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日々の思い Archive
「絶えぬ飲酒運転」
- 2008年11月19日 15:27
- 日々の思い
このところ何とも痛ましい轢き逃げ死亡事故が大阪で連続して起きてしまいました。大阪市内で早朝道路を横断しようとして車に轢かれ3キロも引き摺られて亡くなったのは不動産会社でマンション販売の実績を挙げていた若手有望社員でした。そして今度は富田林市で新聞配達中の16歳の少年をはねた車が6キロもそのまま少年を引きずって死亡させて逃走するという信じがたい事件が起きました。被害に会った少年は200軒の配達を一生懸命こなし、前日初めての給料を貰ってお爺さんに好きなお酒でも飲んでと数千円をプレゼントしたばかりだったという思いやりのある少年の姿を偲ばせる話も聞かれました。
二つの轢き逃げ事件はともに運転手が飲酒をした上で車を運転して起こしたもので、飲酒そのものがばれると拙いという判断で現場から逃げようとして、被害者が車に挟まれていようと何であろうと関係なく何キロもの長い道のりをそのまま引き摺って逃走するという普通の神経ではとても考えられないものです。勿論道路交通法では、運転者は人身事故を起こしたらまず何を置いても被害者の救助を図らなければならないと定められており、現場から逃げるということは被害者がどうなっても良いと考えたことになります。従って仮に被害者が死亡すれば未必の故意による殺人と言ってもいいものだと思うのですが、残念ながら現行法ではそのようには解釈されないようです。
さて、私たちが日常ごく普通に足代わりに使っている「車」とはどのようなものなのか、今一度良く考えてみる必要があるのではないでしょうか。どんな所へも自分の思い通りに行くことができる「車」は文明の利器の最たるもので、誰にとってももはや「車」無しの生活は考えられません。しかし、「車」は使い方を誤れば一転して人間に牙をむく「凶器」となるものであり、だからこそ慎重にかつ丁寧に法律に従って扱われなければならないものなのです。そのことを忘れてしまっていると、いい加減な気持で車を運転して事故を起こすことに繋がってしまうのだと思います。
従って、車の運転教育をする第一段階で車はまず慎重にそして丁寧に扱わなくてはならない。そして、車を運転するときは遵法運転を何より心掛けねばならないことを徹底して叩き込むことが必要だと考えます。つまり、飲酒運転に代表されるような法律を度外視するような行為は許されない罪であることを運転者の胸に深く刻み込むことが大切なのです。
そして、実際のペナルティも酷く厳しいものにすれば良いと思います。飲酒して車を運転したら、事故は起こしていなくても即免許剥奪は当然、否もっと厳しい罰を用意しても良いのではないでしょうか。未だに絶えない飲酒運転による死亡事故のニュースを聞くにつけ、飲酒運転を根絶するには本気で取り組まないと大きく改善されることはないような気がします。
更に、事故を起こして被害者を置いてそのまま逃げるなど、救護策を講じなかった場合にも最も重い刑罰を課すことも視野に入れる必要があるものと考えます。この期に及んで、危険運転致死罪を適用するのは困難ではなどという議論をしている段階では無い筈です。性善説のみに立脚してものを考えることはそろそろ改めて欲しいと考えているのは私一人だけでは無いと思うのですが。
総理の周りには
- 2008年11月14日 15:08
- 日々の思い
安倍晋三氏、福田康夫氏と二人の総理大臣が相次いで任務を投げ出して辞職するという、おそらく世界中を見回しても例がない異常事態の中で誕生した麻生太郎政権だっただけに、今度はどんなことが起きようとも男らしく総理大臣としてその任を全うしてくれるだろうと多くの人たちが期待していたはずなのですが、どうも雲行きが怪しくなって来たような感じです。
麻生氏の総理大臣としてのイメージの中には常に祖父吉田茂元首相が在るため、強いリーダーシップを発揮して、時に独断ででも施策を打ち出してくるのではないかという期待感がありました。ところが解散を巡って何度も気持ちが揺れ、そして連立を組むパートナーの要請とはいえ定額給付金の案件を巡って手続き面の調整で二転三転し、最後は市町村に丸投げするという決断の悪さを披露してしまい、想像していた麻生太郎とちょっと違うぞと感じさせられるところが出てきてしまいました。
そして更に基礎的な国語力に欠けるとしか思えない誤読を繰り返して、この方は本当に大丈夫なのだろうかと心配が先に立つ状況になってきています。「踏襲」を「ふしゅう」と読み(「ふしゅう」というと「腐臭」くらいしか思い立つ言葉はありません)、「頻繁」を「はんざつ」と読む。読もうと思ってもそうは読めませんが、「未曾有」を「みぞゆう」と読む。挙句の果てに株式市場の「前場」を「まえば」と一瞬言い間違えてしまうなどちょっと考えなれないミスの連続です。誰もが読み間違えてしまうようなものならまだしも、上記のような間違いは辛すぎます。
このような失態をこれ以上招かないように早急に組織作りを行うことはできないのでしょうか。アメリカであれば演説に関しては専門のスピーチライターがいて読み間違いなど無いように準備が整えられていますし、身だしなみに関してはヘアメイクからコーディネートまで「我らが大統領」を最高にショーアップするためのシステムが出来上がっています。我が国でもそろそろ、最高指導者については格好よく映り、仕事の上で防げるミスは防いで馬鹿馬鹿しい過ちで信頼感を損なうようなことのないように守ってあげる態勢を整えるべきだと考えます。それにしても「ふしゅう」や「はんざつ」の誤読は無いですよね。意味が通じないのですもの。
「堀紘一さんの新著を読んで」
- 2008年11月 6日 14:20
- 日々の思い
去る10月10日に発売されたばかりの「一流の人は空気を読まない」(角川書店)を著者の堀紘一さんから送って頂き、読ませて頂きました。読み始めてぐいぐいと引き込まれとても強い納得感を抱きながら読み終えました。衰退、退廃の道を辿っている今の日本に必要なことがたくさん書かれてあり、さまざまなジャンルのリーダーに是非読んで頂きたいと思います。
堀紘一さんの父新助氏はイタリア大使、パリーグ会長などを歴任した元外交官でした。そうした名門の出身でありながら堀紘一さんは父親とは全く異なる道を歩んで自力で今日の自分を創り上げてきた人です。東京大学法学部を卒業していますが、既に高校時代にだらだらと受験勉強はしたくないと決意。そして効率的な受験対策として過去10年に遡って東大の試験問題を苦労しながら集め、徹底分析して出題傾向に特徴的な流れがあることを発見。更に問題出題者を探し当てて直接インタビューして、何故そのような流れが生まれたのかを解明した上で来るべき年の出題傾向を予想し、短い時間の受験準備で見事東大入学を果たしたというのです。単純に今年は「この種の問題が出るであろう」と山を張ることとは違い、試験問題がどのように作られ、どのような範囲までを問題の領域として出題者が考えているかという問題作成の本質を自分の努力で解き明かしたもので、発想自体が普通の高校生の域を超えています。
東大を卒業すると読売新聞の記者として活動を始めます。初任地富山では取材し原稿を書く毎日。しかし、地方都市でトップ記事となるような出来事が頻繁に起きるわけもなく、かといってじっと待っているだけではどうしようもないことに気が付きます。そこで小さな出来事でも視点を変えて纏め次第では一本の立派な記事になると考え、富山の色々な出来事に注目して、工夫した原稿を書き続け二年目には遂に先輩たちを超えるエース格の記者になっていたそうです。
これも如何に自分のクリエイティビティを発揮していくのかを考えたところから生まれた知恵でしょう。以後今の自分に甘んじることなく挑戦を続け三菱商事に入り、ハーバード大学大学院に留学し、日本人としては数少ない成績優秀者に贈られる金時計を受賞するほど頑張り続けました。そしてボストンコンサルティングに入り、数々の輝かしい実績を挙げて日本法人の社長となって多くのテレビ番組にも出演し注目される存在になりました。
でも彼の挑戦は続きます、ボストンコンサルティングを退社し、新たにドリームインキュベータという会社を興し、夢を抱いて起業したベンチャービジネスマンたちをサポートしています。そして投資を続け、特にベトナム、中国、モンゴルなどで輝かしい成果を上げています。
このように、常に自己改革を志し、狭い枠の中に留まらず構想力を発揮してsomething newを求めて燃焼してきたからこそ今日の堀さんがあるのだと言えます。堀さんは強調します。「会社でも組織の中でも、協調することだけを考えて空気読みの達人になってはいけない。自信を持って自分の頭で練り上げた独創的な構想を提案し、そのためのロードマップを提示できるような体勢を持っていなければならない。それが備わっていれば例えKYと云われても問題ない」と。
さらに堀さんは言います。「人間には失敗はつきもの。勝負に負けることもある。そこから何かをつかみ取り、ここが本当の決戦場というときには立ち上がって戦うこと。迷うことなく持っている全ての力を発揮しなさい」と。私は堀さんほどの能力はありませんが、仕事を通しての体験からいえば堀さんの主張と100%同じことを考えています。皆さんにも是非ご一読を。
「吉永さんの素晴らしさ」
- 2008年10月31日 13:18
- 日々の思い
11月1日愈々東映映画「まぼろしの邪馬台国」が封切りになります。
テレビや雑誌などでたくさんの宣伝が行われていましたので、心待ちになさっていた方も多いのではと想像しています。長崎県島原市が生んだ盲目の文学者宮崎康平氏と彼を支え続けた妻和子の、苦労を重ねながら歩んだ夫婦の愛の物語を、竹中直人さんが宮崎康平そして吉永小百合さんが妻和子に扮して熱演した素敵な映画です。私も宮崎康平氏と同じ島原出身という縁があって端役で出演しているということは前にもお伝えした通りです。
今回東映の岡田社長から地域担当プロデューサーという肩書を頂き、映画館で上映される予告編のナレーションを担当し、プレス向けのメッセージを送り、東京国際フォーラムで開かれた完成披露試写会の司会も務めさせて頂きました。私の出演部分は本当に僅かなものですが、宣伝活動に関わるうちに次第に自分も立派な映画人であるような錯覚に陥り、この映画を何としてもヒットさせなくてはという気持ちになってしまったから不思議ですね。1シーンだけの共演でしたが、宮崎康平に成りきっていて島原弁で自在に台詞を話す竹中さん、台詞の無いところでも夫を気遣う実に細かい息遣いで素晴らしい演技を見せる吉永さん、お二人の役者としての動きそのものが圧巻であり、プロフェッショナルとはかくも卓越した仕事をされるものなのだということを教えられました。
そして、先日11月22日に椿山荘で行われた「吉永小百合シネマトーク」にもお招き頂きました。これは勿論「まぼろしの邪馬台国」公開記念の特別企画として行われたものですが、私はゲストとして後半のコーナーで20分ほど吉永さんとトークをさせて頂きました。
吉永さんは事前に私のことをしっかりと下調べをされていて、生意気だった私の少年時代の話から切り込んでこられました。そのため、先生に余り敬意を払っていなかったために色々先生とぶつかったり不利な扱いを受けたりして、挙句の果て転校までしなければならなかった体験を皆さんの前で告白する羽目になってしまいました。でも自分の反省として、少なくとも学校に行くときは先生には尊敬の念を持って通うべきだという教訓を得たこともお話させて頂きました。最後に私から見た吉永さんの人間として素晴らしい魅力のポイントなどをお話しした後、サプライズゲストの宮崎和子さんを壇上にお迎えして「まぼろしの邪馬台国」の成功を祈り、とても良い雰囲気のうちにトークショーは終了しました。
その2日後、吉永さんにお礼状を出そうと便箋を手にして書き始めたところに何と吉永さんから直筆のお礼状と素敵なプレゼントが届いたのです。またまた恐縮しながら急いでお礼状を送った次第でした。ご挨拶、お礼状と本来私の方から出さねばと思っているのに、いつも吉永さんに先を越されこれで3連敗になってしまいました。吉永さんのいつも変らぬこの謙虚で人に優しい姿勢を私も早く自分のものにしたいと思います。
「ことばの重み」
- 2008年10月16日 13:43
- 日々の思い
ことばの重みについて考えさせられることが最近とみに多い様な気がします。とりわけ公人としての立場にある人は発言した一字一句が俎上に乗せられて議論の対象となるのは止むを得ません。それだけに発言するときには脇をしっかり固めてどの部分を責められても論破でき、それが相手の理解を得られるようでなくてはなりません。
記憶に新しいところでは麻生内閣で国交相に就任したばかりの中山成淋氏が「日本は単一民族」と事実誤認の発言を仕出かしたのをはじめ、「日教組の組織率が高いところは学力が低い」「日教組が諸悪の根源」などと発言して強い反発を招き結果的に辞任に追い込まれてしまいました。
彼自身は文科相時代全国各地の教育の現状をつぶさに見て歩き、日教組にさまざまな問題があり今日もその状況を引き摺っていることを確信していたのであのような発言に繋がったということのようですが、もし言うならば日教組のやってきたことの具体的にどの部分が問題であり何処がどのようにあるべきだったのか実証的に示さなくては話になりません。日教組の組織率の高さと学力の低さには相関関係はありそうに見えるが断定できるレベルではないと本人も認めているとのことですから、ならば具体的なデータを揃えてから議論すべきだったと思うのです。
麻生首相もかつて、日本の米が輸出されて韓国や中国に入ったとき関税などが上乗せされてキロ当たりで日本での価格より何倍ものばか高い価格になることを例にあげて、これはどちらが高いかはアルツハイマーの人でも分かると発言して、病気で苦しんでいる人たちや家族の気持ちを考えもしない配慮に欠ける発言だとして問題になったことがありました。これは同じ内容の話を別の場所でした際、この価格の違いは子供でも分かると言ってみたけど反応が鈍かったので病気の人たちでも分かると表現して受けを狙った結果だったというのですからちょっとお粗末だった感は否めません。また他にも、大雨の被害を受けた愛知県安城市や岡崎市の人たちを怒らせた「これが安城岡崎だったから良かったが名古屋だったらこの辺みんな洪水さ」という失言もありました。これらは善意に解釈すればできるだけ分かり易く砕いて話そうと思ってのことでしょうが、比喩表現はどのような立場にいる人が聞いても適切なものでないと誤解を招き自ら墓穴を掘ることになってしまうのです。
今年も213本のヒットを打ち8シーズン連続200安打以上を記録したシアトルマリナーズのイチロー選手にもハッとさせられる発言がありました。8年連続オールスターにファン投票で選出されるという快挙を成し遂げたとき、彼は言いました。「ファン投票で選出されるメンバーを見ていて、年々歳々メンバーが小粒になっていくなあと思っていたけど今年ほど地味な顔ぶれはない」と。確かにこれは彼の実感だったのでしょう。だがしかし、アメリカの野球ファンがこの発言に素直に肯くでしょうか。自分の実感であっても表現が余りダイレクト過ぎると反感を招く恐れが十分にあると私には思えます。何故ならアメリカの野球ファンは大リーグこそ最高のプレイヤーたちが揃っている場であり、どの時代でもオールスターファン選出メンバーは地味なメンバーではありえないと考えています。
またつい最近、ソフトバンクホークスの王貞治監督が今シーズン限りでユ二フォームを脱ぐとニュースで伝えられたとき、アメリカから日本人選手たちのコメントが紹介されました。その中で、イチロー選手が「王さんは選手として凄い記録を残しただけではなく、人間としての器の大きい本当に尊敬できる人です」という完璧なコメントを出していました。ところがそのあと更に発言が続き「野球界には尊敬できるような人はほとんどいませんがね」と語っていたのです。野球界の先輩方の中には、「え、それはどういうこと」と引っ掛かりを覚える人も多かったのではないでしょうか。これもイチロー選手の正直な気持ちだったのでしょうが、多くの人に抵抗を感じさせてしまっては損だと思います。
この場合、「野球界に心から尊敬できる人がそんなに沢山いらっしゃるわけではありませんが、王さんだけは別格です。選手としても破格の記録を残されたけれど、一人の人間としても器の大きい無条件で尊敬できる方ですね」といった言い方であれば誰にとっても違和感を覚えさせないコメントであったのにと思います。このように、良かれと思って発した発言が本人の意図通りには受け取られないことがあることをよく考えて慎重なコメントを出すような習慣をつけておくことがとても大切だと言えます。とりわけ公人や誰からも注目される存在の人たちにとっては。
「信賞必罰の原則」
- 2008年10月 3日 15:27
- 日々の思い
日本テレビ「THEワイド」が終了してから一年が経過しました。公の場で社会問題に自らの見解を申し上げることが少なくなりましたが、これだけは物申したいと思うことがあり筆を執りました。
それは、今世間を騒がせている「事故米」の問題です。黴が生えたり農薬が許容量を超えて含まれていたりなど食用にはできない輸入米を事故米と呼ぶということも初めて知りましたが、それを工業用の糊にするという名目で購入していながら偽装して食用米として転売していたことが発覚し、更にそれが一部の悪徳業者だけではなく、ほぼ全面的に当り前のように行われていたというのですから驚愕してしまいました。この件について一切の管理責任を持つ農林水産省が実質的な監視や調査など徹底しないで、農水省には責任があるとは思わないと言い切るのですから、日本も凄い国になったものだと思います。
このような有様では、毒入り餃子事件に関して日本政府が中国を一歩的に批判することにとても違和感を覚えてしまい、哀しい気持ちにさせられてしまうのは私だけではないでしょう。国際的な取り決めで一定量の米を買い上げなければならない義務があることは理解できますが、輸入に当たっては厳密な検査を行って不良品は突き返し、お金を出して買えるものを要求するのは農水省の最低限果たすべき務めだと思います。ところが実際は不良品であろうと何であろうと買うだけ買って内容の吟味もせず、黴が生えていても許容量を超える農薬が含まれていても、先方にクレームもつけられないとは恥ずかしい話で、自分たちの務めを放棄していると指摘されても致し方ないのではないでしょうか。
まして、こうして抱え込んだ事故米を工業用の糊の素材として売り出す場合、少なくも工業製品専門の業者を相手に販売しなければならないはずなのに、売り渡し先がほとんど食品業者だったというのは一体どういうことなのでしょう。厳しい言い方をすれば、後はどうなろうと知ったことではない、食品に転用されても自分たちの責任では無いという姿勢が根底にあったと言われても仕方ありません。極めて嘆かわしい状況です。
13年前、日本を恐怖の底に陥れたオウム真理教がサリン事件などの凶悪事件を引き起こしたとき、大きな反省材料として挙げられたことを思い出します。あの上九一色村に彼らがサティアンと呼ばれる施設を次々に作ったとき行政機構はほとんど調査もせず、それをいいことに彼らはサリンなどの化学兵器の製造に邁進していきました。勿論それは明らかに間違いで、不審な建物が一度出来上がれば建築基準法等現行法を緻密に運用し、社会にとってのマイナス要素を排除することに本来は行政機構が責任を負わねばならないはずです。であるにも拘らず、相手が宗教法人だからクレームを付けられたら面倒だと言うことで結局は野放しにしてしまいました。
本来自分たちの職責を果たすためには持っている権限を最大限駆使して国民のため社会のために積極的に力を尽くすべきなのに、何もしないでじっとしていた、所謂不作為の罪の大きさがそこにあったのです。今回の「事故米」問題も行政側の怠慢が国民を大混乱の中に陥れてしまったといえます。それにしても、「偽装」というものが社会全体に充ち溢れ、もはや信じられるものは無いという感じすらしてきました。
その原因の一つは、社会全体に「信償必罰」の原則が貫かれなくなってしまったからだと私は思っています。素晴らしい業績をあげた人は賞賛され、悪事を働いた人はペナルティーを受けるというごく当たり前のことがなされなくなってきたのです。
とくに、悪いことをした人たちは言い訳を述べるだけで、責任を取らなくなってしまいました。経営上の大ミス、食の安全を失わせるような行為、一生ものの買い物であるマンションの偽装など、責任者が形式的に頭を下げ謝罪を行うことを目撃することはありますが、本当の意味で責任を取った人がいたのでしょうか。このような無責任体質を放擲し、一人ひとりが各々に課された義務と責任は最低限果たす、そして出来る限り他人に優しく対処することを社会の原則にすべきだと常々思うのです。
「レクイエム」
- 2008年8月26日 14:27
- 日々の思い
テレビ東京のオリンピック放送のため日本を離れていたのでブログもそのままになっていましたが、今日から今まで通り続けていきたいと思います。
北京にいたのならオリンピックリポートを書けばいいじゃないかと言われそうですが、大会期間中は写真の使用も含めIOCが細かい制約を色々設けていますので、少し時間を置いて感じたことを報告したいと思っています。
さて、8月15日の早朝、長崎県島原市で暮らしていた父親が前日夜遅く亡くなったと言う連絡が届きました。102歳の父は今年の6月半ばから食事が取れなくなり入院していたのですが遂に力尽きました。知らせを聞いた瞬間、本当に最後まで頑張った父親の人生に拍手を送り、父親が私のためにしてくれたさまざまなことに心から感謝を捧げたいと思いました。(実は、北京での滞在中に亡くなる可能性が大きいと考えていたこともあり、悲しみよりも比較的冷静に死を受けとめることができたのだと言えます。)
振り返ると小さい頃、田舎(長崎県島原市)で育った私は生まれついての自然児という感じで時間さえあれば運動場や野山を駆け回っていました。机に向って勉強するなどということは全く考えもしない子供だったのです。大学教授であった父親から勉強しなさいと何度言われてもそれを守ったことは無く、常に鉄拳制裁を食らう有様。4人の兄弟の中で末っ子の私だけはとても扱い辛い存在だったようでした。
中学に入る時、父が私に言いました。「お前も明日からは中学生だ。明日からは学校であったことは全てきちんと報告しなさい。例えそれが自分に都合の悪いことでも、包み隠さず私に全て伝えるんだぞ」と。そうは言っても実際は中々報告し難かったのですが、どんな時でも父は私の話をちゃんと聞いていて、「その件に関して言えばお前は悪くないな。先生の方が間違っている。」などと私を弁護してくれることもあったのです。客観的な立場でものを見ていてくれることで私は父に対し、自分のことを本当に心配してくれているとても心強い味方なのだと感じるようになりました。怖いイメージしかなかった父がとても身近な存在になったのです。
そうは言っても、私の勉強嫌いは直らないままで、陸上部で練習に励んでいた高2のある日突然、「仁、たった今陸上部の退部届を俺が出してきた。これからはちゃんと腰を落ち着けて勉強しろ」と言い出したのです。びっくりして、「どうして」と聞いたのですが、父はこう続けました。「お前は考えたこともないだろうが、運動選手の選手生命はもの凄く短いんだぞ。寧ろスポーツをやめてからの人生の方が遥かに長い。つまり、その後の人生の方が大切なんだぞ。だから今からしっかり勉強して、長い人生を乗り切れるような力を身につけろ。そもそも、お前のように軟弱な性格では運動選手としても大成するとは思えない」と。
話の主旨は勿論理解し、渋々退部届けの件も受け入れたのですが、だからと言ってそれからすぐ気持ちを勉強に切り替えられる筈も無く、悶々とした日々が続き結局受験も失敗し、1年間の浪人生活をすることになってしまいました。
浪人生活を送っている間も「アルバイトはしないで勉強しろ。仕送りはちゃんとするから」。
就職すると、「周りの人たちへの感謝を決して忘れるな。常に謙虚でないといけないぞ。人真似だけでは駄目。クリエイティブであれ」など機会あるたびにそうした注意や指示を受けてきました。「それくらい分かってるよ。くどいな」と思ったこともありましたが、今にして考えてみると、やはり父は本当に良く自分の子供を観察し分析して良い方向に導いていこうとしていたことが分かり、今では感謝の気持ちで一杯になりました。
私のイメージに残っている父の姿は何時も机に向い自分の専門分野の数学の勉強をしていたか、剣道の稽古に精を出していたかといったもので、乱れた姿を目にしたことは一度も無いのです。
そんな父がある時、私に言いました。「お前はひょっとして俺を石部金吉みたいな男だと思っているのか」と。そして私が一瞬返答に戸惑っていると、「人間、そんなことはあり得ないからな」と言ってにっこり微笑んだことがあったのです。その時、妙に父を一段と身近に感じました。
赤貧洗うが如しといった環境の中で小学生の時からアルバイトをして学費を貯え、独力で旧制高等学校、大学を卒業し数学者として働いた父。そして旧満州国新京工業大学で教鞭を取っている時に進駐してきたロシア軍に徴集されシベリア、カザフスタンに送り込まれて3年半の重労働に耐えて生還した父。明治生まれの強い男であった父の人生を振り返ると、何処を取っても勝てるところは無く、唯唯父親は偉大だったなという思いになり、大きな感謝の気持ちと共に「貴方の息子で良かった」と心から感じています。ありがとう親父。
「楽ではないけれど」
- 2008年8月 3日 18:04
- 日々の思い
このところキャスターやアナウンサーの不倫が話題になっています。いつの時代にも必ず出てくる話ではあるのですが、今特に注目を集めている人たちがターゲットになったためさまざまな媒体で大きく取り上げられてしまったということでしょう。
聞くところによると、こうした話題の情報は殆どがターゲットになる人の身近にいる人から寄せられるということです。取材する側にとってはより信憑性を伴う情報ですから取材に入りやすく、いざ取材が始まると一、二ケ月は勿論更に時間を掛けて対象となる人物の行動追跡が緻密に行われるようですから、気をつけていてもどこかで写真に撮られてしまうことになるそうです。
実は、私もNHKを辞めフリーになったとき、これからお仕事をご一緒する放送局の方から次のような注意を受けました。「何か不利になりそうな事態が起きたとき、貴方が局員であれば局として色々配慮して守ってあげられますが、フリーの方々についてはそういうわけにはいきません。従って自分の事は自分で守って頂くしかありません」と。
よく考えてみればごく当たり前のことです。誰でも一人の人間として自由を謳歌したいと思うものです。仮にそれが市井の人で周囲に何の影響も与えない人ならば、不倫は法律に反する行為ではないので、受け取る人の考え方次第でさして問題にされることはないでしょう。ところが、裁判官、教師、聖職者を始め常日頃から人間のあるべき姿を世間に向かって説いている人たちは同様のスキャンダルを惹き起こしてしまうと、普段から言っていること実際に行っていることが違うではないかという指摘を招き、説得力も失い仕事になりません。
同じ様に、社会に強力な影響力を持つテレビで情報番組などを担当している人たちもまた番組を通じて世の中の出来事に批判を加えたり、物事のあるべき姿についても論じたりするわけですから言うことと行うことが相反するのは問題だと捉えられても仕方ありません。また、これは日本独特なのかもしれませんが、一般にテレビに出ている人たちに対する信頼感や期待がとりわけ強いため、期待に反する行為にはより多くの非難が集まるのだと思います。
テレビに出ることで誰でも有名になり注目されるようになります。そしてややもすれば自分の存在の大きさを過大評価するようになり、時に尊大な行動に出てしまうものです。しかし、そんな時こそ今一度自分自身を振り返り、自分の現実の姿を冷静に見つめる心の余裕を持つことが肝心だと、ある方に言われたことを思い出します。その方には、「テレビを見ていて下さる方々がこんなにも自分に対して期待して下さっているということを感じたなら、それを裏切らないようにしよう、期待に応えられるようにもっと頑張ろうと思えば良いのだ」とも言われました。
人間誰しもストイックに生きることは決して楽なことではありませんが、番組を見てくれる視聴者、そして多くのファンによって今の自分があることを考えれば、自ずと自分の行動に対する責任感が生まれてくるものだと思うのですが。
「続 医師のあり方」
- 2008年7月16日 13:53
- 日々の思い
先週のブログでも触れたのですが、入院して初めて癌に冒されていたことが分かった私の知人の女性が亡くなりました。
卵巣と大腸が癌に冒され、腹水にも癌細胞が見つかるなど状況は末期で、はっきり言えば打つ手も殆ど無い状態でした。最初に入院した病院では、癌の原発部位を確かめないと抗がん剤が使えないからということで、体力的に弱っていて今は検査を受けたくないと言っている患者を、医師が自分の論理で検査がどうしても必要だと説き伏せて強引に下剤を飲ませてしまったところまでは前に書きました。今は検査は嫌だという患者の意志を尊重して私が医師に電話をして検査の延期を要請したのですが、その後も患者の医師に対する不信感は変わらないままで、できれば転院したいという患者本人の希望を汲んで友人である新見正則先生(帝京大学医学部准教授)にお願いして練馬総合病院に転院することになったのです。
練馬総合病院は巨大な病院ではありませんが、全てに新しいシステムが出来上がり、医療技術もハイレベルでこの世界では高い評価を受けている病院です。患者を担当してくれることになったのは腫瘍内科の栗原直人先生でした。優しい話しぶりに患者の立場を良く理解して治療を進めようという医師の心が伺えました。患者も「転院出できて本当に良かった。これからちゃんと治って家に帰ることができるように頑張りたい」とまで言ってくれたのでした。
しかし運命は皮肉なものです。患者が戦う意欲を抱いたその時から容態は悪化し始め、時間の経過と共に患者は息苦しさを訴えるようになり遂に転院から4日危篤状態になり、5日目の未明に帰らぬ人となってしまいました。
癌は転移するだけ転移し最後は脳にも転移したようで、言葉も発せられなくなり、不随意運動で体が思わず動いていたとのことです。そしてその動きを繰り返すようになるなど患者が可愛そうだと思える状態となり、結局最後の時を迎えてしまいました。
でも、栗原先生は最後の瞬間まで懸命に手当てを施してくれました。「何としても治してあげたい、そう思って手を尽くすのですが思い通りにはなりません。そんな時、医師として無力感を覚えることもありますがそれに引きずられてしまうわけにはいきません。治療を待っている人に力を与えられるように私たちは頑張るしかないと思っています」と話してくれました。そして、「もう少し元気な状態に戻してあげたかった。心残りがあります。ご家族の皆さんの期待に添えなくて申し訳ありません」とも語ってくれました。
本当に純粋で誰に対しても心優しかった人の命が絶えて声を掛けても答えてくれない亡骸になってしまう人生は無常だなと感じさせられます。ただ今回私たちは患者を自分の家族だと思って何とかしてあげようと手を尽くしてくれる医師たちが居るということを目の当たりにすることができました。このような医師たちであれば何の心配も無く運命を託すことができるという実感を持てたのです。
専門家に聞いたところでは、ここまでのレベルに到達している医師はまだまだ多くはないとのことです。であれば、私たちの側があらゆるルートを使って何処にそういう医師が居るのかを調べることが必要なのだと強く感じた次第です。ただじっと受身の態勢で待つのではなく自らも積極的に動いて道を拓く努力をしなければならないのだとつくづく思いました。
「わが師匠 羽佐間正雄さん」
- 2008年7月15日 16:50
- 日々の思い
元NHKのチーフアナウンサーで、現在はフリーで活躍している羽佐間正雄さんが新著「勝者の流儀」を著し、7月7日その出版を記念するパーティーがグランドプリンスホテル赤坂で開かれました。
羽佐間さんはNHKを代表するスポーツアナウンサーとして夏冬合わせて11回のオリンピックを中継したということで全米スポーツキャスター協会賞を受賞している唯一人の日本人アナウンサーです。
このパーティーでは私とニッポン放送のアナウンサー増田みのりさんが司会を担当しました。羽佐間さんとの関係はNHK時代、昭和45年私の初任地である鹿児島から福岡に転勤した直後に、羽佐間さんが東京から管理職として福岡に赴任してこられた時まで遡ります。スポーツアナウンサーとして第一線で大活躍されていた羽佐間さんは正に私の憧れのアナウンサーでした。「憧れの人と一緒に仕事が出来る」というそのことだけで興奮状態でいたところ、着任早々羽佐間さんは私を呼んでこう次のように言われたのです。
「おい草野君、君には何故俺が東京から福岡に転勤してきたか分かるかい」
私は即座には答えられず「分かりません」としか言えませんでした。そして、続いて出てきた羽佐間さんの言葉に私はたちまちノックアウトされてしまいました。
「俺は専門職のスポーツアナウンサーとして東京にそのままいても良かったんだが、わざわざ福岡まで来たのは実は君を育てるためなんだよ」
これ以上は有り得ない最高の殺し文句でした。その言葉を聞いた瞬間、私の魂は天に昇っていました。でも次の瞬間には、何時もの冷静さを取り戻し、「そうだ、自分自身が頑張るのは勿論のこと、これは羽佐間さんの為にも恥をかかせることのないように全力を尽くして仕事に邁進しなくてはと気持ちが奮い立ってくるのを感じたものです。
それから三年の間、あらゆるスポーツの放送について羽佐間さんから直接ご指導やお叱りを頂くことで私自身修練を積むことができました。そしてスポーツアナとして次のステップを踏みなさいということで私を大阪放送局に送り出して下さいました。
ですから私にとって羽佐間さんはこの道の師匠であり、羽佐間さんには勿論沢山の弟子たちがいるのですが私こそが一番弟子だと(本当は不肖の弟子なのかもしれないのですが)自分では思い込んでいるのです。私が東京に転勤してNHKを退職するまでの間、仕事を通じても私的な面でも様々な導きをずっと頂いてきました。
今日このようにアナウンサーとして頑張ってくることができたのは羽佐間さんという素晴らしい先輩の存在があればこそであり、師匠に対して何時も尊敬と感謝の念を忘れたことはありません。誰でも職業人として成長して行く過程で色々な出会いを体験しますが、矢張り素晴らしい上司や尊敬すべき先輩に巡り合えるかどうかというのは、その人の将来を大きく左右する運命とも思えるものだという気がしてなりません。その意味で私自身は最も大事な時期に羽佐間さんと出会うことができたという本当に幸運な人間だと思っています。
さて羽佐間さんも今年の11月で77歳になられます。今回の出版はこれまでのスポーツについて自らが蓄積してきたものを集大成する形で発表しようと企図したもので、書いていくうちに何と400字詰め原稿用紙で1000枚にも及んでしまったそうです出版社からは「これでは新著3冊分になってしまいますよ」と言われてしまったとのことでした。従ってこの秋に第2弾が出版されることになっているそうです。
この類希なエネルギーと今もって衰えを感じさせない美声(パーティーでは自慢の歌も2曲披露されたのです)。吾が師匠は本当に凄い人だなと弟子として改めてその存在の大きさを嬉しくそして誇らしく感じたものです。
「アメリカ独立記念日パーティー」
- 2008年7月14日 16:35
- 日々の思い
7月4日、アメリカ合衆国の独立記念日を祝う米国大使館主催のパーティーに招待され初めて出席しました。例年このパーティーは米国大使館で開かれていたそうですが、今年はサミットを前にG8外相会議が開催されていたためにすぐ隣のホテル・オークラで行われました。
何分初めてでしたので、どんな感じのパーティーなのかとても楽しみでした。厳重なセキュリティーチェックを受けて会場に入ると、カントリーミュージックの演奏がゲストを迎えてくれていました。
日本の場合ですと、まず司会者が出てきて挨拶や乾杯などが冒頭に来るのが通例ですが、ここではまず、飲み物や料理など(と言っても、これまたアメリカ流でホットドッグ、ドーナッツ、ビール、カクテル、ソフトドリンク、アイスクリーム、スナックなど)を自由に楽しんでもらい、コミュ二ケーションを深めて頂こうということでざっと一時間ぐらいの時間が歓談ということで用意されていました。そしてその間、BGMとしてのカントリーミュージックバンドは休み無く演奏を続けていました。こういう格式張らないフランクなところがアメリカ流なのだなと感じ、とても心地よい感じがしたものです。
さて、アナウンスの後、J・トーマス・シーファー駐日大使が徐に登場、続いて高村外相が登場し、それぞれに日米の友好の大切さを称えあい、更なる連携の強化が必要だと強調しました。
そして、女性シンガーのクリスタル・ケイさんがアメリカ国歌を見事な歌声で歌い上げ、一通りの儀式を終えると、大勢の招待者の間をシーファー大使が回って親交を深めるという段取りで進行していきました。
実はシーファー大使とは昨年お会いしました。当時担当していた「THEワイド」のインタビューコーナーで私自身大使館を訪れてお話を聞く機会があったのです。お忙しい中、番組のために長い時間を費やして番組のために日米関係についてお話し下さいました。
ブッシュ大統領の信任がとても厚く、生真面目で、物事に真っ向から真剣に取り組む人で、日本にとって素晴らしいパートナーです。拉致問題にも深い憂慮を抱き、解決のために出来ることは何でもしようと手を差し伸べ、横田早紀江さんとブッシュ大統領との対面を実現させたことは余りにも良く知られています。日本のためになることは最大限の努力をしてそれを現実のものにしようと努めてきました。
今までも親日家と言われた米国大使は当然何人もいましたが私はシーファー大使こそ真の親日家だと確信しています。来年早々ブッシュ大統領の任期が終わると同時に大使の任期も終わりです。あと半年で日本を去らなくてはならないわけですが、そのことを語るときの表情には少し寂しさが覗いていました。
日米関係の重要性を考えると、シーファーさんのような人を今後も継続的に繋ぎ止め、折に触れてアドバイスをもらえるような関係を保つべきだと思うのですが、もしそのようなことを考えている政府関係者が少ないとしたら、極めて残念なことと感じます。
「医師のあり方」
- 2008年7月11日 15:59
- 日々の思い
近しい知人が病に倒れました。突然具合が悪くなって病院に担ぎ込まれたのです。お腹が痛い、息苦しい、排泄が上手くできないなどの症状でどうにもならなくなり、近所に住む友人が色々手配をしてくれて何とか入院できました。
そこでの医師の診断の結果は周囲の想像を遥かに超えて、卵巣がん、大腸がん、また腹水の中にもがん細胞が見つかったというのです。本人への告知はされておりませんが、進行度で言うとレベル「4b」、つまり末期で回復の見込みがほぼ無い状況だということでした。しかも余命については月単位というより週単位で考えるべきだというのがその家族に対する担当医師の説明でした。
それを聞いて私も大変驚きました。昔その知人の家に泊まると、朝は美味しいチーズトーストを沢山作ってくれて持て成してもらったことを今も懐かしく思い出します。何事につけても温かい心配りでその優しさが自然に心に伝わる素敵な人なのです。その人が不治の病に侵され、極めて重篤な状況に置かれているのは何と残酷な現実なのだという思いで一杯です。
辛いことですが、この人のために何をしてあげるのが最良のことなのかを考えていかなければならないと周囲は考え始めました。そこで本人の性格を熟知している家族は本人が受けるショックの深度を危惧し、本人への告知は当面控えようという結論に達し、その点は医師にもお願いしました。
すると、担当医師は先ずがんの原発部位が卵巣なのか大腸なのかを確定する必要があるので患者の大腸のカメラ検査を行いますと家族に伝えてきました。とはいえ、患者本人は腹水が溜まっているため呼吸をするのも辛いと訴えている状況を見ると今すぐ大腸検査をするのは却って患者の体力を消耗させるだけで得策ではないと考え、検査は暫く先に延ばして欲しいと看護師さんを通してお願いしたのです。勿論、患者本人も極度の疲労や苦しみから今はとても検査は受けたくないと強く言っていたことも考えてのことでした。
ところがそのようなお願いをしたにも拘らず、医師は家族のいない間に、家族の了解も得ず本人にがんの告知を行い、原発部位の確定を行わないと治療ができないので予定通り明日大腸検査を行いますと通告をしたのでした。
家族から連絡をもらい、説明を受け相談をされた私はすぐ担当医師に連絡を取り、何故依頼通りに延期してくれなかったのかを問いましたが、返事は要領を得ませんでした。患者も同意してくれたのでと繰り返すばかりです。埒が明きませんでしたが、とにかく今回は延期してタイミングを見て実施することにして下さいと要請して電話を切りました。後に聞きましたが、患者は飲まされた下剤の影響で一晩中トイレに通って辛かったということです。
不審に思ったこともあり、このままではいけないと考え翌日家族側と医師たちとの間で話し合いが行われました。
そこでは、家族の側からは患者第一で患者の気持ちを大事にして診て頂きたいということを切にお願いしました。医師の側もできる限り要望に沿うようにしますという見解が示され、双方の側にあった溝は少しだけ埋まったような気がしましたが心配が全くなくなったわけではありません。
実はこの時、私の友人でもあり担当しているテレビ番組「主治医が見つかる診療所」にも出演中で素晴らしい見解を何時も披露してくれる、帝京大学医学部准教授の新見正則先生に家族側のアドバイザーとして同席をお願いしていました。先生は第三者の立場で質問をしたり、双方の間をまとめたりなど本当に大きな役割を果たしてくれたため、家族はとても救われた気分になったのです。
病院には病院の事情、医師には医師の事情があるのは十分理解できますが、患者の心理状況や性格そして病状などの要素を総合的に精査して、できるだけ個々の事情に則したケース・バイ・ケースな対応をしてもらいたいと感じた次第です。
新見先生は信条として「患者さんを診るときはいつでもその患者さんを自分の親と思って接して下さい」と自分の学生たちには教えています。その言葉通り、全ての医師がそのような考えを持つようになれば今存在する問題はかなり良い形で解決できるのではと思うのですが、現実はまだまだそこまで至っておりません。新見先生の指摘で改めて医師のあり方について考えさせられました。
「悲劇を繰り返さないためにも」
- 2008年6月16日 16:37
- 日々の思い
秋葉原で起きた無差別殺傷事件,またしてもこんな酷い事件が起きてしまったのかと暗澹たる気分にさせられてしまいました。
何の罪も無い人達が命を奪われ、肉親や関わりの深い人たちを癒されることの無い悲しみのどん底につき落とすこのようなことが二度と繰り返されてはならないはずです。断片的な情報から事件の背景に迫る報道もありますが、未だ事件の全体像までは明らかになっていません。全般に容疑者の人間像を解明しようと、生い立ちや彼が残した携帯サイトの書き込みなどを細かく追い求めている報道を見ますと、事件の最前線に立って取材をされている方々もさまざまなご苦労をされていることと察します。
私自身何よりも関心があるのは、何度も繰り返されるこのような事件が起きてしまうことをどうしたら防ぐことができるのか、または仮に起きたとしても被害を最小限に止めるにはどのような方法論が考えられるのかということです。そこから具体的にできることを社会全体で実践に移していくように進んで欲しいと思います。
残念ながら日本人の弱さの一つは、事件が起きた時にはわっと大騒ぎをして議論が沸騰しますが時の経過と共にそのことを忘れてしまい、結局きちんとした対応策も打ち出せないで終わってしまうところにあるような気がします。従って、同じような事件が繰り返されたとき、前回と同じ様に右往左往して苦吟しなければならなくなるといった光景を目にすることになるのです。やはり、もっと冷静にそして時にもっと冷徹に論理的に有効な手立てを厳しく追求することが大切だと思います。
思えば、地下鉄サリン事件という世界が経験したことの無い事件で甚大な被害を受けたにも拘らず、同じ様なテロに対して何処までの抑止力を社会全体として持ってきたのかを検証してみると現状は13年前とそれほど劇的に変化していないことを以前担当していた番組でお伝えしましたし、正直その時は慄然としました。
このままでいい筈はありません。何の理由も無く輝かしい未来を奪われてしまった人たちの魂に少しでも報いるために二度と類似の事件を起こさせないように努めることが何よりも肝心なのだと私は思います。このことは社会全体で真剣に考えなければならないし、とりわけ政治家たちはもし犠牲になった人たちが自分の家族であったら、自分はどう反応し、どう行動するだろうかという現実感をもって迅速な行動をとって欲しいものです。最終的に国民の生命や安全を守るのは政府ですし、そして同様に政治家一人一人の責務なのですから。
「ごあいさつ」
- 2008年5月25日 23:43
- 日々の思い
日常のテレビ番組出演を通して感じたこと、こうあるべきではと思ったことなどを折りにふれて明かにしていきたいと考えています。又、番組を離れても一人の生活者として考えたこと、趣味の世界との関わり等についても逐次述べて行くことにしたいと思っています。
1回目の今回は「女優 吉永小百合」さんについてです。
3月上旬、私は東映映画「まぼろしの邪馬台国」に出演する為、長崎へ向かいました。ロケ現場は長崎大学経済学部の広い講義室で、私の役は邪馬台国についての研究シンポジウムの司会者。主演の竹中直人さんが映画の主人公・盲目の宮崎康平役、吉永小百合さんは何時も夫の傍らで支えるその妻和子役。シンポジウムでは大学教授の邪馬台国についての説に康平が反論、嫌悪な雰囲気が漂う、司会者である私は何とか二人を上手くつなごうとするが...というシーンの撮影だったのです。
ロケ現場に入ろうとすると反対側の入り口から入ってきた吉永さんが私の所に飛んで来て、「吉永です。今回はお忙しい所を長崎まで来て頂いて本当に有難うございます」と御挨拶をして下さいました。本来なら私の方が先に御挨拶をしなくてはならないと思っていたのに物の見事に先手を打たれ、心地良い一本を取られてしまいました。
そう言えば10年以上前、幕張NKホールのイベントでお会いした時も吉永さんが先に私の部屋まで来て下さり、丁寧に挨拶して下さったことを思い出しました。これで二連敗です。日本を代表する大女優ですが人と人との交わりは挨拶から始まるということを身を以って示していらっしゃるのだと強く感じました。
それから六時間近く撮影は続きましたが、カメラが回っていようといまいと、スタッフにかける声が優しく穏やかで、でも言いたいことはきちんと伝えるという彼女独得のものでした。又、このシーンでは吉永さんにはセリフは無く、康平の言動を心配しながら傍についているというものでしたが、実に細かい動きの一つ一つに夫に対する絶妙の思いやりが感じられてプロの俳優の演技の奥の深さに思わず感動してしまいました。更にこの日、彼女はこの映画のタイトルの入ったジャンパーを秘かに作ってきて撮影の合間にスタッフ全員にプレゼント。チョイ役の私まで頂戴してしまったのですが、スタッフの皆さんの喜びようときたらそれはそれは大変なものでした。
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