気配りも決して忘れないその場を温かくしてくれる達人だと私は思います。この日もとても気を遣って頂き楽しく良い気分で出演時間を過ごさせてもらいました。この番組の出演は昨日で3回目になりますが、回を重ねる毎に出演者のチームワークが出来上がっていくのが感じられ、それだけ「秀ちゃん」の努力が偲ばれます。

この日はゲストとして田原俊彦さんがスタジオ生出演で歌い、語ってくれました。私自身、24年前NHKから民放に転じた年にTBSの人気番組「ザ・ベストテン」で黒柳徹子さんのお手伝いで出演したとき以来の対面でしたが、「トシちゃん」は基本的には昔と変わらずいつまでもお若く、歌いながら右脚を高々と軽快に蹴り上げるその姿に感嘆致しました。体の手入れやトレ―二ングをしっかり続けていらっしゃるんですね。

番組終了後はオフィスで取材を受け、終わるや否や急いで、高田文夫さんが主宰しわが盟友浅草キッドのお二人が中心になって続けている「高田"笑"学校 しょの33」を観覧しに新宿紀伊國屋サザンシアターに向かいました。今回はタイムマシーン3号、松村邦洋、昭和のいる・こいる、マキタスポーツ、浅草キッドの皆さんが出演し今回も大変な盛り上がりとなりました。若いタイムマシーン3号も将来の可能性を感じさせるものをも持っていますし、心停止状態から生還した松村邦洋さんは世襲問題について元首相、前首相、現首相が語り合うというタイムリーなネタが大成功。超ベテランのいる・こいるのお二人はこれが見納めと銘打って持ちネタを披露し、何となく高田"笑"学校とは違和感を覚えるところがまた楽しいものでした。そして我が盟友浅草キッドは時事問題や社会問題にかこつけてシャープな切れ味の風刺で本音トークが聞きたいファンの皆さんに大受けで大爆笑を呼び起こしました。

そんな中初登場のマキタスポーツさんがどんな芸を見せてくれるか注目していましたが、先ずは得意ネタである矢沢永吉さんにまつわる面白トークでお客さんの心を掴み、続いて奥田民生さん、B'z、佐野元春さん、が「風呂」をテーマに作詞作曲したらこうなるというギター演奏を交えての「作詞作曲パロディー」を披露し、最後にはミスターチルドレンまでが出てしまう、秀逸で涙が出るほどの笑いを誘いました。

マキタスポーツさんの卓越な矢沢ネタは「草野☆キッド」を通じて以前から知っていましたが、そこから離れてこれほど幅の広いネタや素晴らしいギターの演奏技術を持っているとは不覚にも知らなかったものですから、彼のパフォーマンスに驚きひどく感動しました。この日のMVPはマキタスポーツさんだと心の中で叫んで会場を後にしました。

「ブログを始めて一年」

ブログを開設して丁度一年になりました。基本的にはその時その時の自分の思いを記録しておこうとして始めたものですが、直接メールで、もしくは出会った方々から口々に「ブログを読んでいますよ」と言われたりするようになり、意外に多くの方々がご覧になっていることに気がつき驚いております。またブログが直接仕事の依頼に繋がっていくこともあり、インターネットの便宜性を改めて感じる昨今です。一年前に始めた当初タイピングの速度は遅かったのですが、ブログの回数を重ねるにつれてスピードが以前より早くなってきました。

元々、原稿というものは原稿用紙を使って自筆で書く方が本当の意味で推敲ができて良い文章になるものと信じ込んでいたのですが、それは単なる慣れの問題であってパソコンに向かってタイピングを始めると、パソコンの字は綺麗で簡単に修正できますし、とりあえず一通り書き上げたものでも一瞥するだけでとても良いものに仕上がったような錯覚にもとらわれます。勿論、錯覚ではなくて本当に良く出来上がっていることもあるんですよ。

ブログを始めて意識していることは、多くの方々が読んで下さっていることを勘案すると、自分の考え方の押し売りにならないように努めて冷静な表現を心掛けています。もっとも「THEワイド」を担当していたときも基本的なスタンスはほぼ同じでしたから、極端に姿勢や意識が変わったわけではありません。読み返してみるともう少し直截な表現が増えても良いのかなと感じることもありますが一凡人の考えですからこんなものなのでしょうね。

年齢を重ねてきてさまざまな世界の一流の人たちと接していると、その人たちがプロフェッショナルとして培ってきた技術の素晴らしさや奥深さに驚き、流石大したものだなと感服することが多くなりました。自分自身の年相応の人生経験によってプロの技術に対する鑑識眼や理解力が育てられてきたということなのでしょうね。色々な世界で活躍する人の中にプロフェッショナルの凄さを感じさせる人が多いのに何故か政界にはなかなかそのようなプロが見当たらないと感じるのは私だけでしょうか。

「田舎に泊まろう!」

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このところテレビ番組への出演ではロケのお仕事が増えています。「世界ふしぎ発見!」や「草野☆キッド」などの番組は基本的に放送局内で収録を行うので、自分自身が外に出てロケに参加するということは殆どありません。ところが最近お声をかけて頂く番組の中には是非ロケに参加して欲しいという要望が増えてきました。そして実際私自身も外に出る方も好きなので、ならばお願いしますと話が纏まることも多くなってきました。

先日は、テレビ東京の「田舎に泊まろう!」という番組からお誘いを受けました。

当初、私の頭の中には色々なことが巡りました。この番組の最大の見所は突然やってきた来訪者に一晩の宿を一般の方々が本当に提供してくれるのかどうかというところにあります。仮に自分がそのような依頼を受ける立場になったら、つまり来訪者を迎える立場になったらどうするだろうかということを考えました。泊めてあげても良いなと思ったとしても、自分の家の事情が許さないこともあるでしょうし、家の中を散らかしたままでこれから掃除して備えるのも大変ということもあるでしょう。またお料理を作って多少の持て成しもしなくてはならないし、それも今からでは困ってしまうなんてこともあるに違い、などという不安ばかりが先行してしまいます。確かに訪れる人はテレビで顔を知っている人だし、本人だけでなくカメラクルーその他スタッフの人たちもついて来るので間違ったことをすることはないだろうと安心できる部分はあるかもしれませんが、かといって「さあどうぞ」とは言い辛いのが一般的なのではないでしょうか。結局、難しいハードルではありますが、それを乗り越えて相手の方に泊めてあげようという気持ちを持ってもらえるかどうか挑戦するだけの価値があることだと思えてきたので、無謀ですがやりましょうと返事をしたのでした。

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さて、目的地も一切知らされず、スタッフに連れて行かれた場所は東京から車で移動できる場所ではありましたが、流石に楽をさせては貰えませんでした。歩きに歩いて最初の申し出はやはり受けては貰えず涙を呑むことになりました。それでも諦めずに宿探しに奔走します。果たして草野仁の運命は一体どうなるのでしょうか。

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6月14日(日)19時からのオンエアをどうぞお楽しみに。

「人格者 有田芳生さん」

かつて、「THEワイド」で苦楽を共にしたジャーナリストの有田芳生さんが、今年の9月までには必ず行われる衆議院選挙を目指して東京11区で地道な選挙活動をこなしています。その有田さんが先日、偶々時間が取れて私の事務所を訪ねてくれました。

ご存知の方も多いと思いますが、有田さんは2年前の参議院選挙に田中康夫氏の新党日本から比例区で出馬したものの残念ながら当選を果たせませんでしたが、世直しへの気持ちは強く抱き続け今度は衆議院選挙に立ち向かおうと日々活動を続けているのです。

有田さんといつも一緒に仕事をしていて印象に残ることが沢山ありました。放送で取り上げられそうな話題については、それが芸能の話題であっても時間をかけて下調べを行い、関係者への取材も綿密に行った上で毎日の生放送に臨んでいました。従って、彼がコメントする内容には全幅の信頼を置くことができて、司会者の立場からすると本当に頼りになるコメンテーターでした。また、仮に他人を批判するときであっても前向きの愛情のある批判であるべきだという考えを心の底に置いてコメントをしてくれるので、本当に好感の持てる方でした。

2年前のある日、有田さんから政治の場に出て世の中を変えたいと思うという相談を受けたとき、私としてはこれだけ誠実な人が政治の世界で力をぶつけてみたいという意気込みを燃やしているのだから是非議員になって欲しいと思い即座に賛成したものです。最初の挑戦となった参議院選挙では所属政党の規模が余りにも小さかったため、地方に行っても世話役もほとんどおらず苦戦の連続だったようです。その時の色々な体験をもとにして今度は東京11区で出馬を予定しており、同じ野党の民主党も同区には候補者を立てないため現職の自民党の候補者との事実上の一騎打ちになりそうだと見られています。

今の日本の政治状況では自民党か民主党かという問題よりも、その候補者が人間として誠実であり本当の意味で見識を持ち、公僕として国民のために尽くせるのかどうかということがよほど大事な要素だと思います。その点からも有田さんのような方が政治の世界で活躍できるようになることはとても意義深いと云えます。

現在、8月解散説が囁かれていますが有田さんには獅子奮迅の活躍を期待します。

「桜花賞優勝を祝う会」

5月17日の夜、東京銀座で「ブエナビスタ号」の桜花賞優勝を祝う会が開かれました。一口出資会員にとって出資馬がGIレースに勝つというのは極めて珍しいことなので、その分会員にとっては喜びも大きいものです。出資会員40人のうち27人が集まり「ブエナビスタ」号を管理する松田博資調教師、名人芸の手綱捌きで「ブエナビスタ」号を早くもGI2勝馬に導いた安藤勝己騎手、ノーザンファーム吉田勝己社長らと共に楽しい語らいの時を過ごしました。

出資会員になったばかりでこのような強い馬に巡り合った強運の人もいれば、長い苦労の日々を送った末漸くこの馬に辿り着いた人もあり、そこがまたそれぞれの方々の人生とオーバーラップしてとても興味深いものでした。私の場合は初めて会員になった時に持った馬「カッティングエッジ」号がデビューから3連勝して桜花賞候補と言われた強い馬だったのでレースに出場して勝つということはそんなに難しいことでは無いと思っていた時期もあったような気がします。ところが経験を積み重ねるにつれて、生き物である馬を管理調整することが如何に難しいかが分かるようになってからは、そんな不遜な気持ちは雲散霧消しむしろ所有馬がレースに元気な状態で出られるようになってほしい、故障や事故無く順調に調整が進んで欲しいという思いで愛馬たちを見られるようになりました。

それ故、「ブエナビスタ」号がこんなに素晴らしい活躍をしてくれればもう言うことはありません。次の目標は今月24日のオークスで、勝てる確率はかなり高いのではないかとみられているので、会員たちの思いは皆で表彰式に参加したいというところに行っているようです。皆さんのスピーチを聞いていて感じたのは、愛馬の活躍に刺激されてそれぞれの仕事や人生で更に頑張ろうという思いを強く抱いているのだなということです。私自身もこれを契機にもっともっと力強く前進しなければと気持ちを固めたことでした。勝負事は終わってみなければ結果は分かりませんが、興味のある方は「ブエナビスタ」号のオークスでの走りに注目してみてください。

「民主党新代表選出に思う」

小沢一郎代表の辞任に伴い急遽行われることになった民主党の代表選挙、本来なら次の政権を担うかもしれない政党の代表選挙なのですから国民の耳目を集めるものになるはずなのに、盛り上がりも無いまま国会議員だけの投票で次の代表を決めることに成ってしまいました。

小沢氏の後任の代表選に立候補したのが鳩山由紀夫氏と岡田克也氏の二人でいずれも一度は民主党代表を務めた経験があるのですが、民主党の党勢拡大を果たすことができなかった挫折経験の持ち主であるということも国民の期待感が高まってこない原因の一つだと思います。麻生政権が人気を落とし、一時は不支持率が70%を大きく超えるところまで行っていたのですから、民主党がてきぱきとやるべきことをやって、特にお金をめぐる問題などでは自民党よりもはるかに清潔で国民と同じ視点でものを考えている政党だということを示すことができていれば、民主党の人気はさらに上がり何時選挙をやっても政権交代が実現できただろうに、そうならなかったのは民主党自体に問題が噴出したからだと言えるでしょう。

現在の政治について大方の国民が感じているのは、自公連立政権の運営に満足しているのではない、そうかと言って民主党の主張にも十分説得力があるわけでもない、といったところでしょうか。特に野党の民主党は、反自民を唱えるのであればその方法論や道筋が野党の支持者だけでなくより多くの人々に共感されなければなりません。野党にはそれだけの重荷が背負わされているのだということを忘れてはならないと思うのです。与党とほぼ同じようなことをやっていても国民は目を留めてはくれません。一つ一つの言動が自民党より説得力が有る、やること為すことに自民党より遥かに清潔感や誠実さを感じるというものでないと、安心して民主党に政権を担当させようという気分にはならないでしょう。

代表選挙の結果、鳩山由紀夫氏が新しい代表に選ばれましたが民主党を劇的に変化させない限りは政権交代になるか否かは微妙な感じがしてなりません。民主党自体の成り立ちが思想的な面で余りにも幅広く無理やり詰め込んで創ったという側面があるのでなかなか一つにまとまり切れませんし、政策としても柔軟性に欠けがちです。それでも今日発表されたマスコミの世論調査では、麻生太郎氏と鳩山由紀夫氏のどちらが首相にふさわしいと思うかという質問に対して鳩山氏と答えた人の方が多かったというのですから、今の政治に国民が如何に飽き飽きしているかが分かります。

こうした国民の声に応えられるかどうか鳩山由紀夫新代表の一挙手一投足に注目が集まります。

「ナンボDEなんぼ」

GW中、関西テレビで土曜13時から放送されている人気番組「ナンボDEなんぼ」にゲストとして出演し、収録を済ませてきました。

東京ではオンエアされていませんので私も存じ上げなかったのですが、メッセンジャーの黒田有さんが司会を担当し、「ヒト」や「モノ」にスポットを当ててそれを面白おかしく自由自在に斬りまくるという番組なのです。過去には津川雅彦さんが同じくゲストとして出演し、津川さんの大胆かつユーモアあふれる発言にスタジオは一同大爆笑。そのオンエアを見た私も近来これほど面白かった番組は無かったと感じたものです。その番組から今度は私をゲストとしてお呼びしたいというお申し出を最初に受けたとき、「否、どう考えても津川さんほど面白いお話はできませんよ」という理由で一度お断りをさせて頂きました。ところが、制作の方々とお話を重ねていくうちに「自分なりに背伸びをせずお話をすればどうにかいいものになるのかな」との考えも芽生え、出演を決意しました。

収録が始まると、黒田さんそして関西テレビ山本浩之アナウンサーの掛け合い漫才のような楽しいトークからスタートが切られ、そこにレギュラー出演者の円広志さんやシャンプーハットの二人も絡み、本当に緊張がほぐれたところで私が呼び込まれるという展開でした。お蔭様で凄くリラックスして黒田さん主導の輪の中にすんなりと溶け込むことができました。黒田さんの卓越したリードに引き込まれついついセーブしようと思っていたことまで語ってしまい、時間の経過を忘れてしまったほどです。後になってみると、予定していた以上に自分を曝け出してしまったことに気がつきました。関西の人たちのざっくばらんなところにとても気持ち良く乗せられたという感じですね。

最近は関西の芸人の方々と一緒に仕事をする機会が増えましたが、そのたびに彼らが培ってきた話術や個性的な持ち味に惹き付けられて、こちらもまた自分で思っていた以上のものを引き出して貰うようなってきました。何か相性が良いのだなとしみじみ感じる昨今です。

「ナンボDEなんぼ」は5月30日の放送です。関西地区の方々しか見られませんが意外性があって面白いものになっているものと期待しております。是非ご期待を。

「バビロンA.D.公開記念イベント」

先週末、ハリウッド大作の「バビロンA.D.」(20世紀フォックス配給)が公開されました。

「バビロンA.D.」は舞台が近未来で、戦争やテロによって秩序が崩壊した時代にヴィン・ディ―ゼル扮する傭兵トゥーロップが依頼を受け、謎めいた不思議な能力を持つ女性オーロラをカザフスタン、モンゴル、シベリア、ベーリング海峡を経てカナダ、そしてアメリカの二ューヨ-クまで1万キロを旅して送り届けるという物語です。アクション映画ですので何度も命の危険と戦いながらそれをクリアしていくというストーリーの映画です。ヴィン・ディーゼルが強い男であるのは容易に想像できますが彼はタフガイであるだけではなく、判断力や分析力にも優れ困難なミッションを遂行できる際立った能力を有しているのです。ところがそのような彼でさえも死と直面せざるを得なくなります。果たしてどのようにして彼はそこから脱却できるのでしょうか。その部分は是非劇場で楽しんで頂きたいと思います。

さて、去る5月6日に私は秋葉原UDXビルで行われたその「バビロンA.D.」の公開記念イベントに参加しました。外国映画が公開されるときにはなるべく多くの日本人に見て貰うために色々な工夫を凝らした催しが行われるのが一般的になっています。この映画も同様にイベントが企画されましたが、このたびお声を掛けて頂いたので私にできる範囲のことなら何でも頑張ってみましょうということになって話が進んで行きました。そしてAKB48を卒業したばかりの大島麻衣さんと二人で公開記念イベントに出演することになったのです。

秋葉原UDXビルに設けられたイベントステージは屋根のない特設ステージで当日は生憎前日からの雨が降り続くという残念な状況でした。特にイベントの始まる午後3時半頃は雨脚が少し強まるなど条件は極めて悪かったのです。ところがかなり早くから若い男子を中心に100人を超える人たちが傘をさしたまま待ち続けていてくれたのには驚くと共に感激しました。勿論その大多数は大島麻衣さんをお目当てに待ち続けていたのだと思いますが出演者側からすれば嬉しい限りです。

ヴィン・ディ―ゼルには及びませんが、65歳の男でも頑張れるということを示して欲しいとのことで企画された握力測定では懸命に力を振り絞って出た数値に我ながらよくやったという思いです。続いては厚い古本を引きちぎるミッションで、一寸苦労しましたが何とかクリアできました。最後は強い男をアピールするために、大島麻衣さんをお姫様だっこしてのフォトセッションでしたが、何とかやり通すことができたので最低限の役割は果たすことができたのかもしれません。

が、ふとこの年になって自分は何をやっているのだろうかとの思いが巡ったのも事実です。とはいえ、人間は高齢になってもそれぞれの体力に応じて元気に頑張っていくことができるということがアピールできたと思えば、それはそれで良いことなのだと自分でも納得しました。

「にじいろジーン」

5月2日、午前8時30分からの関西テレビ「にじいろジーン」にゲスト出演しました。

この時間帯は民放局総ての番組が大阪の系列局で放送が制作され大阪発で放送されていますが、私もかつて1993年から1997年までの4年間朝日放送の「朝だ!生です旅サラダ」の司会を担当していました。当時は金曜日の日本テレビ「THEワイド」が終わるとすぐに東京駅に直行して新幹線で大阪に向かい、夜9時から打ち合わせをして翌日の放送に備えるというパターンで行動していました。スケジュール上はハードでしたが大阪に移動して生番組の放送ができるということで、楽しい4年間だったことを記憶しています。従って、このたび関西テレビから出演依頼を受け懐かしい気分一杯で前日に大阪入りしました。

翌朝8時頃には打合せ室で全員顔を会わせての打合せが始まりました。司会のぐっさんこと山口智充さんとベッキーさん、レギュラーのガレッジセールやアンガールズの皆さんもテンション高く元気一杯です。不思議なものでそうやって少し気合いを入れながらだと自然に全員が元気になるものなのです。あっという間に打ち合わせが終わり、本番です。

ぐっさんとベッキーさんの力みのなく自然でリラックスした司会で順調に番組は進行していきます。二ューカレドニアからのリポートが入り、静岡焼津市場での取材VTRが放送され、スタジオにマグロ二色丼などが運ばれて来て皆で試食をして印象を話しているうちに番組のエンディングが迫って来ました。あっという間に番組が終了してしまう印象があるということは番組の流れそのものが良いということであり、何よりぐっさんとベッキーさんの人々を包み込む温かい司会ぶりが本当に心地良かったのです。最後に今日の感想を求められて、「あまりにも居心地が良かったので、呼ばれなくても来週もここにいるかも知れませんよ」と言いましたら、ぐっさんに「気を使うのでそれだけは止めて下さい」と釘を刺されてしまった私でした。

「名城大学での講演会」

今年の連休は仕事のためあまり休みが取れずにおりましたが、去る4月30日には名古屋の名城大学に講演のお仕事で伺いました。同大学の1、2年生を中心とした学生たちを対象に、学生生活の中で今後の方向性を少しでも掴めるような話をして欲しいということでしたので、自分自身の体験談をもとにどのように学生生活を送るべきかなどについてじっくりお話をしました。

丘の上にある広大な敷地に設けられた名城大学のキャンパスは自由な雰囲気が充ち溢れ、学生たちがそちらこちらに集って立ち話をしたり、芝生の上に腰をおろし輪になって軽い議論をしたり、学園らしい爽やかさが漂っていて自分自身も何時の間にか若返った気分になってしまいました。そして講演の時間になり会場に入ると、そこは大きな教室で500人を超える学生の数が私を迎えてくれました。

学生たちには以下のようなことを話しました。自分は本当のところは取材記者になりたくてNHKの入社試験を受けたのに実際にはアナウンサーとして採用されてしまい、自分では想像もしていなかったアナウンサーという立場で仕事をせざるを得なくなり不安な思いがあったのですが、実際に仕事をしていくうちにアナウンサーとしてどのように工夫して仕事ができるかをさまざまな場面において習得し、アナウンサーとしての可能性や素養が決してなかったわけではなかったことを知ることになりました。そこから得たことは、誰にでも自分の希望が叶わず予想外の進路を歩まなければならなくなることはあるのですが、その時には覚悟を決めてそのことに全身全霊を打ち込んでみると想像以上に上手くいくことがあるもの、ということです。なぜならどんな人でも自分の思っている以上に色々な能力を複合的に持っていて、いざとなればそうした自分の力でしっかりと対応できることがあるからなのです。また、仕事の軽重によって力の入れ具合を加減するのではなく、いつも集中して全力投球するように習慣付けること。教えを受けたことについてはそれを尊重することは大事だが心の中で常に他に良い方法論はないのかを模索する気持ちを持ち続けること。更に、人間は社会的な存在なのでどんなに能力が傑出している人でも独力で自分自身の業績を創りあげる訳にはいかないので、常に周りの人たちの存在に心を配り感謝の気持ちを忘れないようにすることなどを説きました。

会場に来ていた全ての学生たちが1時間半もの間私の話に真剣に耳を傾けてくれたのには感心すると共に感激しました。今の若い人たちも集中力をしっかり持っていて他人の話をちゃんと聞いてくれるものなのですね。講演終了後は学生たちからも質問が出て久々に楽しい講演会になりました。最後に彼らには、「名城大学の学生としてのプライドを持って欲しいと思います。プライドを持つためには日頃からそれ相応の努力を続けていなければなりません。大学の必須科目をしっかりやるのは当然のこと、自由に使える時間を利用して自分が関心を持ったことについても突き詰めてやってみれば学生生活はもっと楽しくなるはずです」と強調させてもらいました。

自分自身ができなかったことだけに後悔の念も含めてそう思うのです。

「楽しみな今年の競馬」

今年は競馬が本当に楽しめる状況になって来ました。と言うのも一口出資会員として持っている愛馬たちが活躍してくれているからです。

ブエナビスタ号は4連勝で桜花賞を勝ち既に2つ目のG1ホルダーとなりましたし、昨日はウォータクティクス号が6連勝でアンタレスS(G3)をレコード勝ちしてくれて、今後の活躍も期待できそうな内容のレース振りを見せてくれました。3歳馬では今度の青葉賞に挑戦するアプレザンレーブ号は東京コースが得意でダービーに出走できるかも知れません。また、テンペスタローザ号は3戦未勝利ですが3戦目の前走で漸く見せ場をつくり2着でこれから体ができてくれば走りそうな感じが出てきました。その他、リザーブカード号もクランエンブレム号も来月には出走できそうで、皆元気で競馬に参加できるというのが会員にとっては一番嬉しいものなのです。それに反して友人と一緒に所有しているバリオン号は苦しい戦いが続いています。中々上手くは行かないものです。

また、今年新たに千代田牧場の飯田正剛さんと共同所有することになったランブリングローズ号(2歳牝)もどんなレースを見せてくれるか今から楽しみです。ただ、馬主になって10年以上になりますが、本質的に競走馬というのは何の問題もなく元気でレースに出走できるという馬は極めて少なく、足元に問題を抱えていたり、蹄が悪かったり、のどなりという喉の手術が必要な病気になったり、結構さまざまな問題が生じ順調にレースに使えない場合が多いものなのです。従って、競走馬を所有していると必然的に現状を受け入れて事態が改善されるまで待たなければならないことを思い知らされるようになります。

私のように気が短い人間はすぐ結論を急ぎたくなりますので、そうではなく世の中には機が熟すまでじっくり待たなければならないことが沢山あるということを知ることができただけでも人間として大きな収穫があったと言えます。主役は人間ではなくあくまで競走馬なのですから。

「戦友との再会」

日本テレビ系「THEワイド」が終了しておよそ一年半になりますが、先日同番組のリポーターとして大活躍した杉本純子さんと本当に久しぶりにお会いし思い出話に花が咲きました。

杉本さんは「THEワイド」では主に事件現場のリポートを担当しました。オウムによる地下鉄サリン事件、神戸の連続児童殺傷事件、和歌山毒入りカレー事件など世間を震撼させた事件は全て現場に赴き、長期に亘って滞在してその真相を究めようと努め、放送にもその努力が反映して他局の番組に勝る内容のリポートを届けてくれました。

何といっても私たち二人にとって忘れられないのは1997年の神戸連続児童殺傷事件です。多くの取材陣が現場に長く詰めて取材活動を展開したにも拘わらず、警察の犯人逮捕の発表の前に犯人の少年に行き着いた人が一人もいませんでした。ところが地元の人たちの間ではあの少年ではないかと疑いを持っていた人が実は何人もいたと後になって聞かされました。そこで私たちはその取材方法に欠点があったことを認識し真摯に反省し、その上で地元の人たちが共有する情報をどうしたら獲得できるのか、新たな取材方法はないのか考えを巡らせました。

その結果一つの結論に達しました。それは以下のようなことです。取材陣というのは通常マイクを持って取材し、そのマイクで証言や目撃情報を獲得しようとしますが、一般の人たちはマイクを向けられただけで普通身構えてしまうものです。大体の場合、「マイクに向かって話せばこの話が放送を通じて公になってしまう。だとしたらここまでは言えない」との判断から発言を抑制したり、内容のある発言を控えてしまったりする傾向にあります。従って私は、「先ず一人の人間として取材対象の地域に入り、その土地の人たちと普通にコミュ二ケーションを交わすこと。つまり無機質で非人間的と思われるマイクという道具を持たないで話をして信頼されるように努めること。そうすれば地元の人たちも取材者に対し徐々に距離を縮めてくれて話もしやすくなるはずである。だからとりあえずマイクの使用を控えよう」と彼女に提案しました。杉本さんはそれを見事に実践しその後の取材現場で数々の輝かしい実績を残したのでした。

彼女とは「また機会があればあの時のような緊張感の中で一緒に仕事するのも面白いかもね」などと自由気ままな会話を楽しみました。今は所属するプロダクションの東京オフィスの代表として活躍している杉本さんですが、どんな現場にも恐れず踏み込んで最後まで諦めない息の長い取材を続けていた当時の姿を懐かしく思い出し、彼女も本当のプロフェッショナルだったなと改めて感じ入ったものでした。

PS 杉本さんのご尊父、杉本明さんが去る4月24日ご逝去されました。大変残念なことですが故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

「適正な法律の適用とは」

先日、不法滞在を続けていたフィリピン人の両親が本国への強制退去を命ぜられ、13歳の娘であるカルデロンのりこさんだけは取り敢えず日本に残留することを認められたというニュースが伝えられました。テレビでは主に別れを悲しむ両親の涙、そして懸命に堪えても涙が流れ落ちるのりこさんの表情を中心に映像が構成され、そこにナレーションとインタビューで関係者の話が乗るので、一見すると誰が見ても可哀相な一家なのに日本政府はどうしてもっと愛情ある措置を取ってくれないのかという印象を持ってしまいます。

確かに、一家が離れ離れになって別離を悲しんでいる状況は誰もが何とかしてあげられないものかと思いますが、目の前に展開されているシーンだけに情緒的な反応をしてしまっては問題の本質を見落としてしまいかねません。そもそもこのような悲劇に至ってしまった根本的な原因は、両親による偽造旅券を使っての不法入国、そして長期にわたる不法滞在でした。一般に、偽造旅券で入国しようとすることは極めて悪質な不法行為で本来それだけで即刻国外退去となり、再入国は極めて困難なはずです。それを考えると、両親の取った行動は本当に悔やまれる残念な行動でした。

特に気の毒なのは娘ののりこさんで、両親の間違った行動の一端を背負わされる形になったわけで同情に値します。また、彼女の周囲の人たちが多くの署名を集め、彼女の思いを大切にしてあげようと努力したことはとても素晴らしいことだと思います。とは言え、国は国としての立場もあり、法治国家として許されることと許されないこととの線を明確にせねばならず、今回のケースは熟慮に熟慮を重ねた上での判断であると思います。森英介法相も決して短絡的な判断ではなくて当局としてもあらゆることを考慮して最善と思える結論を導き出したと語っていました。

不法に入国した人たちが犯罪に手を染め、社会に深刻な被害や損失を与えることが多い時代ですから出入国の管理はこれまで以上の厳しさが要求されます。厳格で適正な法律の適用が折に触れて必要になってきている昨今、どのようにこの種の悲劇に向き合えば良いのかを考える良い機会となりました。

「一貫性のある姿勢を」

北朝鮮が発射した飛翔体が人工衛星だったのか弾道ミサイルだったのかについてはどうやら凡その結論が出てきたようです。北朝鮮が主張しているような人工衛星は軌道上に見当たらないとアメリカが発表、日本でも同様に衛星の存在を示す状況は何もないとしていますし、ロシアも全く同じような見解を示していますので、人工衛星の打ち上げであったのであれば失敗だったということになりそうです。

また、もしこれが弾道ミサイルの改良実験であったとすれば前回より飛距離を伸ばし3000km以上飛んでいるので北朝鮮としては成功だと見ているという人と、いやミサイルが最終的には空中で爆発したと言われているところから今回も実験は失敗だったとして、この程度の弾道ミサイルをどの国が買いたいと思うだろうかと歯牙にもかけない米軍筋のような見方とがあるようで、本当のところはまだ分かりません。

ただ言えることは、北朝鮮は常にアメリカと渡り合うためには何をどうすればよいのかを考えそこに向けて全てのエネルギーをぶつけてきているので、今後も持っている材料を全部使って自分たちの言い分をごり押ししようとすることでしょう。ブッシュ政権とは違い、どんな相手にも話し合いを交渉の基本にするとみられているオバマ政権が北朝鮮をどのように扱おうとするのかは非常に興味深いところです。民主党としてはクリントン大統領の時代に一旦は北朝鮮攻撃も視野に入れながらも、結果的には妥協して北の言い分を信頼して裏切られた苦い体験があるのですから同じ轍だけは踏まないでもらいたいと思います。

日本が以前の政権とは少しは違うなと感じさせられたのは、今回この実験に対して抗議の意味を込めて北朝鮮に対する制裁措置の延長を素早く決めたことです。交渉相手としては極めて難しい相手ですが一番大切なのは日本側の一貫性のある毅然とした姿勢が相手にはっきりと認識されることだと思います。これまで日本政府の対応は極めて曖昧で交渉に入るに当たって素性のよく分からない人物に頼ったり、政府の正式な依頼を受けたわけではないのに与党の政治家が勝手に身を乗り出してきて二元外交ではないのかと指摘されたりすることもあり日本政府としての本当の姿勢が見えにくい有様でしたが、今回いち早く制裁延長を決めたことは麻生政権の考え方にぶれがないということを示すためには良き一手だと思えました。今後も一貫した日本政府の強い意志が伝わる行動で対処してもらいたいと多くの国民は望んでいることでしょう。

「希望に溢れる新人職員を前にして」

4月6日、今年度東京23区の職員として採用されたおよそ1500人の若者たちにお話をして欲しいということで会場である文京シビックホールに向かいました。東京ドームのすぐ近くにある当会場は造りがしっかりした立派なホールで、希望に溢れる新人職員たちが会場を埋めていました。

「テレビで見たことのある『スーパーひとし君』が出てきたぞ」という雰囲気が会場から皆の期待の篭った息遣いを通して伝わってきたので、その期待に応えなくてはという思いで私の話にも最初から力が入りました。

まず、私がNHKでアナウンサーとして仕事をしていった中で掴んだこと、それはつまり話し言葉を使って自分の思いをどのようにして分かり易くかつ正確に相手に伝えれば良いのかというその方法論について話をしました。勿論、すぐに辿り着ける王道があるわけではなく日頃から折にふれて意識しながら表現や言葉遣いを訓練していく以外に上達の道は無いことや、そうした意識を持って話すことに全力を注げば誰でも良き話し手になれるということも強調しました。

こうしたお話をしたのにも当然理由があります。それは、話を聞いている新人職員たちは今後区役所などで最前線に立って区民と接し、その要望に応えて行かなければならない立場であるために何よりも聞き上手話し上手でなければならないからです。更に、行政サービスという仕事は本来区民に対してそのサービスを徹底しなければなりません。サービスというのは顧客の期待にこたえるのは当然のこと、突き詰めて言えば本当のサービスは顧客の期待を超えるところまで行かなくてはならないのです。

こうした内容の話を1時間20分という時間をかけてじっくりとお話をしました。長い時間の講演でしたが一人として居眠りする人もなくしっかり私の話に耳を傾けてくれました。現代の若者たちの中でも目標を持って仕事に臨んでいる人たちはしっかりしているなと手応えを感じられたのは嬉しいことです。この会場にいた人たちが10年後そして20年後一体どのような行政従事者に成長して、区民に対してどのようなサービスを提供しているのか見てみたいという思いに駆られた昨日の講演会でした。

「桜とディナーを愉しんで」

昨日30日、私の事務所のスタッフら総勢13人でお花見に行きました。紀尾井町からスタートして徒歩で半蔵門に出て後は千鳥ヶ淵をゆっくり散策して桜を楽しもうというものでした。今年は例年より桜の開花は早かったのですが、その後の冷え込みで蕾があまり開かず全体的に見れば3、4分咲きという感じではないかと思えました。

去年は満開の桜の下華やかな雰囲気が漂っていましたがそれに比べるとお花見の人も少なく少し寂しい花見になってしまいました。でも何時も思うのですが桜ほど人の心を温かくしたり、揺さぶったりその時その時の心の在り様で如何様にも心を動かす力を持った花は無いものですね。年を取ってくると本当にこの素晴らしい桜をあと何回楽しむことができるだろうかなどとふと考えたりもするものなのです。

花見の後は神田神保町に向かい、小学館ビルの地下にある「七條」というレストランで皆一緒に食事をしました。なかなか予約が取れないという人気のレストランだそうですがスタッフが手際よく予約を入れてくれたお陰で席も確保でき、店内は満席でしたが一同が座れるよう一つのコーナーに席を作って頂いて食事を楽しむことができました。満足のいく桜の咲き具合ではなかったのですが花見の後は皆気分よく大変な盛り上がりです。楽しく語らいながら食事をするとどうしてあんなにも話に花が咲き飲食も進むのでしょうね。心から皆がリラックスできた数時間でした。

途中、心の篭った美味しい料理を作ってくれた「七條」のオーナーが私に挨拶に来られたのですが、「実は私も長崎県の島原半島の口之津の出身です。草野さんの同級生の方々もよく知っています」と思わぬ自己紹介に驚いてしまいました。ひょんなところで同郷の方と出会ったので正直びっくりするやら嬉しいやら、世の中狭いものですね。でも料金もリーズナブルで美味しく食べられたので気の合う仲間内の会合には向いているお店だと思います。

楽しい気分のまま家路につき明日からも頑張るぞと自分自身に気合を入れたことでした。

「新年度を迎えて」

テレビの番組も昨日から新年度の編成に変わり、情報番組などにも新たな顔ぶれが見られてテレビの世界における年度替わりを窺わせます。思えばテレビ以外でも色々なところで新しくやってきた人、もしくは去って行った人がいてさまざまな感慨をそれぞれの方がお持ちになっていることでしょう。私の㈱草野仁事務所もスタートして丸24年が経ちこの4月から25年目に入ります。多くの皆様に支えて頂いて此処まで頑張ってくることができましたが、改めて人と人との結びつき絆が如何に大切かということを強く感じている次第です。

思えば24年前、タレントは私1人で業界の経験のある女性マネージャーと共に民放での仕事を始めました。実はNHK時代はこんなにNHK的な奴はいない、一寸固くて生真面目風と言われていたのですが周囲の心配をよそに民放への同化は意外に早かったように思います。それは、テレビの世界における私たちの役割は情報サービスを極めること、つまりテレビを見てくれている視聴者の皆さんに如何に情報サービスを徹底できるか、具体的には一度聞いただけで視聴者の皆さんにこちらが伝えようとしたことを十分にかつ即座に理解して頂けるかどうか、そこに全てが懸っているということをいち早く悟ることができたからだと思っています。更に、いつももし自分が視聴者だったらどう感じるだろうかということをしっかり吟味した上で放送に臨む、そのことだけは外すことのないように努めてきた心算です。

毎日突きつけられる視聴率との対峙は結構大変なものでしたがでも基本的には視聴率は正しいもので、こちらがきちんと努力をして備えて行けばそれを裏切らないと思えるようにもなりました。

さて㈱草野仁事務所も多くの方々に支えて頂いて25年目を迎えることができたことを本当に幸せなことと感じております。これからもこれまで以上に事務所一同力を尽くして参りますので、皆様宜しくお願い申し上げます。

「神の手の提言~日本医療に必要な改革~」を読んで

私が司会を担当しているテレビ東京「主治医が見つかる診療所」でも何度か登場して下さり、番組で日本の医療行政の根本的な改革が必要であることを熱く語ってくれた脳神経外科医で、アメリカデューク大学、ウェストバージニア大学などの教授であり、神の手を持つ男と呼ばれる福島孝徳先生の新著「神の手の提言~日本医療に必要な改革~」が送られて来ました。

福島先生は東京大学医学部出身で研修医一年目の1969年、世界で初めて脳のファイバースコープ、内視鏡を使った手術を行い1973年までに60例の手術を担当して実績をあげた天才医師です。その後ドイツ留学などを通じ世界にその名を知られるようになりました。しかし余りにも個性が強くどんな権威に対しても正論で立ち向かっていくため日本の医学界には中々受け入れられませんでした。これほどの並外れた才能の持ち主でありながら結局日本の大学からは声が掛からず、業績を高く評価したアメリカに招かれ彼の国を拠点にして世界各地を回り神の手で数多くの命を救ってきたのです。

福島先生の手術は極めて精度が高く(それ故神の手といわれるようになったのです)、情報開示も当然のようにしっかり行われているので何の心配もなく患者は手術に臨むことができます。先生の目には自分の業績を評価しようとしなかった日本の大学(医学部ないしは医科大学)のあり方がずっと気になっていました。しかしその後も彼らは敢えて福島無視を決め込み、自分の弟子たちが福島先生の元に行って見学をしたり指導を受けたりすれば破門するなどとお達しを出し続けているのだそうです。それでも世界が認める最高の技術、理論を持った福島流を勉強したいと思う医師は「福島先生、私がここに来たことだけは絶対に誰にも言わないで下さい。お願いします」と懇願します。先生のお話を伺うと狭量な医学界だなという印象を持たざるを得ません。

勿論それで日本の医学界が問題なく順風満帆であれば良いのですが、医師養成のプログラムは旧態依然で実力のある医師がなかなか育たず、医療費抑制の厚労省の方針に為すがままとなり病院の破綻や必要な外科医、小児科医、産科医の不足を来たすなど日本の医療は崩壊への道を辿っていると福島先生は指摘しています。時代の流れに沿って患者が信頼できる医師を世に送り出すにはどうすれば良いのか、欧米先進各国の体験をよく見て医療費はただ抑えさえすれば良いというものではないことなど、その他あらゆる角度から日本の医療を良くするための提言が散りばめられた本になっています。

福島先生は強調しています。「医療は3Sである。それはSERVICE(奉仕気配り),SMILE(笑顔),SINCERITY(誠実)である」と。日本の医学界、厚労省もそろそろ先生のアドバイスに耳を傾けるべき時ではないのでしょうか。

「新たなスタートを切るお二人 ~頑張って下さい~」

毎週土曜日オンエアの「日立世界ふしぎ発見!」は来月4月から番組が始まって24年目に入ります。

先日23年目の最後の放送(オンエアは3月28日)となるヴェネツィアをテーマにした回の収録が行われました。実はこの日、2005年4月から番組のアシスタントを務めてくれた小林麻耶アナウンサーが3月30日からスタートする「総力報道! THE NEWS」でキャスターを担当することになったため、私たちの番組のアシスタントとしては最後の収録でした。

番組収録はいつも通り淡々と進み番組のエンディングで、私から4年間にわたって本当に良く支えてくれ、明るく爽やかな雰囲気を醸し出して頑張ってくれた小林アナウンサーにお礼を述べた後に、「小林さんからテレビをご覧の皆様に一言」と言葉を求めました。すると色々な思いが脳裏を過ぎったのでしょうか、少しだけ涙声になりましたがしっかりとした口調で視聴者の皆さんに感謝の言葉を述べたのでした。

小林さんがこの番組に参加してきたとき、私は小林さんというのはどちらかというとキャピキャピした今時の若い女性アナウンサータイプの人なのかなと思って彼女の言動に注目していましたが、実際はその内面は全く対極にあり、むしろ古風といってもいいような控え目な姿勢を保ち、一緒に仕事をする人にきちんと敬意を払いながら前に進んでいくことのできる好感の持てるアナウンサーだったのです。スタッフの人たちとも気軽にコミュニケーションを交わし、いつもにこにこと笑顔で仕事に臨んでくれた小林さんには心から有難うと申し上げさせて頂きます。これからは少し異なる分野での仕事になりますが、順応力のある小林さんですから全力で新分野の仕事にぶつかって頑張ってくれるものと思います。

4月からは小林アナの後任として出水麻衣アナウンサーが登場します。ご存知のように海外生活の体験を持つバイリンガルです。2007年日本有線音楽大賞でご一緒に仕事をしたことがあり、とても気が合うタイプのアナウンサーで小林さんとはまた違う味わいを放送でも出してくれるものと期待しています。小林麻耶アナウンサーそして出水麻衣アナウンサー、共に颯爽と伸びやかな活躍を期待しています。

「恩師 辻村明先生」

私にとって人生の師と呼べる方は勿論何人もいますが、中でも大学時代の3、4年生の時に指導して下さった辻村明先生との出会いは私自身の人生の方向を決めたとても大きなものでした。

大学3年になり社会学科に進学したときに、居並ぶ教授助教授の中から自分の指導教官を選ばなくてはなりませんでした。従って、それぞれの教授助教授の専門分野を吟味して自分が本当に勉強したいことを決め、そのためにはどの先生に付けば良いのかを思案したのです。当時の東京大学文学部社会学科の雰囲気は古典的ドイツ社会学、日本独特の農村社会学、更にフィールドワ―クを駆使したアメリカ的社会学など色々な流れがありました。

その中で辻村明先生は新進気鋭の助教授で、得意のロシア語を駆使して共産主義国家ソ連の社会に内包する矛盾を「プラウダ」などの新聞の内容分析から明らかにするといった独特の分野を創りあげて活躍し始めていた先生でした。しかもテーマは狭い範囲に限定せず社会が注目するような問題には積極的にアプローチするという若々しい今までの学者像とは異なるエネルギーを感じさせる方でした。

私は辻村流の自由な発想で対象に迫る社会学に惹かれ門下生となりました。折しも先生の関心は沖縄問題にフォーカスされているときで私の注目とも合致しましたので、自分自身卒業論文のテーマを「戦後沖縄における対米感の推移」と決めて毎日「沖縄タイムズ」「琉球新報」の東京支社に3か月余り通い続けて、終戦直後からの両紙の22年間の社説の内容分析を行いました。論文提出後、辻村先生からはよく頑張ったねと労いの言葉を頂きましたが、それだけでなく当時社会学科の最高責任者であり怖い感じがするほど風格のあった尾高邦雄教授からも「良く書けているね」とお褒めの言葉を頂いたことも懐かしい思い出として残っています。

さてそれから長い年月が経過し辻村先生は東大教授、静岡県立大学副学長、東北女子大学学長、流通経済大学教授等を歴任され紫綬褒章、勲三等旭日中綬章も受賞されています。

大学をお辞めになった後も社会学者として日本各地を取材して歩き「地方都市の風格、歴史社会学の試み」などの大作を出しておられます。82歳になられた今日も現役の社会学者ですが、2歳下の奥様と共に介護のデイ・サービスを受けるため自宅近くのスマイル介護サービスに2年前から通い始めたということです。そしてその体験談を一冊の本に纏められました。「大いに笑い、大いに歌う ~東大名誉教授、デイ・サービスに通う~」というタイトルで日本経済新聞社から出版されています。内容はデイ・サービスの現場の在り様が描かれています。辻村先生夫妻が実はそこでは最年少で、皆で小学唱歌、軍靴、寮歌などを歌ったり、ゲームを楽しんだり、百人一首に興じたりと楽しく時間を過ごすということですが、その中にも和歌や唱歌寮歌軍歌などには圧倒的に詳しい辻村先生が事の歴史由来を分かり易く解説するので参加した人たちはそれを楽しみに通ってくるということです。いずれにしても、残された人生を出来る限り楽しく交流しながら前を向いて生きようとしている皆さんの様子が生き生きと伝わってきて、その時が来たら自分もこんな風に元気でありたいという思いになりました。そして辻村先生が奥様とともに歩んでこられた日々が相思相愛の本当の愛情で結ばれていたことを知り胸が熱くなりました。

我が師は間違いなく素晴らしい師でした。これからも末長くお元気でいて下さいます様お祈り申し上げます。

「5年目を迎える『草野☆キッド』」

テレビ朝日で深夜に放送されている「草野☆キッド」はこの4月からいよいよ放送開始5年目に突入します。

いわゆるバラエティー番組に出演するのが初めてだった私は、当初どんな戦略で臨めば良いのか実はいま一つはっきりとしたイメージが掴めないまま出演を決断致しました。唯一つ自分にできることは自分の持っている色々な要素をそのままぶつけることだと感じていたので、その場その場において真剣勝負で全エネルギーを投入することを心掛けました。

そんな私のことを浅草キッドのお二人はいつもとても気遣ってくれて何かにつけて「あの一言はポイントを突いていて良かったですね」とか、「あの場の対応力、瞬発力は流石草野さんですね」などと励ましの言葉を掛けてくれました。収録も回を重ね二人にリードされて遅れないようにしがみ付いて行くうちに、視聴者の皆さんに喜んでもらえるとしたらこのケースではどの方向に話を持っていくべきか、また自分はどうリアクションすべきなのかといったことが感覚として次第に少しずつ分かるようになっていきました。勿論そうした反応は決して演技や計算されたものではなく自然に自分らしく振舞うことしかないと心に決めて行ってきたものです。

これまでの4年間、主にお笑いの世界で頑張っている芸人さんたちと一緒に仕事をしてきました。率直な感想としては「人を笑わす」ために仕事をしている人たちの苦労、苦闘、奮戦ぶりというのは我々の想像を超えるほど凄まじいもので、それを乗り越えてきて第一線で活躍している人たちはやはり一般の人々を唸らせる何かを持った人たちだと思います。この人たちの苦労に比べたらアナウンサーの仕事ぶりというのは苦労のうちに入らないなとつくづく思います。

この番組を担当するまではお笑いの世界は遠い世界でただ楽しむだけと感じていましたが今は違います。芸人さんたち一人一人の生きてきたバックグラウンドが気になり、こういう生き方の中から生まれてきた笑いなのだな、だからこんな感じの手法をとるのだなどといったこと全てを理解できたような気分になり、その分楽しみも大きくなりました。

この番組で出会った芸人さんは皆それぞれに素晴らしい芸を持っている方ばかりでしたが、取り分け毎回会う度に舌を巻かされたのは千原ジュニアさんの話芸です。話のポイント、構成、絶妙な時間配分、オチ、何処を取っても隙が無く完成されており、言ってみれば同じ話芸の世界に生きる者としては「お主できるな」と賞賛の言葉を送りたくなります。

5年目の今年もまた色々なことにチャレンジして皆様に楽しんでいただけるものにして行きたいと思っています。今後とも宜しくお願い致します。

「私たちができることは」

民主党の小沢一郎代表が進退をめぐってどのような結論を出すのかが注目されています。

最初に容疑事実が単なる形式犯的なものと見た小沢代表は、衆議院選挙を控え民主党が優勢で自民党が極めて不利といわれる今日の政治的な状況に手を加えようとする意図を持った所謂国策捜査だとこれを突っ撥ねる姿勢を見せましたが、その後大久保容疑者が西松建設に献金要請リストを送っていたなどという事実が明らかにされて世論も小沢代表に責任があるのではと厳しい見方をしていることを感じたせいでしょうか、取り敢えず国民に謝罪し今後の流れを見極めようという様子見作戦に切り替えてきました。ただ自民党の腐敗堕落を糾弾し不正のない社会にしようというのが民主党の主張なのですから、その代表が政治資金規正法に触れる行為をしていたのではないかと指摘されただけでも民主党にとっては大問題だと思うのです。

本来筋論で言えば、即刻辞任して代表の座を降りるということこそ小沢代表が取るべき行動だったと思います。ところが彼に直言できる人は誰もおらず、民主党の議員たちもじっくり様子見作戦に出るわけですから、この党も機能不全に陥っていると指摘されたとしても致し方ないように感じられます。今や右を見ても左を見ても国民から信頼され尊敬されるような政治家が見当たらなくなったのは本当に寂しく悲しいことです。でも嘆いているだけでは事態は改善されません。国民に与えられている選挙権を最大限に行使して、切ない作業ですが絶対的な価値判断ではなく候補者を比較対照して相対的に良いところを持っている人を議員として送り出すということを実践していかなくてはもうどうにもなりません。

しっかりと仕事をしている政治家には拍手を送るべきですし、真面目に仕事をしていると思えない政治家にはブーイングの気持ちで退場を促したいですね。国民にとって大切なのは政治を司る人たちが国民のために、国民の立場に立って仕事をしてくれるか否かということなのですから。

「誕生日のロケ」

先週久し振りにテレビ番組のロケで都内を回りました。

番組は日本テレビの「名医に学ぶ 激うま!! 健康レストラン」という特番で、食に関するこれまでの常識の誤りを正し、最新の医学的立場から実際にどうすれば健康になれるのかを名医の方々に教えてもらおうという内容で、私、板東英二さん、藤田朋子さん、はるな愛さん、ロバートのお三方(秋山竜次さん、山本博さん、馬場裕之さん)、それに日本テレビの藤井恒久アナウンサーがサポート役で加わり、賑やかな顔ぶれで都内5か所を撮影して回りました。

日本テレビをスタートして六本木、銀座、築地、目黒、お台場と駆け巡って食についての最新医学情報を5人の医師に学びました。さまざまな種類のメニューと対峙し、それらの食事をどのように食べれば良いのかを学び、また常識と思われていたことにどんな間違いがあったのかなども指摘してもらい、新しい知識を得たことで自分が他の人たちより一歩先に進んでいくような気分になりました。(勿論この番組をご覧になったら皆さんも同じ立場になるわけですが)人間が体験測で作り上げてきたものは基本的には正しいものが多いのですが、それでも医学の発達で明らかになった事実と照らし合わせてみると、間違っていたといえることもあるのだなというのが今回のロケの結論です。詳しくは3月14日(土)10時30分からの日本テレビの放送をご覧頂ければ幸いです。

このメンバーですから、ロケバスでの移動中はとても賑やかで年齢を超えて修学旅行のようにああでもない、こうでもないとおしゃべりが尽きませんでした。話題が政治にまで及びついつい解説的な話をしたら、私も選挙に出るべきだという話に発展してしまったので丁度この日65歳の誕生日でもう年齢的に無理だと説明して了承を得ました。スタッフの方々にも誕生日をお祝いされ、スムーズに撮影が進み本当に楽しいロケの一日でした。

「速やかな建て直しを」

去る2月24日で私は満65歳になりました。65という数字は余りにも大きな数字で「遂に自分もこんな年になってしまったのか」という思いもありますが、肉体的には元気一杯で普段は年齢のことなどすっかり忘れてしまっております。

実は65才から年金の受給ができると聞いていたので、先日社会保険事務所に行き受給の手続きを行いました。勿論年金に過大な期待を抱いているわけはありませんが、これまでの長期間の納入実績からすれば月に10万円~15万円くらいは受け取れるのではと思って窓口で尋ねてみました。すると、私の場合は今も働いて収入が一定額以上あるので、基礎部分の年金のみの受給ということで実際の月額は自分の予想の半額程度でした。更に、働き続けている人の場合は75歳まで厚生年金の納入を続けなければならないそうで、それを差し引きすると結果としてほとんど貰っているとは言えない状況になるようなのです。それほど期待はしていませんでしたが現実を知ると流石に寂しい気分になります。

私の場合は現在取りあえず収入があるから良いのですが、完全にリタイアした人の場合は年金だけに頼らざるを得ないわけです。ところが、受給額が極めて低い現状、そして未納者が多い状況、加えて社会保険庁の腐敗堕落から生じた記載漏れや横領等の不正、経済状況や出生率の算定の身勝手な基準作りなどあらゆる要素を考え併せると日本の年金制度は実質的には崩壊していると言われても致し方ないのが実情です。このあと一体どうなってしまうのかと呆然とした気持になってしまいます。

現行の制度は、一頃厚労省が謳っていた「100年安心年金制度」どころか10年先にも破綻するのではと見ている専門家もいるほどです。この様に未来への夢を持てない社会では若い人たちが結婚して家庭を持ち、政治にも積極的に参加して社会をより良い方向に導くために力を尽くそうと考えていくこともなくなるのではと危惧してしまいます。とりわけ社会の根幹部分である年金制度などは揺るぎのない形が出来ていなければならないものではないでしょうか。早急に疲弊した制度の建て直しを行わねばならないのですが、誰が責任を持って導いてくれるのかイメージが浮かんでこないのが今の日本なのです、とまたぼやきになってしまいました。65歳になったせいなのでしょうか。

「千代田牧場訪問」

先日北海道日高の(有)千代田牧場に遊びに行ってきました。社長の飯田正剛さんとは昔からの知り合いで、「一度牧場の様子を見に来ませんか」とお誘いを頂いていたので、運良く時間ができたところで次男と二人で現地に行くことにしました。新千歳空港に飯田さんが迎えに来て下さり、気温4度という北海道にしては暖かい好天の中道中楽しく話をしながら車で移動しました。

牧場に近付いたところで、「美味しいお蕎麦屋さんがありますのでいかがですか」と飯田さん。「勿論頂いてみたいです」と即答。「手打ちそばいずみ食堂」に案内してもらいました。鴨山菜そばを注文して、出来上がるまでの時間にべったら漬け風のものとごく普通の漬けかたのものと2種類の沢庵と蕪の漬物が出されたのですが、この味の良さ漬物とは思えないくらい美味しいものでした。そして程なく運ばれてきた「鴨山菜そば」のまた見事な味。旅の素晴らしさはこのように想像していなかったところで、感激的なものと巡り合うことがあるということにもあると思います。

千代田牧場に到着する前に沢山のサラブレッドの生産育成牧場が目に飛び込んできました。
競馬の世界も国際化が進み当然のように競争が激化して規模の小さい牧場、施設が整っていない牧場などの淘汰が進んでいて、外から見ただけでここは上手く行っていそうだなとか、ここは厳しい状況下にありそうだなという感じが伺えて関係者の方々のご苦労が表にも滲み出しているように思えました。

「さあ、着きましたよ」と飯田さんの元気な声が響き渡りました。目の前に広がっていたのは広々とした敷地に、本当に細かく整備が行き届いていて、温かい雰囲気が漂っている素敵な牧場「千代田牧場」でした。飯田さんのご自宅にも案内して頂き、素晴らしい暖炉の前で奥様が入れてくださったコーヒーとケーキを頂きました。

「草野さんの大学の後輩がこの牧場にやってきたんですよ」と言って飯田さんが紹介してくれたのは若くて可愛い女性でした。彼女は「末谷真央と申します。東大工学部の大学院に行っていましたが、どうしても競走馬と関わる仕事がしたいと思い、両親の反対を振り切ってこの世界に飛び込んで来ました。宜しくお願いします」と丁寧に自己紹介をしてくれたので、私は即座に答えました。「良いですね。人生は一度きりなんですから本当に自分が命がけでやれると思うものが見つかったらそれでいいと思います。大学院に行っても思い通りに進んでいける人は意外に少ないんですよ。命を燃やしてこの仕事にぶつかっていけば活路はきっと開けると思います。貴女のように畑違いの分野から来た人がいることが必ずプラスに働くと思いますよ」とついつい力を込めて話をしてしまいました。

飯田さんによると彼女の御両親は堅いお仕事の家系だったので、最初は大反対だったそうですが時間の経過と共に自分の娘が関心を持った競馬というものは一体どういうものなのかとうとう御両親が勉強を始めたそうです。末谷さんはパソコンを自在に使いこなし資料を整備したり、提案書を作ったりと他の牧場ではなかなか見られないような活躍をして千代田牧場の力になりつつあるのだそうです。牧場というのはその世界の人たちだけで運営されているよりは全く異なる分野から入ってきた人も参加している方が、発想が広がり良い刺激になるものと思いますし、何より大学院まで進学した知力能力が役に立たないはずがありません。

さて千代田牧場ですが、場内は隈なく案内して頂きました。4%の勾配の800mの坂路コースをはじめ、幾つもの厩舎その他ありとあらゆるところに細々と心が行き届いた施設が備えられていて、馬の世話をするスタッフ一人一人が心を込めて仕事をしている様子が伺えてとても気分が良くなりました。この牧場出身のニッポーテイオー、タレンティドガールがG1レースを制覇してから随分時間が経ちましたが、また胸を張れるように頑張りますよと飯田さんは力強く語りました。

千代田牧場に幸あれと念じながら日高を後にしました。

「やはり教育なのでしょうか」

中川昭一財務・金融担当相は17日午前中にはまだ職務遂行を目指すと語っていましたが、周囲の風当たりの強さを感じ取って、お昼には2009年度予算案及び予算関連法案が通過したら辞任すると姿勢を変えました。それでも中川批判の声は身内からも噴出し、批判の嵐となっていることに漸く本人も気がついて午後6時20分麻生首相に辞表を提出し受理されたということです。前にも触れたように世界が最も注目している場でのあの醜態は決して許されるものではなく即辞任するのが妥当な対処の仕方だと思うのですが、帰国後いろいろ言い訳をしてその職に留まろうとしていたところを見ると自分の行動が周りからどう見られているかについて客観的な判断ができていなかったと指摘されても仕方がありません。そして中川氏に引き続きその職に留まって精励して欲しいと言った麻生総理も中川氏と同等の認識だったということになります。

このような状況では国民の期待に応える政治をと願ってもとてもそうはならないだろうなと思えてなりません。政治家のレベルは本当に来るところまで来てしまった、落ちるところまで落ちてしまったと表現されても言い返し様がありません。でも冷静に社会状況を観察してみると政治家だけではなく、社会のありとあらゆる層にそうした現象は見受けられるようになりました。かつてはとても考えられなかったようなさまざまな出来事が今の時代は起きるようになったのです。

一流と考えられていた企業や料亭などが不祥事を起こしたときに事態を収拾するための会見を開きますが、全面的な謝罪を怠って言い訳を織り交ぜて問題を矮小化させようと図ったために、後に結局新たな謝罪に奔走せざるを得なくなっていくという展開をこのところ私たちは何回目の当たりにしたことでしょう。責任者が頭を深々と下げて謝罪会見をするという光景が今では決して珍しくありません。こうも常態化してしまうとそれぞれの真摯な反省の思いは伝わらず、表面的な取り繕いに終始しているのだろうなと見る側が考えてしまうようになってしまうことが恐ろしいです。

本来きちんとした教育を受けた人間は物事の道理に従って行動を起こすはずですから、その行いは人々をなるほどと納得させるものであるべきですよね。それが説得力を持たないようになってきたということは人間らしく振舞う力、そうした意味での人間力が低下しているのではと疑問に思います。これは恐らく主にこの数十年の教育がもたらした弱さなのではないでしょうか。早急な是正の必要を感じますがそれにはさら長い時間がかかるのだと推測すると辛くなってしまいますね。

「混迷する政界」

ローマで行われた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)に出席した中川昭一財務、金融担当相が日本時間の15日に行った記者会見が問題になっています。会見の内容に議論が集まるならまだ良いのですが、そうではなくてなんと会見の席でうつらうつらしていて、半分眠っているようにも見えますし、聞かれたことへの答えも要領を得ないしどろもどろ状態で外国メディアからは「居眠り」「深酒」ではと疑われる始末なのです。確かにテレビで映像を見ましたが、言語不明瞭で殆ど寝ているに等しいと言われても致し方の無い何とも無様なその様子、見ている方が恥ずかしくなってしまいます。

100年に一度の不景気といわれ、世界中の関係者が必死の思いで知恵を寄せ合って良いアイディアを出していこうと頑張っているときの公式会見の場で眠気を表に露わにしてしまうなんてとても信じられることではありません。そういえば国会でも中川氏は別に総理を意識したわけではないでしょうが、「渦中」を「うずちゅう」と読んで物議を醸すなど緊張感の有無を疑わせる行動が目についていました。彼についてどうしても思い出してしまうのは、年金未納問題が持ち上がったとき当時の内閣で彼だけはこれまでに唯の一度も年金を収めたことが無かったという、ちょっと呆然とするような実態も明らかになったことです。本当に国のために力を尽くせる人なのか心配でなりません。

今日の日本テレビの世論調査では麻生政権の支持率が10%を切ったとのこと。このところ、麻生氏が小泉氏を批判すれば、小泉氏が激しく麻生氏を非難、さらに森元首相が小泉氏批判をするなど自民党の中も混乱状態で、かといって民主党にもよくぞ指摘してくれたというような真っ当な発言も見られず、政界ここに極まれりという感じがしてなりません。普通の国家であればとっくに沈没しても不思議ではないのですが、それでもまだ国としての力をなんとか保ち続けていられるのは製造、生産、ものづくりに携わる民の力の賜物だと思います。政治の世界のこの恐ろしいまでの低迷を破る人は出てこないのでしょうか。なんとかして欲しいですね。

「『世界連鎖恐慌の犯人』を読んで」

100年に1度の不況といわれる昨今。何故このような事態になったのかということについて分かり易く説明してくれる人に中々巡り合えなかったのですが、1冊の本を読んで大体の状況が分かってきました。その本とは今年の初めに発行されたばかりの堀紘一さんの「世界連鎖恐慌の犯人」(PHP研究所)です。

多くの経済評論家によるとアメリカのサブプライムローン問題が世界的金融不安の根源になっているということですが、具体的にどのような仕組みでそうした金融商品が商品化され世界中に出回っていったのかについて、そして何故世界中を震撼させることになったかについて、これまでのメディアの報道だけでは今一つピンときませんでした。ところがこの本ではその点についてとても理解し易く説明されているのです。

本書によると、グリーンスパン前FRB議長がアメリカの未来を過信し、金融市場に倫理性に裏打ちされた制約を加えられないうちに金融工学の天才たちが危険な商品を次々に作り出し、それが世界中に出回ってしまい結果として今日の状況を引き起こすことに繋がったということです。

もともと金融工学の人たちは地銀の顧客を3種類に分けて考えるといいます。すなわちそれは、(1)プライム、(2)オルトA、(3)サブプライムの3種です。(1)はお金を貸してもいい人たち。(2)は勤務先や年収などにやや難点はあるがとりあえず貸しても良いだろうという人たち。(3)は本来決して銀行がお金を貸してはいけない人たち、という具合に。サブプライムローンというのは(3)のサブプライムにお金を貸そうというのですから問題が起きないはずがないわけです。しかもその金利設定たるや最初の2年間は5%程度の低金利で3年目からは10%と倍に跳ね上がるというのですから順調に行くはずがありません。しかもサブプライムローン成立の前提は不動産価格がこれからも上がり続けるというものですから何をか況やという感じがします。

更にこのサブプライムローンや企業版生命保険ともいうべきCDSジャンク債、公債などたくさんの金融商品を盛り込んだデリバティブがCDOと呼ばれるものでこれがまた今後大問題になってくるのではと心配されるそうなのです。こうした欺瞞性の高い商品を大量に創り売り歩いていたのはインベストメントバンクであり、そのインベストバンクを産み出した金融資本主義世界の崩壊も自然の流れだという見方は非常に説得力を持ちますし、こうしたアメリカ流の金融資本主義と訣別して知恵と汗の結晶で価値を作り出す産業資本主義的な社会に転換していく方策をわれわれ日本は世界に提示していく必要があると堀さんは強調しております。

また、堀さんは次のように訴えます。優れた理科系の人たちは本当に頭が良い故に理詰めで考えを突き詰めていくと原爆や水爆といったものまでも創り上げてしまうこともあります。従ってそこには常に人間性を尊重し倫理を踏み外さないという制約が必要になってきます。少なくとも真っ当に生きている人たちが悲劇の中に落とされてしまうような商品を創り出してはいけない筈です、と。金融の世界も人間が運営している以上はその中に人間らしい血が通うものでなければならないのだという指摘に強い共感を覚えました。こうした堀さんのような考えが日本の経済政策の中にどんどん取り入れられていくべきだと思うのですが、理解できる政治家は少ないかもしれませんね。

「競馬場の達人」

1月17日、競馬専門チャンネルとしてお馴染みのグリーンチャンネル「競馬場の達人」の収録のため早朝から中山競馬場に出掛けました。実は2005年10月に同番組に出演したことがあります。そのときは前半は出足良く15~16万円のプラスに成っていたのに、後半狙いが外れだし結局終わってみると50万円ぐらいのマイナスになってしまい、「何処が達人やねん」という結果に終わって恥ずかしいやら口惜しいやらの思いを経験していました。従って、今度はリベンジしなければならないし、何よりも視聴者の皆さんに「こいつは競馬をちゃんと考えてやっているんだな」と思って頂けるような馬券術で対処したいと考えていました。

前回を良く思い返してみると、それまでテレビで馬券を買うということでは深夜番組で3回体験しいずれも運良く勝っていたので今回も勝つのは当たり前と勝負の神様をなめきって臨んだ、という傲慢さが裏目に出ました。出だしが良かったためまた比較的楽に行けそうだなと思いこんだところに大きな落とし穴があったのです。途中で流れが悪くなったときについつい「こんなはずではないのに」と冷静さを失ったのでした。その反省から、今度はテレビを見ている人の立場に立って、番組を見終えたとき中々楽しくて面白かったなあと感じて頂けるように私自身が思いっきり1日を楽しんで収録に臨むことにしました。

幸いにお天気は最高。風が無く温かく建物の外に出てもコートも必要ありません。楽しもうと思ってやってみると本当に力が抜けてリラックスできるのですから不思議なものですね。前半からとてもスムーズに良い結果が付いてきました。でも思い通りにはならないのが勝負事です。途中からスランプにはまり始めます。さあここから、どのように対応していったのでしょうか。オンエアは2月15日22時30分からです。お時間のある方はご覧になって下さい。

「雪の降る富山にて」

今年に入って初めての講演会のため1月11日夜富山県富山市に向かいました。講演会そのものは翌12日の午後にANAクラウンプラザホテル富山で行われる予定でしたが、雪の時期ということで飛行機が突然運航中止になったりする可能性があるため前日から富山に入って欲しいという主催者からのご要望があり、また実際に日本海側の地方はその前からかなり雪が降り続いていましたので確かにその方が良いと判断して前夜のうちに現地入りをしたのです。幸いにも11日はドカ雪にもならず飛行機も揺れたりせず無事富山に到着。会場でもあるANAクラウンプラザホテル富山にチェックインしました。ホテルに入ったときから従業員の皆さんの対応がとても機敏で、的確で持て成しの心に充ちていて気分良く一夜を過ごすことができました。

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問題は翌12日の天気でした。朝食をレストランでとっていてふと外を見ると、天気予報通りに雪が降り続いていました。講演会のお客様の入りも当然のことですがお天気の具合に左右されます。「このまま降り続いたら入りが心配ですね」と担当者に聞きますと、「そうですね。1000人は入る会場ですが余りに雪が降ると100~200人は減るかもしれませんね」という思わず心配になる返事を頂きました。ガラガラだったらどうしようと心配しても仕様がないことをついつい考えたりしながら開始を待ちました。

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ところが講演開始の10分前に担当者がにこにこした顔で控室に駆け込んで来ました。「たった今1000人の席が満席になりました。有難うございます」とのこと。こんな雪の中にも拘わらず講演を聞きに来て下さっている皆さんのお気持ちを考えると、何が何でも楽しくてためになったと思って頂けるように全力投球で魂を込めて話をしようと、いつも以上に気持ちが燃え立ちました。

かつて富山県の壮大なスケールの縄文遺跡(桜町遺跡)を取材に伺った時(10年前の7月31日でしたが)にフェーン現象で気温が38.8度まで上がり富山としては観測史上2番目の暑さになった思い出があります。また、私自身民放に移って初めて担当した「朝のホットライン」という番組で富山県出身の落語家立川志の輔さんと出会ったことも富山に親近感を抱くことになった大きな出来事でした。特に志の輔さんは当時、いずれ放送の世界に「おしゃべリスト」という話術のプロのジャンルを切り拓いていこうという努力をされていて、それから20年あまり経った今日その努力が今の落語界における志の輔さんの揺らぐことのないポジションに繋がっているのです。こうした地元とのエピソードを冒頭で紹介すると満員のお客様もしっかり耳を傾けて下さり、本題の話に入ると一段と興味を示して身を乗り出して聞いて下さいました。話し言葉を使って自分の気持ちをより分かって頂けるように力を尽くすことの大切さ。更に「日立世界ふしぎ発見!」を通じての黒柳徹子さんや板東英二さんの仕事に懸けるエネルギーの大きさ凄さなどを紹介すると驚きの表情で聞き入り私の一言一言にとても素直な反応を返して下さったのです。

これくらい盛り上がった講演会はこれまでもあまりなかったような気がして充実感の中で講演を終わることができました。終了後控室の窓から雪の降りしきる中を帰途につくお客様(全員女性の皆様)の姿を見送りながら何度も有難うございましたと独りでお礼を申し上げていたのでした。

「新年にあたって」

本年もどうぞよろしくお願い致します。

2009年は静かに明けたという感じですが、それは気象状況だけの話で経済も政治も暗闇の
中に身を置いたままで行く先の展開は全く読めないというのが今の日本の有様だと思います。専門家に詳しく聞いたところでは、麻生総理としては2009年度予算を通過させた後の解散を視野に入れているということですがそれも全てが順調に行った上での話であり、処理にもたつけば時期は更に遅れてしまうとのこと。そうすればタイミングを失って任期満了まで解散できないことも考えられるというのですが、では今のように弱体化している麻生政権がそれまで保つのかというと、それもとても考えられないということでした。恐らく今後の対応の中で大きなミスが出てしまうとその瞬間にジ・エンドとなってしまうこともあり得るのでしょう。経済状況も全く予断を許さない感じで今の見通しよりももっと悪くなることも考えの中にいれておくべきなのではないかと思います。

こうした状況下で生きていくためには自分自身の中に他人には負けない自分ならではの強さをしっかり保っておくことが大切なのだと私は思っています。色々なことが考えられますが第一に健康であることがとても大事です。肉体を鍛え体力を蓄えると共に精神的なスタミナも併せ持つことが要求されます。苦しいと感じることでもそれをやるのが当たり前だと思っていれば意外に簡単にやり抜くことができるのです。

後は時間がかかりますが、他の人より深い専門性を必要な分野できちんと身につけることだと思います。それができれば必要とされる存在になるはずです。もう一つ言えることがあるとすれば、過去の失敗やミスを必要以上に引き摺らないということですね。過ぎたことをくよくよ考える時間が有るのなら、この先何をすべきか考えることの方にエネルギーを費やすべきです。考えられる最良の策は何なのか。次善の策はどうなのか。そうしたことに思いを巡らせることの方がよほど肝心でしょう。

さて私自身ですが視聴者の皆さんが本当に求めている情報をタイムリーに的確に提示できるような機会に恵まれたら全エネルギーを注いでぶつかってみたいと考えています。全くの余談ですが、競馬の一口馬主として3歳牝馬のブエナビスタ、4歳牡馬ダート戦4連勝のウォータクティクスを保持していますがそれぞれの今年の活躍がとても楽しみです。

「第41回日本有線放送大賞」

12月17日の第41回日本有線大賞は氷川きよしさん、倖田來未さんの常連組、着うたで880万ダウンロードというギネス記録更新中の青山テルマさんといった強敵を向こうに回しEXILEが堂々と他を圧倒して大賞受賞を決めました。

今年はアーティストに思い切り実力を発揮して貰おうと音響面でも評価の高い中野サンプラザが会場に選ばれました。2000人の観客が詰め掛けて出演した歌手の皆さんに声援を送り、また観客の反応がストレートにアーティストに伝わるという形になったためオープ二ングからスタジオで行われた去年を遥かに上回る盛り上がりでした。

前半は新人賞受賞の5組が登場、中でも注目を集めたのはジェロさん、清水博正さんの二人です。23歳のジェロさんは祖母が日本人でアメリカペンシルバニア州ピッツバーグ出身。小さい頃から美空ひばりさんなどの演歌を聴いたり口ずさんだりしていた祖母の影響を受け演歌が大好きになり、何時か日本に行って演歌歌手になって紅白歌合戦に出演できるような歌手になりたいと目標を決めたというのです。そして日本にやって来てから大学で日本語を勉強し、和歌山で英語教師をしながら演歌の勉強を続け、NHK「のど自慢」に出演して鐘3つを鳴らして注目される存在になりプロの演歌歌手への道が開けたのでした。さすがに演歌の道を目指しただけあって考え方や生き方はとても堅実で誠実な印象を受けます。もう一人18歳の清水博正さんは小さい時から目が不自由でしたが、祖父が聴いていた演歌に魅かれいつの間にか自分も演歌を歌うようになっていったそうでした。耳が頼りだけにその集中力は凄まじく幼くして正確に演歌を歌いこなす力を身につけていったのです。若い2人が祖母や祖父の影響で演歌の歌手になる、こういうケースが今の時代にもあるのだなとちょっと不思議な感じがしました。

有線音楽優秀賞を今年も受賞した水森かおりさんは2002年の「東尋坊」に始まり毎年「鳥取砂丘」「釧路湿原」「五能線」「熊野古道」「ひとり薩摩路」とご当地ソングを歌い続け、今年は「輪島朝市」でヒットを飛ばしました。このような形で各地の地域興しに貢献してきたその努力ぶりには心より拍手を送りたいと思います。個人的には有線音楽賞受賞の堀内孝雄さんの「置き手紙」がとても味わい深い曲だと思いました。作曲が去年「吾亦紅」で大ヒットを飛ばしたすぎもとまさとさんだと知って確かに杉本ワールドの曲調だから心に沁み入る力を持っているのだと納得したものです。

さて有線大賞争いは5回目の受賞を目指す氷川きよしさんとEXILEの事実上一騎打ちのように思われましたが、司会席から見ていたところでは今回は総合力でEXILEに軍配が上がったようです。「Ti Amo」の切ないメロディー、甘い歌声とダンスパフォーマンスで盛り上げる手法はとても効果的で観客の反応も最高でした。氷川さんも年々大変なパワーアップで凄い歌手に成長しているなと強く感じましたが今年はEXILEが勝ったということですね。リーダーのヒロさんの方向性を創り戦略を巡らし全体をまとめ上げてきた努力に敬意を表したいと思います。

受賞式後の打ち上げの席で有線音楽賞受賞のあさみちゆきさんが言いました。「先日、警備員の方とお話をしました。その警備員さん曰く『どの会場になるかは当日にならないと分からないけれども現場に行ったらまず2つのことを確認します。1つは公衆トイレの場所、もう1つは公衆電話の設置場所です。というのもその公衆電話から僕たちも有線放送にリクエストの電話をしているのです』と。そうしたファンの方々で成り立っていることを考えたら命がけで歌わなくてはと思いました」と。

今年の有線大賞の放送のテーマは「ハート」でしたが、歌を作った人、そこに命を吹き込む歌手の皆さん、そしてこれは良い歌だと感じてリクエストをしてくれるファンの間には眼には見えないけれどそれぞれのハートを繋ぐしっかりした輪ができているのだと感じた次第です。

「指導者の判断力」

麻生政権の支持率が急降下して20~22%程度になってしまったそうです。

逆に不支持は60%を大きく超えているわけですから黄信号を通り越して一気に赤信号が点ったと言っていいでしょう。ピンチに追い込まれた自民党にとって選挙を戦う顔はもうこの人しかないということで選ばれたはずなのに、たった2ヶ月余りでこのような状況になってしまいました。失言癖が治まらない、漢字が読めない、などなど色々な欠点が指摘されますが、私は麻生さんにとって一番の問題点は決断が遅く結果として物事の実行のタイミングが悪くなってしまうところにあるのだと思えてなりません。

国会解散のタイミングがそうです。これまでに2回は解散を考えたと言われておりますが、結局決断できずに見送りになってしまいました。首相自身は選挙を麻生対小沢の対決に持ち込めば負けるわけはないと考えていたようですし、実際就任早々の世論調査では麻生首相の方が小沢代表を上回っていたのも事実です。ならば攻めるタイミングを計り続けなければならないはずなのに、それもきちんとできていなかったようです。

国民への給付金の問題もそうです。政権にあるものが使える権利を最大限に行使しようとするのであれば、一人当たり12000円などと細かいことは言わずせめて30000円ぐらいは無条件で支給し何か買い物をしようと消費への意欲を掻き立てて欲しかったです。しかも支給の方法などを巡って内部の意見の対立が見えてしまい、結局それを地方自治体に丸投げしてしまいました。更に何時支給されるかも分からないというのでは何のための給付金だったのかと国民の側が白けきってしまい、ここでも政権にとってマイナスに作用する結果になりました。

一国の命運を握る総理にはマクロの視点でも、ミクロの視点でも狂いのない判断力が要求されますし、緊急切迫した問題については瞬間的な決断ができなくては話になりません。その意味ではここまでの麻生首相にはとても心配なところが多いというのが正直な印象です。ただ、折角与えられた任務なのですから腰を据え、腹を決めて難局にぶつかってもらいたいと思います。間違っても三代続けて首相の座を投げ出したりしないで頂きたいですね。

「押阪忍さんアナウンサー生活50周年記念の集い」

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12月1日、京王プラザホテルで「押阪忍さんアナウンサー生活50周年記念の集い」が開かれました。かつて私が担当していた番組に押阪さんが出演して下さったり、奥様の栗原アヤ子さんとは東京ドームで開かれたイベントで一緒に司会を担当したことがあり、その御縁で声を掛けて頂き出席したのでした。華々しい活躍を続けてきた押阪さんだけに、会場には本当に大勢のテレビ、ラジオ、雑誌、広告関係の方々が集まり祝賀ムードが一杯という雰囲気でした。私自身はこの世界で生きてまだ41年ですが、押阪さんの仕事の幅の広さと人脈の厚みに圧倒される感じがしたものです。

この会の司会は押阪さんの長男で、FM放送でDJやディレクターをしている押阪雅彦さん(SOプロモーション代表取締役社長)が担当しました。御父さんとは少し感じが違いますがなかなかシャープな顔立ちの方です。雅彦さんの進行に御父さんが時々入ってきてペースアップを促したりするのですが、その御父さんの表情には立派に成長した息子のことが嬉しくて仕方がないという気分が伺えました。

会場では、スクリーンに映し出された押阪さん50年のテレビやCMでの活躍ぶりを皆が懐かしみあちこちで思い出話に花が咲いていました。そして押阪さんと仕事などを通して関わりのあるアナウンサー司会者が壇上に呼ばれました。朝岡聡さん、生島ヒロシさん、大沢悠里さん、小倉智昭さん、梶原しげるさん、岸ユキさん、佐々木信也さん、東海林のり子さん、鈴木治彦さん、鈴木史朗さん、鈴木文弥さん、高嶋秀武さん、露木茂さん、徳光和夫さん、福留功男さん、南美希子さん、そして私の合計17人です。

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それぞれが押阪さんとの思い出話やお祝いの言葉を述べるということで、17人いますからそれだけで50分くらいの時間が過ぎてしまいました。面白かったのは、立教大学5年後輩の徳光さんが学生時代洋品店でアルバイトをしていたとき、結婚前の押阪さん栗原さんお二人がその店に仲良くやってきてお互いにマフラーなどを買ってプレゼントしあったそうで、「そのときの応対をしたのが実は私だったとはご存じなかったでしょう」と語って、とっておきの実話で押阪夫妻をびっくりさせたのです。そして更に「押阪さんはテレビ朝日に勤めていたとき局の仕事よりアルバイトに精を出しそれによって豪邸を建ててしまったのです」などとジョークを交えて先輩に迫ったりして場内を沸かせました。とどめに、「もっと時間があったら『みのもんた』さんについても語りたい」と笑いを誘っていました。

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かつて、プロ野球二ュースで一緒に仕事をした佐々木信也さんは押阪さんの声の感じが昔と少しも変わらないのが素晴らしいとその元気さを褒め、それは夫婦の仲が良くお互いを大切にしているからだ、私のところがそうだから間違いないですと力説されました。皆も納得です。私は高校から大学生時代にテレビで見た押阪さんの印象「話術は勿論、ハンサムで格好良くとても好感のもてるアナウンサーが遂にテレビの世界に登場したと感じ、テレビ時代の到来を実感した」というよう話をさせて頂きました。いずれにしても、これだけの数の司会者たちが顔をそろえる事は珍しく、改めて押阪さんの人的ネットワーク力には頭が下がります。楽しい催しでした。

「絶えぬ飲酒運転」

このところ何とも痛ましい轢き逃げ死亡事故が大阪で連続して起きてしまいました。大阪市内で早朝道路を横断しようとして車に轢かれ3キロも引き摺られて亡くなったのは不動産会社でマンション販売の実績を挙げていた若手有望社員でした。そして今度は富田林市で新聞配達中の16歳の少年をはねた車が6キロもそのまま少年を引きずって死亡させて逃走するという信じがたい事件が起きました。被害に会った少年は200軒の配達を一生懸命こなし、前日初めての給料を貰ってお爺さんに好きなお酒でも飲んでと数千円をプレゼントしたばかりだったという思いやりのある少年の姿を偲ばせる話も聞かれました。

二つの轢き逃げ事件はともに運転手が飲酒をした上で車を運転して起こしたもので、飲酒そのものがばれると拙いという判断で現場から逃げようとして、被害者が車に挟まれていようと何であろうと関係なく何キロもの長い道のりをそのまま引き摺って逃走するという普通の神経ではとても考えられないものです。勿論道路交通法では、運転者は人身事故を起こしたらまず何を置いても被害者の救助を図らなければならないと定められており、現場から逃げるということは被害者がどうなっても良いと考えたことになります。従って仮に被害者が死亡すれば未必の故意による殺人と言ってもいいものだと思うのですが、残念ながら現行法ではそのようには解釈されないようです。

さて、私たちが日常ごく普通に足代わりに使っている「車」とはどのようなものなのか、今一度良く考えてみる必要があるのではないでしょうか。どんな所へも自分の思い通りに行くことができる「車」は文明の利器の最たるもので、誰にとってももはや「車」無しの生活は考えられません。しかし、「車」は使い方を誤れば一転して人間に牙をむく「凶器」となるものであり、だからこそ慎重にかつ丁寧に法律に従って扱われなければならないものなのです。そのことを忘れてしまっていると、いい加減な気持で車を運転して事故を起こすことに繋がってしまうのだと思います。

従って、車の運転教育をする第一段階で車はまず慎重にそして丁寧に扱わなくてはならない。そして、車を運転するときは遵法運転を何より心掛けねばならないことを徹底して叩き込むことが必要だと考えます。つまり、飲酒運転に代表されるような法律を度外視するような行為は許されない罪であることを運転者の胸に深く刻み込むことが大切なのです。

そして、実際のペナルティも酷く厳しいものにすれば良いと思います。飲酒して車を運転したら、事故は起こしていなくても即免許剥奪は当然、否もっと厳しい罰を用意しても良いのではないでしょうか。未だに絶えない飲酒運転による死亡事故のニュースを聞くにつけ、飲酒運転を根絶するには本気で取り組まないと大きく改善されることはないような気がします。

更に、事故を起こして被害者を置いてそのまま逃げるなど、救護策を講じなかった場合にも最も重い刑罰を課すことも視野に入れる必要があるものと考えます。この期に及んで、危険運転致死罪を適用するのは困難ではなどという議論をしている段階では無い筈です。性善説のみに立脚してものを考えることはそろそろ改めて欲しいと考えているのは私一人だけでは無いと思うのですが。

「総理の周りには」

安倍晋三氏、福田康夫氏と二人の総理大臣が相次いで任務を投げ出して辞職するという、おそらく世界中を見回しても例がない異常事態の中で誕生した麻生太郎政権だっただけに、今度はどんなことが起きようとも男らしく総理大臣としてその任を全うしてくれるだろうと多くの人たちが期待していたはずなのですが、どうも雲行きが怪しくなって来たような感じです。

麻生氏の総理大臣としてのイメージの中には常に祖父吉田茂元首相が在るため、強いリーダーシップを発揮して、時に独断ででも施策を打ち出してくるのではないかという期待感がありました。ところが解散を巡って何度も気持ちが揺れ、そして連立を組むパートナーの要請とはいえ定額給付金の案件を巡って手続き面の調整で二転三転し、最後は市町村に丸投げするという決断の悪さを披露してしまい、想像していた麻生太郎とちょっと違うぞと感じさせられるところが出てきてしまいました。

そして更に基礎的な国語力に欠けるとしか思えない誤読を繰り返して、この方は本当に大丈夫なのだろうかと心配が先に立つ状況になってきています。「踏襲」を「ふしゅう」と読み(「ふしゅう」というと「腐臭」くらいしか思い立つ言葉はありません)、「頻繁」を「はんざつ」と読む。読もうと思ってもそうは読めませんが、「未曾有」を「みぞゆう」と読む。挙句の果てに株式市場の「前場」を「まえば」と一瞬言い間違えてしまうなどちょっと考えなれないミスの連続です。誰もが読み間違えてしまうようなものならまだしも、上記のような間違いは辛すぎます。

このような失態をこれ以上招かないように早急に組織作りを行うことはできないのでしょうか。アメリカであれば演説に関しては専門のスピーチライターがいて読み間違いなど無いように準備が整えられていますし、身だしなみに関してはヘアメイクからコーディネートまで「我らが大統領」を最高にショーアップするためのシステムが出来上がっています。我が国でもそろそろ、最高指導者については格好よく映り、仕事の上で防げるミスは防いで馬鹿馬鹿しい過ちで信頼感を損なうようなことのないように守ってあげる態勢を整えるべきだと考えます。それにしても「ふしゅう」や「はんざつ」の誤読は無いですよね。意味が通じないのですもの。

「堀紘一さんの新著を読んで」

去る10月10日に発売されたばかりの「一流の人は空気を読まない」(角川書店)を著者の堀紘一さんから送って頂き、読ませて頂きました。読み始めてぐいぐいと引き込まれとても強い納得感を抱きながら読み終えました。衰退、退廃の道を辿っている今の日本に必要なことがたくさん書かれてあり、さまざまなジャンルのリーダーに是非読んで頂きたいと思います。

堀紘一さんの父新助氏はイタリア大使、パリーグ会長などを歴任した元外交官でした。そうした名門の出身でありながら堀紘一さんは父親とは全く異なる道を歩んで自力で今日の自分を創り上げてきた人です。東京大学法学部を卒業していますが、既に高校時代にだらだらと受験勉強はしたくないと決意。そして効率的な受験対策として過去10年に遡って東大の試験問題を苦労しながら集め、徹底分析して出題傾向に特徴的な流れがあることを発見。更に問題出題者を探し当てて直接インタビューして、何故そのような流れが生まれたのかを解明した上で来るべき年の出題傾向を予想し、短い時間の受験準備で見事東大入学を果たしたというのです。単純に今年は「この種の問題が出るであろう」と山を張ることとは違い、試験問題がどのように作られ、どのような範囲までを問題の領域として出題者が考えているかという問題作成の本質を自分の努力で解き明かしたもので、発想自体が普通の高校生の域を超えています。

東大を卒業すると読売新聞の記者として活動を始めます。初任地富山では取材し原稿を書く毎日。しかし、地方都市でトップ記事となるような出来事が頻繁に起きるわけもなく、かといってじっと待っているだけではどうしようもないことに気が付きます。そこで小さな出来事でも視点を変えて纏め次第では一本の立派な記事になると考え、富山の色々な出来事に注目して、工夫した原稿を書き続け二年目には遂に先輩たちを超えるエース格の記者になっていたそうです。

これも如何に自分のクリエイティビティを発揮していくのかを考えたところから生まれた知恵でしょう。以後今の自分に甘んじることなく挑戦を続け三菱商事に入り、ハーバード大学大学院に留学し、日本人としては数少ない成績優秀者に贈られる金時計を受賞するほど頑張り続けました。そしてボストンコンサルティングに入り、数々の輝かしい実績を挙げて日本法人の社長となって多くのテレビ番組にも出演し注目される存在になりました。

でも彼の挑戦は続きます、ボストンコンサルティングを退社し、新たにドリームインキュベータという会社を興し、夢を抱いて起業したベンチャービジネスマンたちをサポートしています。そして投資を続け、特にベトナム、中国、モンゴルなどで輝かしい成果を上げています。

このように、常に自己改革を志し、狭い枠の中に留まらず構想力を発揮してsomething newを求めて燃焼してきたからこそ今日の堀さんがあるのだと言えます。堀さんは強調します。「会社でも組織の中でも、協調することだけを考えて空気読みの達人になってはいけない。自信を持って自分の頭で練り上げた独創的な構想を提案し、そのためのロードマップを提示できるような体勢を持っていなければならない。それが備わっていれば例えKYと云われても問題ない」と。

さらに堀さんは言います。「人間には失敗はつきもの。勝負に負けることもある。そこから何かをつかみ取り、ここが本当の決戦場というときには立ち上がって戦うこと。迷うことなく持っている全ての力を発揮しなさい」と。私は堀さんほどの能力はありませんが、仕事を通しての体験からいえば堀さんの主張と100%同じことを考えています。皆さんにも是非ご一読を。

「吉永さんの素晴らしさ」

11月1日愈々東映映画「まぼろしの邪馬台国」が封切りになります。

テレビや雑誌などでたくさんの宣伝が行われていましたので、心待ちになさっていた方も多いのではと想像しています。長崎県島原市が生んだ盲目の文学者宮崎康平氏と彼を支え続けた妻和子の、苦労を重ねながら歩んだ夫婦の愛の物語を、竹中直人さんが宮崎康平そして吉永小百合さんが妻和子に扮して熱演した素敵な映画です。私も宮崎康平氏と同じ島原出身という縁があって端役で出演しているということは前にもお伝えした通りです。

今回東映の岡田社長から地域担当プロデューサーという肩書を頂き、映画館で上映される予告編のナレーションを担当し、プレス向けのメッセージを送り、東京国際フォーラムで開かれた完成披露試写会の司会も務めさせて頂きました。私の出演部分は本当に僅かなものですが、宣伝活動に関わるうちに次第に自分も立派な映画人であるような錯覚に陥り、この映画を何としてもヒットさせなくてはという気持ちになってしまったから不思議ですね。1シーンだけの共演でしたが、宮崎康平に成りきっていて島原弁で自在に台詞を話す竹中さん、台詞の無いところでも夫を気遣う実に細かい息遣いで素晴らしい演技を見せる吉永さん、お二人の役者としての動きそのものが圧巻であり、プロフェッショナルとはかくも卓越した仕事をされるものなのだということを教えられました。

そして、先日11月22日に椿山荘で行われた「吉永小百合シネマトーク」にもお招き頂きました。これは勿論「まぼろしの邪馬台国」公開記念の特別企画として行われたものですが、私はゲストとして後半のコーナーで20分ほど吉永さんとトークをさせて頂きました。

吉永さんは事前に私のことをしっかりと下調べをされていて、生意気だった私の少年時代の話から切り込んでこられました。そのため、先生に余り敬意を払っていなかったために色々先生とぶつかったり不利な扱いを受けたりして、挙句の果て転校までしなければならなかった体験を皆さんの前で告白する羽目になってしまいました。でも自分の反省として、少なくとも学校に行くときは先生には尊敬の念を持って通うべきだという教訓を得たこともお話させて頂きました。最後に私から見た吉永さんの人間として素晴らしい魅力のポイントなどをお話しした後、サプライズゲストの宮崎和子さんを壇上にお迎えして「まぼろしの邪馬台国」の成功を祈り、とても良い雰囲気のうちにトークショーは終了しました。

その2日後、吉永さんにお礼状を出そうと便箋を手にして書き始めたところに何と吉永さんから直筆のお礼状と素敵なプレゼントが届いたのです。またまた恐縮しながら急いでお礼状を送った次第でした。ご挨拶、お礼状と本来私の方から出さねばと思っているのに、いつも吉永さんに先を越されこれで3連敗になってしまいました。吉永さんのいつも変らぬこの謙虚で人に優しい姿勢を私も早く自分のものにしたいと思います。

「ことばの重み」

ことばの重みについて考えさせられることが最近とみに多い様な気がします。とりわけ公人としての立場にある人は発言した一字一句が俎上に乗せられて議論の対象となるのは止むを得ません。それだけに発言するときには脇をしっかり固めてどの部分を責められても論破でき、それが相手の理解を得られるようでなくてはなりません。

記憶に新しいところでは麻生内閣で国交相に就任したばかりの中山成淋氏が「日本は単一民族」と事実誤認の発言を仕出かしたのをはじめ、「日教組の組織率が高いところは学力が低い」「日教組が諸悪の根源」などと発言して強い反発を招き結果的に辞任に追い込まれてしまいました。

彼自身は文科相時代全国各地の教育の現状をつぶさに見て歩き、日教組にさまざまな問題があり今日もその状況を引き摺っていることを確信していたのであのような発言に繋がったということのようですが、もし言うならば日教組のやってきたことの具体的にどの部分が問題であり何処がどのようにあるべきだったのか実証的に示さなくては話になりません。日教組の組織率の高さと学力の低さには相関関係はありそうに見えるが断定できるレベルではないと本人も認めているとのことですから、ならば具体的なデータを揃えてから議論すべきだったと思うのです。

麻生首相もかつて、日本の米が輸出されて韓国や中国に入ったとき関税などが上乗せされてキロ当たりで日本での価格より何倍ものばか高い価格になることを例にあげて、これはどちらが高いかはアルツハイマーの人でも分かると発言して、病気で苦しんでいる人たちや家族の気持ちを考えもしない配慮に欠ける発言だとして問題になったことがありました。これは同じ内容の話を別の場所でした際、この価格の違いは子供でも分かると言ってみたけど反応が鈍かったので病気の人たちでも分かると表現して受けを狙った結果だったというのですからちょっとお粗末だった感は否めません。また他にも、大雨の被害を受けた愛知県安城市や岡崎市の人たちを怒らせた「これが安城岡崎だったから良かったが名古屋だったらこの辺みんな洪水さ」という失言もありました。これらは善意に解釈すればできるだけ分かり易く砕いて話そうと思ってのことでしょうが、比喩表現はどのような立場にいる人が聞いても適切なものでないと誤解を招き自ら墓穴を掘ることになってしまうのです。

今年も213本のヒットを打ち8シーズン連続200安打以上を記録したシアトルマリナーズのイチロー選手にもハッとさせられる発言がありました。8年連続オールスターにファン投票で選出されるという快挙を成し遂げたとき、彼は言いました。「ファン投票で選出されるメンバーを見ていて、年々歳々メンバーが小粒になっていくなあと思っていたけど今年ほど地味な顔ぶれはない」と。確かにこれは彼の実感だったのでしょう。だがしかし、アメリカの野球ファンがこの発言に素直に肯くでしょうか。自分の実感であっても表現が余りダイレクト過ぎると反感を招く恐れが十分にあると私には思えます。何故ならアメリカの野球ファンは大リーグこそ最高のプレイヤーたちが揃っている場であり、どの時代でもオールスターファン選出メンバーは地味なメンバーではありえないと考えています。

またつい最近、ソフトバンクホークスの王貞治監督が今シーズン限りでユ二フォームを脱ぐとニュースで伝えられたとき、アメリカから日本人選手たちのコメントが紹介されました。その中で、イチロー選手が「王さんは選手として凄い記録を残しただけではなく、人間としての器の大きい本当に尊敬できる人です」という完璧なコメントを出していました。ところがそのあと更に発言が続き「野球界には尊敬できるような人はほとんどいませんがね」と語っていたのです。野球界の先輩方の中には、「え、それはどういうこと」と引っ掛かりを覚える人も多かったのではないでしょうか。これもイチロー選手の正直な気持ちだったのでしょうが、多くの人に抵抗を感じさせてしまっては損だと思います。

この場合、「野球界に心から尊敬できる人がそんなに沢山いらっしゃるわけではありませんが、王さんだけは別格です。選手としても破格の記録を残されたけれど、一人の人間としても器の大きい無条件で尊敬できる方ですね」といった言い方であれば誰にとっても違和感を覚えさせないコメントであったのにと思います。このように、良かれと思って発した発言が本人の意図通りには受け取られないことがあることをよく考えて慎重なコメントを出すような習慣をつけておくことがとても大切だと言えます。とりわけ公人や誰からも注目される存在の人たちにとっては。

「信賞必罰の原則」

日本テレビ「THEワイド」が終了してから一年が経過しました。公の場で社会問題に自らの見解を申し上げることが少なくなりましたが、これだけは物申したいと思うことがあり筆を執りました。

それは、今世間を騒がせている「事故米」の問題です。黴が生えたり農薬が許容量を超えて含まれていたりなど食用にはできない輸入米を事故米と呼ぶということも初めて知りましたが、それを工業用の糊にするという名目で購入していながら偽装して食用米として転売していたことが発覚し、更にそれが一部の悪徳業者だけではなく、ほぼ全面的に当り前のように行われていたというのですから驚愕してしまいました。この件について一切の管理責任を持つ農林水産省が実質的な監視や調査など徹底しないで、農水省には責任があるとは思わないと言い切るのですから、日本も凄い国になったものだと思います。

このような有様では、毒入り餃子事件に関して日本政府が中国を一歩的に批判することにとても違和感を覚えてしまい、哀しい気持ちにさせられてしまうのは私だけではないでしょう。国際的な取り決めで一定量の米を買い上げなければならない義務があることは理解できますが、輸入に当たっては厳密な検査を行って不良品は突き返し、お金を出して買えるものを要求するのは農水省の最低限果たすべき務めだと思います。ところが実際は不良品であろうと何であろうと買うだけ買って内容の吟味もせず、黴が生えていても許容量を超える農薬が含まれていても、先方にクレームもつけられないとは恥ずかしい話で、自分たちの務めを放棄していると指摘されても致し方ないのではないでしょうか。

まして、こうして抱え込んだ事故米を工業用の糊の素材として売り出す場合、少なくも工業製品専門の業者を相手に販売しなければならないはずなのに、売り渡し先がほとんど食品業者だったというのは一体どういうことなのでしょう。厳しい言い方をすれば、後はどうなろうと知ったことではない、食品に転用されても自分たちの責任では無いという姿勢が根底にあったと言われても仕方ありません。極めて嘆かわしい状況です。

13年前、日本を恐怖の底に陥れたオウム真理教がサリン事件などの凶悪事件を引き起こしたとき、大きな反省材料として挙げられたことを思い出します。あの上九一色村に彼らがサティアンと呼ばれる施設を次々に作ったとき行政機構はほとんど調査もせず、それをいいことに彼らはサリンなどの化学兵器の製造に邁進していきました。勿論それは明らかに間違いで、不審な建物が一度出来上がれば建築基準法等現行法を緻密に運用し、社会にとってのマイナス要素を排除することに本来は行政機構が責任を負わねばならないはずです。であるにも拘らず、相手が宗教法人だからクレームを付けられたら面倒だと言うことで結局は野放しにしてしまいました。

本来自分たちの職責を果たすためには持っている権限を最大限駆使して国民のため社会のために積極的に力を尽くすべきなのに、何もしないでじっとしていた、所謂不作為の罪の大きさがそこにあったのです。今回の「事故米」問題も行政側の怠慢が国民を大混乱の中に陥れてしまったといえます。それにしても、「偽装」というものが社会全体に充ち溢れ、もはや信じられるものは無いという感じすらしてきました。

その原因の一つは、社会全体に「信償必罰」の原則が貫かれなくなってしまったからだと私は思っています。素晴らしい業績をあげた人は賞賛され、悪事を働いた人はペナルティーを受けるというごく当たり前のことがなされなくなってきたのです。

とくに、悪いことをした人たちは言い訳を述べるだけで、責任を取らなくなってしまいました。経営上の大ミス、食の安全を失わせるような行為、一生ものの買い物であるマンションの偽装など、責任者が形式的に頭を下げ謝罪を行うことを目撃することはありますが、本当の意味で責任を取った人がいたのでしょうか。このような無責任体質を放擲し、一人ひとりが各々に課された義務と責任は最低限果たす、そして出来る限り他人に優しく対処することを社会の原則にすべきだと常々思うのです。

「レクイエム」

テレビ東京のオリンピック放送のため日本を離れていたのでブログもそのままになっていましたが、今日から今まで通り続けていきたいと思います。

北京にいたのならオリンピックリポートを書けばいいじゃないかと言われそうですが、大会期間中は写真の使用も含めIOCが細かい制約を色々設けていますので、少し時間を置いて感じたことを報告したいと思っています。

さて、8月15日の早朝、長崎県島原市で暮らしていた父親が前日夜遅く亡くなったと言う連絡が届きました。102歳の父は今年の6月半ばから食事が取れなくなり入院していたのですが遂に力尽きました。知らせを聞いた瞬間、本当に最後まで頑張った父親の人生に拍手を送り、父親が私のためにしてくれたさまざまなことに心から感謝を捧げたいと思いました。(実は、北京での滞在中に亡くなる可能性が大きいと考えていたこともあり、悲しみよりも比較的冷静に死を受けとめることができたのだと言えます。)

振り返ると小さい頃、田舎(長崎県島原市)で育った私は生まれついての自然児という感じで時間さえあれば運動場や野山を駆け回っていました。机に向って勉強するなどということは全く考えもしない子供だったのです。大学教授であった父親から勉強しなさいと何度言われてもそれを守ったことは無く、常に鉄拳制裁を食らう有様。4人の兄弟の中で末っ子の私だけはとても扱い辛い存在だったようでした。

中学に入る時、父が私に言いました。「お前も明日からは中学生だ。明日からは学校であったことは全てきちんと報告しなさい。例えそれが自分に都合の悪いことでも、包み隠さず私に全て伝えるんだぞ」と。そうは言っても実際は中々報告し難かったのですが、どんな時でも父は私の話をちゃんと聞いていて、「その件に関して言えばお前は悪くないな。先生の方が間違っている。」などと私を弁護してくれることもあったのです。客観的な立場でものを見ていてくれることで私は父に対し、自分のことを本当に心配してくれているとても心強い味方なのだと感じるようになりました。怖いイメージしかなかった父がとても身近な存在になったのです。

そうは言っても、私の勉強嫌いは直らないままで、陸上部で練習に励んでいた高2のある日突然、「仁、たった今陸上部の退部届を俺が出してきた。これからはちゃんと腰を落ち着けて勉強しろ」と言い出したのです。びっくりして、「どうして」と聞いたのですが、父はこう続けました。「お前は考えたこともないだろうが、運動選手の選手生命はもの凄く短いんだぞ。寧ろスポーツをやめてからの人生の方が遥かに長い。つまり、その後の人生の方が大切なんだぞ。だから今からしっかり勉強して、長い人生を乗り切れるような力を身につけろ。そもそも、お前のように軟弱な性格では運動選手としても大成するとは思えない」と。

話の主旨は勿論理解し、渋々退部届けの件も受け入れたのですが、だからと言ってそれからすぐ気持ちを勉強に切り替えられる筈も無く、悶々とした日々が続き結局受験も失敗し、1年間の浪人生活をすることになってしまいました。

浪人生活を送っている間も「アルバイトはしないで勉強しろ。仕送りはちゃんとするから」。
就職すると、「周りの人たちへの感謝を決して忘れるな。常に謙虚でないといけないぞ。人真似だけでは駄目。クリエイティブであれ」など機会あるたびにそうした注意や指示を受けてきました。「それくらい分かってるよ。くどいな」と思ったこともありましたが、今にして考えてみると、やはり父は本当に良く自分の子供を観察し分析して良い方向に導いていこうとしていたことが分かり、今では感謝の気持ちで一杯になりました。

私のイメージに残っている父の姿は何時も机に向い自分の専門分野の数学の勉強をしていたか、剣道の稽古に精を出していたかといったもので、乱れた姿を目にしたことは一度も無いのです。

そんな父がある時、私に言いました。「お前はひょっとして俺を石部金吉みたいな男だと思っているのか」と。そして私が一瞬返答に戸惑っていると、「人間、そんなことはあり得ないからな」と言ってにっこり微笑んだことがあったのです。その時、妙に父を一段と身近に感じました。

赤貧洗うが如しといった環境の中で小学生の時からアルバイトをして学費を貯え、独力で旧制高等学校、大学を卒業し数学者として働いた父。そして旧満州国新京工業大学で教鞭を取っている時に進駐してきたロシア軍に徴集されシベリア、カザフスタンに送り込まれて3年半の重労働に耐えて生還した父。明治生まれの強い男であった父の人生を振り返ると、何処を取っても勝てるところは無く、唯唯父親は偉大だったなという思いになり、大きな感謝の気持ちと共に「貴方の息子で良かった」と心から感じています。ありがとう親父。

「楽ではないけれど」

このところキャスターやアナウンサーの不倫が話題になっています。いつの時代にも必ず出てくる話ではあるのですが、今特に注目を集めている人たちがターゲットになったためさまざまな媒体で大きく取り上げられてしまったということでしょう。

聞くところによると、こうした話題の情報は殆どがターゲットになる人の身近にいる人から寄せられるということです。取材する側にとってはより信憑性を伴う情報ですから取材に入りやすく、いざ取材が始まると一、二ケ月は勿論更に時間を掛けて対象となる人物の行動追跡が緻密に行われるようですから、気をつけていてもどこかで写真に撮られてしまうことになるそうです。

実は、私もNHKを辞めフリーになったとき、これからお仕事をご一緒する放送局の方から次のような注意を受けました。「何か不利になりそうな事態が起きたとき、貴方が局員であれば局として色々配慮して守ってあげられますが、フリーの方々についてはそういうわけにはいきません。従って自分の事は自分で守って頂くしかありません」と。

よく考えてみればごく当たり前のことです。誰でも一人の人間として自由を謳歌したいと思うものです。仮にそれが市井の人で周囲に何の影響も与えない人ならば、不倫は法律に反する行為ではないので、受け取る人の考え方次第でさして問題にされることはないでしょう。ところが、裁判官、教師、聖職者を始め常日頃から人間のあるべき姿を世間に向かって説いている人たちは同様のスキャンダルを惹き起こしてしまうと、普段から言っていること実際に行っていることが違うではないかという指摘を招き、説得力も失い仕事になりません。

同じ様に、社会に強力な影響力を持つテレビで情報番組などを担当している人たちもまた番組を通じて世の中の出来事に批判を加えたり、物事のあるべき姿についても論じたりするわけですから言うことと行うことが相反するのは問題だと捉えられても仕方ありません。また、これは日本独特なのかもしれませんが、一般にテレビに出ている人たちに対する信頼感や期待がとりわけ強いため、期待に反する行為にはより多くの非難が集まるのだと思います。

テレビに出ることで誰でも有名になり注目されるようになります。そしてややもすれば自分の存在の大きさを過大評価するようになり、時に尊大な行動に出てしまうものです。しかし、そんな時こそ今一度自分自身を振り返り、自分の現実の姿を冷静に見つめる心の余裕を持つことが肝心だと、ある方に言われたことを思い出します。その方には、「テレビを見ていて下さる方々がこんなにも自分に対して期待して下さっているということを感じたなら、それを裏切らないようにしよう、期待に応えられるようにもっと頑張ろうと思えば良いのだ」とも言われました。

人間誰しもストイックに生きることは決して楽なことではありませんが、番組を見てくれる視聴者、そして多くのファンによって今の自分があることを考えれば、自ずと自分の行動に対する責任感が生まれてくるものだと思うのですが。

「続 医師のあり方」

先週のブログでも触れたのですが、入院して初めて癌に冒されていたことが分かった私の知人の女性が亡くなりました。

卵巣と大腸が癌に冒され、腹水にも癌細胞が見つかるなど状況は末期で、はっきり言えば打つ手も殆ど無い状態でした。最初に入院した病院では、癌の原発部位を確かめないと抗がん剤が使えないからということで、体力的に弱っていて今は検査を受けたくないと言っている患者を、医師が自分の論理で検査がどうしても必要だと説き伏せて強引に下剤を飲ませてしまったところまでは前に書きました。今は検査は嫌だという患者の意志を尊重して私が医師に電話をして検査の延期を要請したのですが、その後も患者の医師に対する不信感は変わらないままで、できれば転院したいという患者本人の希望を汲んで友人である新見正則先生(帝京大学医学部准教授)にお願いして練馬総合病院に転院することになったのです。

練馬総合病院は巨大な病院ではありませんが、全てに新しいシステムが出来上がり、医療技術もハイレベルでこの世界では高い評価を受けている病院です。患者を担当してくれることになったのは腫瘍内科の栗原直人先生でした。優しい話しぶりに患者の立場を良く理解して治療を進めようという医師の心が伺えました。患者も「転院出できて本当に良かった。これからちゃんと治って家に帰ることができるように頑張りたい」とまで言ってくれたのでした。

しかし運命は皮肉なものです。患者が戦う意欲を抱いたその時から容態は悪化し始め、時間の経過と共に患者は息苦しさを訴えるようになり遂に転院から4日危篤状態になり、5日目の未明に帰らぬ人となってしまいました。

癌は転移するだけ転移し最後は脳にも転移したようで、言葉も発せられなくなり、不随意運動で体が思わず動いていたとのことです。そしてその動きを繰り返すようになるなど患者が可愛そうだと思える状態となり、結局最後の時を迎えてしまいました。

でも、栗原先生は最後の瞬間まで懸命に手当てを施してくれました。「何としても治してあげたい、そう思って手を尽くすのですが思い通りにはなりません。そんな時、医師として無力感を覚えることもありますがそれに引きずられてしまうわけにはいきません。治療を待っている人に力を与えられるように私たちは頑張るしかないと思っています」と話してくれました。そして、「もう少し元気な状態に戻してあげたかった。心残りがあります。ご家族の皆さんの期待に添えなくて申し訳ありません」とも語ってくれました。

本当に純粋で誰に対しても心優しかった人の命が絶えて声を掛けても答えてくれない亡骸になってしまう人生は無常だなと感じさせられます。ただ今回私たちは患者を自分の家族だと思って何とかしてあげようと手を尽くしてくれる医師たちが居るということを目の当たりにすることができました。このような医師たちであれば何の心配も無く運命を託すことができるという実感を持てたのです。

専門家に聞いたところでは、ここまでのレベルに到達している医師はまだまだ多くはないとのことです。であれば、私たちの側があらゆるルートを使って何処にそういう医師が居るのかを調べることが必要なのだと強く感じた次第です。ただじっと受身の態勢で待つのではなく自らも積極的に動いて道を拓く努力をしなければならないのだとつくづく思いました。

「わが師匠 羽佐間正雄さん」

元NHKのチーフアナウンサーで、現在はフリーで活躍している羽佐間正雄さんが新著「勝者の流儀」を著し、7月7日その出版を記念するパーティーがグランドプリンスホテル赤坂で開かれました。

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羽佐間さんはNHKを代表するスポーツアナウンサーとして夏冬合わせて11回のオリンピックを中継したということで全米スポーツキャスター協会賞を受賞している唯一人の日本人アナウンサーです。

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このパーティーでは私とニッポン放送のアナウンサー増田みのりさんが司会を担当しました。羽佐間さんとの関係はNHK時代、昭和45年私の初任地である鹿児島から福岡に転勤した直後に、羽佐間さんが東京から管理職として福岡に赴任してこられた時まで遡ります。スポーツアナウンサーとして第一線で大活躍されていた羽佐間さんは正に私の憧れのアナウンサーでした。「憧れの人と一緒に仕事が出来る」というそのことだけで興奮状態でいたところ、着任早々羽佐間さんは私を呼んでこう次のように言われたのです。
「おい草野君、君には何故俺が東京から福岡に転勤してきたか分かるかい」

私は即座には答えられず「分かりません」としか言えませんでした。そして、続いて出てきた羽佐間さんの言葉に私はたちまちノックアウトされてしまいました。

「俺は専門職のスポーツアナウンサーとして東京にそのままいても良かったんだが、わざわざ福岡まで来たのは実は君を育てるためなんだよ」

これ以上は有り得ない最高の殺し文句でした。その言葉を聞いた瞬間、私の魂は天に昇っていました。でも次の瞬間には、何時もの冷静さを取り戻し、「そうだ、自分自身が頑張るのは勿論のこと、これは羽佐間さんの為にも恥をかかせることのないように全力を尽くして仕事に邁進しなくてはと気持ちが奮い立ってくるのを感じたものです。

それから三年の間、あらゆるスポーツの放送について羽佐間さんから直接ご指導やお叱りを頂くことで私自身修練を積むことができました。そしてスポーツアナとして次のステップを踏みなさいということで私を大阪放送局に送り出して下さいました。

ですから私にとって羽佐間さんはこの道の師匠であり、羽佐間さんには勿論沢山の弟子たちがいるのですが私こそが一番弟子だと(本当は不肖の弟子なのかもしれないのですが)自分では思い込んでいるのです。私が東京に転勤してNHKを退職するまでの間、仕事を通じても私的な面でも様々な導きをずっと頂いてきました。

今日このようにアナウンサーとして頑張ってくることができたのは羽佐間さんという素晴らしい先輩の存在があればこそであり、師匠に対して何時も尊敬と感謝の念を忘れたことはありません。誰でも職業人として成長して行く過程で色々な出会いを体験しますが、矢張り素晴らしい上司や尊敬すべき先輩に巡り合えるかどうかというのは、その人の将来を大きく左右する運命とも思えるものだという気がしてなりません。その意味で私自身は最も大事な時期に羽佐間さんと出会うことができたという本当に幸運な人間だと思っています。

さて羽佐間さんも今年の11月で77歳になられます。今回の出版はこれまでのスポーツについて自らが蓄積してきたものを集大成する形で発表しようと企図したもので、書いていくうちに何と400字詰め原稿用紙で1000枚にも及んでしまったそうです出版社からは「これでは新著3冊分になってしまいますよ」と言われてしまったとのことでした。従ってこの秋に第2弾が出版されることになっているそうです。

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この類希なエネルギーと今もって衰えを感じさせない美声(パーティーでは自慢の歌も2曲披露されたのです)。吾が師匠は本当に凄い人だなと弟子として改めてその存在の大きさを嬉しくそして誇らしく感じたものです。

「アメリカ独立記念日パーティー」

7月4日、アメリカ合衆国の独立記念日を祝う米国大使館主催のパーティーに招待され初めて出席しました。例年このパーティーは米国大使館で開かれていたそうですが、今年はサミットを前にG8外相会議が開催されていたためにすぐ隣のホテル・オークラで行われました。

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何分初めてでしたので、どんな感じのパーティーなのかとても楽しみでした。厳重なセキュリティーチェックを受けて会場に入ると、カントリーミュージックの演奏がゲストを迎えてくれていました。

日本の場合ですと、まず司会者が出てきて挨拶や乾杯などが冒頭に来るのが通例ですが、ここではまず、飲み物や料理など(と言っても、これまたアメリカ流でホットドッグ、ドーナッツ、ビール、カクテル、ソフトドリンク、アイスクリーム、スナックなど)を自由に楽しんでもらい、コミュ二ケーションを深めて頂こうということでざっと一時間ぐらいの時間が歓談ということで用意されていました。そしてその間、BGMとしてのカントリーミュージックバンドは休み無く演奏を続けていました。こういう格式張らないフランクなところがアメリカ流なのだなと感じ、とても心地よい感じがしたものです。

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さて、アナウンスの後、J・トーマス・シーファー駐日大使が徐に登場、続いて高村外相が登場し、それぞれに日米の友好の大切さを称えあい、更なる連携の強化が必要だと強調しました。

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そして、女性シンガーのクリスタル・ケイさんがアメリカ国歌を見事な歌声で歌い上げ、一通りの儀式を終えると、大勢の招待者の間をシーファー大使が回って親交を深めるという段取りで進行していきました。

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実はシーファー大使とは昨年お会いしました。当時担当していた「THEワイド」のインタビューコーナーで私自身大使館を訪れてお話を聞く機会があったのです。お忙しい中、番組のために長い時間を費やして番組のために日米関係についてお話し下さいました。

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(昨年の「THEワイド」のインタビューで)

ブッシュ大統領の信任がとても厚く、生真面目で、物事に真っ向から真剣に取り組む人で、日本にとって素晴らしいパートナーです。拉致問題にも深い憂慮を抱き、解決のために出来ることは何でもしようと手を差し伸べ、横田早紀江さんとブッシュ大統領との対面を実現させたことは余りにも良く知られています。日本のためになることは最大限の努力をしてそれを現実のものにしようと努めてきました。

今までも親日家と言われた米国大使は当然何人もいましたが私はシーファー大使こそ真の親日家だと確信しています。来年早々ブッシュ大統領の任期が終わると同時に大使の任期も終わりです。あと半年で日本を去らなくてはならないわけですが、そのことを語るときの表情には少し寂しさが覗いていました。

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日米関係の重要性を考えると、シーファーさんのような人を今後も継続的に繋ぎ止め、折に触れてアドバイスをもらえるような関係を保つべきだと思うのですが、もしそのようなことを考えている政府関係者が少ないとしたら、極めて残念なことと感じます。

「医師のあり方」

近しい知人が病に倒れました。突然具合が悪くなって病院に担ぎ込まれたのです。お腹が痛い、息苦しい、排泄が上手くできないなどの症状でどうにもならなくなり、近所に住む友人が色々手配をしてくれて何とか入院できました。

そこでの医師の診断の結果は周囲の想像を遥かに超えて、卵巣がん、大腸がん、また腹水の中にもがん細胞が見つかったというのです。本人への告知はされておりませんが、進行度で言うとレベル「4b」、つまり末期で回復の見込みがほぼ無い状況だということでした。しかも余命については月単位というより週単位で考えるべきだというのがその家族に対する担当医師の説明でした。

それを聞いて私も大変驚きました。昔その知人の家に泊まると、朝は美味しいチーズトーストを沢山作ってくれて持て成してもらったことを今も懐かしく思い出します。何事につけても温かい心配りでその優しさが自然に心に伝わる素敵な人なのです。その人が不治の病に侵され、極めて重篤な状況に置かれているのは何と残酷な現実なのだという思いで一杯です。

辛いことですが、この人のために何をしてあげるのが最良のことなのかを考えていかなければならないと周囲は考え始めました。そこで本人の性格を熟知している家族は本人が受けるショックの深度を危惧し、本人への告知は当面控えようという結論に達し、その点は医師にもお願いしました。

すると、担当医師は先ずがんの原発部位が卵巣なのか大腸なのかを確定する必要があるので患者の大腸のカメラ検査を行いますと家族に伝えてきました。とはいえ、患者本人は腹水が溜まっているため呼吸をするのも辛いと訴えている状況を見ると今すぐ大腸検査をするのは却って患者の体力を消耗させるだけで得策ではないと考え、検査は暫く先に延ばして欲しいと看護師さんを通してお願いしたのです。勿論、患者本人も極度の疲労や苦しみから今はとても検査は受けたくないと強く言っていたことも考えてのことでした。

ところがそのようなお願いをしたにも拘らず、医師は家族のいない間に、家族の了解も得ず本人にがんの告知を行い、原発部位の確定を行わないと治療ができないので予定通り明日大腸検査を行いますと通告をしたのでした。

家族から連絡をもらい、説明を受け相談をされた私はすぐ担当医師に連絡を取り、何故依頼通りに延期してくれなかったのかを問いましたが、返事は要領を得ませんでした。患者も同意してくれたのでと繰り返すばかりです。埒が明きませんでしたが、とにかく今回は延期してタイミングを見て実施することにして下さいと要請して電話を切りました。後に聞きましたが、患者は飲まされた下剤の影響で一晩中トイレに通って辛かったということです。

不審に思ったこともあり、このままではいけないと考え翌日家族側と医師たちとの間で話し合いが行われました。

そこでは、家族の側からは患者第一で患者の気持ちを大事にして診て頂きたいということを切にお願いしました。医師の側もできる限り要望に沿うようにしますという見解が示され、双方の側にあった溝は少しだけ埋まったような気がしましたが心配が全くなくなったわけではありません。

実はこの時、私の友人でもあり担当しているテレビ番組「主治医が見つかる診療所」にも出演中で素晴らしい見解を何時も披露してくれる、帝京大学医学部准教授の新見正則先生に家族側のアドバイザーとして同席をお願いしていました。先生は第三者の立場で質問をしたり、双方の間をまとめたりなど本当に大きな役割を果たしてくれたため、家族はとても救われた気分になったのです。

病院には病院の事情、医師には医師の事情があるのは十分理解できますが、患者の心理状況や性格そして病状などの要素を総合的に精査して、できるだけ個々の事情に則したケース・バイ・ケースな対応をしてもらいたいと感じた次第です。

新見先生は信条として「患者さんを診るときはいつでもその患者さんを自分の親と思って接して下さい」と自分の学生たちには教えています。その言葉通り、全ての医師がそのような考えを持つようになれば今存在する問題はかなり良い形で解決できるのではと思うのですが、現実はまだまだそこまで至っておりません。新見先生の指摘で改めて医師のあり方について考えさせられました。

「悲劇を繰り返さないためにも」

秋葉原で起きた無差別殺傷事件,またしてもこんな酷い事件が起きてしまったのかと暗澹たる気分にさせられてしまいました。

何の罪も無い人達が命を奪われ、肉親や関わりの深い人たちを癒されることの無い悲しみのどん底につき落とすこのようなことが二度と繰り返されてはならないはずです。断片的な情報から事件の背景に迫る報道もありますが、未だ事件の全体像までは明らかになっていません。全般に容疑者の人間像を解明しようと、生い立ちや彼が残した携帯サイトの書き込みなどを細かく追い求めている報道を見ますと、事件の最前線に立って取材をされている方々もさまざまなご苦労をされていることと察します。

私自身何よりも関心があるのは、何度も繰り返されるこのような事件が起きてしまうことをどうしたら防ぐことができるのか、または仮に起きたとしても被害を最小限に止めるにはどのような方法論が考えられるのかということです。そこから具体的にできることを社会全体で実践に移していくように進んで欲しいと思います。

残念ながら日本人の弱さの一つは、事件が起きた時にはわっと大騒ぎをして議論が沸騰しますが時の経過と共にそのことを忘れてしまい、結局きちんとした対応策も打ち出せないで終わってしまうところにあるような気がします。従って、同じような事件が繰り返されたとき、前回と同じ様に右往左往して苦吟しなければならなくなるといった光景を目にすることになるのです。やはり、もっと冷静にそして時にもっと冷徹に論理的に有効な手立てを厳しく追求することが大切だと思います。

思えば、地下鉄サリン事件という世界が経験したことの無い事件で甚大な被害を受けたにも拘らず、同じ様なテロに対して何処までの抑止力を社会全体として持ってきたのかを検証してみると現状は13年前とそれほど劇的に変化していないことを以前担当していた番組でお伝えしましたし、正直その時は慄然としました。

このままでいい筈はありません。何の理由も無く輝かしい未来を奪われてしまった人たちの魂に少しでも報いるために二度と類似の事件を起こさせないように努めることが何よりも肝心なのだと私は思います。このことは社会全体で真剣に考えなければならないし、とりわけ政治家たちはもし犠牲になった人たちが自分の家族であったら、自分はどう反応し、どう行動するだろうかという現実感をもって迅速な行動をとって欲しいものです。最終的に国民の生命や安全を守るのは政府ですし、そして同様に政治家一人一人の責務なのですから。

「ごあいさつ」

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日常のテレビ番組出演を通して感じたこと、こうあるべきではと思ったことなどを折りにふれて明かにしていきたいと考えています。又、番組を離れても一人の生活者として考えたこと、趣味の世界との関わり等についても逐次述べて行くことにしたいと思っています。

1回目の今回は「女優 吉永小百合」さんについてです。

3月上旬、私は東映映画「まぼろしの邪馬台国」に出演する為、長崎へ向かいました。ロケ現場は長崎大学経済学部の広い講義室で、私の役は邪馬台国についての研究シンポジウムの司会者。主演の竹中直人さんが映画の主人公・盲目の宮崎康平役、吉永小百合さんは何時も夫の傍らで支えるその妻和子役。シンポジウムでは大学教授の邪馬台国についての説に康平が反論、嫌悪な雰囲気が漂う、司会者である私は何とか二人を上手くつなごうとするが...というシーンの撮影だったのです。

ロケ現場に入ろうとすると反対側の入り口から入ってきた吉永さんが私の所に飛んで来て、「吉永です。今回はお忙しい所を長崎まで来て頂いて本当に有難うございます」と御挨拶をして下さいました。本来なら私の方が先に御挨拶をしなくてはならないと思っていたのに物の見事に先手を打たれ、心地良い一本を取られてしまいました。

そう言えば10年以上前、幕張NKホールのイベントでお会いした時も吉永さんが先に私の部屋まで来て下さり、丁寧に挨拶して下さったことを思い出しました。これで二連敗です。日本を代表する大女優ですが人と人との交わりは挨拶から始まるということを身を以って示していらっしゃるのだと強く感じました。

それから六時間近く撮影は続きましたが、カメラが回っていようといまいと、スタッフにかける声が優しく穏やかで、でも言いたいことはきちんと伝えるという彼女独得のものでした。又、このシーンでは吉永さんにはセリフは無く、康平の言動を心配しながら傍についているというものでしたが、実に細かい動きの一つ一つに夫に対する絶妙の思いやりが感じられてプロの俳優の演技の奥の深さに思わず感動してしまいました。更にこの日、彼女はこの映画のタイトルの入ったジャンパーを秘かに作ってきて撮影の合間にスタッフ全員にプレゼント。チョイ役の私まで頂戴してしまったのですが、スタッフの皆さんの喜びようときたらそれはそれは大変なものでした。

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俳優という仕事は撮影現場で全能力を出し切れば良いのであって、日常はどんな枠はずれの生活をしていても関係ないという考え方の人もいるでしょう。しかし、私が目の当たりにした吉永小百合さんは女優としても凄い方であると同時に、一人の人間としても最高の感性と他人への思いやりの心を持った本当に素晴しい人でした。
60歳を過ぎて女優としても美しく輝き、次々にヒット作に出演されるのにはこんな人間的魅力があるからなのだと痛感した次第です。

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