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日々の思い Archive

「思うに」

熊本の地震がなかなか収まりません。被災者の皆さんの心労と不安はいかばかりかと案じます。とにかく早く地震が収まって被災した皆さんが生活再建に向けて動き出せるようになってほしいと願うのみです。

日本という国はこれだけ多くの自然災害に襲われるのですから、その度毎に協議して激甚災害法を適用するかどうかと頭を惑わさなくても済むように、大災害に備えて予めアメリカのFEMA(緊急事態管理庁)のような組織を作っておくということが必要だと思うのです。アメリカでは元々は核戦争で攻撃を受けた時に備えて被災地に政府にとって代わってあらゆる決定権を持たせた(お金の出し入れや法的規制の権限を持った)組織なのですが、日本の場合は自然災害への迅速な対応に特化した組織が存在すれば、より物事がスムーズに運ぶのではないのでしょうか。

かつては佐々淳行さんも一時FEMAのような組織の必要性を強調していましたが、最近は余り聞かれないように感じます。今一度是非を議論して頂ければと思ってしまいます。

「久しぶりのコンサート」

先日、府中の森芸術劇場に初めて行きました。あさみちゆきさんのコンサートを見るためです。あさみさんのコンサートは三年ぶりだそうです。この間あさみさんは結婚し、お子さんを設けて母になっているので、歌いっぷりなどに変化があるかもしれないと想像しておりました。

登場したあさみさんが歌い始めたのは「夢は夜ひらく」のあさみさんバージョンからでしたが、声の伸びがよく、声に力強さが出て以前より迫力が増した感じで、やはり出産、子育てを体験して強くなっておられるのだなと思いました。次々に歌っていく曲もその感じは変わることなく、歌手としてさらにレベルアップされたのだと確信しました。

最近私が最も気に入っている「鮨屋で」は聴いていて情景が思い起こされ、思わず涙してしまうほどで素晴らしい出来栄えでした。

そして、あさみさんが尊敬する山崎ハコさんに曲を書いてもらったという新曲「かすみ草エレジー」も中々素敵で、そのハコさんをゲストに迎えてのトークも聞き応えがありました。

あさみさんのコンサートには初めてということもあり、会場の雰囲気にはいささか当惑した箇所もありましたが、久しぶりにいい音楽を堪能できた夜でした。

「6回目の年男」

今日、私は72歳になりました。こんな年齢まで生きるとは想像もしていませんでしたので、少々複雑な気分ではありますが、たくさんの人たちから祝福をして頂けてそれは有難く嬉しいものです。

今後の生き方としては、年齢を気にせずやれることはきっちりやっていこうと考えています。周りに目を向けるとやってみたいことがいっぱいあるのに驚きます。結果は恐れず、やろうと思ったことに目を向けて、真剣にそれと取り組んでみようと思います。あまり、力まず本当にやれることに目を向けます。

とにかく健康で他人に迷惑をかけることなく、前進したいものです。とは言ってもあまり厳密に縛りをつけてやろうとすると挫折しかねませんので、ある程度緩い枠組みでやっていこうと思います。

「雑感」

先日、番組のロケで九州を旅しました。ほぼ四半世紀ぶりに霧島神宮を訪れてお参りをしました。そのときにおみくじも引いてみたのですが、「大吉」ということで嬉しくなりました。とは言うものの、たくさんのおみくじの中から引いた一枚がそうだっただけで、もし隣のくじを引いていたら違った結果だったかもしれないと思うと、このことで舞い上がるべきでは勿論ありません。ただ、気分が良かったということは間違いない事実です。

話は変わって、期待のラングレーが連勝、リヤンドファミユが久々の勝利をおさめ、日曜日は京都記念でタッチングスピーチが2着に入るという嬉しいニュースが続きました。中でもタッチングスピーチは体がどっしりとして付くべき筋肉が身についたようで、さらに期待できるのではという実感です。もし良馬場だったらもっと良い勝負になっていたでしょう。今後が楽しみになってきました。

「高齢者運転講習」

今日、横浜市の青葉自動車学校に、免許更新を前にした70~75歳の人たちのための高齢者運転講習に行きました。

朝8時半集合。そして視力検査(動体視力も含め)や反応力テスト、視野検査、そして運転実技などみっちり3時間以上にわたる講習でした。初めはどのような内容のものかあまり分からなかったので、そんなにも時間をかけてやるべきなのだろうかなどと思っていたのですが、講師の先生のお話を聞いているうちに、やはり講習が如何に意義深いものかがよく分かりました。

というのも、高齢者の引き起こす事故の数が極端に増加し、さまざまな悲劇につながっている実態があるからなのです。講習を受けて分かったのは、自分の動体視力などは極めて良かったものの、暫く運転から遠ざかっていたこともあり、状況変化への対応に誤作動があったりしたことで、自分では大丈夫と思っていても必ずしも思い通りにはいかないものだということです。その意味でとても有効な講習だと感じましたし、というよりももっともっと運転能力についての審査も厳しく行われるべきなのだとも思いました。

いずれにせよ、講習というものはとかく義務感でやり終えるという気持ちになりがちですが、講師を担当してくださった前田先生の話術が素晴らしかったので、笑いを交えとても楽しめる講習になっていまして3時間半がすごく短く感じられました。また実技や検査に立ち会ってくださった先生方もとてもソフトな印象で一人一人を大切に扱ってくださり、終わってみればすごく気分の良い講習会でした。前田先生を初めすべての先生方に心からお礼を申し上げたいと思います。本当に有難うございました。

「ありがとうございます」

先週23日に放送されたTBS「日立世界ふしぎ発見!」2 時間スペシャルがお陰様で多くの方々にご覧頂きまして、関東15.3%、関西17.8%と高い視聴率を得ることができました。

本当にありがとうございました。番組スタートから30年目で今尚多くの皆様に支持して頂けていることは番組担当者としては最高の幸せです。今回は若い3人のディレクターに3つの謎を最新の科学技術で解いてもらうという試みで、それぞれのディレクターが最大の力を発揮してくれて興味深い作品に仕上がりました。試写、打ち合わせの段階から出来が素晴らしく、視聴者の皆様の反応がとても楽しみでしたので、翌月曜日の視聴率の発表が待ち遠しくてなりませんでした。

往々にして期待しすぎるといささか落胆させられることがありますが、この日は予想に違わぬ数字が出て、本当にほっとしました。まだまだ視聴者の皆様がこの番組に期待してくださっている、と思うとまた一段と元気が出てきて、もっともっと内容の濃い番組にしていこうという気持ちにさせられました。

テレビは視聴者の皆様のご支持があってこそ存在できるものであり、これを励みとしてスタッフ一同さらに頑張っていこうと気持ちを一つにしました。皆様には本当に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

「立川志の輔さん」

このところ立川志の輔さんのライブを見せてもらっています。

志の輔さんは、私がフリーのキャスターになった1985年、私がMCを担当することになった「朝のホットライン」のリポーターオーディションに応募してきて、断トツの評価で採用された人でした。そこから5年間一緒に仕事をさせて頂きましたが、彼は本来業務である落語家として、ありとあらゆる可能性を追求し、古典落語だけの世界にとどまらず、ジャンル拡大のため色々な実験を行いつつ、次第に自身の世界を構築してきて、今日の志の輔ワールドを築き上げてきた努力の人でもあります。

今年20年目を迎えたというパルコ劇場での公演を久しぶりに見せて頂きました。特に伊能忠敬の一生を語った部分は情報としての正確さは勿論、伊能に関わるあらゆる要素が語られていて、最高峰の情報エンタテインメントになっていました。これほどまでに緻密な落語は初めて見ました。これまで如何に苦労をし、いかに苦しんできたかその道筋に少しだけ思いを馳せた次第です。本当に素晴らしい人ですね。

初めて会った時から30年の時を経て、素晴らしい境地を切り開いた志の輔さんに心から敬意を表します。と同時に自分自身の努力の足りなさをしみじみと感じた次第です。

「新年も頑張ります」

2016年が明けました。

かなり温かく穏やかな新春で、逆に何か良くないことが起きるのではと心配になるほど平穏な年の初めです。

今年は、忙しかった昨年の疲れを取り、新年に備えようと自宅で過ごしました。先ずはシルベスター・スタローン出演の新作映画「クリード」を見に行きました。あまり期待はしていなかったのですが、ボクシングシーンになると現実のボクシングよりも遥かに凄い威力のパンチの応酬が展開され、あっという間に引き込まれ、かつ人間同士の心の通じ合いに何度も涙する始末でした。よくできた作品だと思います。

スタローンも年を取りましたが、老いて後遺症も背負った元ボクサーの姿をとてもうまく演じています。そして主人公クリード役のマイケル・B・ジョーダンがフレッシュで将来性を感じさせる演技を見せているのも好感が持てます。敵役となったイギリスのボクサーアンソニー・ベリューも中々の好演で映画を見事に盛り上げています。見て良かったという気持ちになれたのは何よりでした。昨年末に見た「海難1890」も素晴らしい出来栄えの作品でした。双方の製作者たちの努力に心から敬意を表したいと思います。

「新年を迎えて」

2015年を迎えました。

人生に残された日々が次第に少なくなっていく感じもしますが、そのことを余り考えてみても致し方ないので、やはり今まで同様前向きに歩いて行こうと思います。

まず仕事の面でいえば「日立世界ふしぎ発見!」がこの4月で番組開始30年目に突入します。一回一回、悔いを残さないよう更に完成度を高めていきたいと考えております。スタッフの中にも随分若い人たちが増えてきて、「小さいころからこの番組を見ていて、自分で番組つくりをやってみたいと思っていました」という言葉を聞くのが当たり前のようになっているのですが、若い人は若い人なりの鋭い感性を持っている人が多く、彼らの作品に期待することが増えてきて、とても良い傾向だと感じます。視聴者の皆様にもまだまだこの番組を見ていたいと思い続けて頂けるように頑張らなくてはなりません。

また、「主治医が見つかる診療所」もやはり高齢化の中で番組に対する視聴者の期待感が非常に高まってきているおかげで、とても良い反応を頂いています。その分正確で健康づくりに貢献できるような研ぎ澄まされた情報を送り出さなければとスタッフ共々意気込みを高めている次第です。

更に、グリーンチャンネルの「草野仁Gate J. +(プラス)」もより競馬の奥深さが伝わるように力を尽くしていきたいところです。

そう言えば、出身地長崎の長崎市科学館の名誉館長も6年目を迎えます。子供たちの科学への関心を呼び覚ますために今年は思い切り動いていきたいと考えています。

その他、本の出版も予定しておりますし、「がんばらなくっちゃ!」の一年になりますね。そのためには体力の涵養、できれば肉体改造まで行けると良いなと思います。

最後に競馬ですが、愛馬が活躍してG1に手が届けば嬉しいですね。まあ、夢を見ながら前進したいものです。

実はこの3月で個人事務所をスタートさせて丸30年になります。非力な私を様々な形で支えてくださり、支援してくださった皆様に改めて心から御礼を申し上げたいと思います。本当に有難うございます。これからも引き続き御愛顧のほどを宜しくお願い申し上げます。

「今年を振り返って」

2014年も終わろうとしていますが、何とも忙しい一年でした。

レギュラーでお世話になっている番組の方々とは今年もとても仲良くお仕事をさせて頂きましたし、他にもさまざまな番組に出演させて頂き、そこで多くの人たちとの出会いがあり、更には全国各地から講演のご依頼を賜り、色々なところを旅しました。

11月に人口が6000人を切っている福島県天栄村に伺ったとき、村で作っている天栄米が米の食味コンクールで5年連続金賞を受賞していると聞いて驚きましたが、後日実際に味わってみると本当に美味しい米で、流石5年連続の金賞受賞米だと納得いたしました。村ではこの他にもヤーコンや長ネギを特産品として売り出しており、更にブリティッシュヒルズという立派な建物を作り語学研修、企業研修に利用してもらえるようにしているほか、村の子供たちも英語に親しめるよう環境作りを進めているのです。この他にも自治体としていかに個性を発揮していくかについて、皆苦労しながらも力を尽くして頑張っていらっしゃいます。安倍政権が目指している地方創生にエンジンがかかると良いなと思った次第です。

また、秋には我が出身地長崎で開かれた「長崎がんばらんば国体・大会」に式典アドバイザーとして力を尽くしました。台風19号の接近などで心配されたのですが、結局災いなく無事に終えることができてほっとしました。しかも県の関係者を中心に素晴らしいチームワークが出来上がり、両イベントは他県からも高い評価を頂けたということで嬉しい限りです。

振り返ると、特に10月、11月は殆ど休みなく働いていて、改めてまだまだ体力は十分有るなとも思ったのですが、過信をせずに頑張っていきます。

「長崎にて」

先週末長崎に出かけました。

30日土曜日は長崎国体のボランティアの皆さんに「おもてなし」についてのお話をしてほしいというリクエストを頂戴して、「おもてなし講演会」と題してお話をさせて頂きました。

人はさまざまな思いでおもてなしを行い、一方おもてなしを受けた人はその気持ちに感謝をしますが、完璧なおもてなしというものはなかなかできるものではありません。であれば、更に喜んで頂くにはどうしたら良いのか。受けた人にとって一生忘れられない素晴らしいかたちのおもてなしというものを目指していくことがとても大切なことだと思います。

そもそもサービスというものはマニュアルに沿ってやっているだけで良いものではないはずです。やはり真心を込めて自分にできる限りのことを精一杯することが最も肝心なことだと思います。相手の期待に応えるだけでなくその期待を超えるおもてなしができたとき、より一層の感動や感激が生まれるのではないでしょうか。

特に想像もしていなかった小さな子供が発揮するもてなしの威力はすごいものがあります。もう3年以上も前に、山形県の山寺で1100段余りの階段を上り下りして、山門に辿り着いて一休みしていたとき、地元の小学生と思われる姉妹二人がそばに寄ってきて、「お疲れさまです。宜しければこれをお召し上がりください」と素敵な微笑とともに、かごに入ったおかきを私に差し出してくれました。大人が繰り出すような丁寧な言葉使いでおやつを振舞ってくれたのです。あれほど感動したことはありませんでした。

翌31日日曜日、私が名誉館長を務める長崎市科学館が17年かけて250万人の来館者を突破した記念のセレモニーに出席しました。長崎市の田上市長や科学館の皆さんとの楽しいトークショーが行われ来場者の皆さんもとても喜んでくださいました。任期の間は精一杯頑張って更に賑わう科学館にしなければなりません。ベストを尽くします。

「初孫」

7月20日、私に初孫が出来ました。

大変な難産でしたので母体が大丈夫だろうかと心配したのですが「母は強し」ということなのですね、産後も元気いっぱいで周りもほっとしました。生まれたばかりの赤ちゃんを目の当たりにするのは本当に久しぶりのことですが、何とも可愛い赤ちゃんで見ていて飽きません。

今から40年以上も前、自分の子供が誕生したときのことですが、それまで生まれたての赤ちゃんを見たことがなかったため(赤ちゃんは粉ミルクのCMに出てくるように色白でぷくぷくした可愛いものと思い込んでいました)、いざ生まれた子を最初に見たときには正直あまり可愛いとは思えなかったのですが、こうして立場が変わり孫として客観的に見てみると本当に可愛いものですね。顔立ちもなかなかよさそうですし、指が長くて器用そうですし、脚も長そうで大きくなりそうです...

と途端に爺馬鹿になってしまったようですね。

「誰も書かなかった武豊 決断」

作家の島田明宏さんが上梓した「誰も書かなかった武豊 決断」を読みました。

島田さんは武豊騎手を25年にわたって取材し、海外遠征にも同行し、ずっと武騎手を一番間近で見守ってきた人です。常に取材対象に敬意を抱き、適正な距離感を保ち、ジャーナリストとしての冷静な目を失わない島田さんの生き方が何よりも武豊騎手の信頼を得て、二人の間にとても素晴らしい関係が出来上がっているのです。そこに描かれた武豊像はまさしく等身大の武豊さんです。これまでのさまざまな場において武騎手がどう考えどう行動してきたのかが分かり易く精緻に描かれていて、それを知るとより一層武ファンになってしまうことでしょう。

天才といわれる人が基本的に物事をどう考え、どう処理していくのか私たちにとってもとても参考になります。読み終わって元気を与えられると同時に何とも言えない爽快感を覚えました。それは誰よりも親しい関係にあるのに、そのような感じを読んでいる人に微塵も感じさせない島田さんのジャーナリストとしての姿勢が貫かれているからだと思いました。多くの皆さんに読んでいただけたらと感じています。

「悲劇を避けるためにも」

韓国のフェリー沈没事故は想像以上の犠牲者を出す大惨事になってしまいました。事情が明らかになるにつれて、危険を回避するためのさまざまな手当てがほとんど行われていなかったことが分かってきました。

まずは事故が起きたときの乗組員の行動が何とも納得がいかないものでした。何をおいても乗客の安全を図ることが海で生きる人間の大原則ですが、15人のうち、12人の乗組員が乗客よりも先に脱出していたというのです。中でも船長は真っ先に一般人を装って海洋警察の船に乗り込んでいたとか。また乗員が非常時の訓練を受けたことがなかったというのも驚きです。荷物や自動車を規定より多く載せて運航することも当たり前のように行われていたとも伝えられます。

この一件を朴政権がどう処理するのか非常に注目されます。こうしたケースを参考にして日本でも同種の仕事をされている人たちには、今回のようなことが起きないように常に万全の態勢を取ってもらえればと願います。人間というのはついついミスをしてしまうことがあるからこそ、それに備えた危機管理体制をとっておく必要があるのです。

「リベンジ・マッチ」

先日、ロバート・デ・ニーロとシルベスター・スタローンが主演した新作「リベンジ・マッチ」という映画の試写会に行きました。

かつてボクシングでチャンピオンの座を賭けて相争っていた両雄が遺恨を残したまま引退。全く異なる人生を歩んできたのですが、ひょんなことから30年ぶりに両者が雌雄を決することになるという驚きの設定。共に60代の二人がボクシングで対決ということですが、正直一体どんな映画になるのだろうと少し心配しながら見に行ったのです。

ところが、映画が始まってみると今の時代状況を反映した要素がきちんと取り込まれていて、ストーリー展開も見事。そして対決までの二人のトレー二ングも見ものであり、そこには人間ドラマもしっかりと盛り込まれていて、なんとも見事な映画に仕上がっていたのです。

素直に楽しめて、涙もあり、笑いもありの最高の娯楽映画になっていました。この何年かで見た最も楽しめる映画だったと言えます。デ・ニーロもスタローンも本当に良く頑張った映画で心から賛辞を送りたいと思います。機会がありましたら是非ご覧いただきたい作品です。

「いつまでも寒いので・・・」

今年の冬は寒さが厳しいなと感じさせられます。というより寒さが例年より長続きしています。異常気象は地球規模のようで、アメリカのテキサス州では、摂氏26度あった翌日に気温がマイナス7度に下がったとか、もの凄い変わり様ですね。

昔、プロ野球のキャンプを取材していたころは、キャンプインの2月初旬は宮崎や高知でも結構寒く、大変な思いをしたこともありました。それでも日が経つにつれ、少しずつ気温が上がり始め、下旬にかかるころになると一気に温かさを感じさせる日が出て来て、ほっとさせられることが良くあったものです。

でも今年ばかりはいつまでも寒いですね。あす5日にはまたまた雪が降るのではという予報が出ている始末です。今年は思い切りウォーキングを楽しもうと思っているのにこの寒さではちょっと躊躇してしまいます。我が家の愛犬たちも早く散歩に出たいと私の顔を見上げるばかりです。目標としては、毎日1時間くらいはウォーキングをしようと考えています。

「古希を迎えて」

先月24日、とうとう私は70歳の大台に乗りました。つまり古希というわけです。

普段は年齢のことなどすっかり忘れて生活しているので、皆さんからおめでとうございますと言われると「あぁ、こんなにもロートルになってしまったのだなあ」と感じてしまいます。

ちょうど同日、日本テレビの「ZIP!」の中で今日誕生日を迎え70歳になった有名人は誰でしょう、というクイズが出され、私の名前が解答だったそうで、ご覧になった本当に多くの方々から「古希おめでとうございます」という祝福の声をかけて頂きました。この仕事をしている人間としてとても嬉しいことでした。

担当番組では、「日立世界ふしぎ発見!」、「主治医が見つかる診療所」、そして「草野仁のGate J. +(プラス)」とそれぞれの番組から御花やケーキを頂き、盛大にお祝いをして貰って最高の幸せ気分に浸らせて頂きました。また「THEワイド」で長く一緒に仕事をした森富美さんから、そして「草野仁のスタジオGate J.」でこの間までコンビを組んでいた梅田陽子さんからも素敵な花束を頂戴しました。

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さらに私の事務所で開く「古希お祝いの会」に日頃から親しくさせて頂いている警視庁幹部級の警察官の皆さんが18人もサプライズ参加をしてくださり、古希を祝福してくださいました。自分はそれほどの価値がある人間でもないのにこんなにも多くの方からお祝いをして頂けている、人間というのは本当に多くの方々に支えて頂くことで生きていくことができるのだということをこれほど強く感じたことはありませんでした。改めてお付き合いをしてくださっている全ての皆さまに心から感謝の念をお伝えしたいと思います。

と同時に、もっともっと努力して皆さまのご期待に添え得る人間にならなくてはと考えた次第です。本当に皆さまありがとうございました。今後とも御指導のほど宜しくお願い申し上げます。

「大雪で・・・」

大雪に見舞われた8日、昼過ぎに仕事で天王寺スタジオに出掛けました。大渋滞を考慮して予め予約していたタクシーでスタジオ入りの約束の時間の何と2時間前に到着してしまいました。皆さん雪を警戒して車に乗るのを控えたようでした。

そして収録もスムーズに終わり、20時20分頃、帰りのタクシーに乗り家に向かいました。首都高を経由して我が家まで掛かっても1時間半くらいだろうとふんでいたのです。最初車は順調に進みましたが、渋谷を過ぎて暫く進んだところでパタと車が止まりました。

そして停まったまま、ほぼ50分全く動かなくなりました。運転手さんに交通情報を聞いてもらってもはっきりしたことは分からないようで、少しいらいらし始めたところで車が僅かに動き始めました。とはいえ、これは良かったと思った瞬間5、60メートル進んだところで再び停車。今度は道路公団やNEXCO中日本に問い合わせても、自動応答メッセージに切り替えられていて情報を得られないまま、更に2時間20分くらい1センチたりとも動かなくなってしまったのです。

普通であれば後方から首都高速か道路公団の車がサイレンを鳴らして走って来て渋滞のポイントに近付いて何らかの処理をするはずですが、この日は全くそして一切動きなし。合わせて高速上で4時間以上立ち往生の時間を寂しく過ごすしかありませんでした。その後東名は動かなくなっているということで、漸く一般道路に降りて走りましたが、道路上次々に動かなくなる車の続出で、結局家に着くまでの所要時間は5時間20分でした。

致し方の無いこととはいえ、朝からあれだけの雪が降って積もっている中で車を出すのであればそれ相応の備えをして出なければならないと思いますが、あれだけたくさんの車が走行不能に陥ったことから見るとやはり利用者の備えが甘かったことが一つ。そして首都高速公団や道路公団が迅速な対応ができていなかったことが混乱を大きくしたと思います。利用者側としては料金を払って利用しているので、情報の的確な伝達を含めたサービスをしっかりと行ってほしいものです。

「今年の抱負」

暫くブログをお休みしていたので久し振りになりますが2014年の抱負から始めたいと思います。

今年は誕生日がやって来ると何と私は70歳になります。今まで自分が70歳になったらどうしようなどということはほとんど意識したことはありませんでした。益々高齢者になることを実感します。

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今年は1月1日、国立競技場で行われる天皇杯サッカー決勝戦の日に、日本サッカー協会と警視庁が手を携えて反社会的勢力を排除し八百長試合の発生を防ぐためのイベントを行うことになり、警視庁からご連絡を頂き私も参加することになりました。

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決勝戦開始の1時間前、制服姿で登場し、会場に集まった大観衆に向かって短い趣旨説明を行い、その後競技場内を白バイ隊の先導でほぼ1周するというものでした。当日はお天気も快晴、気温は15度くらいまで上昇したので最高のスポーツ観戦日和でした。多くのお客さんが私の登場に少し驚きつつも、場内を行進する私に、「草野さーん」「こっち向いて」「手を振って」などたくさん声をかけてくださいまして、本当に心地良いイベントになりました。勿論大観衆の入った観客席を見ながら競技場内を歩くなどというのは初めての経験ですから、年頭から素晴らしい体験をさせて頂いた次第です。

さてさて70歳になったらそれらしい風格が身につくように努めなければと思います。そのためには慌てず騒がず常に悠然としていて、依頼されたことは何でもきっちりこなせるようでなくてはなりません。これから益々色々な分野で一層の勉強をしなくてはならないということでもあります。

そして競馬でもよい成績を上げなくてはと思っています。きちんと緻密な戦略を持って臨みます。また今年後半の大きな仕事である長崎国体を何としても成功させなければなりません。最高に充実した一年にしたいものです。

「VINTAGE GARAGE」

今日はお昼にJ-WAVEの番組に出演することになり六本木ヒルズに向かいました。

生放送ではなく来年の1月12日18:00に放送されるロバート・ハリスさんが司会を務める「VINTAGE GARAGE」という番組の収録のためでした。車に乗って六本木から渋谷、そして六本木に戻って来るまで車中で色々と話をするというものです。司会のロバート・ハリスさんとは初めてお会いしたのですが、とても素敵な方で何とお父様はラジオの英語講座で長く放送を続けられたJ・B・ハリスさんだと聞きびっくりしました。イギリス人のクォーターというハリスさんは日本語も巧みでさすがとても情報通な方です。

「話す力」を書く経緯や、NHKを辞めるにいたった経緯を語り、趣味やフリーな時間の過ごし方など自由な発言をさせていただきました。オンエアされるのがどんな内容になるのか気になりますし、楽しみでもあります。お聞き頂けますと嬉しいです。

「梅田陽子さん ありがとうございました」

昨日、グリーンチャンネルの「草野仁のスタジオGate J.」の公開収録を行いました。

2013年の最後は矢崎滋さんをゲストにお迎えしてとても楽しいトークになりましたが、一緒に司会を担当して頂いていた梅田陽子さんがこの回でこの番組から卒業ということになりました。そこで収録後、忘年会を兼ねた梅田さんのお別れ会が開かれました。

実は梅田さんとはこの番組で初めてお仕事をすることになったのですが、不思議なことに昔からの仲好しコンビのようにいつも自然体で仕事ができました。梅田さんの持っている雰囲気がとても爽やかで、細やかな心配りを絶やさず優しさに満ちていて、こんなに心地良く仕事をさせて頂いたのは本当に久々のことでした。誰でも時にテンションが高くなりすぎて空回りすることがあるものなのですが、梅田さんは決してそんなことはなく、私と一緒にこの番組を盛り上げ、より良いものにして行こう、という思いに常に満ちていて、本当に素晴らしいアシスタントでした。

更に感心したのは、決して他人を悪く言わないことです。それは他人に対する優しさであり、自分自身の気持をきちんとコントロールできる人だということです。一緒にいていつもほんわかとした良い気分にさせてくれる梅田さんはとても貴重な存在でした。三年間御一緒できたことに心から感謝しています。ありがとうございました。

「話す力」 お陰様で売れ行き好調です

10月1日に出版した「話す力」が良く売れているので再度増刷すると出版社から連絡が入り、嬉しくなりました。

前々から思っていたのですが、話すことを生業とするなどとは思いもかけていなかった私がアナウンサーとなり、しかもその仕事をこうして46年間も続けて来ることができたのは、偏に話すことを一から自分で組み立てて、少しずつ上達することができたからであり、それは誰にでも同じことができるということでもあるのです。

読んだくださった方々からも「読みやすくできているよ」と言って頂いたり、同業者の方々からは凄く参考になったよと言って頂いたり、本当に良かったなと胸をなでおろしています。この世に生まれた以上、どんな人でも話をして自分の気持ちを伝えていかなくてはならないものだと思います。もしお時間と機会がありましたらお目通し頂けますと幸いです。

「草野仁 トークショー&サイン会」

小学館新書 新・装・刊!「話す力」刊行記念  
草野仁 トークショー&サイン会
本日19:00から高田馬場の芳林堂書店にて行われます。

ご都合がつきましたら是非お越しくださいませ!

小学館新書 新・装・刊!「話す力」刊行記念  
草野仁 トークショー&サイン会

「『話す力』、明日いよいよ発売されます」

いよいよ今年も残りあと3か月となりました。

ところで明日10月1日火曜日、小学館新書から「話す力」というタイトルで私の新著が発売されます。

私たち日本人が話し言葉を使って自分の思いが理解されるようにと思ってする「話す」という日常的な行動は、満足のいくレベルに到達できることが意外に少なく、むしろ「もっと上手に言うべきだった」とか「もっと理解されるような表現ができなかっただろうか」などいった反省をすることが多いのが現実だと思います。

歴史的にみても欧米のように古くから修辞学のような学問があったわけではなく、日本には独特のコミュニケーション文化が育まれてきた事情もありますが、今日の国際化された時代においてはもはや「話下手」だからという弁解は通用しなくなってきていると思います。ではどうしたら自分の考えていることを周りの人たちに正確に伝えられるようになるのか、そのことについて認めたのが本書です。

決して難しいことではありません。結婚式でのお祝いのスピーチ、PTAの会合での意見、また会社のプレゼンなどといった機会は誰にでもやってくるはずです、そのときに自分で話す内容を練り、どのような表現を使い、どのような言葉でアピールするのかについて真剣に考え、エネルギーを費やして取り組んでみましょう。ひとたびそれが習慣になれば、少し時間はかかるものの、次第に表現は上達し、周囲の人たちにより良く理解されるものに変わっていくものです。

私自身が自信を持ってそう言えるのには理由があります。大学を出てNHKに入るとき、私は取材記者になるつもりで入社試験を受けました。でもどういうわけか「アナウンサー」として採用される羽目になったのです。

本当に困りました。何故なら自分は長崎の田舎の出身で、人前で話をすることなど決して好きではなく、そんな仕事が務まるはずがないと思い込んでいました。ところが就職試験を一つしか受けていなかったため、無理だとは思いつつも結局はNHKのアナウンサーとして社会人生活をスタートすることになったのです。

なりたての頃、言葉のアクセントやイントネーションなどを克服するのに苦労はありましたが、いざ始めてみると、話すことに工夫をすればするほどより相手に伝わるものになっていくことを感じ、とてもやりがいのある仕事だということに気が付きました。楽ではないのですが、充実感を持てる仕事であると思えるようになり、前向きに進むことができました。

標準語一つ満足に話せなかった人間がこのように皆さまにお話しをして情報をお伝えする仕事を何と46年も続けてくることができました。と言うことは、誰でも少しずつ工夫をし、努力を重ねていけば、必ず話し上手になれるということです。私自身の体験がそのことを証明しています。

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この本をお読み頂き、ノウハウを掴んで頂けましたら嬉しいです。是非皆で話すことの楽しさを語り合いましょう。

「素敵な一夜」

昨日、スリランカ駐日大使公邸に伺いました。

これは先々月、「日立世界ふしぎ発見!」でスリランカを取り上げて放送したことが縁となって、番組出演者ならびにスタッフがご招待を受けたのです。放送をご覧になった方は覚えていらっしゃると存じますが、1951年のサンフランシスコ講和会議で、スリランカを代表して初代スリランカ大統領になったジャワルナダ氏が「敗戦国日本を攻めて傷つけてはならない。日本と同じ仏教徒の立場から、日本が再び立ちあがれるよう慈悲の心で国際社会への復帰を果たさせよう」と主張し、それによって日本に寛大な措置が取られたという歴史的事実を放送したところ、視聴者の皆様から「そんな大切なことを私たちは全く知りませんでした。知らなかったことはとても恥ずかしいことです」といった趣旨の感想がたくさん寄せられました。更に「スリランカに対して私たちは恩義を忘れてはいけない」「もっと友好関係を発展させなくては」など、学校教育の中で大切なことを教えられてこなかったことへの不満や反省を伴う大きな声が数多く届けられたのです。

番組のロケでは多大なご協力とご支援をスリランカ大使館から頂いたのですが、日本での大きな反響もあって、「両国の友好のために本当に頑張ってくださいましたね」とカランナゴダ大使からご招待を頂くことになりました。そして、黒柳さん、野々村さん、その回のミステリーハンターを務めた坂本三佳さん、アナウンサーの出水さん、そして私と番組スタッフで伺うことになりました。

カランナゴダ大使は番組にも登場して頂いたのですが、昨日はホストに徹してくださり、終始明るく楽しい雰囲気を作り出してくださいました。

まず驚いたのは、大使はスリランカで38年海軍に勤め、最後は海軍大将になられた方だったのです。しかも25年に渡ったタミル系テロリストたちとの内戦を終結させたスリランカの英雄でもあるのです。そのような方が日本の大使になられているということはスリランカがいかに日本との関係を重要視しているかを物語るものでもあります。

そして2年前、東日本大震災の直後に着任して、5日後には被災地気仙沼に行き、合わせて4回もの炊き出しも行われました。その頃被災地は放射能の危険性ありと判断した日本駐在の各国大使のうち32か国の大使たちが日本を離れて安全を確保しようとしていたときでした。さすが命をかけて軍務に努めてこられた方です。感激いたしました。その行動力と意気込みは正に男の中の男だと感じます。ルックスも素晴らしく若々しくユーモアを交えながら楽しい話をしている大使を見ていて、惚れ惚れするような素晴らしい方に巡り合えたことに感無量でした。

微力ですが、日本とスリランカの友好親善に貢献できるようにこれからも頑張りたいなと思った次第です。まだ訪れたこともないので、一度スリランカには行ってみたいですね。

お料理もとても美味しく、とても充実した素敵な一夜でした。カランナゴダ大使、大使夫人、次席大使のメンデスさん、そして大使館の皆さま、本当に有難うございました。

「レストラン日本」

先週ニューヨ―クに行ったのにはもう一つ理由がありました。それは倉岡伸欣さんが経営する「レストラン日本」がこの8月で創業50周年という素晴らしい節目の年を迎えるのでお祝いをしたいという思いがあったからでした。

「レストラン日本」の存在を知ったのは2006年の夏に松井選手の取材をしたときで、彼の行きつけの日本料理店がこの「レストラン日本」だったからです。彼が良く注文するメニューを私も味見してみましたが、これがどれもこれも本当においしかったのです。さらにそのとき、「松井選手のお母さんのカレー」という一品をご紹介頂きました。これは松井選手が小さいときから大好きだったお母さんのカレーを再現すべく、彼のお母さんからレシピをもらってレストラン日本で作られたもので、私も頂きましたが凄く気に入った思い出があります。

倉岡さんは慶応義塾大学を卒業してアメリカに留学、色々な体験を積まれて50年前ニューヨークに日本料理店「レストラン日本」を開業されました。当時は日本食のお店など殆どなく、日本から派遣された商社の人たちは食事もままならない状況だったといいます。そこで彼らに美味しい日本食を味わってもらって思い切り良い仕事をしてもらおうと考えて開業することにしたのだそうです。

しかし始めてみると食品業界やレストラン業界の現実に直面し、大変な苦労を重ねたそうです。でも負けじ魂は人一倍。一つ一つ壁を乗り越えて前進し、やがてその存在が注目されるようになり、現在では幅広い人種的民族的バックグラウンドを持つ人たちを雇用して業界でも高い評価を受けるようになり、今年50周年記念の日を迎えることになりました。

驚くのは、倉岡さんは今日もよりよい食材を求めて世界中を渡り歩いています。そば一つを作るのにもカナダに畑を買ってそばを栽培することから始めました。そこはかつて痩せた土地で大変だったようですが土地改良を進め、より良質のそばを作り出すことに成功しました。さらに日本中のそばの名店を回って美味しいそばの打ち方を研究。とにかくやり始めたら極限まで到達しなければ気が済まない性格で、お客様サービスの徹底に打ち込んできました。

その生き方が次第に高い評価を受けて、新しい駐日大使に決まったキャロライン・ケネディさんや故マイケル・ジャクソンさん、ブルームバーグ市長に支持され、今や政界からショービズに至るまで著名なアメリカ人までも集う場所にもなっているのです。あらゆる苦労を乗り越えてここまでのお店を作り上げられたその御努力には本当に心から敬意を表したいと思います。

「2013 パリ祭」

去る14日、今年で51回目を迎えるシャンソン界の集い「パリ祭」がNHKホールで行われ、何とその歌い手の一人として小生が出演しました。

元はと言えば、故石井好子さんとのお付き合いから、昔何度か歌い手としてイベントに出演したことがありましたが、NHKホールでの催しには初めて声をかけて頂いたのです。

今年はエディット・ピアフ没後50年という節目の年で、シャンソン界にとってはとても意義深いイベントでした。第一部、第二部と分かれ3時間半の長丁場です。私の出演は第二部の終わり近く、「思い出のソレンツァーラ」そして何故か「最初から今まで」の2曲を歌うというものでした。

NHKホールという本格的な舞台でのコンサートは初めてのことだったので、緊張はしましたが、根が図々しいからでしょうか、いざ舞台に立って見るととても心地よく、いつもの感じで歌い出すことができました。一曲終って短いトークを挟み、次の曲「最初から今まで」を自分で紹介しますと、照明の関係で全く見えない客席から「え、その曲をほんとに歌うの」といった感じの小さな驚きの声が伝わってきました。

ワンコーラスは韓国語で、ツーコーラス目は日本語で歌うととても良い反応が伝わってきました。歌の巧拙はともかく、その心は伝わったような気分になったのです。尊敬する船村徹先生が仰る「歌は心で歌うもの」という気持ちだけは貫けた様な気がします。

エンディングで戸川昌子さんや、加藤登紀子さんからよく頑張ってくれましたとのお言葉を頂き本当にほっとしました。シャンソンの世界も大勢の歌手の皆さまが本当に力強い努力を続けてこられ、大勢のファンの皆様がそれを支えていらっしゃるということが実感できた素晴らしい体験でした。

「転職」

先日東京ドームシティのプリズムホールでトークショーを行いました。

この日は会場で転職フェアが行われ、何と4000人を超える人たちが詰めかけていて熱気に満ちていました。思えば私が就職した40数年前は就職すればその会社に定年まで勤めるのが当たり前という時代でしたから、転職というのは余り考えられないパターンでした。

しかし時代は確実に変わり、転職することは珍しくもなく、いやむしろ転職のたびにグレードアップして行くという生き方も良いと考えられるようになって来ているのですから、転職フェアが賑わうのは当然ですね。

トークショーでは、私自身も広い意味では転職体験を持つ身なので、NHKを辞めた経緯も含めてお話を致しました。普通私たちは進学や就職を前に自分を冷静に見つめ進路を決めて行きます。決めた方向そのものに間違いは無いのですが、その方向だけにしかその人の適性は無かったのかと言われれば、それは決してそんなことは無く、概して人間というものは実は様さまざまな能力を持って生まれついて来ているはずです。と言うのも、私の印象では、実社会で成功している人の中で最初から真っ直ぐその道を目指してきた人よりも、紆余曲折の末に人生の生業を得た人の方が結構多いと感じるからです。

ですから、就職してみて仮に上手くいかなかったからと言って焦ることも慌てふためくこともないのです。もう一度自分を見つめ直して照準を定めて前に進めば必ず道は開けるものです。その代わり、一球入魂、全精力を集中してそのことに臨まなくてはならないことは当然のことです。

「ハワイでのセレモニー」

先週末ハワイに出掛けました。

次男がハワイで結婚式を挙げることになったからです。新郎新婦二人で相談して色々と細かく式場から式次第まで決めたとのことで、私たち家族はただホノルルに来ればよいということでした。

さてホノルルに着いてみると、ちょっぴり暑いけれど空気が乾いているので日陰に入れば何の問題もありません。ホテルの部屋から見る海の景色はいつ見ても素晴らしく心を和ませます。

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そして式当日、コオリナの式場はまだ新しく、会場の中から神父が立つ方向にガラス越しの美しい海が見えるという何ともお洒落なもので、式が終わってチャペルを出てフラワーシャワーを受け、すぐ目の前のこぢんまりとした素敵なビーチに移動して出席者全員で記念撮影をするなど、何とも言えない心地よい開放感の中で時を過ごすことができ、「こういうスタイルの結婚式も良いものだね」と皆で語り合いました。

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その後同じ会場で披露パーティーを行ったのですが、お料理のおいしかったこと。これは全員が口をそろえて賞賛していましたので間違いありません。結論から言うと、ハワイで行って良かった、忘れられない思い出ができて本当に良かったと思います。あとは新郎新婦の二人がその感激を忘れずにしっかり生きて行ってくれることを望むしかありません。

「チャグチャグ馬コ」

先週末は岩手県に出掛けました。担当する番組で「チャグチャグ馬コ」の催しを取材するためでした。

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まず出発点の滝沢村に向かいました。前日なのに主催者側から出場馬の装束説明会、そして神社の近くを行進するミニパレードが午前と午後の2回行われ、雰囲気を盛り上げます。観客も結構集まって説明を聞き、またカメラで色々な角度から撮影を行います。今年の出場馬は87頭(去年は90頭)。イメージしていたサラブレッドのような馬ではなく挽曳競馬に登場するペルシュロンやブルトン種の馬で、体重はサラブレッドのほぼ2倍の1トンくらいはある馬ばかりで、大きさに圧倒されてしまいました。その馬にそれぞれの飼い主が鮮やかな彩の装束を纏わせ、大きめの輝く鈴をたくさん付けて豪華感を醸し出します。そして馬に乗るのは大体男の子か女の子です。それを手なれた馬のオーナーや補助員が挽くのです。

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いよいよチャグチャグ馬コの当日、朝9時半に87頭が神社を出発します。沿道には朝早くから詰めかけた観客、カメラマンなどが拍手を送る中、13キロ先の目的地、盛岡八幡宮に向かってスタートしました。沿道は人が途切れることは無くおよそ10万人の人たちで埋まっています。

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416年前の故事から始まったと伝えられるこの行事、昔からこの土地では人と馬とが力を合わせて生きて来たことを象徴するように、皆が、馬にとても優しく、馬もそれに応えるようにとても人に従順です。息の合った人と馬とがゆっくり歩くので、中にはずっとついて歩く人もいるほどです。

その他、南部曲がり屋も取材させて頂き、昔からの人と馬との共生してきた様子がよく理解できて、何かとても温かい血が通ったお祭りだと思えたので、好きになりました。世界を見渡しても珍しいタイプのお祭りなので、もっと世界に向けてアピールしても良いのではないでしょうか。また機会があればぜひ出掛けてみたいものですね。

「精力的に頑張っていますね」

横浜で行われていたアフリカ開発会議が終わりました。

何と言っても目立ったのは、安倍総理大臣が4日間で39カ国の首脳と会談を行ったということです。首相就任後、外遊も含め本当に精力的に各国を訪れ、経済関係の緊密化を図るために精力的に頑張っている様子はとても好印象です。

ふと考えると民主党時代の3年余りは一体何だったのだろうと思ってしまいます。今後大きな発展を遂げる可能性を持ったアフリカには、例えば中国はだいぶ前から1兆円単位の投資をし、1万人単位の人を送り込んでダイナミックな動きを展開してきました。

日本としては遅れはしましたが、これから日本の良さを理解して貰い、その上で双方の関係強化のために努力して行かなければならないと思うのです。そのための第一歩を踏み出した安倍政権の取組みぶりには引き続き注目をしたいですね。これからが正念場になるので。

「東京ディズニーリゾート30周年"ザ・ハピネス・イヤー"プレビューナイト」

先週12日金曜日夜、久し振りに浦安方面に向かいました。「東京ディズニーリゾート30周年"ザ・ハピネス・イヤー"プレビューナイト」に行くためです。

夜7時からオープンということでしたが、6時過ぎに現地に到着。入場前に旧知の多くの芸能界の皆さんと顔を会わせました。皆さん大きな期待感に胸をふくらませて来ているので、お顔を拝見するとまるで少年少女時代に戻ったような表情です。と言うことは自分もそうなのでしょう。
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開場と同時に大きな人の塊がゲートをくぐりシンデレラ城へと向かいます。中にはダッシュしたり、小走りになったりする人もいて、大人なのに童心に帰っていることが分かります。今回は私と家内、そして次男夫婦の4人で来ました。と言うのも、私達夫婦ではどこから回れば良いのか分からないので次男夫婦に案内して貰おうということになったのです。
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シンデレラ城手前のさまざまなグラスなど、あるいはクリスタル製品などのお土産館、金製品の館などをゆっくり見て、まずは腹ごしらえとばかりにレストランへ。やはり同じ思いの人も多くほぼ満席状態です。そこにミッキーをはじめドナルド、チップとデールなどのキャラクターたちが全てのテーブルにやって来て愛嬌をふりまき、そして一緒に記念撮影に応じるという特大サービスをしてくれたのです。年甲斐もなくこれには感激しましたね。もし自分が少年だったとしたら一生忘れられない思い出になったでしょう。

また、印象的だったのはパレードですね。スケールが大きく、夢が溢れいつまでも終わりなく続く感じのパレード。やはりディズニーランドはスケールが大きく素晴らしいと心から思ったものです。あとは乗り物に乗ることができたらもう言うことは無いですね。時間ができたら是非また行ってみようと思いました。

「雲仙」

今月3日から5日にかけて(仕事ですが)長崎を旅してきました。

まず雲仙。やはり日本で第一号の国立公園に指定された雲仙国立公園がある場所だけあって、優れたポイントを結構もっているところです。地下のマグマの活動が今も盛んなことで、地獄という名の噴気が高々と立ちのぼる一帯がとても迫力に満ちていて、凄いと感じさせられました、別府や箱根など噴気の立ちのぼりはありますが、一つのゾーンにこういう場所が存在するのはここだけのようです。一方、かつてキリスト教に帰依した人たちを改宗させようとこの地獄に漬けた悲しい歴史が思い出され、人間とは愚かなことをしてしまうものだとの思いも重なりました。

宿は昔から良く知っている宮崎旅館に宿泊。実に風情のある心安らぐ宿でした。

近くの小浜温泉にも寄って長崎名物ちゃんぽんを食してみたのですが、これがなかなかの美味しさでした。

この雲仙も二十年余り前の雲仙普賢岳災害で客足が落ち、ピーク時年間90万人を超えていたのに今や40万人を下回る有様だそうです。あの火山活動が雲仙普賢岳災害と呼ばれたために雲仙温泉は危ないと判断されて、修学旅行を中心に旅行客がばったり途絶えたというのです。でも実際に危なかったのは普賢岳の東側島原市や有明海側の地域で、反対側にある雲仙温泉は全く危険でもありませんでした。正しく風評被害に泣かされたということなのです。春はミヤマキリシマ(つつじ)が咲き乱れ、夏は避暑地として輝き、秋は紅葉の美しさが引き立ち、冬は霧氷が幽玄なムードを醸し出す本当に奥の深さを持った雲仙なのです。

長崎県が観光立県を目指そうとするのであれば、この雲仙を大きなセールスポイントに出来るか否かが大きな分かれ目になるのではないでしょうか。

「節分の日に」

昨日2月3日、高幡不動尊金剛寺での豆まき式に参加しました。

高幡不動尊での豆まきには毎年参加しているというつのだ☆ひろさん、そして今回のゲスト高島礼子さん、山口もえさん、ミス日本の皆さん、それにキティちゃんなどと一緒に豆まきをしました。私自身このような場での豆まきは今回が初めての体験です。

私の出番は11時、13時、15時の回でした。9時過ぎに現場到着。一通り打合せを終え、本番の時間を待ちました。この日はお天気も良くて風が無く、陽が差すと温かくなってきたせいもあり、お客様はどんどん増えて既に11時前に入場制限が出たとのことでした。

さて、出番が近づき、待機していたお部屋を出ると、本殿ステージまで「練り歩き」です。警備の方たちの先導によって、裃を纏った私たち豆まき人たちが歩いていきます。すると沿道にぎっしりと詰めかけた人たちが声を掛けてくださり、「豆を下さい」「豆が欲しい」と手を差し出されます。昨日は日曜日ということもあってお客さんの数も多く、本殿に着くまでに持って出た一升枡が空っぽになるほどでした。

そしてステージ上ではまた新たに枡を頂き、いよいよタイミングを合わせて豆まきの開始です。下で待ち受けている皆さんは慣れたもの、皆それぞれに買い物袋の口を開けたり、中にはコートを開いたりしてそれでキャッチしようとする人もいてとてもなごやかな雰囲気の中で一回目の回が終わりました。

二回目、三回目とお客様は増える一方、「つのださん!」「礼子さん!」「草野さん!」と自分の近い位置に立っている豆まき人にお客様が声をかけてくださり、雰囲気は一段と盛り上がります。お客さんと一緒になって福を分かち合おうとしていた分、時間の経過を忘れ今回の豆まきはアッと言う間に終わりました。出番を待つ合間につのださん、高島さん、京王電鉄の方々と楽しいお話しができたことも幸せでした。

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68歳の豆まき初体験記でした。

「同世代の共通項でしょうか・・・」

昨日、雑誌の仕事で大久保満男日本歯科医師会会長と対談する機会を得ました。

驚いたのはご挨拶を申し上げたときに、「草野さんとお会いするのは初めてではないんですよ、2回目です」と言われて一瞬心の中で、「どこでいつだったっけ」と反応しましたが思い出せず。すると大久保さんは「実は20年以上前、静岡で草野さんの恩師だった故辻村明先生が主催しておられたイベントに協力して、子供たちと一緒に出演したことがあったのです。その時草野さんが司会をしておられましたね」と説明をしてくださったので、ようやくそのことを思い出すことができました。

そしてお話をしているうちに誕生日の話になり、何と大久保さんは昭和17年2月24日生まれ、私は昭和19年2月24日生まれで誕生日が全く同じだったのです。同じ誕生日の方にお目にかかったのは実は二人目です。テレビ東京「主治医が見つかる診療所」のレギュラー出演医師の新見正則先生に次いでということです。お二人とも医学の世界で大活躍の方という不思議な出会いでした。

その後、お話は本題の口腔医学の世界へと入って行ったのですが大久保会長はとても明解に現状と今後の課題を指摘してくださり、順調に対談は終わりました。とても興味深かったのは、お口や歯の問題については全てご存知の大久保会長が「自分の歯をちゃんと使って何度も良く噛んで食べなくてはいけないのですが、実は私早食いの傾向がありましてなかなかそれを改められないで困っているんです」と仰ったとき、同じ年代の男に共通する問題点をお持ちだったのだと少し安心した思いになれたことです。

「さて、今年は」

2013年は大変な寒さの中で明けました。安倍政権が誕生して民主党時代に比べれば社会にやや明るさが戻りそうな感じで、政権交代の効果が伺えます。

勿論、問題が山積していることには変わりはないのですが、解決に向けて色々手を尽くして踏み出していこうとする意欲が表に出ているので、お先真っ暗だったそれまでの政権のことを考えるとまだしもだという印象は否めません。株式市況も元気が出てきていますし、円安も進んでいることでこの時を待っていたと言う方も多いと思います。是非この調子でいい方向に向かって行って貰いたいと思います。

さてわが身を振り返ると、今年は60代最後の一年です。一日一日を大切に生きて行かなくてはとつくづく思うのです。

と言いながらも多分そこまでは緊張感は持続しないでしょうから、またいつの間にかこれまでと同じゆるゆるの生活に戻ってしまう恐れもありますね。その場合は自分でねじを巻きながら前進を図らなくてはと戒めています。今年は「肉体も精神も鍛える」、これが一番の課題です。時間的余裕はないので頑張ってやってみます。残りが少なくなってきたと思うと段々と欲が出て来て、あれもこれもと思いがちですが、節度を持って自分の人生をコントロールしてみようと考えています。珍しく殊勝なことを考えたお正月でした。

「いよいよ今年も・・・」

2012年もあっという間に終ろうとしています。今年もやろうと思ってやり残したことが一杯で、相変わらず進歩が無いなと感じさせられるこの年の暮です。

来年はいよいよ60代最後の年になるので、今度こそやるべきことをやり通す一年にしたい、いや必ずやり遂げる覚悟です。色々計画していますが、先ず体の手入れそしてシェイプアップ。よりしっかりした体に改造していきたいと考えています。

更に、知性を磨く、つまりさまざま幅広く勉強して頭のデータベースをきちんとしたものに仕上げなくてはと考えています。ということは一日一日を大切に生きるしかありません。もうのんびりしている暇は無いのです。

勿論、競馬も思い切り楽しみたいと思います。障害に転向したランブリングローズと3歳馬エスターブレに活躍してもらいたいものです。またリヤンドファミユの飛躍にも期待したいものです。

そしてトーク&ディナーショーもできたら最高ですね。夢が大きすぎましたかね(笑)

「新総理の誕生に思う」

今回の総選挙は民主党の大惨敗で終わりました。政権の座にあった3年3カ月あまり、口当たりの良いマニフェストとは全く相反する政権運営しかできなかったのですからまあ当然の結果ともいえるでしょう。この間に経済も、外交防衛も東日本大震災の処理もどこを取っても上手く運んだことはほとんど無く、国力も落ちるところまで落としてしまったのですから、即刻退場を申し渡されても致し方ありません。

前回の総選挙では自民党も一度は引導を渡されましたが、今回は民主党よりはまだこちらの方がましだという国民の判断だといえるでしょう。安倍総裁が総理大臣になりましたが難問山積の状態には変わりは無く、これからの政権運営が注目されます。ただ打ち出している政権運営の方針を見れば、そこには国家の意志が伺え明確な国家観が存在するところが民主党とは明らかに違っていると思えます。とにかくここで浮上できなければ危ないという瀬戸際なのですから何としても頑張って頂きたいものです。

「福田彩乃さん、さすがです」

先日テレビ番組のロケで福田彩乃さんと一緒に都内を巡り歩きました。

「世界ふしぎ発見!」などでこれまでにもお仕事をご一緒したこともあって、自分とは波長が合う方だなと勝手に思っておりました。

番組の内容は、東京都内5箇所の昔々の写真をもとにそれが今のどこなのかということを捜し当てるという作業で、8時間というタイムリミットの中でやり遂げなければならないという決して簡単ではないものでした。おおよその目星は私が付け、細部については彩乃さんの勘が鋭く働いて見事その場所を見つけ出してくれたのです。次第に彩乃さんが地図の読み方をマスターして最後の詰めをきちんと果たしてくれました。素晴らしいセンスの持ち主だなと感じた次第です。

矢張りこのようなシャープな感覚が無いと物真似はできないなと思いますね。これから物真似だけではなく歌の方も腕を上げていきたいです、と彩乃さんは話していましたが、鋭い感性を生かして新たなジャンルを開拓してくれることを心より期待しています。

「山中伸弥先生」

先日京都に仕事で出掛けました。実は前の晩から珍しく一寸興奮気味で眠りも浅かったような気がします。

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その仕事とはテレビの番組でノーベル賞医学生理学賞の受賞が決まった山中伸弥京都大学iPS細胞研究所所長にインタビューすることだったのです。受賞決定後、山中先生のところには各方面から取材が殺到して捌ききれないほど大変な状況にも拘らず、私たちの番組に多大な配慮をして頂きました。

館内に入りますと、決して大きな建物ではありませんが多くのスタッフのいる部屋がオープンスペースになっていて広々とした印象を与えます。山中先生の発案でそのような構造にしたのだそうです。日本の研究室の場合は教授単位ごとに部屋が分かれているのが普通だそうですが、そうではなくオープンにすることで多くの人たちがそこで顔を合わせ話ができ、その中から新しいアイディアが生まれたりすることもあるからだということでした。

さてインタビューに入りました。山中先生はとても謙虚な方です。ここまでの研究生活紆余曲折はありましたがスタッフと常に意志を確認し合い、チームで同じ方向を向いてやっていくことの重要性を強調して居られました。iPS細胞の完成にいたる重要なポイントである24個の遺伝子を一緒にして、そこから1個ずつ減らしていって初期化に欠かせないものはどれかを確定すれば良いという妙案を出した高橋講師の発案も凄いことだったと事細かに説明して行く姿勢に、本当に研究者として純粋でとてもフェアーな方だと強く感じました。だからこそできた結束力がこの快挙の基礎になっているのだと強く感じたものです。

山中先生も高橋講師も人間的に魅力あふれる方でしたし、もっともっとご一緒に話を聞いていたいなと思いながら研究所を後にしたのでした。

詳しくは、11月18日(日) 16:00~17:25 
テレビ朝日系全国放送
「山中伸弥教授ノーベル賞受賞!今、知っておくべき医療の新常識SP」(仮題)
をご覧ください。どうぞよろしくお願い致します。

「久々にクラシック音楽」

先週の木曜日久々にクラシック音楽を楽しむ機会を得ました。

いつも親しくさせて頂いているAOKIホールディングスの青木副会長から「草野さんも毎日忙しくしているようですが、たまにはリラックスしないといけませんよ。でないと身体が持ちませんよ。今度我が社で(AOKIではAOKIグル―プハーモ二―コンサートをずっと続けていて今回が15回目)クラシックコンサートをやりますので良かったら聴きに来てください」とお誘いをうけていたので、わくわく気分で渋谷オーチャードホールに向かいました。

開演の30分以上前の時点でもう満員。人気の高さが伺える出足の早さです。それもその筈ですね。大友直人さん率いる新日本フィルの演奏、そしてゲストとして国際的チェリストとして大活躍している宮田大さんを迎え、ドヴォルザークの作品を演奏するということですから聴衆の期待の大きさが分かります。

先ず新日本フィルに宮田さんが加わってドヴォルザークのチェロ協奏曲ロ短調op104の演奏が始まりました。宮田さんのチェロは音がピュアで澄み切っていて、それでいて極めて力強さに満ち満ちています。「チェロというのはこんなにも良い音の出る楽器だったのだ」と再認識させられるものでした。演奏の間中私はずっとその音色に酔いしれていました。

26歳という伸び盛りの年齢見た目にもきりっとして格好良い宮田さん。演奏が終わって拍手はなりやまず、アンコールに応えて宮田さんが選んだのは「荒城の月」。滝廉太郎が作曲した時はメロディーだけ伴奏部分は無かったということですが、原点に戻った骨太の「荒城の月」でした。

続いて大友直人さん指揮の新日本フィルの演奏でドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界より」op95に変わりました。ドヴォルザークがアメリカに招かれ音楽を指導したときに作曲したものなのでしょうが、曲の流れの中でドヴォルザーク自身アメリカの可能性、潜在的な力の凄さを感じ取っていたのだろうなどと連想しながら目いっぱい演奏を楽しむことができました。

クラシックは子供のころから沢山聴いて育ってきたのですが最近は少し遠ざかってしまっていました。久々に聴いてやはりクラシックの持つ力は大きいなと感じつつ家路へと付きました。良い機会を与えてくださった青木副会長に感謝です。

「石川県へ・・・」

今週初めテレビ番組のロケで石川県に行きました。普段から親しくしている松井秀喜選手のべースボールミュージアムを初めて訪れてみました。

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小松空港に程近い能美市にその立派な建物はあります。広い駐車場がありバスで観光客も多く来ていました。今シーズンは途中でレイズとの契約を打ち切られ、アメリカで来季に備え練習とトレー二ングに明け暮れる毎日を送っている松井選手なので、ひょっとしてお客さんも少ないのかなと想像していたのですがそんなことは全くなく、多くの来場者がいてファンの皆さんの温かさを強く感じました。

館内に入ると松井選手のお父様昌雄さんにお出迎え頂きました。昌雄さんとはニューヨークでお会いして以来6年ぶりのことですが、昔からとても親しくしていたかのように打ち解けあってお話しができました。心優しい方であることは存じ上げておりましたが、物腰柔らかでとても丁寧に対応してくださってとても感激しました。また、展示物の量も質も大変豊かでここまでの松井秀喜選手の歩みをじっくり楽しむことができます。

翌日は昔から親しくさせて頂いている今九谷焼の陶芸家中村元風さんのお宅に伺いました。このところ中国で大変高い評価を受けている中村さんのアトリエに入らせて頂き、製作中のとても変わった作品を見せて頂きました。また絵付けの手ほどきを受けトライしてみるなどといった一幕もあります。詳しくは22日オンエアの朝日放送「朝だ!生です旅サラダ」で明らかになります。

「混迷する政界」

民主党代表選挙も自民党の総裁選挙も顔触れが出そろいましたが、「この人なら」という人が見当たりません。こうなるとやはり橋下徹氏が率いる「日本維新の会」がどこまで支持を広げ、どれくらいの議席数を獲得できるのかが次の総選挙の最大の注目点になります。

もうどうにもならなくなっている民主党や自民党よりも、大局的な目で見た方向性や目指そうとする国の在り方については維新の会の考え方が一般的にも受け入れられやすいところが多いのではないでしょうか。勿論、「にわか仕立ての集団」と見る向きもあるので、こちらに付いた方が有利と見てすり寄って来ている人たちも多く、即有効に機能するかどうかははっきりしませんが、恐らく相当な支持を集めることが予想されます。場合によっては維新の会が中心になった政権ができ上がるかもしれません。

まあ一気に理想的に動ける筈はないので、徐々に軌道修正をしたり、本当の味方ではない人たちを峻別したりしながら前に進んでいく政権ができることが期待されますね。今は全てが機能不全に陥っている状況なので、一刻も早く希望の持てる新しい政権が誕生することを多くの国民は望んでいるのではないでしょうか。

「地井武男さん、安らかに」

昨日青山葬儀所で行われた「地井武男さんのお別れの会」に出席しました。

親交のあった芸能人の方々など800人ほどが参列しました。お別れの挨拶に立った全ての人たちが「地井さんがいかに心優しく、また分け隔てなく心通わせてお付き合いをしてくれたかを語りました。

「太陽にほえろ」で共演した渡辺徹さんは、「家が近かったので僕の部屋に地井さんはよく訪ねて来て、『何だ、女はいないのか』などと言いながら、ちゃんとお土産を持ってきてくれました。あの時頂いたイチゴの美味しかったこと忘れられません」とか、「地井さんの優しさを誰もが感じていて皆心の中で地井さんは自分のものだと思っていました」と思いを吐露しました。

「北の国から」で共演した岩城滉一さんは「富良野のロケ中にお風呂場でぎっくり腰を起して動けなくなったことがありました。ロケから帰ってきた地井さんは私の姿が見えないので、心配して捜しお風呂場で固まっていた私を見つけると、私の体を拭いて服を着せてくれて病院まで連れて行ってくれました。大恩人です」と語りました。

またテレビなどで共演することが多かった萬田久子さんは「『今日も綺麗だね。今日の髪型は素晴らしいね』などといつも私の気持ちを引き立たせてくれました。地井さんのその声が聞きたくて今も留守電にダイヤルしてしまうのです」と萬田さんらしい言葉で思いを表現していました。

私も何度もお仕事で御一緒しましたがいつもそこには笑顔の地井さんがいました。そして心優しく接してくださり会話の中で笑いが絶えませんでした。地井さんが2004年に再婚されたとき、一部週刊誌などで最初の奥様が癌で亡くなられたときにあれほど悲しんだ地井さんが再婚とは早すぎるといった記事が掲載されたことがありました。私は地井さんが奥様の看病などでどれほど力を尽くされたか知っていたので、「全身全霊で奥様に尽くした地井さん、その人が3年を経て新たな人生をスタートさせようと決心されたのですから祝福して差し上げたい」と『THEワイド』の中で言いました。

後日たまたま地井さんと顔を合わせたとき、地井さんは「ありがたい言葉でした」と頭を下げてくださいました。私は一人の人間としての思いを言っただけのことで、地井さんのその言葉に却って恐縮してしまった過去を懐かしく思い出しました。

「豪雨と言えば・・・」

先週は九州地区、特に熊本、大分で豪雨が続き大きな被害が出ました。普通は3日も降れば雨は上がるものですが、今回はほぼ一週間に渡って雨が上がらず被害がそれだけ大きくなりました。

雨と言えば私も記録的な大雨に会った体験があります。今から55年も前ですが、昭和32年、長崎県島原市にいて中学2年の時です。7月25日の夕方、どんよりとした空からどおっと驚くほどの音を立てて降り出した雨が1時間たっても2時間たっても全く勢いが変わることなく降り続き、夜になっても止む気配もなく深夜まで降りつきました。大きな川が無い島原なので、私の家の近くも大量の雨が降り続いて地面に吸収される前に溜まり、その結果道路が川の代わりになって人の腰の高さくらいの水量が流れ続けました。翌日になって一昼夜で降った雨の量が島原で880ミリ、諫早市で1000ミリを超えていたことが分かって驚きましたが、この時が死者行方不明者539人を出すいわゆる「諫早大水害」です。島原でも山崩れ等があり10人ほどの方が無くなりました。「こんなにも雨が降ることが現実にあるのか」という極限の体験をしたと自分では思っています。

従って大雨のニュースを見るたびに、時間雨量が100ミリを超える雨がどれだけ凄いかを実感しているだけに、こういう被害にあった方々がどれほど大変な思いでいらっしゃるか、容易に想像ができるのです。毎年のように天災は繰り返します。であればやはり日本では緊急事態庁(FEMA)のような組織を創り、災害に即対応できる体制を作っておくべきだと思います。災害が起きてから災害救助法を適用していては遅いと昔から思っています。

「東貴博さん、安めぐみさん、おめでとうございます」

7月8日ザ・プリンスパークタワー東京で東貴博さんの結婚披露宴が行われました。

東さんとは仕事を通じて長い付き合いがあり、特にNTVで放送していた中山秀征さんの「DON!」でお互い金曜日のレギュラーとして出演しすっかり意気投合、仲良くなりました。

東MAXは初対面の時から本当に細かい気配りが出来る心優しい青年でした。それもお父さんである東八郎さんやお母さんの教育が行き届いているからこそだと感じたものです。それにとても頭が良い人です。実際にさまざまな分野の取材を沢山積み重ねていて情報を多く持っているだけでなくそれを整理して使いこなせる自分の知識にしているところが素晴らしいと常々思っていました。

その東MAXが伴侶として選んだ人が安めぐみさん中山秀征さんの番組「ウチくる!?」で共演したのを機会に中山さんが結びの神となったのだそうです。この日の披露宴は中山さんの司会で進行され、とてもアットホームで落ち着きのある雰囲気の中で時間が経過して行きました。芸能人の方々がたくさん出席している割に大騒ぎしたりすることもなく展開していきました。

私のお祝いスピーチの一部を御紹介しますと「12月22日生まれのめぐみさんと12月31日生まれの東さん同じ星座のお二人の運勢を、とても良く当たると言われている占い師に見て貰ったところ、この二人が巡り会ったら気持が燃え上がって結ばれるのは当然の結果。二人とも頭が良く芸能界で生きて行くために必要なアイドル星がついていて今一番の上昇運の中にあるとのことで心配はいりません。ただ長く一緒に生活していれば必ずぶつかりあう日も来る。その時にはこのお二人の場合間を取り持つ人が必要でその適役が私だということです。ですから万一何かあった場合は是非私に御連絡ください。精一杯頑張ってお力に成りましょう」というような内容でした。

エンディングではめぐみさんがお父様にお手紙を披露、東さんは苦労しながら自分達を育ててくれたお母様に表彰状を授与。涙声で「お母さん、ありがとう」を連呼する東MAXに参加した総ての人たちが共感の涙を流し拍手を送りました。本当に素敵な披露宴でした。

「追悼 小野ヤスシさん」

先日、ガンで亡くなった小野ヤスシさんの通夜に列席しました。

小野さんは40年来のクリスチャンだったということでキリスト教葬で行われ、神父さんの導きの下、皆で聖歌を歌い、神父さんのお話しを聞くという運びで進行。そのお話しがとてもくだけていて分かり易いものだったこともあり、必要以上に悲しみに沈むことなくやさしさに包まれた雰囲気の通夜でした。

小野さんとは一度小野さんが司会をしていたラジオの番組に呼んで頂いたことがありますが大先輩の小野さんの方が気を使ってくださり、話し易い雰囲気をつくって頂いてとても心地よく楽しくお話しができたことを懐かしく思い出します。本当に心優しい方でした。

またプライベートでもゴルフを御一緒させて頂いたこともありますが、兎に角話し好きで一つの話を最大限に面白おかしく聞かせて、場の空気を盛り上げようといつも心配りなさる方でした。「鳥取が生んだ天才、小野ヤスシです」というのが小野さんのキャッチフレーズでしたが、いや本当に小野さんは話しを最高に面白くして聞かせる天才だったと私は思います。

そう、思い出しました。心優しさを物語ることの一つとしてかつてプロ野球界を永久追放になった元西鉄ライオンズ池永投手の名誉回復のために小野さんは長い時間をかけて署名活動を続けそれを実らせたことがありました。それを見ても小野さんは欲得で動く人ではなく、一人の人間として確信を持ったらそれを貫いて行ける人だったのだと改めて思いました。

小野さん安らかにお休みください!

「天気の巡り合わせ」

仕事をしていて良くあの人は「雨男(あめおとこ)」とか「晴男(はれおとこ)」とか言うことがあります。

まあ、相手はお天気なので基本的には単なる巡り合わせにしか過ぎないのですが、長い目で見るとなぜか雨に降られることが多い人、逆に良い御天気に恵まれる人と傾向が分かれてしまうものです。

昔、私が朝の番組をやっていたころ、Tというディレクターが中継に行くと決まってその場所は雨ということが続きました。本人も凄く気にしていて「一度お祓いに行ってきます」と言って何処かの神社に行ったのです。

プロデューサーは暫く彼を中継には出さないと決めていたのですが、本人はお祓いも受けて来たのでもう大丈夫ですと胸を張っていたので、致し方なく埼玉の狭山茶の初茶摘み始まるという話題の中継にT氏を起用したのです。

天気予報では雨は降らないという予報だったのですが、何とその日は朝から小雨が降り続く天気。流石に雨の中で茶摘みをするわけにはいかず、放送は流れてしまい、プロデユーサーは「T、お前は中継の時は布団かぶって寝てろ」と怒りだす始末でした。

本当にお天気というのは不思議なものです。かく言う私は勿論雨に会ったことがないとは言いませんが、雨で放送予定が流れたことだけは不思議にありません。去年は九州一周1泊2日の旅のロケのとき、台風14号が正にぶつかりそうな気配だったのですが、何とこの台風の進路が変わり何事もなかったかのようにロケができてしまいました。単なる巡り合わせなのに、この時ばかりは「俺は晴れ男」と自分で思ってしまいましたね。

「上沼恵美子さん」

昨日、関西テレビ「怪傑えみちゃんねる」の収録に参加しました。

ほぼ1年ぶり2度目の出演です。前回も上沼恵美子さんの話芸に感心させられたことを覚えていましたが、今回はそのとき以上に上沼さんが繰り広げる話の数々に圧倒されてしまいました。

自身のさりげない話から始まっていつの間にか夫婦間の話に転化し、そこから出産の苦労話になり、おむつや紙おむつの登場の歴史に触れ、おむつがどう進化してきたかなど、凄いペースで本当に面白おかしく聞かせてくれて、出演者や観客を笑いの渦の中に引き込んでしまうのです。これならどんなに緊張している出演者でも一発で緊張はほぐれ自然に同じ意識で仲間入りができてしまいます。

私も少しでも話の仕向け方などを勉強したいと思いながら参加していたのですが、上沼さんの話芸はその域を越えていてとても私などが真似できるものではありませんでした。持って生まれた天性のものとそれを磨き上げてきたご自身の修練によって形作られた最高レベルの話芸であり、他の人の立ち入りが不可能なものと判断しました。

それでいて出演者への気配りもまた素晴らしくいつ伺ってもとても温かい雰囲気に包まれて出演を楽しむことができます。心から素晴らしいなと思う司会者でいらっしゃいます。

「金沢百万石まつり」

先週土曜日、金沢に行き「金沢百万石まつり」を楽しんできました。

と言っても、観光客の一人として伺ったのではなく、北陸放送(MRO)が4時間に渡って中継する番組のゲストとして声をかけて頂いたため、金沢に行きました。同じくゲストには石川県出身のダンディ坂野さんがいて行列の中に入って盛り上げていました。

パレードは金沢駅鼓門前から勇壮な大太鼓の打ち鳴らされるなか、次々と出発して行きました。今年の前田利家公役は川野太郎さん、お松の方は横山めぐみさんが扮して行列を盛り上げていきました。音楽パレードは吹奏楽隊が軽快なマーチで行進。吹奏楽隊の前には躍動的なバトンチームが華を添え、演技場所では総勢およそ700人が一斉にドリル演奏を披露します。そして第35代ミス百万石3人が現れ、派手な獅子舞が登場し、加賀鳶行列540人の行進様々な行進が行われ、4代5代藩主行列が続きます。更に加賀八家老が勇壮な武者行列を繰り広げ、いよいよ利家公入城行列となるのです。

今年の利家公役の川野太郎さんは終始落ち着いて堂々と馬を御し、沿道の観客の皆さんに精一杯近付いて心のこもったサービスを続けられていました。その配慮には心打たれるものがありました。

番組の終わりに感想を求められて「こんなに素晴らしいお祭りをどうして今まで見に来なかったのかそれが悔やまれます」と申し上げましたが、心からそう思った素敵なまつり体験でした。

「札幌大学」

先週土曜日札幌大学に伺い、講演と学長、副学長とのトークを行いました。

講演については聴衆は学生が中心かなと思っていましたら、集まった方はほとんどが一般の方々で自分の「体験的学生生活論」が十分に受け容れられたかどうか少々気になりました。ただこの難しい時代に大学として生き残っていくために、学長、副学長以下学校関係者の皆さんが凄く前向きに取り組んでおられ、聞いていて非常に力強さを感じました。

国立大学でさえ今や独立行政法人となり、生き残りをかけて努力を積み重ねています。存在感、個性をしっかり確立して受験生たちにここへ行きたいという実感を持って貰わなければどうにもなりません。北海道開拓史やアイヌ学など独特の専攻科もあるとのことで、札幌大学は力強くその方向に向かっていくに違いないと感じました。

それにしても大学は本当に自由な空気に満ちていて良いなといつも思います。出来ることならもう一度大学に通ってみたいものだと思うのですが、忙しい身の上を考えると無理なのでしょうね。

「『もう一度会いたい』と思われる人になれ!」

日本を代表する経営コンサルタントである堀紘一さんがこのたび出版された「『もう一度会いたい』と思われる人になれ!」(PHP文庫)を読みました。

ビジネスマンとして成功するためにはということで若い人たちに向けて昨今は色々なノウハウ本が出されていますが、それらはほとんどが小手先のテクニックを示しているに過ぎず、あまり意味の無いことだと堀さんは指摘します。それよりもビジネスで成功するために一番大切なことは何かというとそれは実は「運」だ、と堀さんの師匠でもあったボストンコンサルティングの創業者である故ブルース・ヘンダーソンは言っているのだそうです。

と言うと、「何だ、それは」となりそうですが、堀さんの解釈では「運」は皆が考えるような人知の及ばざるところのものではなく非常に人為的なもの、更に言えば「運」は人と人との出会い、縁できまる。つまり良い人と出会って良い付き合いが始まれば「運」が開けてくるし、悪い人と出会って付き合っていたら行く先は地獄だとのこと。結局目の前にある「運」を掴めるかどうかで人間の行く先は決まるのだということです。

その「運」を呼び込む生き方として堀さんが強調するのは以下のポイントです。
<1> 相手の立場に立って物事を考える。
<2> 安易に頼みごとをしない
<3> 無駄な面会や電話をしない。
<4> 会うにしても早目に切り上げる。
<5> 去り際の美学を心得る。やっと取れたアポイントでも相手が15分でも遅れたら「今日はお忙しいようですので」とメモを残し潔く帰る。
これらのことを心得ていれば相手の貴方を見る目は変わるというのです。

そして何といっても重要なのは、自分自身に徹底的に磨きをかけることです。他人に負けない蓄積を持つと同時に、相手の立場に立ってものを考えることができ、人として相手に敬意と愛情を持って臨む。こうしたことが自然にできるようになれば大丈夫だと堀さんは言っておられるのだなと感じました。

堀さんとは歩んできた道は違いますが、私自身考えながら生きて来たこととほぼ同じことを堀さんも考えてこられたようで、少しほっとした気分になりました。いつも感じるのですが堀さんの物事に対する洞察力は本当に素晴らしいですね。この本は特にこれから職業人として生きて行こうとする人たちには必読の本です。

「タマネギ頭」

黒柳徹子さんとは「日立世界ふしぎ発見!」を通じて27年間のお付き合いがあります。その間にはエジプトやインド、ハワイなど海外旅行もご一緒しましたし、プライベートなお付き合いも含めお互い大体のことは分かりあえている方だと思っています。

黒柳さんはとにかくお話をすることが大好きで、面と向かい合っていると次から次へとお話が発展して、時に果てしなく続いていくようなこともあります。インドにロケに行ったとき、デリーからタージ・マハルに向かうバスの中で5時間余り一時も休まず黒柳さんは話し続け、お相手した私も黒柳さんのエネルギーに感嘆しました。

35年も続いている「徹子の部屋」。恐らく黒柳さんがトットちゃんの頃から気になっていたことを知りたいという黒柳さんの思いを番組にしたもので、ノーベル賞受賞者から芸能界、スポーツ界までの各界各層の最も旬な人にその仕事上の秘密、考え方、実践などを聞いていく人生の生き方の奥深さを教えてくれる宝庫だと思います。従って彼女の頭の中にはありとあらゆる分野の知識が蓄えられているので、これほどの知識を持った方はそうはいない筈です。

その黒柳さんの独特のヘアースタイルをタイトルにした番組「タマネギ頭」がTBSチャンネル(CS)でスタート。毎回ゲストが黒柳さんにクイズを出してタマネギ頭の中味をチェックしてみようという番組です。私もその第一回目のゲストとして番組に出演させて頂きました。

どんなクイズを出そうか迷ったのですが、私が黒柳さんよりも詳しい分野ということで私の出身地長崎に関する問題を幾つか出したのですが、流石に感が良い方で、余り苦労なさらず次々に正解を出されました。その模様は既に放送されておりますが、まだ今後も再放送があるようです。近いところでは4月18日水曜日、23:00から。機会があったらご覧ください。

「長崎堂」

先日テレビの収録で長崎に行ってきました。

私が案内人になって長崎を紹介するというものですが、長崎と言えばまずカステラです。

ポルトガル人によってもたらされたお菓子がカステラの原型で、それを日本人独特の繊細さで皆が好むお菓子に仕上げたのがカステラです。語源は南蛮人の故郷カスティーリア王国のポルトガル発音がカステラだったことからそう言われるようになったという説が有力です。またカステラ製造の際にメレンゲを作りますが、そのときに高く盛り上げてまるでカステロ(お城)のようになれと言ったことがカステラになったなどの説もあります。

長崎でこのカステラ作りが盛んになる契機は「福砂家」が1624年に創業したことにあったということで、何と388年もの長い歴史があるのです。その後「松翁軒」「文明堂」などの名店が次々に生まれ、「カステラ=長崎」ということになっていきました。長崎にいるときは「福砂家」のカステラが一番だと思いこんでいました。そしてあるとき「長崎で一番おいしいカステラはどちらのものですか」と聞かれ、「福砂家のものでしょうね」とは言ったものの、食べ比べをした上での発言ではなかったため、やっぱり自分の舌でチェックしなければと思い立ち、色々なカステラを試してみたのでした。

結論から言いますと、「長崎堂」のカステラが私の口には一番合います。ポイントはスポンジ部分の口当たりの重さ軽さに在ります。余りしっとりしていると重さを感じます。逆に乾いていると軽すぎる感じになります。その兼ね合いが丁度良いのが長崎堂のものです。また甘みも過ぎることなく不足することもなく程良いのが長崎堂のものです。更に底に敷いてあるザラメが少し多めで、味のアクセントとなっているところなど、他の店のものに比べお気に入りのポイントが多いと私は感じ、以来長崎堂の贔屓になってしまいました。

お土産としてもいつも長崎から取り寄せて皆さんに喜ばれています。長崎堂は生産規模が小さいので東京で手に入れるというわけにはいきませんがお取り寄せは可能です。もし食べてみたいと思われたら一度試してみるのもよろしいかなと思います。

「祝 JTB100周年」

3月12日、JTB創立100周年記念式典が東京国際フォーラムで行われました。

私自身JTBのCMに出演させて頂いたり、「世界ふしぎ発見!」で視聴者に旅のプレゼントをJTBが長く受け持ってくださっていたり、というJTBとの深い御縁があって式典のお手伝いをすることになりました。

JTB100年の歴史は決して平坦なものではなく、元々JTBは国策として日本を外国人に知って貰うとともに併せて外貨を獲得しようということで渋沢栄一や原敬といった人たちが関わってスタートしたのが始まりだったそうです。さまざまな活動の中には杉原千畝氏が発行したビザを持ったおよそ4000人のユダヤ系の難民の移送を受け持って無事にアメリカに送り届けたり、戦後大陸から600万人の邦人の引き上げに力を尽くしたりなどの働きもありました。

営業の面では旅行券の代売りで大きく成長したり、インタ―ネットの普及でその影響を受けて浮き沈みも体験したりしましたが、それを常に自己革新や人材力でクリアしてきたという決して簡単には折れない柔軟性を持った組織です。

第1部に続いて第2部として東北観光復興応援プログラムが組まれ、東北観光推進機構会長の高橋宏明氏が今の被災地の状況を解説され、続いて河北新報社の一力雅彦社長が被災地で嫁入りした中国人花嫁が義母をおぶって高台に避難して難を逃れたケースや、漁業研修でやって来ていた中国人研修生が受け入れ先の日本人の指導者の誘導で全員命を落とすことなく高台に避難できたケース(これについては中国でも詳しく報道され日本人に感謝するコメントが多く流されたそうで、来日した中国の温首相が日本の記者会見でも謝意を表したということです)などを紹介しつつ、グローバル化された今日国境を越えて人と人とが手を差し伸べあって生きることだなどと指摘されました。

そして東北の今後の進むべき道を指摘されてプログラムは終わったのですが、とても意義深い時間を過ごせたなと感じ入りました。最後はレセプションが行われて参加者が時間を忘れいつまでも語りあっていたのが印象的でした。

「わが愛しの鹿児島」

昨日26日、鹿児島県肝付町まで講演で出掛けました。

午前10時半からの講演ということで実は前日の25日に鹿児島市内に入って備えていたのですが、大好きな鹿児島ですから心気持は少し高ぶっていました。

夕方城山観光ホテルにチェックインしたところ、丁度結婚式を済ませたばかりのカップルが披露宴会場に向かおうとしていました。斜め後ろから見ただけですからはっきりとは分かりませんでしたが、二人とも幸せいっぱいの笑顔で美男美女の組み合わせのようです。思わず「おめでとうございます」と声をかけたかったのですが係に誘導されて私たちとは別方向に向かって行きました。

それから部屋に入って一時間半くらい過ぎたころ、ホテル館内で営業している薩摩揚げのお店に行き、部屋に戻ろうとしてエレベーターに乗っていると、途中から先ほど会った花嫁さんがお色直しを済ませて会場に向かうため係の方に手を引かれて同じエレベーターに乗り込んで来たのです。鮮やかな緑色のドレスでとても美しい方でした。エレベーターの左隅に居た私が思わず「おめでとうございます」と声をかけますと、花嫁さんがその声を聞いて私の方に向き直り「あ!」と気がついて「わー、嬉しい」と声を上げ「記念に握手して下さい」と言われて握手をして会場のフロアでお別れしました。何だかこちらも幸せのお裾分けをして貰ったような感じでとても良い気分になりました。

夕食は郷土料理のお店「さつま路」でとんこつをはじめ、郷土料理を堪能。支配人の金丸さんが色々と気を遣ってくださり何とも気分の良い夜を過ごしました。

翌朝4時過ぎに起きてお風呂に入り、6時半にはホテルで朝食。7時に出発して大隅半島に位置する肝属郡肝付町に向かいました。まずフェリーで桜島に渡り一路肝付を目指すのですが2時間半くらいかかりそうだとのこと。15分おきに出ているフェリーがこの日桜島でマラソンが行われるせいで車が殺到、7時15分の便に乗る予定が乗れず7時30分の便に乗って出発。桜島はこの日の朝からもくもくと煙を噴き上げていましたが、桜島に渡った後は車も少なくなり9時半には肝付の会場に到着しました。

町長さんほか幹部クラスの方々が挨拶に来られましたが、その中に何と懐かしいことでしょう。40年以上前NHK鹿児島局で一緒に仕事をした田中米蔵(当時報道デスク)さんがいて、今出身地の教育委員長をなさっているとのこと。思わず昔話に花が咲きました。

「田中さん余りお変わりになっていませんね」と言えば、「草野君もそうだね。いや一寸太ったね」と田中さん思わずお互いに笑い合っていました。

さて講演会場には700人を超える人達が詰めかけ熱心に私の話に耳を傾けて下さいました。帰りもまた空港まで2時間半近くの車の旅でしたが、愛する鹿児島の旅だったからでしょう疲れは全く感じない心地よい旅でした。次はもっとゆったりとできる様な日程で来られたらなと思います。

「危険水域」

野田内閣の支持率が危険水域と言われる20%台に落ちて来ました。

不支持はこの倍以上ということですから完全に危険信号が点ったという感じです。一大テーマとして掲げた税と社会保障の一体改革という目標は勿論悪くは無いのですが、それについては精緻な分析と分かり易い説明が国民に向けて発せられなければならないのに、それは不十分なまま。首相自身命をかけてこの問題に取り組むと言ったのですから全精力をかけてやらなくてはどうしようもありません。

加えて、前の組閣で一川防衛大臣を起用して失敗したのですから、その後任については熟慮の上この人だったら間違いないという人物でなければならないはずなのに、後任が田中直紀氏では却って野党から攻め込まれる可能性を拡大してしまいました。このことを考えると野田首相には国の骨格を固めるという発想がそもそも希薄なのではないかと思えてきます。

国防担当の防衛大臣と国民の生命安全を守る国家公安委員長は本来、本当のスペシャリストでなければ困ります。ところが前回はマルチ商法などを巡って問題を抱えた山岡氏を起用して集中的な批判を受けたことは記憶に新しいところです。人材難ということがあるのでしょうが国民がついて行こうと思える布陣を何とか敷いて欲しいなと心から思います。

「梅田陽子さん」

グリーンチャンネルで放送している「草野仁のスタジオ Gate J.」は毎月1回収録を行っています。競馬を愛する有名人に新橋スタジオGate J.に来て頂き、私と梅田陽子さんがインタビューをするという番組です。これまでに眞鍋かおりさん、佐藤藍子さん、さとう珠緒さん、高橋三千綱さん、香田晋さん、手嶋龍一さん、槙原寛己さん、平尾昌晃さん、デーブ・スペクターさん、三浦大輔さん、嶋大輔さんといった人たちをゲストに迎えて楽しいやり取りをしてきました。

番組開始からもう一年になろうとしているこの番組ですが、私の感じているところではアシスタントの梅田さんがとても良い味を出してくれています。梅田さんは多くの女性キャスターが所属するセントフォースの一員です。これまでグリーンチャンネルでの競馬放送やTBS「はなまるマーケット」のリポートを担当してきた人ですが、何と言っても梅田さんが素晴らしいのは他人の話をしっかり聞いて自分の進むべき方向性をきちんと掴んでいるということです。アシスタントを務める人の中には、ややもするとついつい肩に力が入って突出した動きをしたりする人が割といますが、梅田さんにはそういうところは全くなく、やるべきことはきちんとこなしそれでいて絡むべきところにはちゃんと絡んで来てくれます。つまり全体の流れを冷静に見ていて今こうすべきだという鋭い判断力を持っている人なのです。

こうなりますと二人の息はぴったり合って良いコンビネ―ションで進行はスムーズに運ぶものです。これまでにも多くの女性アシスタントの人と仕事をしてきましたが相性が良いと感じるケースはそれほど多くないものです。

2年目に入って更に二人の息が合ってきた、一段と良い感じになったと言われるように更に頑張っていきたいと思います。

「船村徹さん」

7日(土)、テレビ東京の「田勢康弘の週刊ニュース新書」で作曲家船村徹さんの特集を拝見しました。

5000曲を越える名曲を世に送りだしてきた船村さんの作曲にかける心からの思いは、「作詞家が伝えようとするメッセージをより良く理解されるようにお手伝いをすること」だということです。作曲家としては作曲家の立場で自己表現自己主張することがあるのではと思っていたのですが、船村先生のこの奥深い発言には驚かされました。それは「別れの一本杉」を作詞した高野公男さんと共同生活をするなかで育まれていった考え方のようで、それほどお互いの仕事を尊重し大切にしていこうという本当の意味での相互理解が生まれて行ったのだと思います。

「最近の曲は散文調の作詞が多く感銘を受ける曲が少ないのですが」と聞かれて、船村さんは答えました。「いや皆さんそれぞれ良くやっていると思います。ただ星野哲郎さんを初め多くの作詞家達は万葉集に始まり数多くの古典を勉強していました。若い人もそういう勉強は必要だと思います」と。至言だと心から感じました。

昔から船村先生に深い敬意を抱いていましたが、この放送を見て一段と思いは強くなりました。そして船村さんが一曲選んで歌った曲は「都の雨に」という吉田旺さんが実体験を作詞したものに船村さんが曲をつけたもので、若き日に故郷の母を振り切り東京に出て来た男の思いを歌ったものですが、これがまた素晴らしく涙線が熱くなりました。

「東京消防出初式」

6日(金)、東京ビッグサイトで行われた「東京消防出初式」に行ってきました。

勿論生で出初式を見るのは生まれて初めてのことです。昨年練馬で行われた火災予防運動の一日署長を務めて消防関係者の素晴らしい仕事振りに感動し消防庁とは良い御縁を得たことがきっかけで、今回は出初め式への出演になりました。

出初め式は例年通り、開会してしばらくは東京都知事のご挨拶など儀式的なことが続きました。そして表彰などが行われ音楽隊が登場して華やかな演奏を繰り広げます。場が温まった雰囲気の会場にオープンカー2台に、語り部として活躍している平野啓子さんと私が分乗し、それぞれにアドバイザーとして挨拶をするという段取りでした。観客席で見守る観客の皆さんに向かって挨拶をするというのも余り体験の無いことでしたが、皆さんは私が一体何を言うのだろうかという、束になった視線がこちらに向けられていることを感じ取ることができ、却って心地良い緊張感となってスムーズな挨拶ができたような気がしました。

続いて消防庁が誇る消防隊、レスキュー隊、機械部隊(梯子車等)消防艦船、ヘリコプター部隊など、ありとあらゆる装備を兼ね備えた陣容が紹介されました。そして実戦さながらの消火、救援訓練が行われ消防庁が世界でも一線級の実力を持っていることが分かる出初式となりました。これらが実際にフルに機能すれば先ず大丈夫だという安心感を持つことができましたが、余りにも規模の大きい災害であったり、道路が塞がって動きが取れなくなったりしたときには万全とはいえなくなるかもしれません。

それにしても消防庁関係者の方々の不断の努力には頭が下がります。常に世界の最高峰を目指し、中国をはじめ諸外国にも技術指導をし、日本だけではなく地球上の人たちのために尽くそうと考えながら邁進している素晴らしい方々です。

「年頭に思うこと」

2012年が明けました。と言っても例年と何ら変わることは無い新年です。

残りの人生を考えるとやっておかなければならないことがたくさんあるのになかなか思い通りには行かないことの繰り返しです。

先ずは健康の維持、なるべく歩いたり走ったりしようと思い、元日からウォーキングを始めました。その他、筋力トレ、ストレッチもいつも通りのペースで続けております。

そして昨年の暮に横綱白鵬から教わった「四股」を踏むことを始めました。この四股が意外に難しいものです。簡単だと思っていたのですが、片方の足というより「膝」で体を支える意識でしっかりやってくださいと教えられ、その思いでやってみると楽ではないのです。これはあらゆるスポーツ選手に通じると彼は言いましたが私も同感です。今年はこの「四股」をきちっとマスターして下半身強化を図ることを決意しました。

あとは色々なジャンルの知識をレベルアップさせることです。慌ててもできることではないので時間をかけて徐々に積み上げて行きたいものです。できればですが。

後は人と人とのネットワークをより堅固なものにしていきたいと考えています。折角知り合いになっても表面的なお付き合いだけで終わっているケースも多く、もっと密度の濃い関係を作り上げる努力をしなくてはと思うのです。あれやこれやと考えることは多いのですが「焦らず着実に」をモットーに前進したいものです。

「雑感」

野田内閣の支持率が下がり遂に不支持が支持を上回ったという二ュースが出てきました。

スタートしたときから調整型で、余り刺激的な発言もせず一歩一歩前に出ようという姿勢を取ってきたのですが、ここへきてTPPでやる気を見せたと期待させていながら蓋を開けてみると結局その姿勢は曖昧なまま。閣僚の失態にも反応せず続投を命ずるなど期待の目で見ていた人たちにも失望感を与えるようなことの連続で人気を落としたものと思われます。更に消費税増税だけは何としてもやり遂げようとしているのですから、これには国民が納得するきちんとした説明がなければ、このまま命運が尽きる方に進んでしまうのではと気になります。

思うに大改革を試みるのであれば声を大きくしてその必然を説くべきですし、こうすればこうなるという5年先10年先の未来図がそこについて来ないとだめなのでしょうね。その意味で今後の野田政権の対応が見ものです。

さて愛馬「ブエナビスタ号」はいよいよラストランを迎えます。一週前追い切りはなかなかシャープな追い切りで隊長の良さが伺えます。ライバルとなるオルフェーヴル号も素晴らしい動きで好タイムをマークして一歩も譲らぬ気配です。この分で行くと有馬記念は大変なレースになりそうで今から対決が待ち遠しくなります。

「再び夢気分」

つい先日、テレビ東京の「いい旅夢気分」のロケのために群馬県の草津温泉に行きました。

しかも大先輩の徳光和夫さんと一年ぶりの二人旅です。私はこれまで草津に行ったことはなく今回が初めてです。イメージにある草津温泉と言えば高温の温泉で湯もみをする人たちの姿が連想できるくらいで、歴史のある場所ではあるけど昔から余り変化のない温泉町なのではと勝手に想像しており、行くまではそれほどわくわくするようなことはなかったのです。

ところが実際に行ってみると、草津温泉に着き湯畑の大きさや、まるで滝のように流れ落ちる色鮮やかな高温の温泉に驚きました。西の河原商店街通りを歩き濡れおかきや温泉まんじゅうを試食し、町中にテディベア専門の店、モダンなガラス製品を扱う店などを見つけ、更に想像を超える巨大な露天風呂に入ったりしているうちに、この町が時代と共に少しずつ変化を取り入れて新しさを感じさせる要素を持った町並みに様変わりしていることに気がつきました。と言うことは、町の人たちがその点に気を遣いながら相当なエネルギーを注いで頑張ってきたということです。

一泊した宿「季の庭(ときのにわ)」も去年オープンしたばかりでとても雰囲気が良く何処をとっても合格点です。気がつくとすっかり草津の魅力に取りつかれている自分がそこにいました。詳しくは11月16日午後8時からの放送で明らかになります。

「嗚呼、鹿児島」

もう先月になりますが、講演で鹿児島県の長島と種子島に行ってきました。

鹿児島は私の社会人生活のスタートとなった土地で、昭和42年にNHK鹿児島放送局のアナウンサーとして赴任し3年間勤務した思い出の地で、毎日桜島と錦江湾を目の当たりにしながら生活した今も忘れられない場所です。

3年間の滞在中に県内の色々な所へ取材に行きました。長島町はラジオ番組の制作で録音機を担いで43年前に訪れ、15分のドキュメント番組を作り、九州管内のコンテストで佳作に選ばれました。一方種子島はテレビのローカル番組で厚生省(当時)の「薬用植物研究所」の高城正勝所長に薬草研究の成果などについて語って頂くための取材でした。

そしてこの度、偶然にもその思い出深い長島町と種子島で講演を行って欲しいという依頼があり喜んでお受けした次第です。長島町へは当時船で渡るしか移動手段がなかったのですが、37年前に住民の悲願だった黒之瀬戸大橋が完成し本土との往来は車でできるようになり、町全体が活性化されて住民の皆さんがとてもいきいきと暮らしていらっしゃるように感じられました。船で往来しなければならないのと橋を渡って車で自由に行き来ができるのとでは精神的な意味でも大きな違いがあるはずです。現在長島町の皆さんが伸びやかに暮らしていらっしゃるのは当然のことですね。

翌日は種子島に向かいました。鹿児島空港から27人乗りのプロペラ機で正に一っ飛び。30分余りで種子島空港に到着後、講演会場に向かいました。島内の様子は昔に比べてコンビニがあちこちにできて、建物も増えて、といった変化は間違いありませんが、時間の流れはややゆったりしていて心地良さを感じさせます。

講演も順調に終わりJAXAのロケット打ち上げ基地を見に行きました。何とも素晴らしく眺望の良い海岸に基地がありました。関係者の話によりますと「世界一美しいロケット打ち上げ基地」だとのこと。確かにここからロケットが打ち上げられることを想像しただけで素晴らしい映像がイメージできました。今度は打ち上げの瞬間を絶対に見に来たいと思います。

考えてみると種子島はポルトガル人の漂着によって伝えられた鉄砲を自分たちの手で作り上げて戦国時代の日本を激変させました。そして今優れた技術でロケットを打ち上げ世界の注目を集める存在になりました。日本の行き先に影響を与え、重要な鍵を握る土地として種子島には注目する必要があると私は思うのです。

「徳光さん、お疲れ様でした!」

恒例の「24時間テレビ」で徳光和夫さんが堂々と63.2kmを完走しました。

徳光さんとはこのところ一緒に仕事をしてすっかり意気投合したこともあり、10日ほど前大磯で練習中の徳光さんを激励に行きました。10キロ程度走り終えてジムに帰ってきた徳さんはすぐに筋トレと整理運動に取り掛かり、まるで昔からずっとスポーツをやっていたかのように極めてスムーズに全てを終えたのです。

驚きました。数か月間の鍛錬が人間をここまで変えてしまうのだと。つまりそれまでの徳さんは、ゴルフはされるものの他にスポーツらしいことはほとんどやらない人だったからです。やはり何事にも前向きだなと感じたのは、「やり始めてみると次が楽しみになってくるんですよ」と練習を始め、ワンステップずつクリアしていくたびに更に上を目指す気持が生まれてきたことを嬉しそうに話していたからです。この分で行けば問題なく完走してくれそうだと思いました。

そして20日(土)のスタート。徳さんにとって一番の強敵だった気温が何と一気に20度台前半まで下がってくれたのです。これはご自身が自分で引き寄せた強運ですね。21日(日)は丁度私の自宅近くを走ると聞いていましたので7時過ぎに沿道での応援に出ました。

8時を回ったころ徳さんを先頭に走行グル―プがやって来ました。足取りはしっかりしていたので、「ああ、これなら大丈夫」と確信できました。「国道246号線は少々アップダウンがきついですね」と言いながらも表情にはゆとりが見えました。中継ポイントでトイレ休憩をとり暫く私と話をしてまた出発です。「では、ペースをしっかり守って頑張って下さい。お願いします」と徳さんを送りだしました。そしてゴールの瞬間はテレビで見守りました。

70歳という高齢でしかも心筋梗塞という大病を乗り越えて走り抜いた今回のマラソンは同じ病を経験した人達に大きな勇気を与え、同じ高齢者にもここまでのことができるのだと元気を与える素晴らしいパフォーマンスでした。心から徳光和夫さんに拍手を送りたいと思います。

「初めての園まりさんとの共演」

先週の火曜日7月26日に「NHK歌謡コンサート」に生出演しました。といっても歌を歌うわけではなく「時代の歌、こころの歌」というコーナーにゲストとして出演したのです。

このコーナーはゲストの心に残る思い出の歌を紹介しそれにまつわる思い出を語り、その曲を歌っていた歌手の方に目の前で歌ってもらうというコーナーです。NHKからお話しを頂いたときに、私がまず思いついたのは園まりさんの「何も言わないで」という曲でした。

昭和37年、大学に入るために長崎から上京してきた私にとって東京は全てが輝いていて、刺激と魅力に満ち溢れていました。右肩上がりで社会状況は好転していった時代です。そんなときですから誰もが希望に満ちて生きているように映る時代でした。

ある時NHKテレビを見ていると「今日のうた」という短い番組(リリースされたばかりの曲の中からNHKが注目した曲を紹介する番組でした)があり、そこに登場したのが園まりさんの「何も言わないで」という曲だったのです。

「今は何も言わないで、黙ってそばにいて、この小さな幸せを大切にしたい」で始まるこの曲は、恋する乙女の心を歌ったもので、安井かずみさん作詞、宮川泰さん作曲のとても感じの良い曲です。当時、一度聴いただけで心に留り、同時に歌っていた園まりさんがとても愛らしく魅力的ですっかり心魅かれレコードを買いに走りました。以後園まりさんのファンとなりファンクラブにも入会したほどです。

ずっと心の中で園さんを応援していましたが、実は直接お会いしてお話しをしたことはこの日までなく、ファンになって47年ぶりの出会いということになりました。同い年の園さんは今もとても輝いていらっしゃいます。現役で活躍されていて、新曲「もう一度逢いたくて」をリリースしたばかりで頑張っていらっしゃいます。お会いできてお話しができて幸せでした。私もまだまだ負けずに頑張っていかなくてはと決意も新たにしたところです。

「九州全部行っちゃうぞ!」

先週の火曜日(19日)に「九州全部行っちゃうぞ! 草野仁の1泊2日の欲張りツアー」というテレビ番組のロケに出掛けました。(オンエアは9月)

丁度台風6号の北上とタイミングが重なって流石に今回のロケは予定を変更せざるを得なくなるだろうと思いました。これまで仕事に関してはいわゆる晴れ男を自称しており一度も予定を変えたことなどなかった私でしたが、今回ばかりは相手が超大型の台風とあってはとても抵抗できないと半ば諦めの気持ちだったのです。

朝の6時半、羽田発鹿児島行きの便に乗るため出発カウンターに行ってみると、「一応鹿児島を目指して出発しますが鹿児島で着陸できない可能性があります。その場合は福岡に降ります。仮に福岡も着陸不可でしたら羽田に引き返します」との案内がありました。もう成り行きに任せるしかありません。

予定より少し遅れて羽田を離陸。上空は意外にも荒れた感じは無く飛行を続けて鹿児島に近づくと、機長から「鹿児島に着陸する予定です。強風のため一回で着陸できなかった場合は二回、三回と着陸をやり直す可能性があります。燃料はたっぷり積んでいますのでその場合でも御心配は無用です」との機内報告がありました。そして見事に一回でソフトランディングに成功。何と鹿児島は雨も降っておらず台風の影響など殆ど無い状況でした。

その足で鹿児島中央駅に向かい九州新幹線に乗って先ず熊本を目指しました。次いで宮崎高千穂峡、別府温泉宿泊、翌日佐賀県伊万里、長崎市、福岡市と回って1泊2日の全行程およそ1,100kmの弾丸ツアーは無事終わりました。台風の影響を受けたのは阿蘇で視界が悪く見通しが利かなかったくらいで、奇跡的に台風が間近を通っていることを感じないままロケを終えることができたのです。お天気は単なる巡り合わせの問題にしかすぎないのですが、これで私の晴れ男としての面目は保たれた感じです。もうロケはどんなときでも大丈夫という気持ちになってきましたがそれは一寸調子に乗りすぎですかね。

「MRO旅フェスタ2011」

7月10日(日)金沢に出張しました。MRO北陸放送が主催する「MRO旅フェスタ2011」での旅の楽しさを語るトークショーに出演するためです。

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25年前に「フードピア金沢」という催しが始まったとき、そのお手伝いに来たのが最初でした。それ以来御縁ができてとても好きな街になりました。この日の出番は2回でMROの前原智子アナウンサーと旅の魅力にお話をさせて頂いたのですが、2回とも大勢のお客様が集まって下さり、場内は大変盛り上がりました。

合間の休憩時間にはMROのアナウンス部長を務めている長田哲也さんが挨拶に来て下さいました。本当に久し振りの対面で「朝のホットライン」での中継のやり取りをしていたとき以来ですからおよそ20年ぶりです。当時から長田アナウンサーは颯爽としていて格好良かったのですが、今も当時と比べても変わっておらず、「やあ少しも変わりませんね、長田さんは」と私が言いますと「草野さんも変わりませんね」と長田さん。これは長田アナウンサー、少し無理をしながらの発言だったようですが、本当に懐かしく、また忙しい時間の中をわざわざお越し下さった長田さんに心から感謝です。とても良い気分で金沢から帰京の途に就きました。

「夏の恐竜特別展 ダイナソー・ワールド」

7月9日、名誉館長を務める「長崎市科学館」の特別イベント「夏の恐竜特別展 ダイナソー・ワールド」のオープ二ングセレモニーに出席しました。

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長崎市野母崎で見つかった恐竜の化石が白亜紀のハドロサウルス類のものであることが判明したのを契機に、子供たちに恐竜とはどういう生き物だったのかを知ってもらい、恐竜が生きた1億6千万年の長い時代に夢を馳せてもらおうというのがこの催しの狙いです。

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9時からの開会式にも拘わらず、私の出身校長崎西高の合唱部の皆さんがお祝いに駆けつけてくれ素晴らしい歌声を披露してくれました。既に30度を超える暑さを爽やかな歌声が消し去り、爽快感を運んでくれたのです。とても感動的でした。そして田上長崎市長や市議会議長の祝辞などがあり名誉館長の開催宣言でイベントは始まりました。

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今回福井県立恐竜博物館等の協力を得て恐竜の化石、組み立てられた恐竜の骨格など全体のスケールは決して大きくありませんが、とても分かり易く配列展示されています。早い時間には親子連れなど本当に多くの人が来場してくれまして、「来て良かった」と言う声があちこちで聞かれました。

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更に、長崎でハドロサウルスの化石を見つけこのイベントにも全面協力して下さった宮田博士とのトークショーも行われました。これからまだまだ長崎で恐竜の化石が見つかる可能性が高いことを博士は強調していました。集まった子供たちも流石に恐竜に高い関心を持っており、宮田博士に細かく質問を浴びせるなどの光景も見られました。いずれこの子どもたちの中から恐竜研究の専門家が生まれて来るのでしょうね。

翌日の10日はさらに入場者が増えたということで、夏休みに入れば長崎の人気スポットになることと思います。

「政治の混迷極まれり」

大震災から力強く復興、復旧を目指して動かなければならないこの時期なのに政治が止まったまま閉塞状況に陥っているのは不幸なことです。総理大臣が大局的な方向性を定めその方針に従って全体が動くというのが普通のパターンですが、この国の総理は国民受けだけを狙って行動を起こし、後は具体的な考え方を明らかにしないので先の展望が全く開けません。日本の総理は代わり過ぎると言われるからといってリーダーとして相応しくない人をそのままにしておくというわけにはいかないはずです。誰が総理として適任かは難しい判断ですが、とにかく誰か他の人にとりあえずやらせてみる以外に手は無いと思うのです。復興復旧の道を誤れば日本は沈没してしまうに違いありません。早くリーダーを変えるべきだと思うのは私だけではないとおもいます。居座りを許してはいけないはずですよね。

「久々に覚えた感動」

先週末NHKが伝えた二ュースに久々に感動を覚えました。

それは今回の大震災で大きな被害を受けた岩手県久慈市のことです。特に漁業は壊滅的と言っていいほどの被害を受けました。津波で600隻以上の漁船が流失。とても立て直しができる状況ではありません。漁民の方々はどうすべきかアイディアも浮かばず途方に暮れていたのです。

そこへ北海道函館市漁協から何と200隻の小型漁船をプレゼントしてくれるとのこと。それには歴史上の背景があったのです。今から77年も前の1934年(昭和9年)3月21日に函館で死者2166人、焼失した家24186戸という記録的な大火が発生しました。この未曾有の災害に全国から義捐金が寄せられ、岩手県の久慈市からも多額の義捐金が寄せられたということでした。そして今回の大震災で久慈漁協の困窮ぶりを知った函館漁協が今度は自分たちが恩返しをする番と気持を固め、使われなくなったばかりの漁船を200隻集めて久慈漁協に送ったというのです。

久慈の漁民の方々はこの先本当にどうしたら良いのか悩み、中にはもう漁業は諦めるしかないのではと考えていた人もいたそうです。しかし200隻の漁船が大きな貨物船で運ばれてきた様子を目の当たりにしたときの反応は、言うに言われぬ喜びを表情一杯に湛えたものになりました。

心から良い話だと感じました。受けた恩義は絶対に忘れない。機会があればその恩をお返しする。当たり前のような話に思えるかもしれませんが、このところ嬉しくない二ュースばかり聞かされていた私にはとてもぐっと来る二ュースでした。

「両陛下の被災地ご訪問」

4月27日、天皇皇后両陛下は宮城県をお見舞いで訪問されました。両陛下が東北の被災地に足を運ばれたのは初めてで、南三陸町と仙台市宮城野区の避難所をお訪ねになりました。避難所では被災者達とじっくりお話しをされ、被災者達を励まされました。その様子を拝見していると、心から被災者の方々を気遣われて身を乗り出してお話しされるので、被災者の方々も真剣に窮状を訴えて、そこには温かい心の通い合いが見られました。

また、被災した女性が自宅の庭で種を蒔いていた水仙があの大津波から一月半経って自宅のあった場所に見に行ったところ、そこに芽を出して花を咲かせた水仙を見つけ感激し、その花を摘んで皇后陛下に小さな花束として差し出しました。経緯を聞いて皇后陛下はそれを喜んでお受け取りになり、羽田空港に着かれたときにもしっかりその水仙の束を手にされてタラップを降りて来られました。そのご様子も拝見して、とても心が温かくなりました。被災者の方々にとってもきっと元気付けられた両陛下の御訪問だっただろうと想像しました。

「新幹線」

今回の東日本大震災が起きたとき、新幹線は大丈夫だったのだろうかと気になったものです。

時間が経過しても新幹線についての情報はほとんど出てきませんでした。ということは、特に問題はなかったのだろうとも思いましたが、これだけの揺れの中でよく脱線などが起きなかったものだなと感心していたのです。

昨日のNHKニュースでその詳しい状況が明らかになりました。報道によると、JR東日本の設置している地震計が大きな揺れが起きる9秒前に地震を感知して、当時走っていた27本の東北新幹線に停止信号を出したということです。その結果各列車が非常ブレーキをかけどの列車も無事に脱線することもなく停止できました。これはほとんど奇跡のように感じられます。

考えてみると昭和39年に東京新大阪間で運行が始まった東海道新幹線から数えて47年間。大きな事故もなく正確な時刻を刻んで人々を安全に運び続けて来たこの新幹線という乗り物は、これこそ世界に誇れるものだと思います。国家としてももっと前向きに新幹線を世界に向けてアピールすべきではないでしょうか。何事にも積極的に頑張っている韓国の動きを見るにつけ、わが国も自信の持てる分野に関してはもっと前に踏み出して欲しいと強く願うばかりです。

「『DON!』 最終回」

3月25日(金)NTV「DON!」の最終回に出演しました。

中山秀征さんが司会。馬場アナ、上重アナがアシスタントを務め、色々生活に役立つ情報を楽しくお伝えする番組で、私は金曜日のレギュラー出演者とし東貴博さん、ナイツのお二人、神田沙也加さん、ヨンアさんたちと一緒に参加していました。

金曜グル―プはとりわけ仲が良くチームワ―クがしっかりとれていたので、スタジオで皆と顔を合わせるのがとても楽しみでした。良く考えるとそれは司会の中山秀征さんが細かく気配りをしてくれて、皆が自然体で振舞えるような雰囲気を創ってくれていたからでした。ことほどさようにヒデさんの全体のまとめ方は素晴らしく、ほかの曜日レギュラーの方々からも同じような声をたくさん聞きました。

番組が始まって2年。段々番組の存在感も増し、視聴率も上がって来ていたのですが3月一杯で終わることになりました。テレビ局にはテレビ局の事情があってのことで致し方ないのですが、ここで終わるのは残念で、正直勿体ないなと感じます。

でも一緒に仕事をしてみて、中山秀征さんの人間としての優しさ、温かさ、細やかな気配りを怠らない繊細な神経等魅力的な面をたくさん持った人だということが良く分かりました。類まれな素晴らしさを持ったこの人は益々この世界で活躍できる人だと確信しています。これからの活躍を本当に楽しみにしたいと考えています。

「加藤茶さんの芸能生活50周年をお祝いする会」

去る3月1日、グランドプリンスホテル赤坂にて「加藤茶さんの芸能生活50周年をお祝いする会」が開かれ私も出席しました。お祝いに駆け付けた人850人という途方もなくスケールの大きいパーティーでした。

小野ヤスシさんが司会を担当して和やかで飾らぬリラックスできる雰囲気で会は始まりました。政界(こんなところに出入りしているときではなさそうなのに)からも数人が出席、芸能界は本当にたくさんの人たちが集まり加藤茶さんの人脈の広さが伺えます。ゲストの人たちはグル―プごとに分かれてステージ上に上がり、お祝いのコメントを述べて行くことになり、私も一言を求められました。

昔「炎のチャレンジャー」というテレビ番組で、手にしたバーを決められた時間内に流れている電流と接触させることなく通過させたら100万円というゲームがありました。ある回に加藤さんが登場し、とても器用に次々と難しい局面を潜り抜け、「これで100万円ゲットだな」と思った次の瞬間、「ヒップシッ!」とお馴染のギャグとともにバーが電流に触れ、結果100万円獲得にはなりませんでした。もし自分だったら100万円を取りに行くことに夢中になっていたはずですが、加藤さんはやはりプロフェッショナルです。番組を見ている視聴者のため、わざと「ヒップシッ!」をやることで笑いを取るという作戦に出たのでした。何処までも視聴者第一このサービス精神には感動したことを覚えているというような話をすると、加藤茶さんはにっこりとほほ笑んで下さいました。

私はパーティーの後に仕事が入っていたため2時間で退席したのですが、残りの1時間も楽しいスピーチやパフォーマンスに満ちていて、笑いの絶えない3時間の宴だったということです。加藤茶さんの今後の益々のご活躍に期待したいと思います。

「ファイアーフェスティバル2011in練馬」

2月28日、火災予防週間を直前に控え、練馬区日大芸術学部のキャンパスを借りて東京消防庁主催の「ファイアーフェスティバル2011in練馬」が行われ、私も一日消防署長としてこの催しに参加しました。

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アウトドアのイベントやテレビのロケではこれまでほとんど雨を降らせたことがないというのが心に秘めた自慢の一つだったのですが、この日は予報も100%雨天、実際に朝起きてみるとしっかり雨が降り続いています。

現場に到着しても雨脚は弱まらず、遂に雨の中、しかも強い寒風が吹き荒ぶ中、火災発生、避難、救出活動が迅速に行われ、さらに消火のための放水と続いていきます。私は式台の上で大きな声で「放水はじめ」と号令をかけ、消化状況を確認。そしてよきところで「放水やめ」と大声を出して放水が終わり、現場で救出された人たちの安全確認、負傷者の手当て、搬送などが順次行われ、訓練は終了しました。

流石に消防隊員たちの動きは素晴らしく正確、迅速、素早い決断力など、見ていて大変な心強さを感じました。高層階の人たちを救出に向かったレスキュー隊の隊員のロープクライミング力は驚きのレベルで、隊長に伺ったところ毎日欠かさず訓練を続けているとのことでした。ニュージーランドの地震災害でもレスキュー隊の方々も加わっているそうですが、国際的にも日本の救援部隊は高い評価を得ていると聞き、納得の訓練でした。

内心では雨を降らせてしまったと一寸傷ついていたのですが、良く考えてみると実際の火災は気象条件を選ばず発生するものであって、このような強風や雨という条件の中で訓練を実施しておくことは決して無駄ではない、いやむしろこういうときにやっておくことも大切なのだとつくづく感じました。

訓練の後は火災予防について講演を行いました。徳川時代江戸は大火が頻発したこと、267年間に大阪が6回、京都9回に対し何と49回も街を焼き尽くした火災が起きていたこと、消防も組織化が遅れ破壊消防で延焼を防ぐものでしかなかったこと、更に町火消しどうしの功名争いでけんかが絶えなかったことなどの歴史に触れると同時に、現在の消防の活躍とりわけこの10年前後は火災発生件数、死亡者、損害額いずれも減少していること、また私たち自身が火を出さない工夫努力が必要なことなどをお話ししました。消防関係者の皆さまからも喜んで頂き参加して本当に良かったです。

「久しぶりにお会いしました」

先日赤坂の歩道で信号待ちをしていたら、右後方から異常に大きな人が近付いて来るのを感じました。「誰だろう。まるでチェ・ホンマン(崔洪万)さんみたいな人だな」と思って振り返って良く見ると、本当にチェ・ホンマンさんご本人でした。

6年ほど前、テレビ朝日の深夜番組「草野☆キッド」で仕事をはじめてご一緒しました。そしてその他のバラエティ番組でもご一緒して以来久々の出会いで、「あぁ、チェ・ホンマンさんお久しぶりですね」と思わず握手の手を差し出すと、私の両手分くらいありそうな大きな右手でしっかりシェークハンドしてくれました。

「今はずっと日本に居るんですか」と尋ねますと「今映画の撮影に入っているので、ずっとこちらにいます」とのこと。久々の再会だったのに私のことをよく覚えていてくれてとてもにこやかに応対してくれました。

チェ・ホンマンさんといえば何と云っても2m18cmの長身がセールスポイントですが、脚もとても長いのです。6年前のそのロケのときも、広場にチェ・ホンマンさんがスックと立っているところに、猫ひろしさんが走って来てそのまま身をかがめることなくチェ・ホンマンさんの股の間を走り抜けていったことが思い出されます。それほど脚長おじさんでもあったのです。

元々は韓国相撲の偉大なチャンピオンで最近は格闘技の世界で苦労しながらも頑張っていますが、依然と少しも変わらぬ誰にも優しい姿勢にはとても好感が持てました。お互いに急いでいましたので長話はできませんでしたがまた会いましょうと再会を約して別れたのです。

「政権の運命は」

第2次菅改造内閣が発足しました。

普通は内閣改造を行うと支持率が10%位は上がるものだそうですがどの世論調査を見ても3~4%程度の上昇に留まっており、国民の期待感にはさほど変動はないようです。それにしても1月5日に菅総理が生出演した報道番組の視聴率が6.9%と聞き大変驚きました。通常13%前後の視聴率を稼いでいる番組なので、総理の出演で半減してしまったという見方もあり、お正月の特番ラッシュの時期であったとはいえこんなに人気の無い首相も珍しいといえます。

なぜなのでしょうか。元々菅首相は市民運動家の出身で、やるべきことは堅実に実行に移していくタイプの政治家と見られていました。しかし鳩山前首相の辞任の仕方のせいもあるのでしょうか、どの案件から手掛けていけばよいのかについて模索し過ぎたように見受けられます。すると、それまでに評判の良かった事業仕分けに目を向けたり、政治と金の問題で自民党との違いを発揮しなければと思い込んでどこまでも小沢問題を追いかけたり、と自身の評価を上げることに傾注してしまったのが結果を悪くしてしまったように思います。

ではなくて、そもそも菅政権は何を目指し何を実行する政権なのかをまず最初に明確に打ち出し、その上で具体的に政策に優先順位をつけて実行していく必要があったのではないでしょうか。

また、自分はやるべきことをしっかりやっているのにきちんと報道が伝えてくれていないという趣旨の発言がありましたが、在任中の首相がそんな泣き言を言っても始まりません。汗をかいて全力を出し切ってやるべきことをやれば自ずと評価がついてくるものだと思います。厳しい政権運営が続きますがこの政権の運命やいかに。

「エノケン、笠置のヒットソングレヴュー」

戦後の日本の娯楽を支えた「日本の喜劇王」榎本健一と「ブギの女王」笠置シヅ子をテーマにした歌謡レヴュー「エノケン、笠置のヒットソングレヴュー」を見に行ってきました。

会場は浅草ROX4F「浅草まねきねこ館」です。午後1時からの開演を前に館内で食事を楽しむことができるのですが、私はエノケン定食(洋食)1500円也を注文。これが中々良い味で何か得をした気分になりました。

開演の時間になると小倉久寛さんがナビゲーター(活弁士)として画面で登場。浅草六区の歴史的成り立ちから解説をしてくれます。元々六区は火災の多かった江戸で類焼を防ぐための火除地で空き地だったそうです。それが明治時代に土地の整備が行われ、六区にも建物を立てることができるようになって一気に芝居小屋などが軒を並べるようになり、娯楽の中心地となっていったとのこと。ちょっとした「浅草六区ふしぎ発見!」を見た思いでした。

さてレヴューが始まってみると女性7人、男性2人からなる虎姫一座の歌う笠置シヅ子さんの唄、エノケンの唄がとても丁寧で力強く、ダンスもパントマイムも息が合って見事にでき上がっていて楽しめました。7人の女性たちも、とても上品なお色気を漂わせ、エネルギーを出し切って歌い演じていて好感のもてる舞台になっています。なるほどこれくらいのエネルギーがあったからこそ、エノケンも笠置さんも敗戦で打ちひしがれた世の中に活気を与えられたのだと納得してしまいました。

公演が始まって1カ月。虎姫一座の人たちもペースを掴み、流れもスムーズでメリハリの利いた舞台になっています。独身の若い男性であればこの舞台を好きになりメンバーの誰かのファンになって劇場通いをすることになっても不思議ではないですね。この舞台の脚本を書いた株式会社花のエグゼクティブプロデューサー森弘明さんとは仕事を通じての知り合いなのですが、時代背景や当時の状況をよくぞここまで調べ上げられたものだと感心しました。

フィナーレを迎えもう終演かと思わされるほど心地よい緊張感に満ちた立派なステージでした。この流れに乗って虎姫一座が益々レベルアップして行くことを期待しています。

「一年の計」

2011年は冷え込みこそ厳しいものの大きな事件や事故もなく比較的静かな中で明けました。

政治は難問山積。国家としての進行方向も不確かなまま誰もが呆れる体たらくですが、改善の見通しはゼロです。それはともかく自らの今年一年について色々考えてみました。

自分の寿命は分かりませんが、これからの一年一年は自分にとって勝負のときだと思います。何か形あるものを作り上げなくては意味が無いと思いさまざまな構想を抱いてみました。

実現できそうなものもあれば難しそうなものもあり、いずれにせよやってみなければと思います。その一つは身も心も柔軟にということです。ものの考え方は元来どちらかと言うと少し頑ななところがありましたが、情報をきちんと集積して柔軟性のある判断を下せるようにしたいということです。

体もこれまで筋力アップを重視していましたが、より大切なのは体の柔らかさだと考えストレッチに費やす時間を増やして体つくりを始めました。

あとは理科系の勉強を少し積み上げてみたいと考えています。父親は数学者、兄たちも理科系で、「お前も理科系に進むべきだ」と決めつけられていたことに反発して文科系を選んだのですが、この歳になるとやはり理系のことも程々に分かっていなくては不自由を感じることが多くなってきました。食わず嫌いを改めなくてはと感じた次第です。

その他のことは今年が終わるとき進捗具合とともに明らかにしたいと思います。兎に角、今年も元気一杯に頑張ります。

「『歌魂』 本当にありがとうございました」

名古屋中日劇場で「歌魂」というイベントに先週18日、19日の二日間出演しました。

もともと中日スポーツが紙面で「貴方の心の応援歌は何ですか」という応募をしたところ、想像を超える反響があり沢山のエピソードを添えた投稿が寄せられました。そこでこのままにしておくのは勿体ないと、寄せられた投稿をもとにしてそれを歌手の方たちに歌って貰うイベントが企画されたのが今回の経緯です。

野口五郎さん、八代亜紀さん、北原ミレイさん、兵庫ケンイチさん、そして司会陣としてモト冬樹さん、友近さん、私の三人が加わり、皆で分担して歌い綴るというものです。ベテランの野口さん、八代さん、北原さんたちは流石と舌を巻かせる程のエンターテイナーぶりを発揮して下さり、私たち司会陣もトークで繋ぎながら所々で自分の持ち歌を歌うという役割でした。

私は今回、「夜空の星」「吾亦紅」「竹トンボ」「君恋し」を受け持ち、モトさん、友近さんとともに盛り上げに力を尽くしました。イベントはお客様の入りも良くとても盛り上がりました。ステージで歌うのは久々のことでしたがお客様の反応もとても良くて、新たな自信も得られました。客席も近いのでお客様の息遣いが直に伝わってくるのは上手くいったときは快感が得られます。特にモトさんに上手く乗せられて歌い手になったような気分でした。

地元の男女コーラスグル―プも登場して温かい雰囲気の催しで良かったという声をたくさん頂くことができました。不思議なもので多少ミスもあったのですが、終わってみると達成感を得られましたね。来年以降も続くことを参加者全員が願ってお開きになりました。

「『歌魂』 よろしくお願い致します」

今週末18日、19日は名古屋の中日劇場で「歌魂」というイベントに参加します。

これは、中日スポーツが紙面で「貴方の背中を押してくれた歌は何ですか」という応募をしたところ、物凄い数の反響があり想像以上に注目を集める話題となりました。そこで中日劇場と連携してリクエストの多く集まった数々の歌を歌う催しを行うことになり、そこに私は司会の一人として参加することになりました。

一緒に司会を務めてくれるのはモト冬樹さん、友近さんです。ゲストとして野口五郎さん、八代亜紀さん、北原ミレイさん、兵庫ケンイチさんそして地元のコーラスグル―プも加わり、また司会陣も歌にも参加してとても賑やかなイベントになりそうです。

音合わせも既に終り、歌の練習の日々が続いています。自信のもてる曲もあればそうでもない曲もあり、次第にプレッシャーが重くのしかかっています。

でも、皆で歌の楽しさ、素晴らしさ、そして影響力の大きさを感じながら楽しむこういう機会はとても必要なことだと思います。実際にどうなるかはまた後日御報告させて頂きます。

「久し振りに鹿児島へ」

久し振りに鹿児島に行ってきました。5日(日)指宿市で行われた鹿児島県、鹿児島県社会福祉協議会が主催する平成22年度公開講座での講演のためでした。鹿児島空港から指宿まで車の移動ですと1時間半あまりで、アクセス面では一寸だけ難がありますが、個人的には鹿児島市内から左手に海を見ながら走るこのコースが大好きでゆったりとした良い気分で指宿を目指しました。

かつて、もう40年も前のことになりますがNHK鹿児島放送局に在籍していた当時、少し時間の余裕があれば鹿児島市内から一っ走りしたことが懐かしく甦ってきました。素晴らしい天気のもと錦江湾は青く輝き昔と変わらぬ風景が当時のことを否が応でも思い起こさせます。アテンドして下さった方に、「最近の指宿の人気はどうですか」と尋ねますと「大河ドラマで『篤姫』をやっていたときは良かったんですがね、今は一寸寂しくなりました」とのこと。以前は人気だった観光地も時代の流れとともに勢いを失って来ていることは否めないようです。

さて、会場の「ふれあいプラザなのはな館」には比較的高齢の方を中心に多くの方々にお越し下さり、私の話に本当に熱心に耳を傾けて頂きました。講演が終わって退場するときもお客様が握手を求めて集まって下さり、まるでちょっとしたアイドル並みの騒ぎでした。今回だけでなくこの頃講演会で実感するのは皆さんが本当に真剣に話を聞いて下さるということです。感謝の気持ちでいっぱいです。

そしてできればまた昔のようにゆっくり時間を取って鹿児島滞在を楽しみたいなという気持ちが胸の中で大きくなっていくのを感じていました。

「いったいいつまで・・・」

北朝鮮が韓国領延坪島に砲撃を加え、韓国軍兵士2人、民間人2人が死亡した事件は大きな二ュースとなって世界を駆け巡りました。また北朝鮮が例によってアメリカとの直接交渉を求めて起こしたアピールかと解釈した人も多かったように思えます。

ですが今回のやり方が卑劣なのは一般人も巻き添えにしてしまう攻撃だったというところにあります。それにしても一体いつまでこのような暴挙を繰り返せば気が済むのでしょうか。本来なら国際社会がそれを許さないはずですが、現実には中国の庇護の下、いつも難を逃れ、時間が経てば同じことを繰り返すということになります。中国も、北朝鮮の現行体制が仮に崩壊すれば自国にその累が及び難民流入などで大きな被害を受けるため、手をこまねいているように思えます。

北朝鮮の多くの国民は飢餓と戦い、自由を束縛され、恐怖政治に身動きが取れない状況です。本来なら中国こそが影響力を発揮して国民全体が幸せを享受できる体制に変えていくべきなのでしょうが、現実にそこまで構ってもいられないのでしょうか。本当に困ったものです。

「正直、心配です」

菅政権の迷走が続いています。尖閣沖中国船衝突事件では、動かぬ故意の衝突だったと分かる証拠のビデオを保持していながら、有効利用できずにこれを公開しないことにしてしまいました。那覇地検の判断で船長を釈放したものの、衝突ビデオがYouTubeで流されると慌てて国家公務員法の守秘義務違反で告発しましたが、警視庁はビデオを流出させた海上保安官を事情聴取の結果、逮捕を見送ることにしました。

やることなすことが裏目、裏目に出ています。APEC でも中国の胡主席との会談を欲する余り前のめりになり、結局話はできたものの僅か22分間の顔合わせに終わり、胡主席は笑顔一つ見せないまま形の上だけの首脳怪談になってしまいました。ロシアのメドベージェフ大統領からは「これから先のことを考えた方が遥かに有益」と、領土問題に触れることができずに引き下がらざるを得なくなり、全くいいところがありません。

人気回復のあてにしていた事業仕分けも思い通り進まず、率直なところやや進退窮まりつつあるように見えてきます。ちょっと名誉回復の兆しは見え辛いですね。この先どうなることやら。

「ありがとうございました」

10月29日にフジテレビで放送された「第3回オールスター芸能人歌がうまい王座決定戦スペシャル」で幸運にも優勝できて、多くの方々から「おめでとう」と声をかけて頂きました。

この番組は昨年に引き続き2度目の出場で、前回は1回戦では勝ったものの2回戦で敗退。今年は何とか2回戦の壁を乗り越えたいと思って本番に臨みました。欲も無く一つでも上に上がれればそれで良し、と思って戦ったことが結果的には良かったのだと思います。

1回戦、フットボールアワーの名手後藤さんではなく岩尾さんが相手。安全地帯の「恋の予感」でスタートして先ずは初戦クリア。2回戦はJOYさんと対戦。「吾亦紅」で少し調子を上げて何とか勝つことができました。続く準決勝で友近さんとぶつかりこれはもうおしまいだなと思ったのですが、「時の流れに身を任せ」を歌ったら何と僅か1ポイント差で辛勝。奇跡が起きました。

決勝はラサール石井さん、叶美香さんとの3者による対戦。私はグレープの「無縁坂」を歌って判定を待ちました。9人の審査員が3者に3票ずつと見解が分かれましたが、規定により審査委員長の堺正章さんが投票した私が優勝ということになりました。

全体に波乱の連続で決勝に勝ち残ったメンバーも意外性の3人でその意味では誰が勝つか分からないという面白さはあったのではないかと思います。終わってみるとただ力を出し尽くそうと思って戦ったことが功を奏した今年の大会でした。4時間の超枠大スペシャルは今年も17%という高視聴率を稼ぎだしました。

番組創りに懸けるスタッフのエネルギー、意欲、粘り、集中力、創意工夫、には今年も圧倒されました。

「カヌーで夢気分」

今年2月の山形に引き続き、テレビ東京「いい旅 夢気分」のロケで群馬県水上温泉に紅葉狩りに行きました。ちょうど紅葉真っ盛りで久々にその美しさに目を奪われました。

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そしてダム湖の奈良俣湖でカヌーに初挑戦、意外に上手く行って楽しい体験をすることができました。カヌーは二人乗り、現地のカヌーツアーを主宰している「レイクウォーク」の高橋秀典さんの指導のもと、前に徳光和夫さん後ろに私が乗ってスタート。勿論高橋さんの教え方が卓越していたからなのですが、二人ともパドル捌きをすぐに覚え苦労することなく思いのままの方向に進めるようになりました。

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そして広い奈良俣湖をゆったりと周遊、1時間半にわたって湖上から周りの360度パノラマの紅葉を目いっぱい楽しむことができたのです。意外に力を使わずに腕の回転でパドル捌きをスムーズに行ったので、相当量漕いだのですが筋肉痛にも苛まれませんでした。徳光さんとの呼吸も良く合っていて、二人とも気が合うようですねと笑ったことでした。これでカヌーは趣味の一つに加わりそうな気がするほどです。

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放送を通じてではありますが本当に良い体験が出来ました。詳しくは11月10日のオンエアをお楽しみ下さい。

「名医とは・・・」

10月18日(月)、午後10時からのNHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見ました。

肺がん、肺移植の分野で世界的にも高い評価を受けている京都大学医学部教授伊達洋至さんの仕事振りをつぶさに紹介したドキュメンタリーでした。アメリカで肺移植などの最先端技術を修業して帰国し、患者の治療に当たっていた伊達医師は肺の難病で苦しむ少女を担当。肺の移植しか手が無いという状況で両親からの移植を考えたものの血液型が合わず断念。ドナーを求めたものの結局容態悪化で命を救えなかったことが自分の出発点だと語り、そこから患者にとって最善の医療を目指して機能することを信条としてきたのだと言います。

伊達医師はどんな患者にも情報を正確に開示しリスクについても詳しく説明、そして手術に入ると全力で7~8時間の所要時間もものともせず乗り切ってしまうのです。大きな手術の前夜は必ずガーゼを相手に手術糸で縫うことを繰り返して精神の統一を図ります。手術に入るとできる限り患者に負担をかけないように手術時間の短縮を図り、あらゆる可能性を勘案して患者に最も良い対応をしていく。その結果は他に例を見ない程の高い成功率として表現されているのです。

肺がんの患者にも肺の難病の患者にも明るい笑顔で対し、誠意を尽くして臨むその表情は優しさに満ち溢れています。「命懸けで助けを求めてくる人にはこちらも命懸けで臨む」私が親しくお付き合いをして頂いている脳外科医の上山博康先生と全く同じ考えであり、名医と呼ぶにふさわしい方の考えには共通するものがあるということをつくづく感じました。

「検察の責務」

障害者団体向け割引郵便制度をめぐる偽の証明書発行事件で、厚労省の村木厚子局長を有罪にするために取り調べに当たっていた大阪地検の前田恒彦検事が証拠とするために預かっていたフロッピーディスクを勝手に書き換えていた問題ほど世間を驚かせた事件は無いでしょう。

今回は前田検事が、証拠改竄についてその痕跡を残したままにするなど処理に詳しくなかったためにその行為が明るみに出ましたが、もしこれがハッカー並みの技術を持っている人であったら改竄そのものも誰にも知られないままになっていた可能性もあり、こんなに怖い事件はありません。つまり検察がいくらでも事件を作り上げることができ得るという点で国民に恐怖感を与える事件なのです。

このような考えられないことが起きてしまう背景には、事件についての検察の見通しに沿った供述が得られないと起訴ができず上層部から厳しく叱責されることがあるため、証拠に手をつけてしまったのではないかというような見方も出ているのですが、それは自分たちの仕事を全否定してしまう行為に他ならないと思います。検察の責務は悪を排し正義を貫く以外にはあり得ません。前田検事の行為は実はそれを知った同僚の検事などを通して上司にも伝えられていたとのことで、これに蓋をしてしまった上司たちの責任は前田検事以上に重いと言われても致し方ありません。

日本全体に広がっている倫理観の後退や前向きのエネルギーの欠如は誰もが感じていることではありますが、社会の基本的な枠組みの部分にそれが及び始めたら危険極まりないことです。最高検が調べを進めていますが膏薬を貼って痛みを鎮めるのではなく、膿を全部摘出してしまうことができるかどうか注目していなければなりませんね。

「各々の職責を全うすることとは」

高齢者の所在不明問題は当初予想した通りどんどん広がって、とうとう200歳の人が戸籍上は生存していることになっているという、もう笑えないレベルの話になってきました。100歳以上の人だと自治体によっては1000人規模で不明者が存在するということなので、日本が世界最高の長寿国というのはとんでもない作り話だということになります。他国の指摘通りになってしまいました。

確かに戸籍法は、①同居の家族、②同居している人、③大家さんか地主がある人物が死亡した時それを知ってから一週間以内に届けなければならないと規定しています。そしてもしそれを怠った場合過料(あやまちりょう)を取られることになっています。かつては大きな問題は起きずに経過してきましたが、核家族化、家族間の連帯の希薄化、高齢化、地域コミュニティーの崩壊、ホームレスになる人の増加など社会状況の大きな変化が生まれ、人の死に対する認識が希薄になり、戸籍法の拘束力があまり意味を持たなくなってきたせいでしょうか、結果としてこのような事態を生みだしています。

また、戸籍担当の人たちの自身の職務への態度がここまで事態を悪化させたと言われても致し方ありません。それが証拠に各地で問題が出て来たときに、他の場所でも調べてみたらあっという間に驚くべき多数の所在不明者がいることが判明しました。つまり日常業務の中で放置されていたということです。

罰則が無いから致し方ないと考える向きもいますが、私は賛同しません。現行の法律でも自分に与えられた権限を最大限に使って仕事をしていけば、ここまでの失態はなかったはずです。15年前オウム真理教からサティアンの建築申請が出されたときに、上九一色村の担当者が実際に建築基準法をもとに施設内に入って十分な精査を行っていればサリン精製施設を作られることは無かったと思われます。その時その時ででき得る最大限の職務というのをそれぞれの担当者はもう一度きちんと考えてみる必要があると私は確信しています。

「流通経済大学学長との対談」

昨日、流通経済大学学長の小池田冨男さんと上野のホテルで対談を行いました。(後日朝日新聞にて掲載予定)今の教育について、コミュニケーションの大切さについて、また今後の学生たちへの期待などじっくりと話し合いをして有意義なひと時を過ごすことができました。

実は私の恩師東大名誉教授の辻村明先生が今月22日に悪性リンパ腫のために83歳でお亡くなりになったのですが、辻村先生はこの流通経済大学で社会学部を開設したときに招聘され、そのときから小池田学長とは親しい間柄だったということで、不思議な御縁で私も繋がっていたのでした。

流通経済大学は実学教育、教養教育、そして少人数教育を教育の三本柱に掲げています。結果として「汎用性のある社会人基礎力」を備えた人材を育成することを使命として頑張ってきた大学で1965年の創立以来多くのすぐれた卒業生を世に送り出してきました。実は今最も求められている人材とは、高度の判断力や意思決定能力、コミュニケーション力を持った本当の意味で人間力を有した人材であり、そのような人材を育てて社会に送り出し続けてきた個性的な大学なのです。

他の大学がともすると低迷状態に入っている今流通経済大学のような行き方は注目されます。スポーツにも力を入れ大学としての総合力は今後ますます大きなものになっていくものと思われます。小池田学長のとても柔軟性のある奥行きの深い物の考え方、壁を何度も打ち破ってこられた実行力をもってすれば、この大学が成長しない筈は無いと感じられます。

「ドコモ団塊倶楽部」

先週の21日土曜日、文化放送「ドコモ団塊倶楽部」(11:00~13:00)にゲストとして呼んで頂きました。MCは弘兼憲史さんと文化放送アナウンサーの石川真紀さんで毎回一名のゲストを招いて2時間じっくりトークをしようというラジオ番組としては他局には無い個性的な番組です。

弘兼さんにはかつて日本テレビの「THEワイド」で数年間コメンテイターを務めて頂いていた時期があり、いわば戦友のようなものですから出演依頼があったときには喜んで参加させて頂きました。

局に伺いますと担当の制作部の塚本茂さんが丁重に迎えて下さり、スタッフの方々と挨拶を交わし、MCの弘兼さん、石川さんと顔合わせです。数年ぶりにお会いした弘兼さんは以前よりももっと若くなったような気がするほど元気一杯、溌剌とした表情で、お顔を拝見して嬉しくなりました。これも日常充実した仕事をこなし、プライベート面でも健康管理を含めてやるべきことをきちんとこなしていらっしゃるからこその若々しさの維持だと感じます。

当然のことながらトークは本音でということでどのような話でもぐんぐん切り込んで来られて、正直やや防戦に回らざるを得ないところもあったように思います。でも本音でやることは大事ですし、私もそれを望んでいましたので気分の良い2時間でした。可笑しかったのは、若かりし日に二人とも園まりさんのファンで、同じような青春体験をしていたことがひょんな会話から判明したことです。

そしてとても印象に残ったのは石川真紀アナウンサーのことです。勿論以前から活躍されていることは知っていましたが、直接お会いするのは初めてのことでした。席について石川さんが話し始めたときから大変心地よく放送に入っていくことができたのですが、それは石川さんの話し方が自然でソフトで力みが無く、また他人の話をしっかり聞いていていつの間にかそこにいる人と人との間を見事に繋いでいたからなのです。恐らくご自身の仕事はどうあるべきか、どのような方法が最も有効なのかということを常に自分に問い直しながらアナウンサーとして頑張ってこられたのだろうと想像します。数少ない優れた女性アナウンサーを発見して気分が良くなりました。つくづくこの番組に出演できた幸せを感じた私でした。

「堀紘一さんの新刊を読んで」

先々月の話で恐縮ですが、別所哲也さんが主催し国際的にも高い評価を受けている「ショートショートフィルムフェスティバル2010」の特別審査員を今年委嘱されました。

審査員は行定勲監督、監督も務める女優の桃井かおりさん、俳優の塩谷瞬さんと私の4人。驚くほどたくさんの応募作品を見て審査に臨みました。審査では色々な意見がぶつかり合ったものの議論を経て、国際部門とアジア部門は優秀作品を決めることができましたが、日本部門については全体に迫力不足で、やや型に嵌っていて新しいものを作り上げようという気迫が感じられないという厳しい評価で審査員の意見は一致しました。その結果、日本部門の優秀作品は該当なしという苦しい決断をせざるを得なかったのです。

今、日本全体が言いようのない停滞低迷状況に陥っていますが、創作意欲をもったものの集合体である映画創りの現場にもそういう空気が蔓延していることに驚かされました。何と最近は若者が留学したがらない、特に男子にその傾向が強いと聞きます。まあ、国を動かす政治家があの体たらくなので他は推して知るべしなのでしょうが、どうもこのままでは日本再浮上の可能性はもうないかもしれないと思えてきます。

そう考えていた時に(株)ドリームインキュベータ会長の堀紘一さんから新著「日本の成長戦略~こうすれば必ず甦る!」(PHP研究所)が送られてきました。堀さんの主張はいつも極めて明快です。

日本の新成長戦略は①コストではなく付加価値で勝負、②単品でなくセットで勝負、③大ロットではなく小ロットで勝負の三本柱が必要と説いています。良いもの必要なものにはお金を惜しまない人たちを相手に商売をすべし、誰に買ってもらえるのかを最初から意識してビジネスをすべしと主張します。

セットでというのはバラバラに売るのではなく、日本製炊飯器が中国人観光客に人気なのならば「コシヒカリ」「六甲のおいしい水」もセットにして売るべきだということなのです。①と②を推し進めて行くと必ず③の方向に進み、割高になっても小ロットの品質勝負で十分やっていけると堀さんは指摘しています。

また開業以来大きな事故を起こしていない新幹線はソフトの優秀さと相まって世界で堂々と勝負していけるものだそうです。他にも日本の果物などの高級農作物、更に高度の医療技術など世界に売れるものはたくさんあるぞという見方については全く同感です。

更に日本に一番向いている産業の一つとして「環境・省エネ産業」を育てることだとも強調しています。日本は多くの産業分野で高い水準にあり、幅広い技術を持っている日本こそこの分野のリーダーたりうる。清潔好きの日本が創り出したウォシュレットは誰もが認める優れもの。ウェットタオル、ウエットティッシュ、アルコールジェルも日本人の発明品で、この分野の仕事を受け持つのに日本人ほど向いている国民はいないと指摘しています。

また堀さんは重要な改革の柱として大胆な教育改革の断行を上げています。これは私も最も急ぐべき改革であると考えています。この15年くらいの間に日本人の学力は急激に低下し、現在も低落を続けています。長い間先人たちが読み書きそろばんと人間としての基本的な生き方だけはどんなことがあっても身につけなければならないものとしてしっかり教え込んできたのですが、「ゆとり教育」の名のもとに勉強をさせないいわゆる「狂育」が行われてきた結果、恐ろしいほどのレベルダウンが起きてしまいました。これを取り戻すのには20年くらいはかかるかも知れませんが、今すぐ立て直しにはいる必要があります。

堀さんの提言は英語の入試をTOEFLにすべし、から始まり、英語の離せない英語教師の排除など細かく何故それが必要なのかも指摘しています。また、高校卒業後一年間は、青年海外協力隊、自衛隊入隊、福祉活動のどれかを選択して社会勉強をすることの重要性にも触れています。この間給料は月10万円税金で支給。衣食住全般の面倒も国が見る。これを一年間努めて落第の評価が出なかった人にだけ大学受験資格が与えられるようにする。

大学は教養課程を辞め3年間専門課程の勉強をする。と、このようにすればどのコースを選んでも本人の意欲も含め、企業にとってもプラス面が多くなると言うのです。その他日本人がやるべきことやってはいけないことなど、とても示唆的なことに満ち満ちた提言の書になっています。これくらい立体的に物事を考えられる人はなかなかいないのに、ブレーンとして重用する政治家はいないのですかね。久々に元気の出る本を読んだ気がします。

「トーク&サイン会行います!」

暑い毎日が続いています。私は九州長崎の育ちなので暑さには慣れていますし、むしろ暑い方が好きですが、その私が暑いと思わず言ってしまうのですから今年の夏は本当に暑いです。とはいえ、今のところ暑さバテもせず何とか元気に頑張っております。

ところで、このたび8月8日(日)14:00からブックファースト新宿店1FのBLUE SQUARECAFEイベントスペース内で、6月に出版した「信頼は、つくれる」の出版記念トーク&サイン会を行うことになりました。手前味噌名言い方で恐縮ですが、今回の本は割合に読みやすく、多くの方が生きていくときにどこか参考にして頂けることもあるのではないかなと自分では思っています。もし時間があって関心のある方は一寸覗いてみて頂けると嬉しいですね。

いま世の中では高齢者が生死不明のまま放置状態になっていたことが広がりを見せ問題になっていますが、国家としては大変な醜態をさらしたことになるのですが(お隣の国では日本はでたらめ長寿国家と報道されたようです)、厚労相は取り敢えず110歳以上の人たちについては調査をしてみようなんて呑気なことを言っておりますが、内閣としてきちんと早急に処理しようなどという気配は全く見えません。「流石日本、流石日本人」と言われるような対応対処を見せて欲しいものですが、それを望むのは難しいのでしょうか。

「理解し難い行政の対応」

東京都足立区で111歳になっていたはずの男性が、良く調べたら実は大分前に死んでいたと言う驚きの事実が明らかになりました。

この男性のミイラ化した遺体のそばにあった新聞は1978年のものということもあり、死亡して30年以上が経過しているのではという見方も出ています。一方、新しく入った情報では民生委員が18年前から一度もその男性に会ったことがないと言っているとのこと。ということは少なくともこの18年間は生死が確認されていないことになります。いずれにしてもその間年金はこの人物の家族にずっと支払われ、御丁寧に2年前には90歳以上の人で医療機関のお世話になっていない人ということで表彰も受けていたというのですから驚きを通り越してお笑いになってしまう一件です。

このようなことが起きてしまうのははっきり言って行政の怠慢です。そもそも関係部局に聞くと、該当する人についての確認は「電話」で行っていると言うのですから呆れますね。国民の払った年金がこんなに杜撰な形で支給されているとは許せないことです。特に高齢者については直接お目にかかり言葉を交わすべきでしょう。それができないのならお顔だけでも確認しておく必要があると思います。

また、そのような依頼に対して家族が面会を拒絶するというのならその理由をはっきりさせて、次回会えるのはいつなのか、会える条件は何なのかきちんと詰める必要があります。生存の確認すらしないまま年金などを払い続ける役所の気持ちは到底理解できません。

かつてオウム真理教が上九一色村に次々にサティアンと呼ばれる不審な建物を作ったとき、現存する建築基準法だけでも立入検査が可能だったのに、宗教関係施設だからと面倒臭がって黙認している間に教団がサリン生成にまで突っ走ってしまった痛い体験があります。役所の人たちは自分に与えられている権限をフルに使って、脚で稼いで国民のためにできることを精一杯やるように努めなければならないと、今回の件を通じて改めて強く思いました。

「祝 ご当選」

民主党が大敗を喫した先の参議院選挙で、わが盟友有田芳生さんが見事民主党比例代表で
トップ当選を果たしました。

田中康夫新党日本代表から口説き落とされて3年前の参議院選挙で立候補したものの次点で落選。その後去年の衆議院選挙に東京11区から立候補して素晴らしい戦いを展開し、マスコミ各社の出口調査で圧倒的優位が伝えられましたが、蓋を開けてみれば僅差で敗れるという信じられない事態が起きました。残念な結果でしたが多くの有権者が信頼できる候補者と認めてくれた選挙でもあり、もう一度国政選挙にチャレンジしようという決意を抱かせた選挙結果だったのです。

その後田中代表と考え方の違いが生じ、新党日本を離れ民主党からの今回の立候補でした。選挙戦の中で手応えがとてもあるという話は聞いていましたが、民主党候補に冷たい風が吹いている中でやはりジャーナリストとして12年にわたって「THEワイド」のコメンテーター役を立派に果たしてきたことが有権者に支持され、信頼に足る立候補者が少ない今の状況下で誠実な人柄が強くアピールしたものだと思います。

さまざまなタレント候補を抑え民主党比例代表候補として最高得票を記録したのは快挙であり、有権者もきちんと人間を見ている人が多いのだと嬉しくなりました。非常に勉強してコツコツと積み上げて頑張っていくタイプの人だけにこの時代に本当に頼りになる政治家になってくれるものと期待したいですね。今仲間たちと祝勝会の準備をしようという話が進んでいるところです。

「山形さくらんぼ狩りの旅」

恒例の山形上山温泉さくらんぼ狩りの旅に行ってきました。例年ですと6月下旬に上山に行くというのが常でしたが、今年は「世界ふしぎ発見!」のハワイロケが入っていたため、当初は諦めなければならないのではと思っていたのですが、幸いにも春先に寒さが続いた影響で例年よりさくらんぼ食べ頃の時期が10日ほど遅れました。そこで7月中旬の二日間に何とか旅の予定を入れることができ、これで23年連続のサクランボ狩りを果たすことができたのでした。

毎年連続して欠かすことなく上山に行くのには理由があります。日本の宿「古窯」に泊って接客の素晴らしさを味わい、サービスはどのように行われなければならないのか、何処までそれを徹底すべきかなどを毎年勉強したいと思っているからです。従業員一人一人がお客様を心から歓迎し、「楽しかった。ここにきて本当に良かった」と思って頂くために何をすべきかをいつも考えて行動しているところが素晴らしいなと感心しながら、自分自身の場合に置き換えて自分には何ができるかそれを参考にしたいと思っているのです。

さて今年のさくらんぼは既に佐藤錦の時期が終わり、紅秀峰と大正錦の時期を迎えていました。私自身の好みで言えば、実がしっかりしていて甘みも少し強い大正錦が一番だと思うので、逆に時期がずれたことは自分にとっては幸いでした。たくさんのさくらんぼを食べ「古窯」の最高の御馳走に舌鼓を打ち温泉でゆっくり寛いで命の洗濯ができた旅でした。今回は小規模のグループ旅行になりましたが、来年はまた賑やかに行きたいものだと今から楽しみにしています。

「世界ふしぎ発見! 海外ロケ」

「世界ふしぎ発見!」にとっては20年ぶり3回目になる出演者一同の海外ロケが今月23日から25日までハワイ、ホノルルで行われました。今年は番組にとって25年目という節目の年、また番組スポンサーである日立グループは創業100周年の記念の年でもあり、このようなスペシャル企画が実現することとなりました。

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スタジオの代わりとなる舞台は日立のコマーシャルでもお馴染みの、モアナルア・ガーデンのモンキーポッド(日立の樹)の前です。樹齢130年のあの木は幅40m、高さ25mの素晴らしいものでした。元々は中南米産の木だそうですが、ホノルルでしっかりと根を下ろしもはやハワイのシンボルになっています。木の下に入ってみると何か不思議なパワーを感じます。霊力があるように思ったのは私一人ではなく誰もが同様な思いを抱いたと口々に語っていました。

空港に程近いこともありますが、朝早くから観光客の皆さんがどんどん詰めかけて来る(勿論日本人観光客が圧倒的に多いのですが)人気スポットになっています。日立がグループのシンボルとして採用してから35年になるそうですが、当時のご判断に心底感服してしまいます。

さて黒柳チーム、板東チームと二つに分かれてそれぞれがハワイのミステリーを取材して、クイズを作って出題するという、いつもとは違った方式で展開するこの回の放送はとても面白いものに出来上がるのではないでしょうか。

それにしても25年も続いているゴールデン時間帯の番組は他にはありません。継続できたことの理由は、第一にスポンサーである日立がこの番組に深い愛情を持ち、例えリーマンショックのような一大事があっても番組を継続させることにご尽力下さったからです。また、それは日立のような高邁な精神を持った企業でなければできなかったことです。

加えて、レギュラー出演者たちがとても良い意味で仲が良く、馴れ合うことなく真剣勝負でぶつかることを繰り返してきたからというのも魅力の一つになっていたように思います。更に、番組のコンセプトである歴史と楽しく遊ぶという精神を貫き通したことも視聴者の皆さんに好感を持っていただけたのだと感じます。

番組総合演出の本郷幸高さんをはじめとするスタッフの皆さんがいつも細かく心を砕いて番組の新たな展開、スタジオ演出、取材の方向性、タレントの配置などあらゆる側面について研究研鑽を怠らず頑張ってくれていることも大きな力になっており、優秀な人たちと仕事を共に出来る喜びを味わっています。

実際にオンエアされるのは少し先の10月23日ですが是非楽しみにして頂ければ良いなと思っています。

「『信頼は、つくれる』、本日発売です」

この数年何かと忙しかったこともあり、なかなか本を出版できない状況が続いていました。

そんな時、ワニブックスさんから若い人たちの指針になるような本を出してみませんかというお誘いを頂き、編集者の方と色々意見交換をしながら何とか一冊の本に仕上げることが出来まして、いよいよ本日(6月8日)発売になります。本のタイトルは「信頼は、つくれる」で、サブタイトルが「なぜ草野仁は長寿番組の司会者であり続けられるのか?」という少々仰々しいものになっています。

私たちは生きて行くとき、周囲の色々な人たちとの間に信頼関係を築いて前に進んで行かなければなりませんが、往々にしてその点が疎かにされていて良い形の関係が結べずに苦労を重ねている人が意外に多いものです。そこで、ほんの少しの気配りや緻密な配慮で失敗しないで済むものだということを私の体験を通して若い人たちに伝えたいというのが本書のねらいです。

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きちんとお話しをして自分の本当の思いを正確に伝えることの大切さ、誰にでも簡単にできるちょっとした気配り、自分の仕事についてはプロフェッショナルとしての力を発揮すべきこと、その仕事を成し遂げるためには何をなせば良いのかなど、まだ人生経験の十分でない人たちにとっては恐らくヒントや参考になることが結構あるのではないかと思います。一度皆さんにご高覧頂けたら幸せです。定価は798円(税込)です。

「同級生たちとの再会」

6月5日午後、長崎県立島原高等学校を昭和37年に卒業した人たちの集まりである「眉山会」が京橋「美々卯」で開かれました。私は島原高校に一年半しか在籍せず、その後長崎西高校に転校して卒業したので正確には島原高校出身ではないのですが、いつも「良かったら来ないか」と声をかけて貰っていたのです。それでもこれまでなかなかスケジュールが合わず、出席できたのはこの10年で2回くらいでした。そして、今年はようやく日程が調整でき数年ぶりに出席しました。

今回の参加者は34人。30年前に最初の会を開いたときには28人が出席だったということなので、それに比べると今回は素晴らしい出席率であるし、懐かしい顔が揃っていて感動しました。この手の催しの場合何と言っても幹事団の果たす役割は大きく、この30年間毎年盛大な会を開き続けてきたので、眉山会の幹事団の働きは立派の一言に尽きます。

もう年齢でいえば66~67歳の皆ですが、とても表情も明るく元気で近況報告や今後やりたいことなどそちらこちらで話に花が咲いていました。勿論仲間の中には亡くなった人もいるのですが、この場に集った仲間たちは仕事を続けている人もリタイアした人も、残りの人生を楽しく生きようとしていることが感じられ私も元気になれたように思います。

女性の中にはグループを作ってフラダンスの修錬をしている人たちもいて、フラダンスについての基礎講座を行ってくれて、一曲踊って見せてくれたのです。始めて4年というものの見事なテクニックで大きな拍手が湧き上がりました。やはり女性の方が何事にも積極的で前向きに頑張るものですね。

この後の2次会にほとんどの人たちが流れて楽しい時間を過ごしたとのこと。私は一次会だけの出席でしたが昔に戻って旧交を温めることができた気分の良い会合でした。改めて幹事の皆さんに感謝です。

「迷走状態を見るにつけ」

鳩山首相が自ら問題提起して、自ら苦境に落ち込んでいる沖縄の普天間基地問題もいよいよ自身で設定した解決期限まで残り1か月を切りました。この基地問題でも鳩山首相に大局感があれば判断を戸惑うこともないと思うのですが、残念ながら総理就任後の大方の問題処理を見ていても分かる通り、総理はその場その場で立ち止まってから物を考える傾向があり、しかもその場で一番口当たりの良い発言をしてしまうので、一貫性の無い良く分からないリーダーだと言われてしまうのだと思います。そのため日米関係も極めて不安定な状態になってしまい、その他の分野の処理にも影を落としていると指摘されても否めない感じがします。

日本での基地問題の議論では、「基地はいらない、できれば外国に持って行って欲しい」という素朴な声が結構聞かれます。誰にとっても軍事基地は自分の居住地の近くにあって欲しくはありません。とはいえ、国家の安全を守るためには基地が無くてはならないのも事実です。日本が独力で十分に自国の領土を守る力があれば外国軍の基地は不要なのかもしれませんが、憲法上の制約から言っても、アメリカにある程度防衛してもらわなくてはならない今の状況では基地の存在理由はどうしても生まれてきます。また、振り返ってみても、冷戦の時代からずっと米軍のプレゼンス(存在)が共産主義の拡張政策に対して極めて有効な抑止力になってきたことも否定しがたい事実です。

勿論、基地がどうしても必要ならば、やはり周辺に住む住民の安全を第一に考え、そのための具体的方策を実行に移していかなければなりません。更に、一方的に周辺住民が不利益を被らないよう最大限の愛情ある措置が必要です。政府がすぐに手を打たなければならないことは余りにも多いと言わざるを得ません。

政府には是非大局的な見地から速やかな問題解決の方法を探って頂きたいと思います。

「登山もたまにはいいですね」

先日、月刊「文藝春秋」の広告関連のお仕事で山梨県大月市の岩殿山に登りました。

登ったと言っても登り口からの標高差は300m足らずしかないので、それは登ったうちに入らないだろうと言う声が聞こえてきそうですね。

でもそれが実は大変だったのです。標高差は僅かでも階段や道の勾配が尋常ではないのです。まるで最短距離をほぼ上へ上へと登っていく感じのルートでした。登り始めは「たいしたことは無いだろう」と考えて急傾斜の登り道を少し早目のペースで歩き始めました。ちょうどこの日は雨の後急に陽が差してきて気温が上がりだし、この時既に気温は30度を超えていたのです。標高差70mあたりまで来たとき、脚が前に出にくくなり休憩を申し出ました。どうやらオーバーペースの歩きだったらしく、一寸した酸欠状態になってしまいました。そこで少し時間を取って再スタート。今度は自分のペースに合わせて無理をせず一歩一歩を踏みしめる感じで歩き何とか頂上まで到達です。

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実はこの日は、カシオのカシオ・プロトレックPRW-5000-1JFという、本格アウトドアウォッチを実際に私が歩いて試してみることが目的だったのです。実際にこの時計は本当に使い勝手が良く、高度、気圧、温度そして勿論方位も分かり易く計測され安心して山歩きが楽しめるアウトドアウォッチでした。

頂上で風景を十分楽しみ、バナナ1本と水を補給して同行したスタッフとゆっくり語らいました。かつてアルピニストの今井通子さんとロケで南アルプスの低い山に登ったとき、帰りにペースを上げたまま下山して膝が笑った経験があったことを思い出し、帰りのコースは慎重にゆっくり降りました。

降りながら改めてこの道の傾斜がいかにきついものであったかを実感しました。とはいえ、普段余り歩いてない割には良く登ったなと心の中で少しだけ自画自賛したのです。その頑張った分の見返りでしょうか、大分降りてきたところで雲が切れて何と富士山が姿を見せてくれたのです。山はやっぱり登ってみるものですね。

「アイスランド噴火」

アイスランドの火山噴火の影響が拡がっています。航空機の飛行も一部では運行が許可されたところがありますが、全体としてはまだはっきりした見通しは立っていません。世界的に経済が低迷しているときにこの打撃は大きく、噴火が長引けばボディーブローのように効いて世界経済の回復を遅らせてしまうことにもなりかねません。

実は私の知人も噴火の起きる少し前にヨーロッパに旅立ちました。詳しくは話してくれませんでしたが実質的には愛する人との新婚旅行だったようです。イギリスからフランス、ドイツを2週間くらいかけてじっくり旅をすると言っていましたので、時間的な余裕はありそうでしたがそれでも移動の手段にはきっと苦労していることでしょう。

ビジネスや短い休みを利用して移動しなければならない人たちは本当に大変でその苦労がしのばれます。私の知人の場合は時間の余裕があって良かったのと、却って苦労を共にすることで二人の連帯感は強まり、今後の結婚生活にプラス効果をもたらす可能性もあり、私の心配は無用のものかもしれませんね。

新しい情報では火山の噴火がまた強まって来ているとのことで世界中の人たちのやきもき状態はまだ続きます。

「長崎ロケ」

中京テレビの「PS」という番組のロケでMCの高田純次さん、モンキッキーさん、我妻アナウンサーと一緒に長崎を旅してきました。長崎出身の私が皆さんを案内して長崎市内の色々な場所へお連れする内容です。

まずはこの4月から私が名誉館長に就任した長崎市科学館から収録はスタートしました。子供たちの理科離れ科学離れが指摘される中、科学立国を目指す日本としては科学の楽しさ面白さを子供たちに感じてもらうことが一番大切なことだと考えて、今までは長崎市が運営してきたのですがこの4月から民間の手で再生させるべく長崎ダイヤモンドスタッフ株式会社が請け負って新たな出発をすることになったのです。そしてアドバイザー役も兼ねた名誉館長役を私が引き受けることになりました。

科学館でのロケを終えた私たちは、NHK大河ドラマの影響で坂本龍馬ブームが続く中、観光客が必ず足を伸ばす日本で最初の商社と云われる「亀山社中」跡を訪ねたり、天婦羅の店としては長崎ナンバー1と言って良い「天広」で店主と楽しい会話を交わしながら食事をし、カステラで有名な「長崎堂」で焼き立てのカステラを味わったり、国産高級からすみの製造元藤井からすみ店で製造法を教えていただいたりして楽しく長崎旅を終えたのでした。

高田純次さんとは久し振りの仕事でしたが元気一杯に絶妙なボケを披露してくれたり、はしゃいだりとさすが純次さんと思わせるエネルギー溢れる活躍に本当に感動しました。高田さん、モンキッキーさん、我妻さん、そして中京テレビの皆さん、ありがとうございました。

番組は5月9日(日)22:30からのオンエア(中京地区のみ)です。どうぞお楽しみに。

「今年のお花見」

わが事務所恒例のお花見を先日4月1日に行いました。

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事務所のある麹町近辺を出発して新宿通りをお堀端まで向かい、桜を愛でながら千鳥が渕を歩いて靖国通りまで散策するのが常です。この日は温かくお天気も良かったため大勢の人たちとともに桜を楽しむことができました。

年を取ってからふと考えるようになったのは、この桜をあと何回楽しむことができるかなということです。体は健康ですから妙に弱気になる必要は無いのですが、そういうことも思うようになったのも年を取ったからなのでしょう。

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今年は開花が早かったにも拘わらず冷え込む日が多かったせいでしょうか、花のもちが良く綺麗な満開の桜を思い切り楽しむことができました。花見の客の中には外国人の姿も多く見られました。他の国には桜の花を愛でる習慣がないと聞いたことがありましたが、ここで花見をした外国人の皆さんは日本人が桜を愛する気持ちをきっと理解してくれたでしょうね。

歩いてお腹が程良く空いた我々は神田の焼き肉屋さんで花見の後の宴を開きました。美味しいお肉やキムチやありとあらゆる食べ物をもうこれ以上は食べられないというくらい頂いて楽しい花見会は幕となりました。明日からは相当トレ―二ングに精出さなくてはだめです。毎年同じことの繰り返しですね。

「ポカリスエット新CM発表会」

4月6日、品川プリンスホテルで大塚製薬「ポカリスエット」発売30周年を記念して北野武さんを新キャラクターとして制作された新CMの発表会が行われました。今回私はその発表会で北野武さんとト―クをするコーナーセッションの司会を任されました。

ストレートなCMの話だけではなく、まずは笑いの世界を目指した武さんの思いを聞くところから話をスタートさせました。そしてたくさんある武さんのギャグの中でとりわけ印象に残っているギャグ「コマネチ!」(脚を開きながら膝を屈伸させ両手を腿の線とクロスさせながら「コマネチ!」と叫ぶギャグ)はどのようにして生まれたのかを聞きました。武さん曰く「あるとき、モントリオール五輪で活躍したコマネチ選手の顔を思い出したものの名前が思い出せなくて、周りの人たちに『あの白い体操着姿の何て名だっけ』と言いながら自分の手を両腿の線でクロスさせながら聞いたんですよ。そうしたら帰って来た答えは『コマネチ』。『そうかコマネチか』ということであのギャグは生まれたんですよね」とのことです。

実は私が司会を務めていた日本テレビ「あの人は今!?」という番組で、元体操選手の池谷幸雄さんがリポーターとしてアメリカで元体操五輪選手と結婚して子供たちの体操の指導も続けているコマネチさんを訪ねたことがありました。本人のお話を聞き最後に日本で流行した「コマネチ」のギャグを本人にやってもらうようにお願いしたところ、意外にも簡単にOKしてくれ楽しそうに「コマネチ」とやってくれたことがありました。その話も武さんにしてみたのですが、武さんによるとコマネチさんはその後自分が「コマネチ」とやるとそれが日本ではお金になると思ってコマネチパチンコ台を作ろうとまで考えたようだという笑い話も紹介してくれました。勿論これはほんの余談でありポカリスエットの新CM についてはじっくり武さんに語って頂いたことは勿論です。

乾いた大地ドバイの高層ビル群を背景に武さんが人間の体は汗や尿以外に「不感蒸泄」といって気がつかないうちに一日900mlの水分を失っている、だからポカリスエットで補給することが大切なのだと訴えるCMは 説得力のあるものになっています。

「良く似ています」

日本の政治は大丈夫なのでしょうか。いや明らかに大丈夫ではないなと思わせる迷走ぶりが続いています。

普天間基地の移転問題は3月中に政府案をまとめると鳩山首相は公言していたにも拘わらず、3月中で無くても良いし、法律的にそうでなければならないというものでもないと言い出し、挙句の果てに2、3日遅れたからといってたいしたことではないと言い出す始末。自分で言い出しておいて勝手に迷走する何時ものパターンが繰り返されています。

そもそも沖縄の米軍基地に関する問題は十分にかつ慎重に対処されなければならない問題であるのに、周囲から吹き込まれた情報に乗っかってしまい、ひとたびおかしいと指摘されれば慌てて違う方向に舵を切るという、まるでその場しのぎでやってしまっているかのように見えます。首相は確かかつてスタンフォ―ド大学大学院で数学を専攻していたと聞いておりますが、こうした政治上の判断に関しては理系特有の論理思考があまり伺えないのが何とも残念です。

麻生前首相のときも周囲の意見に引きずられてしまうことが問題視されましたが、鳩山首相は麻生さんとは全く異なると思われていたのに実際は良く似ていて、記者団の囲み取材に毎日丁寧に答えようと思うばかり、自分の姿勢のぐらつきが全部表に出てしまうという皮肉な結果になっていることに早く気がついた方が良いと思うのですが。

「混迷の様相」

政権発足時には大きな期待を持って迎えられた鳩山内閣ですが、最新の世論調査では支持率38%、不支持が50%を越えたということで、この数字を見ると国民にとって大きな期待を持って迎えた分手応えのある政策を実現してくれない政権に対して有権者の失望感が横溢してきていることが伺えます。

その原因は幾つもありますが、第一に鳩山総理自身がその場その場で口当たりの良い発言を繰り返してきたところにあると私は考えています。一国のリーダーは直面している問題については明確で筋が通っていて、基本的に揺るがない姿勢を堅持していなくては話になりませんが、鳩山総理は聞かれたその時その時に八方美人的発言をしてしまう傾向があるように見えるのです。時に総理大臣の発言の重さを理解していないのではと心配になります。また昨日言ったことと今日の発言の間に明らかなズレやニュアンスの違いが見られるというのでは信頼を得るわけにはいかないでしょう。

普天間基地問題一つをとってみても総理の基本軸がはっきりしません。政権が変わったのだからその政策方針に変化が出るのは当たり前とばかりに、前政府が合意したものでも新政権なら変え得ると軽く考えていたように見えます。特にこの問題は日米で10年以上の時間をかけて漸く合意したのにも拘わらず、自身の意向が速やかに反映されるものと認識されていたのでしょうか。オバマ大統領に「トラスト・ミー」と直接言ったものの、未だに政府として確定した案が提示できないのは何とも気懸りです。この問題をしっかりと解決できなければ日米関係はぎくしゃくしたものになるでしょうし、アジアの中における日本の影響力も低下して行くのは避けられないのではと思います。

鳩山政権は約束の5月までに基地問題を解決できないだろうと見ている専門家が多いとも聞きます。突破口を見出すことができるのかそれとも政治不信を助長してしまうのかここしばらくは目が離せませんね。

「駿府城の謎 クイズショー」

2月28日(日)静岡市で行われた「駿府城の謎 クイズショー」に司会進行役として参加しました。駿府城というのはおよそ400年前築城された徳川家康公の居城であり、家康公が永眠したということでその構造も含め歴史的にも大変価値の高い歴史遺産です。

この催しは現在駿府城公園として市民に親しまれる場所になっている、その元々の駿府城について正しい知識、認識を持ってもらおうということで市が主催したイベントでした。通常この種のイベントはパネルディスカッション形式のものが多いのですが、真面目で固い話に終始する傾向が見られ、観客からももっと身近に感じられるものにしてほしいという要望が多く寄せられたということもあり、思い切ってクイズショー形式でやることになったということです。

クイズショーの解答者役として、静岡市出身のピエール瀧さん、同じく静岡市出身のアテネ五輪体操金メダリスト水鳥寿思さん、講談師の田辺駿之介さん、NHK静岡の神門光太朗アナウンサー、それにしずおかクイーンの女性三人トリオ、と賑やかな顔触れでした。更にクイズの解説は静岡大学名誉教授小和田哲男さんが担当して下さり厚みのあるものになりました。

クイズは、易しいものからちょっと考えさせられるものまで全部で5問。会場の観客の皆さんも一緒に楽しんで下さり、とても良い雰囲気のうちにエンディングを迎えました。駿府城がとても身近なものに感じられ、もっと色々なことを知りたいなという気持ちにさせてくれたからです。解答者の皆さんも持ち味を発揮し、小和田先生もサービス精神旺盛で分かり易く解説して下さり、終了後も会場には良い雰囲気の余韻が漂っていました。静岡市の担当者の方々からは満面の笑みとともに「素晴らしいイベントになりました。本当にありがとうございました」とご丁寧なお礼の言葉を頂きました。私自身も楽しくて参加することができ、本当に良かったと感じたのです。

「本当にいい旅・夢気分でした」

先週、テレビ東京の長寿番組「いい旅・夢気分」のロケーションで山形に行ってきました。

夏の山形は毎年のように行っていますが、冬の山形は初めてです。蔵王の樹氷、通称山寺と呼ばれる「立石寺」の急階段登り、銀山温泉、最上川ライン下り、などを体験しながら真冬の山形の魅力に迫ろうというもので、今回は酒井和歌子さん、玉ちゃん(浅草キッド)との三人で一緒に旅することになりました。

玉ちゃんと私は「草野☆キッド」以来の盟友で、酒井和歌子さんとはテレビ番組でこれまで何度も御一緒させて頂いているという関係なので、最初からとても良い雰囲気で旅は展開し、最後まで本当に気持ち良くコミュ二ケーションを交わして無事旅は終わりました。終わったときの皆の感想は「またこの3人で別の場所を旅行できたらいいね」というものでしたから私たちの相性はとても良かったのだと思います。

ところで、今回とても嬉しい出来事がありました。山寺でのロケを終え、下まで降りてきて石段に座って一休みしていたときのことです。近くの家でその様子を見ていた小学生の姉妹が私のところまで来てくれて「どうぞこれを召し上がって下さい」と言って地元名産品の「だだちゃ豆おかき」を一袋持ってきてくれたのです。これには感激しました。言葉使いといい、他人を思いやる心の優しさといい、小学生とは思えない心遣いに、旅に出てこんなに感動したことは無かったなと感じ、山形に来て本当に良かったなと思いましたね。勿論、帰京後彼女たちにはお礼の手紙を送りました。旅はやっぱり良いものですね。

「いい旅夢気分」の放送日は10日(水)の午後8時です。どうぞお楽しみに。

「不安な迷走ぶり」

一年前アメリカ人の期待を背負って登場したバラク・オバマ大統領は、核廃絶を目指す大演説でノーベル平和賞を受賞したものの、国内では不況からの脱却には道遠く、医療保険改革法案もなかなか思うようには進んでいません。また、テロ対策に関しても去年の暮れ乗客の機敏な反応と協力で飛行機爆破を未然に防ぐことができたものの、テロリストのリストに含まれていた人物の搭乗を許してしまうなどのミスが露わになりました。さらに、アフガン情勢に関しても更に増派を決断せざるを得なくなるなど状況は悪化するばかりで支持率も40%台に落ちてしまい、「CHANGE」が期待通りに速やかに遂げられるか否かは微妙な状況になっています。

一方、去年9月に誕生した民主党鳩山政権は事業仕分けで部分的には多くの国民の支持を得ましたが、その後はマニフェスト通りに改革が順調に進んでいるというわけではありません。加えて鳩山首相自身の母親からの献金問題や小沢幹事長関連の陸山会の土地購入をめぐる4億円の出所の問題など対応の不適切さも加わって、こちらも支持率は40%台に急落。日米双方とも改革が期待通りに進まず、新政権への期待が大きかった分失望した人も多いという似たり寄ったりの状況です。

このような迷走ぶりの結果困るのはやはり国民です。特に日本の場合は、戦後通用してきたシステムが機能不全に陥っていて、まずは大胆な転換がなされなくてはならない重要な時期に来ているからです。日米安全保障条約を巡ってもむしろ日本側から新しい提案が出され、結果として更に強固な関係が育まれるような方向に歩み出して行かなければならないのに、両国の間に溝を作ってブレーキをかけるような動きばかりが目立つのは一体どうしたことなのでしょうか。また、もっと外に向かって強力に人材を動員し、諸外国と良好な関係を築いていかなければならないのに、これまで通りのODAという形式だけでは本当の意味で友好関係を築き上げることはできないと思うのです。

その点、中国は天然資源の問題も含めあっと驚くほどの人員や資本を当該国に投入して、将来長きに亘っての良好な関係を築き上げるという手法で世界中の重要ポイントを既に押さえているのです。日本の指導者は何故このような展望を考えられないのでしょうか。次の選挙でいかにして勝つことが最大の優先事項となっている現状では臨んでも無理なことなのかもしれないのですが、ついついしっかりして欲しいと考えてしまうのです。

「25年の節目に」

今年の3月で私がNHKを辞めてフリーのキャスターになってから丸25年が経過します。

人間にとってこれから先の25年というのは気が遠くなるほど先のことですが、過ぎ去った25年はあっという間だったような気がしてなりません。私程度の人間がこの間にこうして多くの皆様とご一緒にお仕事をさせて頂けたのは、偏に私が道を踏み外すことのないようにと皆様が配慮して下さり、見守って下さったからであり、改めて皆様にお礼を申し上げなくてはならないと思っております。本当にありがとうございます。

独立した翌年から担当している「日立世界ふしぎ発見!」はこの4月から放送25年目に突入することが決まっており、日立グループの創業100周年に当たる今年はスペシャル回も計画されているようで幸せな年になりそうです。

ここ数年浅草キッドのお二人と一緒に「草野★キッド」を担当させて頂き、お二人の導きのお陰で放送の世界での対応力にも少し柔軟性が出てきたようで仕事の幅がとても広がりました。こうしてみると本当に放送局の方々、広告宣伝会社の方々、企画会社や制作会社の方々そしてたくさんのタレントの方々ととても素晴らしいチームを組んで色々な仕事をさせて頂いて、そしていつも変わらず応援し続けて下さる多くの視聴者の方々からの声援に本当に勇気付けられ、私は最高に幸運な男だと感じています。

今年はこうした皆様への感謝の気持ちを表す機会を模索している心算です。私自身もロートルではありますが少しは進化した部分もあると認めて頂けるようにこれからも努めて参りますのでご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

「年の初めに思うこと」

2010年の年明けは気候の上では冬らしく寒くなりましたが、大きな事件や人々を心配させるような出来事もなく穏やかに明けたという感じですね。それでも良く考えてみると日本にとって現実は厳しく去年よりもっと多くの難題を抱えたままのスタートとなりました。

鳩山政権にとって俗に3Kといわれる「景気」「基地」「献金」の三つの大テーマはどれも危うさを含んだまま解決への道筋がはっきりと見えないままです。やはり一番の問題は、首相自らが国民に向かって堂々とそして分かりやすく語ってくれていないことではないでしょうか。この国の進むべき道、例えば5年後10年後の日本の社会はどのようになり、国民生活はどのように変わっていくのかなどといったことを総理自身の言葉で聞かせて欲しいのです。仮に自分が同じ立場にあったとしたら、考えていること、そしてやろうとしていることについて思う存分語ってみたいという気持ちになるのではと思いますね。アメリカの大統領のように炉辺談話のような形で定期的にメディアに出て国民に向かって話しかけ、思いを語れば国民の方もさまざまな問題について理解をしようとするでしょう。

普天間基地の移設問題ではどちらかと言うと周りに動かされてアメリカの強い反発を招いたように見えたのですが、事態が悪化する中で防衛相から新たにアメリカ通のスタッフを紹介されると途端にその人たちの説明通りにグアムへの移設は無理だと思うと言い出す始末で、首相自身の考えがそもそもそこにあったのか無かったのか、とても心配になってきます。リーダーがブレーンの意見を聴くことは大事ですが、最後はそれらの意見を聞いた上で自分が判断し、その判断が一貫性の有るものでなくてはならないと思います。景気の問題も重要ですが、国家の命綱ともいえる日米関係を容易く不安定にしてしまうようでは日本がアジアの孤児になってしまうのではととても気がかりです。国民が揃って安心して任せられるような強力なリーダーシップを発揮してくれる指導者はもう出て来ないものなのでしょうか。

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