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日々の思い Archive

「思うに」

熊本の地震がなかなか収まりません。被災者の皆さんの心労と不安はいかばかりかと案じます。とにかく早く地震が収まって被災した皆さんが生活再建に向けて動き出せるようになってほしいと願うのみです。

日本という国はこれだけ多くの自然災害に襲われるのですから、その度毎に協議して激甚災害法を適用するかどうかと頭を惑わさなくても済むように、大災害に備えて予めアメリカのFEMA(緊急事態管理庁)のような組織を作っておくということが必要だと思うのです。アメリカでは元々は核戦争で攻撃を受けた時に備えて被災地に政府にとって代わってあらゆる決定権を持たせた(お金の出し入れや法的規制の権限を持った)組織なのですが、日本の場合は自然災害への迅速な対応に特化した組織が存在すれば、より物事がスムーズに運ぶのではないのでしょうか。

かつては佐々淳行さんも一時FEMAのような組織の必要性を強調していましたが、最近は余り聞かれないように感じます。今一度是非を議論して頂ければと思ってしまいます。

「久しぶりのコンサート」

先日、府中の森芸術劇場に初めて行きました。あさみちゆきさんのコンサートを見るためです。あさみさんのコンサートは三年ぶりだそうです。この間あさみさんは結婚し、お子さんを設けて母になっているので、歌いっぷりなどに変化があるかもしれないと想像しておりました。

登場したあさみさんが歌い始めたのは「夢は夜ひらく」のあさみさんバージョンからでしたが、声の伸びがよく、声に力強さが出て以前より迫力が増した感じで、やはり出産、子育てを体験して強くなっておられるのだなと思いました。次々に歌っていく曲もその感じは変わることなく、歌手としてさらにレベルアップされたのだと確信しました。

最近私が最も気に入っている「鮨屋で」は聴いていて情景が思い起こされ、思わず涙してしまうほどで素晴らしい出来栄えでした。

そして、あさみさんが尊敬する山崎ハコさんに曲を書いてもらったという新曲「かすみ草エレジー」も中々素敵で、そのハコさんをゲストに迎えてのトークも聞き応えがありました。

あさみさんのコンサートには初めてということもあり、会場の雰囲気にはいささか当惑した箇所もありましたが、久しぶりにいい音楽を堪能できた夜でした。

「6回目の年男」

今日、私は72歳になりました。こんな年齢まで生きるとは想像もしていませんでしたので、少々複雑な気分ではありますが、たくさんの人たちから祝福をして頂けてそれは有難く嬉しいものです。

今後の生き方としては、年齢を気にせずやれることはきっちりやっていこうと考えています。周りに目を向けるとやってみたいことがいっぱいあるのに驚きます。結果は恐れず、やろうと思ったことに目を向けて、真剣にそれと取り組んでみようと思います。あまり、力まず本当にやれることに目を向けます。

とにかく健康で他人に迷惑をかけることなく、前進したいものです。とは言ってもあまり厳密に縛りをつけてやろうとすると挫折しかねませんので、ある程度緩い枠組みでやっていこうと思います。

「雑感」

先日、番組のロケで九州を旅しました。ほぼ四半世紀ぶりに霧島神宮を訪れてお参りをしました。そのときにおみくじも引いてみたのですが、「大吉」ということで嬉しくなりました。とは言うものの、たくさんのおみくじの中から引いた一枚がそうだっただけで、もし隣のくじを引いていたら違った結果だったかもしれないと思うと、このことで舞い上がるべきでは勿論ありません。ただ、気分が良かったということは間違いない事実です。

話は変わって、期待のラングレーが連勝、リヤンドファミユが久々の勝利をおさめ、日曜日は京都記念でタッチングスピーチが2着に入るという嬉しいニュースが続きました。中でもタッチングスピーチは体がどっしりとして付くべき筋肉が身についたようで、さらに期待できるのではという実感です。もし良馬場だったらもっと良い勝負になっていたでしょう。今後が楽しみになってきました。

「高齢者運転講習」

今日、横浜市の青葉自動車学校に、免許更新を前にした70~75歳の人たちのための高齢者運転講習に行きました。

朝8時半集合。そして視力検査(動体視力も含め)や反応力テスト、視野検査、そして運転実技などみっちり3時間以上にわたる講習でした。初めはどのような内容のものかあまり分からなかったので、そんなにも時間をかけてやるべきなのだろうかなどと思っていたのですが、講師の先生のお話を聞いているうちに、やはり講習が如何に意義深いものかがよく分かりました。

というのも、高齢者の引き起こす事故の数が極端に増加し、さまざまな悲劇につながっている実態があるからなのです。講習を受けて分かったのは、自分の動体視力などは極めて良かったものの、暫く運転から遠ざかっていたこともあり、状況変化への対応に誤作動があったりしたことで、自分では大丈夫と思っていても必ずしも思い通りにはいかないものだということです。その意味でとても有効な講習だと感じましたし、というよりももっともっと運転能力についての審査も厳しく行われるべきなのだとも思いました。

いずれにせよ、講習というものはとかく義務感でやり終えるという気持ちになりがちですが、講師を担当してくださった前田先生の話術が素晴らしかったので、笑いを交えとても楽しめる講習になっていまして3時間半がすごく短く感じられました。また実技や検査に立ち会ってくださった先生方もとてもソフトな印象で一人一人を大切に扱ってくださり、終わってみればすごく気分の良い講習会でした。前田先生を初めすべての先生方に心からお礼を申し上げたいと思います。本当に有難うございました。

「ありがとうございます」

先週23日に放送されたTBS「日立世界ふしぎ発見!」2 時間スペシャルがお陰様で多くの方々にご覧頂きまして、関東15.3%、関西17.8%と高い視聴率を得ることができました。

本当にありがとうございました。番組スタートから30年目で今尚多くの皆様に支持して頂けていることは番組担当者としては最高の幸せです。今回は若い3人のディレクターに3つの謎を最新の科学技術で解いてもらうという試みで、それぞれのディレクターが最大の力を発揮してくれて興味深い作品に仕上がりました。試写、打ち合わせの段階から出来が素晴らしく、視聴者の皆様の反応がとても楽しみでしたので、翌月曜日の視聴率の発表が待ち遠しくてなりませんでした。

往々にして期待しすぎるといささか落胆させられることがありますが、この日は予想に違わぬ数字が出て、本当にほっとしました。まだまだ視聴者の皆様がこの番組に期待してくださっている、と思うとまた一段と元気が出てきて、もっともっと内容の濃い番組にしていこうという気持ちにさせられました。

テレビは視聴者の皆様のご支持があってこそ存在できるものであり、これを励みとしてスタッフ一同さらに頑張っていこうと気持ちを一つにしました。皆様には本当に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

「立川志の輔さん」

このところ立川志の輔さんのライブを見せてもらっています。

志の輔さんは、私がフリーのキャスターになった1985年、私がMCを担当することになった「朝のホットライン」のリポーターオーディションに応募してきて、断トツの評価で採用された人でした。そこから5年間一緒に仕事をさせて頂きましたが、彼は本来業務である落語家として、ありとあらゆる可能性を追求し、古典落語だけの世界にとどまらず、ジャンル拡大のため色々な実験を行いつつ、次第に自身の世界を構築してきて、今日の志の輔ワールドを築き上げてきた努力の人でもあります。

今年20年目を迎えたというパルコ劇場での公演を久しぶりに見せて頂きました。特に伊能忠敬の一生を語った部分は情報としての正確さは勿論、伊能に関わるあらゆる要素が語られていて、最高峰の情報エンタテインメントになっていました。これほどまでに緻密な落語は初めて見ました。これまで如何に苦労をし、いかに苦しんできたかその道筋に少しだけ思いを馳せた次第です。本当に素晴らしい人ですね。

初めて会った時から30年の時を経て、素晴らしい境地を切り開いた志の輔さんに心から敬意を表します。と同時に自分自身の努力の足りなさをしみじみと感じた次第です。

「新年も頑張ります」

2016年が明けました。

かなり温かく穏やかな新春で、逆に何か良くないことが起きるのではと心配になるほど平穏な年の初めです。

今年は、忙しかった昨年の疲れを取り、新年に備えようと自宅で過ごしました。先ずはシルベスター・スタローン出演の新作映画「クリード」を見に行きました。あまり期待はしていなかったのですが、ボクシングシーンになると現実のボクシングよりも遥かに凄い威力のパンチの応酬が展開され、あっという間に引き込まれ、かつ人間同士の心の通じ合いに何度も涙する始末でした。よくできた作品だと思います。

スタローンも年を取りましたが、老いて後遺症も背負った元ボクサーの姿をとてもうまく演じています。そして主人公クリード役のマイケル・B・ジョーダンがフレッシュで将来性を感じさせる演技を見せているのも好感が持てます。敵役となったイギリスのボクサーアンソニー・ベリューも中々の好演で映画を見事に盛り上げています。見て良かったという気持ちになれたのは何よりでした。昨年末に見た「海難1890」も素晴らしい出来栄えの作品でした。双方の製作者たちの努力に心から敬意を表したいと思います。

「新年を迎えて」

2015年を迎えました。

人生に残された日々が次第に少なくなっていく感じもしますが、そのことを余り考えてみても致し方ないので、やはり今まで同様前向きに歩いて行こうと思います。

まず仕事の面でいえば「日立世界ふしぎ発見!」がこの4月で番組開始30年目に突入します。一回一回、悔いを残さないよう更に完成度を高めていきたいと考えております。スタッフの中にも随分若い人たちが増えてきて、「小さいころからこの番組を見ていて、自分で番組つくりをやってみたいと思っていました」という言葉を聞くのが当たり前のようになっているのですが、若い人は若い人なりの鋭い感性を持っている人が多く、彼らの作品に期待することが増えてきて、とても良い傾向だと感じます。視聴者の皆様にもまだまだこの番組を見ていたいと思い続けて頂けるように頑張らなくてはなりません。

また、「主治医が見つかる診療所」もやはり高齢化の中で番組に対する視聴者の期待感が非常に高まってきているおかげで、とても良い反応を頂いています。その分正確で健康づくりに貢献できるような研ぎ澄まされた情報を送り出さなければとスタッフ共々意気込みを高めている次第です。

更に、グリーンチャンネルの「草野仁Gate J. +(プラス)」もより競馬の奥深さが伝わるように力を尽くしていきたいところです。

そう言えば、出身地長崎の長崎市科学館の名誉館長も6年目を迎えます。子供たちの科学への関心を呼び覚ますために今年は思い切り動いていきたいと考えています。

その他、本の出版も予定しておりますし、「がんばらなくっちゃ!」の一年になりますね。そのためには体力の涵養、できれば肉体改造まで行けると良いなと思います。

最後に競馬ですが、愛馬が活躍してG1に手が届けば嬉しいですね。まあ、夢を見ながら前進したいものです。

実はこの3月で個人事務所をスタートさせて丸30年になります。非力な私を様々な形で支えてくださり、支援してくださった皆様に改めて心から御礼を申し上げたいと思います。本当に有難うございます。これからも引き続き御愛顧のほどを宜しくお願い申し上げます。

「今年を振り返って」

2014年も終わろうとしていますが、何とも忙しい一年でした。

レギュラーでお世話になっている番組の方々とは今年もとても仲良くお仕事をさせて頂きましたし、他にもさまざまな番組に出演させて頂き、そこで多くの人たちとの出会いがあり、更には全国各地から講演のご依頼を賜り、色々なところを旅しました。

11月に人口が6000人を切っている福島県天栄村に伺ったとき、村で作っている天栄米が米の食味コンクールで5年連続金賞を受賞していると聞いて驚きましたが、後日実際に味わってみると本当に美味しい米で、流石5年連続の金賞受賞米だと納得いたしました。村ではこの他にもヤーコンや長ネギを特産品として売り出しており、更にブリティッシュヒルズという立派な建物を作り語学研修、企業研修に利用してもらえるようにしているほか、村の子供たちも英語に親しめるよう環境作りを進めているのです。この他にも自治体としていかに個性を発揮していくかについて、皆苦労しながらも力を尽くして頑張っていらっしゃいます。安倍政権が目指している地方創生にエンジンがかかると良いなと思った次第です。

また、秋には我が出身地長崎で開かれた「長崎がんばらんば国体・大会」に式典アドバイザーとして力を尽くしました。台風19号の接近などで心配されたのですが、結局災いなく無事に終えることができてほっとしました。しかも県の関係者を中心に素晴らしいチームワークが出来上がり、両イベントは他県からも高い評価を頂けたということで嬉しい限りです。

振り返ると、特に10月、11月は殆ど休みなく働いていて、改めてまだまだ体力は十分有るなとも思ったのですが、過信をせずに頑張っていきます。

「長崎にて」

先週末長崎に出かけました。

30日土曜日は長崎国体のボランティアの皆さんに「おもてなし」についてのお話をしてほしいというリクエストを頂戴して、「おもてなし講演会」と題してお話をさせて頂きました。

人はさまざまな思いでおもてなしを行い、一方おもてなしを受けた人はその気持ちに感謝をしますが、完璧なおもてなしというものはなかなかできるものではありません。であれば、更に喜んで頂くにはどうしたら良いのか。受けた人にとって一生忘れられない素晴らしいかたちのおもてなしというものを目指していくことがとても大切なことだと思います。

そもそもサービスというものはマニュアルに沿ってやっているだけで良いものではないはずです。やはり真心を込めて自分にできる限りのことを精一杯することが最も肝心なことだと思います。相手の期待に応えるだけでなくその期待を超えるおもてなしができたとき、より一層の感動や感激が生まれるのではないでしょうか。

特に想像もしていなかった小さな子供が発揮するもてなしの威力はすごいものがあります。もう3年以上も前に、山形県の山寺で1100段余りの階段を上り下りして、山門に辿り着いて一休みしていたとき、地元の小学生と思われる姉妹二人がそばに寄ってきて、「お疲れさまです。宜しければこれをお召し上がりください」と素敵な微笑とともに、かごに入ったおかきを私に差し出してくれました。大人が繰り出すような丁寧な言葉使いでおやつを振舞ってくれたのです。あれほど感動したことはありませんでした。

翌31日日曜日、私が名誉館長を務める長崎市科学館が17年かけて250万人の来館者を突破した記念のセレモニーに出席しました。長崎市の田上市長や科学館の皆さんとの楽しいトークショーが行われ来場者の皆さんもとても喜んでくださいました。任期の間は精一杯頑張って更に賑わう科学館にしなければなりません。ベストを尽くします。

「初孫」

7月20日、私に初孫が出来ました。

大変な難産でしたので母体が大丈夫だろうかと心配したのですが「母は強し」ということなのですね、産後も元気いっぱいで周りもほっとしました。生まれたばかりの赤ちゃんを目の当たりにするのは本当に久しぶりのことですが、何とも可愛い赤ちゃんで見ていて飽きません。

今から40年以上も前、自分の子供が誕生したときのことですが、それまで生まれたての赤ちゃんを見たことがなかったため(赤ちゃんは粉ミルクのCMに出てくるように色白でぷくぷくした可愛いものと思い込んでいました)、いざ生まれた子を最初に見たときには正直あまり可愛いとは思えなかったのですが、こうして立場が変わり孫として客観的に見てみると本当に可愛いものですね。顔立ちもなかなかよさそうですし、指が長くて器用そうですし、脚も長そうで大きくなりそうです...

と途端に爺馬鹿になってしまったようですね。

「誰も書かなかった武豊 決断」

作家の島田明宏さんが上梓した「誰も書かなかった武豊 決断」を読みました。

島田さんは武豊騎手を25年にわたって取材し、海外遠征にも同行し、ずっと武騎手を一番間近で見守ってきた人です。常に取材対象に敬意を抱き、適正な距離感を保ち、ジャーナリストとしての冷静な目を失わない島田さんの生き方が何よりも武豊騎手の信頼を得て、二人の間にとても素晴らしい関係が出来上がっているのです。そこに描かれた武豊像はまさしく等身大の武豊さんです。これまでのさまざまな場において武騎手がどう考えどう行動してきたのかが分かり易く精緻に描かれていて、それを知るとより一層武ファンになってしまうことでしょう。

天才といわれる人が基本的に物事をどう考え、どう処理していくのか私たちにとってもとても参考になります。読み終わって元気を与えられると同時に何とも言えない爽快感を覚えました。それは誰よりも親しい関係にあるのに、そのような感じを読んでいる人に微塵も感じさせない島田さんのジャーナリストとしての姿勢が貫かれているからだと思いました。多くの皆さんに読んでいただけたらと感じています。

「悲劇を避けるためにも」

韓国のフェリー沈没事故は想像以上の犠牲者を出す大惨事になってしまいました。事情が明らかになるにつれて、危険を回避するためのさまざまな手当てがほとんど行われていなかったことが分かってきました。

まずは事故が起きたときの乗組員の行動が何とも納得がいかないものでした。何をおいても乗客の安全を図ることが海で生きる人間の大原則ですが、15人のうち、12人の乗組員が乗客よりも先に脱出していたというのです。中でも船長は真っ先に一般人を装って海洋警察の船に乗り込んでいたとか。また乗員が非常時の訓練を受けたことがなかったというのも驚きです。荷物や自動車を規定より多く載せて運航することも当たり前のように行われていたとも伝えられます。

この一件を朴政権がどう処理するのか非常に注目されます。こうしたケースを参考にして日本でも同種の仕事をされている人たちには、今回のようなことが起きないように常に万全の態勢を取ってもらえればと願います。人間というのはついついミスをしてしまうことがあるからこそ、それに備えた危機管理体制をとっておく必要があるのです。

「リベンジ・マッチ」

先日、ロバート・デ・ニーロとシルベスター・スタローンが主演した新作「リベンジ・マッチ」という映画の試写会に行きました。

かつてボクシングでチャンピオンの座を賭けて相争っていた両雄が遺恨を残したまま引退。全く異なる人生を歩んできたのですが、ひょんなことから30年ぶりに両者が雌雄を決することになるという驚きの設定。共に60代の二人がボクシングで対決ということですが、正直一体どんな映画になるのだろうと少し心配しながら見に行ったのです。

ところが、映画が始まってみると今の時代状況を反映した要素がきちんと取り込まれていて、ストーリー展開も見事。そして対決までの二人のトレー二ングも見ものであり、そこには人間ドラマもしっかりと盛り込まれていて、なんとも見事な映画に仕上がっていたのです。

素直に楽しめて、涙もあり、笑いもありの最高の娯楽映画になっていました。この何年かで見た最も楽しめる映画だったと言えます。デ・ニーロもスタローンも本当に良く頑張った映画で心から賛辞を送りたいと思います。機会がありましたら是非ご覧いただきたい作品です。

「いつまでも寒いので・・・」

今年の冬は寒さが厳しいなと感じさせられます。というより寒さが例年より長続きしています。異常気象は地球規模のようで、アメリカのテキサス州では、摂氏26度あった翌日に気温がマイナス7度に下がったとか、もの凄い変わり様ですね。

昔、プロ野球のキャンプを取材していたころは、キャンプインの2月初旬は宮崎や高知でも結構寒く、大変な思いをしたこともありました。それでも日が経つにつれ、少しずつ気温が上がり始め、下旬にかかるころになると一気に温かさを感じさせる日が出て来て、ほっとさせられることが良くあったものです。

でも今年ばかりはいつまでも寒いですね。あす5日にはまたまた雪が降るのではという予報が出ている始末です。今年は思い切りウォーキングを楽しもうと思っているのにこの寒さではちょっと躊躇してしまいます。我が家の愛犬たちも早く散歩に出たいと私の顔を見上げるばかりです。目標としては、毎日1時間くらいはウォーキングをしようと考えています。

「古希を迎えて」

先月24日、とうとう私は70歳の大台に乗りました。つまり古希というわけです。

普段は年齢のことなどすっかり忘れて生活しているので、皆さんからおめでとうございますと言われると「あぁ、こんなにもロートルになってしまったのだなあ」と感じてしまいます。

ちょうど同日、日本テレビの「ZIP!」の中で今日誕生日を迎え70歳になった有名人は誰でしょう、というクイズが出され、私の名前が解答だったそうで、ご覧になった本当に多くの方々から「古希おめでとうございます」という祝福の声をかけて頂きました。この仕事をしている人間としてとても嬉しいことでした。

担当番組では、「日立世界ふしぎ発見!」、「主治医が見つかる診療所」、そして「草野仁のGate J. +(プラス)」とそれぞれの番組から御花やケーキを頂き、盛大にお祝いをして貰って最高の幸せ気分に浸らせて頂きました。また「THEワイド」で長く一緒に仕事をした森富美さんから、そして「草野仁のスタジオGate J.」でこの間までコンビを組んでいた梅田陽子さんからも素敵な花束を頂戴しました。

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さらに私の事務所で開く「古希お祝いの会」に日頃から親しくさせて頂いている警視庁幹部級の警察官の皆さんが18人もサプライズ参加をしてくださり、古希を祝福してくださいました。自分はそれほどの価値がある人間でもないのにこんなにも多くの方からお祝いをして頂けている、人間というのは本当に多くの方々に支えて頂くことで生きていくことができるのだということをこれほど強く感じたことはありませんでした。改めてお付き合いをしてくださっている全ての皆さまに心から感謝の念をお伝えしたいと思います。

と同時に、もっともっと努力して皆さまのご期待に添え得る人間にならなくてはと考えた次第です。本当に皆さまありがとうございました。今後とも御指導のほど宜しくお願い申し上げます。

「大雪で・・・」

大雪に見舞われた8日、昼過ぎに仕事で天王寺スタジオに出掛けました。大渋滞を考慮して予め予約していたタクシーでスタジオ入りの約束の時間の何と2時間前に到着してしまいました。皆さん雪を警戒して車に乗るのを控えたようでした。

そして収録もスムーズに終わり、20時20分頃、帰りのタクシーに乗り家に向かいました。首都高を経由して我が家まで掛かっても1時間半くらいだろうとふんでいたのです。最初車は順調に進みましたが、渋谷を過ぎて暫く進んだところでパタと車が止まりました。

そして停まったまま、ほぼ50分全く動かなくなりました。運転手さんに交通情報を聞いてもらってもはっきりしたことは分からないようで、少しいらいらし始めたところで車が僅かに動き始めました。とはいえ、これは良かったと思った瞬間5、60メートル進んだところで再び停車。今度は道路公団やNEXCO中日本に問い合わせても、自動応答メッセージに切り替えられていて情報を得られないまま、更に2時間20分くらい1センチたりとも動かなくなってしまったのです。

普通であれば後方から首都高速か道路公団の車がサイレンを鳴らして走って来て渋滞のポイントに近付いて何らかの処理をするはずですが、この日は全くそして一切動きなし。合わせて高速上で4時間以上立ち往生の時間を寂しく過ごすしかありませんでした。その後東名は動かなくなっているということで、漸く一般道路に降りて走りましたが、道路上次々に動かなくなる車の続出で、結局家に着くまでの所要時間は5時間20分でした。

致し方の無いこととはいえ、朝からあれだけの雪が降って積もっている中で車を出すのであればそれ相応の備えをして出なければならないと思いますが、あれだけたくさんの車が走行不能に陥ったことから見るとやはり利用者の備えが甘かったことが一つ。そして首都高速公団や道路公団が迅速な対応ができていなかったことが混乱を大きくしたと思います。利用者側としては料金を払って利用しているので、情報の的確な伝達を含めたサービスをしっかりと行ってほしいものです。

「今年の抱負」

暫くブログをお休みしていたので久し振りになりますが2014年の抱負から始めたいと思います。

今年は誕生日がやって来ると何と私は70歳になります。今まで自分が70歳になったらどうしようなどということはほとんど意識したことはありませんでした。益々高齢者になることを実感します。

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今年は1月1日、国立競技場で行われる天皇杯サッカー決勝戦の日に、日本サッカー協会と警視庁が手を携えて反社会的勢力を排除し八百長試合の発生を防ぐためのイベントを行うことになり、警視庁からご連絡を頂き私も参加することになりました。

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決勝戦開始の1時間前、制服姿で登場し、会場に集まった大観衆に向かって短い趣旨説明を行い、その後競技場内を白バイ隊の先導でほぼ1周するというものでした。当日はお天気も快晴、気温は15度くらいまで上昇したので最高のスポーツ観戦日和でした。多くのお客さんが私の登場に少し驚きつつも、場内を行進する私に、「草野さーん」「こっち向いて」「手を振って」などたくさん声をかけてくださいまして、本当に心地良いイベントになりました。勿論大観衆の入った観客席を見ながら競技場内を歩くなどというのは初めての経験ですから、年頭から素晴らしい体験をさせて頂いた次第です。

さてさて70歳になったらそれらしい風格が身につくように努めなければと思います。そのためには慌てず騒がず常に悠然としていて、依頼されたことは何でもきっちりこなせるようでなくてはなりません。これから益々色々な分野で一層の勉強をしなくてはならないということでもあります。

そして競馬でもよい成績を上げなくてはと思っています。きちんと緻密な戦略を持って臨みます。また今年後半の大きな仕事である長崎国体を何としても成功させなければなりません。最高に充実した一年にしたいものです。

「VINTAGE GARAGE」

今日はお昼にJ-WAVEの番組に出演することになり六本木ヒルズに向かいました。

生放送ではなく来年の1月12日18:00に放送されるロバート・ハリスさんが司会を務める「VINTAGE GARAGE」という番組の収録のためでした。車に乗って六本木から渋谷、そして六本木に戻って来るまで車中で色々と話をするというものです。司会のロバート・ハリスさんとは初めてお会いしたのですが、とても素敵な方で何とお父様はラジオの英語講座で長く放送を続けられたJ・B・ハリスさんだと聞きびっくりしました。イギリス人のクォーターというハリスさんは日本語も巧みでさすがとても情報通な方です。

「話す力」を書く経緯や、NHKを辞めるにいたった経緯を語り、趣味やフリーな時間の過ごし方など自由な発言をさせていただきました。オンエアされるのがどんな内容になるのか気になりますし、楽しみでもあります。お聞き頂けますと嬉しいです。

「梅田陽子さん ありがとうございました」

昨日、グリーンチャンネルの「草野仁のスタジオGate J.」の公開収録を行いました。

2013年の最後は矢崎滋さんをゲストにお迎えしてとても楽しいトークになりましたが、一緒に司会を担当して頂いていた梅田陽子さんがこの回でこの番組から卒業ということになりました。そこで収録後、忘年会を兼ねた梅田さんのお別れ会が開かれました。

実は梅田さんとはこの番組で初めてお仕事をすることになったのですが、不思議なことに昔からの仲好しコンビのようにいつも自然体で仕事ができました。梅田さんの持っている雰囲気がとても爽やかで、細やかな心配りを絶やさず優しさに満ちていて、こんなに心地良く仕事をさせて頂いたのは本当に久々のことでした。誰でも時にテンションが高くなりすぎて空回りすることがあるものなのですが、梅田さんは決してそんなことはなく、私と一緒にこの番組を盛り上げ、より良いものにして行こう、という思いに常に満ちていて、本当に素晴らしいアシスタントでした。

更に感心したのは、決して他人を悪く言わないことです。それは他人に対する優しさであり、自分自身の気持をきちんとコントロールできる人だということです。一緒にいていつもほんわかとした良い気分にさせてくれる梅田さんはとても貴重な存在でした。三年間御一緒できたことに心から感謝しています。ありがとうございました。

「話す力」 お陰様で売れ行き好調です

10月1日に出版した「話す力」が良く売れているので再度増刷すると出版社から連絡が入り、嬉しくなりました。

前々から思っていたのですが、話すことを生業とするなどとは思いもかけていなかった私がアナウンサーとなり、しかもその仕事をこうして46年間も続けて来ることができたのは、偏に話すことを一から自分で組み立てて、少しずつ上達することができたからであり、それは誰にでも同じことができるということでもあるのです。

読んだくださった方々からも「読みやすくできているよ」と言って頂いたり、同業者の方々からは凄く参考になったよと言って頂いたり、本当に良かったなと胸をなでおろしています。この世に生まれた以上、どんな人でも話をして自分の気持ちを伝えていかなくてはならないものだと思います。もしお時間と機会がありましたらお目通し頂けますと幸いです。

「草野仁 トークショー&サイン会」

小学館新書 新・装・刊!「話す力」刊行記念  
草野仁 トークショー&サイン会
本日19:00から高田馬場の芳林堂書店にて行われます。

ご都合がつきましたら是非お越しくださいませ!

小学館新書 新・装・刊!「話す力」刊行記念  
草野仁 トークショー&サイン会

「『話す力』、明日いよいよ発売されます」

いよいよ今年も残りあと3か月となりました。

ところで明日10月1日火曜日、小学館新書から「話す力」というタイトルで私の新著が発売されます。

私たち日本人が話し言葉を使って自分の思いが理解されるようにと思ってする「話す」という日常的な行動は、満足のいくレベルに到達できることが意外に少なく、むしろ「もっと上手に言うべきだった」とか「もっと理解されるような表現ができなかっただろうか」などいった反省をすることが多いのが現実だと思います。

歴史的にみても欧米のように古くから修辞学のような学問があったわけではなく、日本には独特のコミュニケーション文化が育まれてきた事情もありますが、今日の国際化された時代においてはもはや「話下手」だからという弁解は通用しなくなってきていると思います。ではどうしたら自分の考えていることを周りの人たちに正確に伝えられるようになるのか、そのことについて認めたのが本書です。

決して難しいことではありません。結婚式でのお祝いのスピーチ、PTAの会合での意見、また会社のプレゼンなどといった機会は誰にでもやってくるはずです、そのときに自分で話す内容を練り、どのような表現を使い、どのような言葉でアピールするのかについて真剣に考え、エネルギーを費やして取り組んでみましょう。ひとたびそれが習慣になれば、少し時間はかかるものの、次第に表現は上達し、周囲の人たちにより良く理解されるものに変わっていくものです。

私自身が自信を持ってそう言えるのには理由があります。大学を出てNHKに入るとき、私は取材記者になるつもりで入社試験を受けました。でもどういうわけか「アナウンサー」として採用される羽目になったのです。

本当に困りました。何故なら自分は長崎の田舎の出身で、人前で話をすることなど決して好きではなく、そんな仕事が務まるはずがないと思い込んでいました。ところが就職試験を一つしか受けていなかったため、無理だとは思いつつも結局はNHKのアナウンサーとして社会人生活をスタートすることになったのです。

なりたての頃、言葉のアクセントやイントネーションなどを克服するのに苦労はありましたが、いざ始めてみると、話すことに工夫をすればするほどより相手に伝わるものになっていくことを感じ、とてもやりがいのある仕事だということに気が付きました。楽ではないのですが、充実感を持てる仕事であると思えるようになり、前向きに進むことができました。

標準語一つ満足に話せなかった人間がこのように皆さまにお話しをして情報をお伝えする仕事を何と46年も続けてくることができました。と言うことは、誰でも少しずつ工夫をし、努力を重ねていけば、必ず話し上手になれるということです。私自身の体験がそのことを証明しています。

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この本をお読み頂き、ノウハウを掴んで頂けましたら嬉しいです。是非皆で話すことの楽しさを語り合いましょう。

「素敵な一夜」

昨日、スリランカ駐日大使公邸に伺いました。

これは先々月、「日立世界ふしぎ発見!」でスリランカを取り上げて放送したことが縁となって、番組出演者ならびにスタッフがご招待を受けたのです。放送をご覧になった方は覚えていらっしゃると存じますが、1951年のサンフランシスコ講和会議で、スリランカを代表して初代スリランカ大統領になったジャワルナダ氏が「敗戦国日本を攻めて傷つけてはならない。日本と同じ仏教徒の立場から、日本が再び立ちあがれるよう慈悲の心で国際社会への復帰を果たさせよう」と主張し、それによって日本に寛大な措置が取られたという歴史的事実を放送したところ、視聴者の皆様から「そんな大切なことを私たちは全く知りませんでした。知らなかったことはとても恥ずかしいことです」といった趣旨の感想がたくさん寄せられました。更に「スリランカに対して私たちは恩義を忘れてはいけない」「もっと友好関係を発展させなくては」など、学校教育の中で大切なことを教えられてこなかったことへの不満や反省を伴う大きな声が数多く届けられたのです。

番組のロケでは多大なご協力とご支援をスリランカ大使館から頂いたのですが、日本での大きな反響もあって、「両国の友好のために本当に頑張ってくださいましたね」とカランナゴダ大使からご招待を頂くことになりました。そして、黒柳さん、野々村さん、その回のミステリーハンターを務めた坂本三佳さん、アナウンサーの出水さん、そして私と番組スタッフで伺うことになりました。

カランナゴダ大使は番組にも登場して頂いたのですが、昨日はホストに徹してくださり、終始明るく楽しい雰囲気を作り出してくださいました。

まず驚いたのは、大使はスリランカで38年海軍に勤め、最後は海軍大将になられた方だったのです。しかも25年に渡ったタミル系テロリストたちとの内戦を終結させたスリランカの英雄でもあるのです。そのような方が日本の大使になられているということはスリランカがいかに日本との関係を重要視しているかを物語るものでもあります。

そして2年前、東日本大震災の直後に着任して、5日後には被災地気仙沼に行き、合わせて4回もの炊き出しも行われました。その頃被災地は放射能の危険性ありと判断した日本駐在の各国大使のうち32か国の大使たちが日本を離れて安全を確保しようとしていたときでした。さすが命をかけて軍務に努めてこられた方です。感激いたしました。その行動力と意気込みは正に男の中の男だと感じます。ルックスも素晴らしく若々しくユーモアを交えながら楽しい話をしている大使を見ていて、惚れ惚れするような素晴らしい方に巡り合えたことに感無量でした。

微力ですが、日本とスリランカの友好親善に貢献できるようにこれからも頑張りたいなと思った次第です。まだ訪れたこともないので、一度スリランカには行ってみたいですね。

お料理もとても美味しく、とても充実した素敵な一夜でした。カランナゴダ大使、大使夫人、次席大使のメンデスさん、そして大使館の皆さま、本当に有難うございました。

「レストラン日本」

先週ニューヨ―クに行ったのにはもう一つ理由がありました。それは倉岡伸欣さんが経営する「レストラン日本」がこの8月で創業50周年という素晴らしい節目の年を迎えるのでお祝いをしたいという思いがあったからでした。

「レストラン日本」の存在を知ったのは2006年の夏に松井選手の取材をしたときで、彼の行きつけの日本料理店がこの「レストラン日本」だったからです。彼が良く注文するメニューを私も味見してみましたが、これがどれもこれも本当においしかったのです。さらにそのとき、「松井選手のお母さんのカレー」という一品をご紹介頂きました。これは松井選手が小さいときから大好きだったお母さんのカレーを再現すべく、彼のお母さんからレシピをもらってレストラン日本で作られたもので、私も頂きましたが凄く気に入った思い出があります。

倉岡さんは慶応義塾大学を卒業してアメリカに留学、色々な体験を積まれて50年前ニューヨークに日本料理店「レストラン日本」を開業されました。当時は日本食のお店など殆どなく、日本から派遣された商社の人たちは食事もままならない状況だったといいます。そこで彼らに美味しい日本食を味わってもらって思い切り良い仕事をしてもらおうと考えて開業することにしたのだそうです。

しかし始めてみると食品業界やレストラン業界の現実に直面し、大変な苦労を重ねたそうです。でも負けじ魂は人一倍。一つ一つ壁を乗り越えて前進し、やがてその存在が注目されるようになり、現在では幅広い人種的民族的バックグラウンドを持つ人たちを雇用して業界でも高い評価を受けるようになり、今年50周年記念の日を迎えることになりました。

驚くのは、倉岡さんは今日もよりよい食材を求めて世界中を渡り歩いています。そば一つを作るのにもカナダに畑を買ってそばを栽培することから始めました。そこはかつて痩せた土地で大変だったようですが土地改良を進め、より良質のそばを作り出すことに成功しました。さらに日本中のそばの名店を回って美味しいそばの打ち方を研究。とにかくやり始めたら極限まで到達しなければ気が済まない性格で、お客様サービスの徹底に打ち込んできました。

その生き方が次第に高い評価を受けて、新しい駐日大使に決まったキャロライン・ケネディさんや故マイケル・ジャクソンさん、ブルームバーグ市長に支持され、今や政界からショービズに至るまで著名なアメリカ人までも集う場所にもなっているのです。あらゆる苦労を乗り越えてここまでのお店を作り上げられたその御努力には本当に心から敬意を表したいと思います。

「2013 パリ祭」

去る14日、今年で51回目を迎えるシャンソン界の集い「パリ祭」がNHKホールで行われ、何とその歌い手の一人として小生が出演しました。

元はと言えば、故石井好子さんとのお付き合いから、昔何度か歌い手としてイベントに出演したことがありましたが、NHKホールでの催しには初めて声をかけて頂いたのです。

今年はエディット・ピアフ没後50年という節目の年で、シャンソン界にとってはとても意義深いイベントでした。第一部、第二部と分かれ3時間半の長丁場です。私の出演は第二部の終わり近く、「思い出のソレンツァーラ」そして何故か「最初から今まで」の2曲を歌うというものでした。

NHKホールという本格的な舞台でのコンサートは初めてのことだったので、緊張はしましたが、根が図々しいからでしょうか、いざ舞台に立って見るととても心地よく、いつもの感じで歌い出すことができました。一曲終って短いトークを挟み、次の曲「最初から今まで」を自分で紹介しますと、照明の関係で全く見えない客席から「え、その曲をほんとに歌うの」といった感じの小さな驚きの声が伝わってきました。

ワンコーラスは韓国語で、ツーコーラス目は日本語で歌うととても良い反応が伝わってきました。歌の巧拙はともかく、その心は伝わったような気分になったのです。尊敬する船村徹先生が仰る「歌は心で歌うもの」という気持ちだけは貫けた様な気がします。

エンディングで戸川昌子さんや、加藤登紀子さんからよく頑張ってくれましたとのお言葉を頂き本当にほっとしました。シャンソンの世界も大勢の歌手の皆さまが本当に力強い努力を続けてこられ、大勢のファンの皆様がそれを支えていらっしゃるということが実感できた素晴らしい体験でした。

「転職」

先日東京ドームシティのプリズムホールでトークショーを行いました。

この日は会場で転職フェアが行われ、何と4000人を超える人たちが詰めかけていて熱気に満ちていました。思えば私が就職した40数年前は就職すればその会社に定年まで勤めるのが当たり前という時代でしたから、転職というのは余り考えられないパターンでした。

しかし時代は確実に変わり、転職することは珍しくもなく、いやむしろ転職のたびにグレードアップして行くという生き方も良いと考えられるようになって来ているのですから、転職フェアが賑わうのは当然ですね。

トークショーでは、私自身も広い意味では転職体験を持つ身なので、NHKを辞めた経緯も含めてお話を致しました。普通私たちは進学や就職を前に自分を冷静に見つめ進路を決めて行きます。決めた方向そのものに間違いは無いのですが、その方向だけにしかその人の適性は無かったのかと言われれば、それは決してそんなことは無く、概して人間というものは実は様さまざまな能力を持って生まれついて来ているはずです。と言うのも、私の印象では、実社会で成功している人の中で最初から真っ直ぐその道を目指してきた人よりも、紆余曲折の末に人生の生業を得た人の方が結構多いと感じるからです。

ですから、就職してみて仮に上手くいかなかったからと言って焦ることも慌てふためくこともないのです。もう一度自分を見つめ直して照準を定めて前に進めば必ず道は開けるものです。その代わり、一球入魂、全精力を集中してそのことに臨まなくてはならないことは当然のことです。

「ハワイでのセレモニー」

先週末ハワイに出掛けました。

次男がハワイで結婚式を挙げることになったからです。新郎新婦二人で相談して色々と細かく式場から式次第まで決めたとのことで、私たち家族はただホノルルに来ればよいということでした。

さてホノルルに着いてみると、ちょっぴり暑いけれど空気が乾いているので日陰に入れば何の問題もありません。ホテルの部屋から見る海の景色はいつ見ても素晴らしく心を和ませます。

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そして式当日、コオリナの式場はまだ新しく、会場の中から神父が立つ方向にガラス越しの美しい海が見えるという何ともお洒落なもので、式が終わってチャペルを出てフラワーシャワーを受け、すぐ目の前のこぢんまりとした素敵なビーチに移動して出席者全員で記念撮影をするなど、何とも言えない心地よい開放感の中で時を過ごすことができ、「こういうスタイルの結婚式も良いものだね」と皆で語り合いました。

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その後同じ会場で披露パーティーを行ったのですが、お料理のおいしかったこと。これは全員が口をそろえて賞賛していましたので間違いありません。結論から言うと、ハワイで行って良かった、忘れられない思い出ができて本当に良かったと思います。あとは新郎新婦の二人がその感激を忘れずにしっかり生きて行ってくれることを望むしかありません。

「チャグチャグ馬コ」

先週末は岩手県に出掛けました。担当する番組で「チャグチャグ馬コ」の催しを取材するためでした。

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まず出発点の滝沢村に向かいました。前日なのに主催者側から出場馬の装束説明会、そして神社の近くを行進するミニパレードが午前と午後の2回行われ、雰囲気を盛り上げます。観客も結構集まって説明を聞き、またカメラで色々な角度から撮影を行います。今年の出場馬は87頭(去年は90頭)。イメージしていたサラブレッドのような馬ではなく挽曳競馬に登場するペルシュロンやブルトン種の馬で、体重はサラブレッドのほぼ2倍の1トンくらいはある馬ばかりで、大きさに圧倒されてしまいました。その馬にそれぞれの飼い主が鮮やかな彩の装束を纏わせ、大きめの輝く鈴をたくさん付けて豪華感を醸し出します。そして馬に乗るのは大体男の子か女の子です。それを手なれた馬のオーナーや補助員が挽くのです。

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いよいよチャグチャグ馬コの当日、朝9時半に87頭が神社を出発します。沿道には朝早くから詰めかけた観客、カメラマンなどが拍手を送る中、13キロ先の目的地、盛岡八幡宮に向かってスタートしました。沿道は人が途切れることは無くおよそ10万人の人たちで埋まっています。

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416年前の故事から始まったと伝えられるこの行事、昔からこの土地では人と馬とが力を合わせて生きて来たことを象徴するように、皆が、馬にとても優しく、馬もそれに応えるようにとても人に従順です。息の合った人と馬とがゆっくり歩くので、中にはずっとついて歩く人もいるほどです。

その他、南部曲がり屋も取材させて頂き、昔からの人と馬との共生してきた様子がよく理解できて、何かとても温かい血が通ったお祭りだと思えたので、好きになりました。世界を見渡しても珍しいタイプのお祭りなので、もっと世界に向けてアピールしても良いのではないでしょうか。また機会があればぜひ出掛けてみたいものですね。

「精力的に頑張っていますね」

横浜で行われていたアフリカ開発会議が終わりました。

何と言っても目立ったのは、安倍総理大臣が4日間で39カ国の首脳と会談を行ったということです。首相就任後、外遊も含め本当に精力的に各国を訪れ、経済関係の緊密化を図るために精力的に頑張っている様子はとても好印象です。

ふと考えると民主党時代の3年余りは一体何だったのだろうと思ってしまいます。今後大きな発展を遂げる可能性を持ったアフリカには、例えば中国はだいぶ前から1兆円単位の投資をし、1万人単位の人を送り込んでダイナミックな動きを展開してきました。

日本としては遅れはしましたが、これから日本の良さを理解して貰い、その上で双方の関係強化のために努力して行かなければならないと思うのです。そのための第一歩を踏み出した安倍政権の取組みぶりには引き続き注目をしたいですね。これからが正念場になるので。

「東京ディズニーリゾート30周年"ザ・ハピネス・イヤー"プレビューナイト」

先週12日金曜日夜、久し振りに浦安方面に向かいました。「東京ディズニーリゾート30周年"ザ・ハピネス・イヤー"プレビューナイト」に行くためです。

夜7時からオープンということでしたが、6時過ぎに現地に到着。入場前に旧知の多くの芸能界の皆さんと顔を会わせました。皆さん大きな期待感に胸をふくらませて来ているので、お顔を拝見するとまるで少年少女時代に戻ったような表情です。と言うことは自分もそうなのでしょう。
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開場と同時に大きな人の塊がゲートをくぐりシンデレラ城へと向かいます。中にはダッシュしたり、小走りになったりする人もいて、大人なのに童心に帰っていることが分かります。今回は私と家内、そして次男夫婦の4人で来ました。と言うのも、私達夫婦ではどこから回れば良いのか分からないので次男夫婦に案内して貰おうということになったのです。
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シンデレラ城手前のさまざまなグラスなど、あるいはクリスタル製品などのお土産館、金製品の館などをゆっくり見て、まずは腹ごしらえとばかりにレストランへ。やはり同じ思いの人も多くほぼ満席状態です。そこにミッキーをはじめドナルド、チップとデールなどのキャラクターたちが全てのテーブルにやって来て愛嬌をふりまき、そして一緒に記念撮影に応じるという特大サービスをしてくれたのです。年甲斐もなくこれには感激しましたね。もし自分が少年だったとしたら一生忘れられない思い出になったでしょう。

また、印象的だったのはパレードですね。スケールが大きく、夢が溢れいつまでも終わりなく続く感じのパレード。やはりディズニーランドはスケールが大きく素晴らしいと心から思ったものです。あとは乗り物に乗ることができたらもう言うことは無いですね。時間ができたら是非また行ってみようと思いました。

「雲仙」

今月3日から5日にかけて(仕事ですが)長崎を旅してきました。

まず雲仙。やはり日本で第一号の国立公園に指定された雲仙国立公園がある場所だけあって、優れたポイントを結構もっているところです。地下のマグマの活動が今も盛んなことで、地獄という名の噴気が高々と立ちのぼる一帯がとても迫力に満ちていて、凄いと感じさせられました、別府や箱根など噴気の立ちのぼりはありますが、一つのゾーンにこういう場所が存在するのはここだけのようです。一方、かつてキリスト教に帰依した人たちを改宗させようとこの地獄に漬けた悲しい歴史が思い出され、人間とは愚かなことをしてしまうものだとの思いも重なりました。

宿は昔から良く知っている宮崎旅館に宿泊。実に風情のある心安らぐ宿でした。

近くの小浜温泉にも寄って長崎名物ちゃんぽんを食してみたのですが、これがなかなかの美味しさでした。

この雲仙も二十年余り前の雲仙普賢岳災害で客足が落ち、ピーク時年間90万人を超えていたのに今や40万人を下回る有様だそうです。あの火山活動が雲仙普賢岳災害と呼ばれたために雲仙温泉は危ないと判断されて、修学旅行を中心に旅行客がばったり途絶えたというのです。でも実際に危なかったのは普賢岳の東側島原市や有明海側の地域で、反対側にある雲仙温泉は全く危険でもありませんでした。正しく風評被害に泣かされたということなのです。春はミヤマキリシマ(つつじ)が咲き乱れ、夏は避暑地として輝き、秋は紅葉の美しさが引き立ち、冬は霧氷が幽玄なムードを醸し出す本当に奥の深さを持った雲仙なのです。

長崎県が観光立県を目指そうとするのであれば、この雲仙を大きなセールスポイントに出来るか否かが大きな分かれ目になるのではないでしょうか。

「節分の日に」

昨日2月3日、高幡不動尊金剛寺での豆まき式に参加しました。

高幡不動尊での豆まきには毎年参加しているというつのだ☆ひろさん、そして今回のゲスト高島礼子さん、山口もえさん、ミス日本の皆さん、それにキティちゃんなどと一緒に豆まきをしました。私自身このような場での豆まきは今回が初めての体験です。

私の出番は11時、13時、15時の回でした。9時過ぎに現場到着。一通り打合せを終え、本番の時間を待ちました。この日はお天気も良くて風が無く、陽が差すと温かくなってきたせいもあり、お客様はどんどん増えて既に11時前に入場制限が出たとのことでした。

さて、出番が近づき、待機していたお部屋を出ると、本殿ステージまで「練り歩き」です。警備の方たちの先導によって、裃を纏った私たち豆まき人たちが歩いていきます。すると沿道にぎっしりと詰めかけた人たちが声を掛けてくださり、「豆を下さい」「豆が欲しい」と手を差し出されます。昨日は日曜日ということもあってお客さんの数も多く、本殿に着くまでに持って出た一升枡が空っぽになるほどでした。

そしてステージ上ではまた新たに枡を頂き、いよいよタイミングを合わせて豆まきの開始です。下で待ち受けている皆さんは慣れたもの、皆それぞれに買い物袋の口を開けたり、中にはコートを開いたりしてそれでキャッチしようとする人もいてとてもなごやかな雰囲気の中で一回目の回が終わりました。

二回目、三回目とお客様は増える一方、「つのださん!」「礼子さん!」「草野さん!」と自分の近い位置に立っている豆まき人にお客様が声をかけてくださり、雰囲気は一段と盛り上がります。お客さんと一緒になって福を分かち合おうとしていた分、時間の経過を忘れ今回の豆まきはアッと言う間に終わりました。出番を待つ合間につのださん、高島さん、京王電鉄の方々と楽しいお話しができたことも幸せでした。

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68歳の豆まき初体験記でした。

「同世代の共通項でしょうか・・・」

昨日、雑誌の仕事で大久保満男日本歯科医師会会長と対談する機会を得ました。

驚いたのはご挨拶を申し上げたときに、「草野さんとお会いするのは初めてではないんですよ、2回目です」と言われて一瞬心の中で、「どこでいつだったっけ」と反応しましたが思い出せず。すると大久保さんは「実は20年以上前、静岡で草野さんの恩師だった故辻村明先生が主催しておられたイベントに協力して、子供たちと一緒に出演したことがあったのです。その時草野さんが司会をしておられましたね」と説明をしてくださったので、ようやくそのことを思い出すことができました。

そしてお話をしているうちに誕生日の話になり、何と大久保さんは昭和17年2月24日生まれ、私は昭和19年2月24日生まれで誕生日が全く同じだったのです。同じ誕生日の方にお目にかかったのは実は二人目です。テレビ東京「主治医が見つかる診療所」のレギュラー出演医師の新見正則先生に次いでということです。お二人とも医学の世界で大活躍の方という不思議な出会いでした。

その後、お話は本題の口腔医学の世界へと入って行ったのですが大久保会長はとても明解に現状と今後の課題を指摘してくださり、順調に対談は終わりました。とても興味深かったのは、お口や歯の問題については全てご存知の大久保会長が「自分の歯をちゃんと使って何度も良く噛んで食べなくてはいけないのですが、実は私早食いの傾向がありましてなかなかそれを改められないで困っているんです」と仰ったとき、同じ年代の男に共通する問題点をお持ちだったのだと少し安心した思いになれたことです。

「さて、今年は」

2013年は大変な寒さの中で明けました。安倍政権が誕生して民主党時代に比べれば社会にやや明るさが戻りそうな感じで、政権交代の効果が伺えます。

勿論、問題が山積していることには変わりはないのですが、解決に向けて色々手を尽くして踏み出していこうとする意欲が表に出ているので、お先真っ暗だったそれまでの政権のことを考えるとまだしもだという印象は否めません。株式市況も元気が出てきていますし、円安も進んでいることでこの時を待っていたと言う方も多いと思います。是非この調子でいい方向に向かって行って貰いたいと思います。

さてわが身を振り返ると、今年は60代最後の一年です。一日一日を大切に生きて行かなくてはとつくづく思うのです。

と言いながらも多分そこまでは緊張感は持続しないでしょうから、またいつの間にかこれまでと同じゆるゆるの生活に戻ってしまう恐れもありますね。その場合は自分でねじを巻きながら前進を図らなくてはと戒めています。今年は「肉体も精神も鍛える」、これが一番の課題です。時間的余裕はないので頑張ってやってみます。残りが少なくなってきたと思うと段々と欲が出て来て、あれもこれもと思いがちですが、節度を持って自分の人生をコントロールしてみようと考えています。珍しく殊勝なことを考えたお正月でした。

「いよいよ今年も・・・」

2012年もあっという間に終ろうとしています。今年もやろうと思ってやり残したことが一杯で、相変わらず進歩が無いなと感じさせられるこの年の暮です。

来年はいよいよ60代最後の年になるので、今度こそやるべきことをやり通す一年にしたい、いや必ずやり遂げる覚悟です。色々計画していますが、先ず体の手入れそしてシェイプアップ。よりしっかりした体に改造していきたいと考えています。

更に、知性を磨く、つまりさまざま幅広く勉強して頭のデータベースをきちんとしたものに仕上げなくてはと考えています。ということは一日一日を大切に生きるしかありません。もうのんびりしている暇は無いのです。

勿論、競馬も思い切り楽しみたいと思います。障害に転向したランブリングローズと3歳馬エスターブレに活躍してもらいたいものです。またリヤンドファミユの飛躍にも期待したいものです。

そしてトーク&ディナーショーもできたら最高ですね。夢が大きすぎましたかね(笑)

「新総理の誕生に思う」

今回の総選挙は民主党の大惨敗で終わりました。政権の座にあった3年3カ月あまり、口当たりの良いマニフェストとは全く相反する政権運営しかできなかったのですからまあ当然の結果ともいえるでしょう。この間に経済も、外交防衛も東日本大震災の処理もどこを取っても上手く運んだことはほとんど無く、国力も落ちるところまで落としてしまったのですから、即刻退場を申し渡されても致し方ありません。

前回の総選挙では自民党も一度は引導を渡されましたが、今回は民主党よりはまだこちらの方がましだという国民の判断だといえるでしょう。安倍総裁が総理大臣になりましたが難問山積の状態には変わりは無く、これからの政権運営が注目されます。ただ打ち出している政権運営の方針を見れば、そこには国家の意志が伺え明確な国家観が存在するところが民主党とは明らかに違っていると思えます。とにかくここで浮上できなければ危ないという瀬戸際なのですから何としても頑張って頂きたいものです。

「福田彩乃さん、さすがです」

先日テレビ番組のロケで福田彩乃さんと一緒に都内を巡り歩きました。

「世界ふしぎ発見!」などでこれまでにもお仕事をご一緒したこともあって、自分とは波長が合う方だなと勝手に思っておりました。

番組の内容は、東京都内5箇所の昔々の写真をもとにそれが今のどこなのかということを捜し当てるという作業で、8時間というタイムリミットの中でやり遂げなければならないという決して簡単ではないものでした。おおよその目星は私が付け、細部については彩乃さんの勘が鋭く働いて見事その場所を見つけ出してくれたのです。次第に彩乃さんが地図の読み方をマスターして最後の詰めをきちんと果たしてくれました。素晴らしいセンスの持ち主だなと感じた次第です。

矢張りこのようなシャープな感覚が無いと物真似はできないなと思いますね。これから物真似だけではなく歌の方も腕を上げていきたいです、と彩乃さんは話していましたが、鋭い感性を生かして新たなジャンルを開拓してくれることを心より期待しています。

「山中伸弥先生」

先日京都に仕事で出掛けました。実は前の晩から珍しく一寸興奮気味で眠りも浅かったような気がします。

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その仕事とはテレビの番組でノーベル賞医学生理学賞の受賞が決まった山中伸弥京都大学iPS細胞研究所所長にインタビューすることだったのです。受賞決定後、山中先生のところには各方面から取材が殺到して捌ききれないほど大変な状況にも拘らず、私たちの番組に多大な配慮をして頂きました。

館内に入りますと、決して大きな建物ではありませんが多くのスタッフのいる部屋がオープンスペースになっていて広々とした印象を与えます。山中先生の発案でそのような構造にしたのだそうです。日本の研究室の場合は教授単位ごとに部屋が分かれているのが普通だそうですが、そうではなくオープンにすることで多くの人たちがそこで顔を合わせ話ができ、その中から新しいアイディアが生まれたりすることもあるからだということでした。

さてインタビューに入りました。山中先生はとても謙虚な方です。ここまでの研究生活紆余曲折はありましたがスタッフと常に意志を確認し合い、チームで同じ方向を向いてやっていくことの重要性を強調して居られました。iPS細胞の完成にいたる重要なポイントである24個の遺伝子を一緒にして、そこから1個ずつ減らしていって初期化に欠かせないものはどれかを確定すれば良いという妙案を出した高橋講師の発案も凄いことだったと事細かに説明して行く姿勢に、本当に研究者として純粋でとてもフェアーな方だと強く感じました。だからこそできた結束力がこの快挙の基礎になっているのだと強く感じたものです。

山中先生も高橋講師も人間的に魅力あふれる方でしたし、もっともっとご一緒に話を聞いていたいなと思いながら研究所を後にしたのでした。

詳しくは、11月18日(日) 16:00~17:25 
テレビ朝日系全国放送
「山中伸弥教授ノーベル賞受賞!今、知っておくべき医療の新常識SP」(仮題)
をご覧ください。どうぞよろしくお願い致します。

「久々にクラシック音楽」

先週の木曜日久々にクラシック音楽を楽しむ機会を得ました。

いつも親しくさせて頂いているAOKIホールディングスの青木副会長から「草野さんも毎日忙しくしているようですが、たまにはリラックスしないといけませんよ。でないと身体が持ちませんよ。今度我が社で(AOKIではAOKIグル―プハーモ二―コンサートをずっと続けていて今回が15回目)クラシックコンサートをやりますので良かったら聴きに来てください」とお誘いをうけていたので、わくわく気分で渋谷オーチャードホールに向かいました。

開演の30分以上前の時点でもう満員。人気の高さが伺える出足の早さです。それもその筈ですね。大友直人さん率いる新日本フィルの演奏、そしてゲストとして国際的チェリストとして大活躍している宮田大さんを迎え、ドヴォルザークの作品を演奏するということですから聴衆の期待の大きさが分かります。

先ず新日本フィルに宮田さんが加わってドヴォルザークのチェロ協奏曲ロ短調op104の演奏が始まりました。宮田さんのチェロは音がピュアで澄み切っていて、それでいて極めて力強さに満ち満ちています。「チェロというのはこんなにも良い音の出る楽器だったのだ」と再認識させられるものでした。演奏の間中私はずっとその音色に酔いしれていました。

26歳という伸び盛りの年齢見た目にもきりっとして格好良い宮田さん。演奏が終わって拍手はなりやまず、アンコールに応えて宮田さんが選んだのは「荒城の月」。滝廉太郎が作曲した時はメロディーだけ伴奏部分は無かったということですが、原点に戻った骨太の「荒城の月」でした。

続いて大友直人さん指揮の新日本フィルの演奏でドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界より」op95に変わりました。ドヴォルザークがアメリカに招かれ音楽を指導したときに作曲したものなのでしょうが、曲の流れの中でドヴォルザーク自身アメリカの可能性、潜在的な力の凄さを感じ取っていたのだろうなどと連想しながら目いっぱい演奏を楽しむことができました。

クラシックは子供のころから沢山聴いて育ってきたのですが最近は少し遠ざかってしまっていました。久々に聴いてやはりクラシックの持つ力は大きいなと感じつつ家路へと付きました。良い機会を与えてくださった青木副会長に感謝です。

「石川県へ・・・」

今週初めテレビ番組のロケで石川県に行きました。普段から親しくしている松井秀喜選手のべースボールミュージアムを初めて訪れてみました。

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小松空港に程近い能美市にその立派な建物はあります。広い駐車場がありバスで観光客も多く来ていました。今シーズンは途中でレイズとの契約を打ち切られ、アメリカで来季に備え練習とトレー二ングに明け暮れる毎日を送っている松井選手なので、ひょっとしてお客さんも少ないのかなと想像していたのですがそんなことは全くなく、多くの来場者がいてファンの皆さんの温かさを強く感じました。

館内に入ると松井選手のお父様昌雄さんにお出迎え頂きました。昌雄さんとはニューヨークでお会いして以来6年ぶりのことですが、昔からとても親しくしていたかのように打ち解けあってお話しができました。心優しい方であることは存じ上げておりましたが、物腰柔らかでとても丁寧に対応してくださってとても感激しました。また、展示物の量も質も大変豊かでここまでの松井秀喜選手の歩みをじっくり楽しむことができます。

翌日は昔から親しくさせて頂いている今九谷焼の陶芸家中村元風さんのお宅に伺いました。このところ中国で大変高い評価を受けている中村さんのアトリエに入らせて頂き、製作中のとても変わった作品を見せて頂きました。また絵付けの手ほどきを受けトライしてみるなどといった一幕もあります。詳しくは22日オンエアの朝日放送「朝だ!生です旅サラダ」で明らかになります。

「混迷する政界」

民主党代表選挙も自民党の総裁選挙も顔触れが出そろいましたが、「この人なら」という人が見当たりません。こうなるとやはり橋下徹氏が率いる「日本維新の会」がどこまで支持を広げ、どれくらいの議席数を獲得できるのかが次の総選挙の最大の注目点になります。

もうどうにもならなくなっている民主党や自民党よりも、大局的な目で見た方向性や目指そうとする国の在り方については維新の会の考え方が一般的にも受け入れられやすいところが多いのではないでしょうか。勿論、「にわか仕立ての集団」と見る向きもあるので、こちらに付いた方が有利と見てすり寄って来ている人たちも多く、即有効に機能するかどうかははっきりしませんが、恐らく相当な支持を集めることが予想されます。場合によっては維新の会が中心になった政権ができ上がるかもしれません。

まあ一気に理想的に動ける筈はないので、徐々に軌道修正をしたり、本当の味方ではない人たちを峻別したりしながら前に進んでいく政権ができることが期待されますね。今は全てが機能不全に陥っている状況なので、一刻も早く希望の持てる新しい政権が誕生することを多くの国民は望んでいるのではないでしょうか。

「地井武男さん、安らかに」

昨日青山葬儀所で行われた「地井武男さんのお別れの会」に出席しました。

親交のあった芸能人の方々など800人ほどが参列しました。お別れの挨拶に立った全ての人たちが「地井さんがいかに心優しく、また分け隔てなく心通わせてお付き合いをしてくれたかを語りました。

「太陽にほえろ」で共演した渡辺徹さんは、「家が近かったので僕の部屋に地井さんはよく訪ねて来て、『何だ、女はいないのか』などと言いながら、ちゃんとお土産を持ってきてくれました。あの時頂いたイチゴの美味しかったこと忘れられません」とか、「地井さんの優しさを誰もが感じていて皆心の中で地井さんは自分のものだと思っていました」と思いを吐露しました。

「北の国から」で共演した岩城滉一さんは「富良野のロケ中にお風呂場でぎっくり腰を起して動けなくなったことがありました。ロケから帰ってきた地井さんは私の姿が見えないので、心配して捜しお風呂場で固まっていた私を見つけると、私の体を拭いて服を着せてくれて病院まで連れて行ってくれました。大恩人です」と語りました。

またテレビなどで共演することが多かった萬田久子さんは「『今日も綺麗だね。今日の髪型は素晴らしいね』などといつも私の気持ちを引き立たせてくれました。地井さんのその声が聞きたくて今も留守電にダイヤルしてしまうのです」と萬田さんらしい言葉で思いを表現していました。

私も何度もお仕事で御一緒しましたがいつもそこには笑顔の地井さんがいました。そして心優しく接してくださり会話の中で笑いが絶えませんでした。地井さんが2004年に再婚されたとき、一部週刊誌などで最初の奥様が癌で亡くなられたときにあれほど悲しんだ地井さんが再婚とは早すぎるといった記事が掲載されたことがありました。私は地井さんが奥様の看病などでどれほど力を尽くされたか知っていたので、「全身全霊で奥様に尽くした地井さん、その人が3年を経て新たな人生をスタートさせようと決心されたのですから祝福して差し上げたい」と『THEワイド』の中で言いました。

後日たまたま地井さんと顔を合わせたとき、地井さんは「ありがたい言葉でした」と頭を下げてくださいました。私は一人の人間としての思いを言っただけのことで、地井さんのその言葉に却って恐縮してしまった過去を懐かしく思い出しました。

「豪雨と言えば・・・」

先週は九州地区、特に熊本、大分で豪雨が続き大きな被害が出ました。普通は3日も降れば雨は上がるものですが、今回はほぼ一週間に渡って雨が上がらず被害がそれだけ大きくなりました。

雨と言えば私も記録的な大雨に会った体験があります。今から55年も前ですが、昭和32年、長崎県島原市にいて中学2年の時です。7月25日の夕方、どんよりとした空からどおっと驚くほどの音を立てて降り出した雨が1時間たっても2時間たっても全く勢いが変わることなく降り続き、夜になっても止む気配もなく深夜まで降りつきました。大きな川が無い島原なので、私の家の近くも大量の雨が降り続いて地面に吸収される前に溜まり、その結果道路が川の代わりになって人の腰の高さくらいの水量が流れ続けました。翌日になって一昼夜で降った雨の量が島原で880ミリ、諫早市で1000ミリを超えていたことが分かって驚きましたが、この時が死者行方不明者539人を出すいわゆる「諫早大水害」です。島原でも山崩れ等があり10人ほどの方が無くなりました。「こんなにも雨が降ることが現実にあるのか」という極限の体験をしたと自分では思っています。

従って大雨のニュースを見るたびに、時間雨量が100ミリを超える雨がどれだけ凄いかを実感しているだけに、こういう被害にあった方々がどれほど大変な思いでいらっしゃるか、容易に想像ができるのです。毎年のように天災は繰り返します。であればやはり日本では緊急事態庁(FEMA)のような組織を創り、災害に即対応できる体制を作っておくべきだと思います。災害が起きてから災害救助法を適用していては遅いと昔から思っています。

「東貴博さん、安めぐみさん、おめでとうございます」

7月8日ザ・プリンスパークタワー東京で東貴博さんの結婚披露宴が行われました。

東さんとは仕事を通じて長い付き合いがあり、特にNTVで放送していた中山秀征さんの「DON!」でお互い金曜日のレギュラーとして出演しすっかり意気投合、仲良くなりました。

東MAXは初対面の時から本当に細かい気配りが出来る心優しい青年でした。それもお父さんである東八郎さんやお母さんの教育が行き届いているからこそだと感じたものです。それにとても頭が良い人です。実際にさまざまな分野の取材を沢山積み重ねていて情報を多く持っているだけでなくそれを整理して使いこなせる自分の知識にしているところが素晴らしいと常々思っていました。

その東MAXが伴侶として選んだ人が安めぐみさん中山秀征さんの番組「ウチくる!?」で共演したのを機会に中山さんが結びの神となったのだそうです。この日の披露宴は中山さんの司会で進行され、とてもアットホームで落ち着きのある雰囲気の中で時間が経過して行きました。芸能人の方々がたくさん出席している割に大騒ぎしたりすることもなく展開していきました。

私のお祝いスピーチの一部を御紹介しますと「12月22日生まれのめぐみさんと12月31日生まれの東さん同じ星座のお二人の運勢を、とても良く当たると言われている占い師に見て貰ったところ、この二人が巡り会ったら気持が燃え上がって結ばれるのは当然の結果。二人とも頭が良く芸能界で生きて行くために必要なアイドル星がついていて今一番の上昇運の中にあるとのことで心配はいりません。ただ長く一緒に生活していれば必ずぶつかりあう日も来る。その時にはこのお二人の場合間を取り持つ人が必要でその適役が私だということです。ですから万一何かあった場合は是非私に御連絡ください。精一杯頑張ってお力に成りましょう」というような内容でした。

エンディングではめぐみさんがお父様にお手紙を披露、東さんは苦労しながら自分達を育ててくれたお母様に表彰状を授与。涙声で「お母さん、ありがとう」を連呼する東MAXに参加した総ての人たちが共感の涙を流し拍手を送りました。本当に素敵な披露宴でした。

「追悼 小野ヤスシさん」

先日、ガンで亡くなった小野ヤスシさんの通夜に列席しました。

小野さんは40年来のクリスチャンだったということでキリスト教葬で行われ、神父さんの導きの下、皆で聖歌を歌い、神父さんのお話しを聞くという運びで進行。そのお話しがとてもくだけていて分かり易いものだったこともあり、必要以上に悲しみに沈むことなくやさしさに包まれた雰囲気の通夜でした。

小野さんとは一度小野さんが司会をしていたラジオの番組に呼んで頂いたことがありますが大先輩の小野さんの方が気を使ってくださり、話し易い雰囲気をつくって頂いてとても心地よく楽しくお話しができたことを懐かしく思い出します。本当に心優しい方でした。

またプライベートでもゴルフを御一緒させて頂いたこともありますが、兎に角話し好きで一つの話を最大限に面白おかしく聞かせて、場の空気を盛り上げようといつも心配りなさる方でした。「鳥取が生んだ天才、小野ヤスシです」というのが小野さんのキャッチフレーズでしたが、いや本当に小野さんは話しを最高に面白くして聞かせる天才だったと私は思います。

そう、思い出しました。心優しさを物語ることの一つとしてかつてプロ野球界を永久追放になった元西鉄ライオンズ池永投手の名誉回復のために小野さんは長い時間をかけて署名活動を続けそれを実らせたことがありました。それを見ても小野さんは欲得で動く人ではなく、一人の人間として確信を持ったらそれを貫いて行ける人だったのだと改めて思いました。

小野さん安らかにお休みください!

「天気の巡り合わせ」

仕事をしていて良くあの人は「雨男(あめおとこ)」とか「晴男(はれおとこ)」とか言うことがあります。

まあ、相手はお天気なので基本的には単なる巡り合わせにしか過ぎないのですが、長い目で見るとなぜか雨に降られることが多い人、逆に良い御天気に恵まれる人と傾向が分かれてしまうものです。

昔、私が朝の番組をやっていたころ、Tというディレクターが中継に行くと決まってその場所は雨ということが続きました。本人も凄く気にしていて「一度お祓いに行ってきます」と言って何処かの神社に行ったのです。

プロデューサーは暫く彼を中継には出さないと決めていたのですが、本人はお祓いも受けて来たのでもう大丈夫ですと胸を張っていたので、致し方なく埼玉の狭山茶の初茶摘み始まるという話題の中継にT氏を起用したのです。

天気予報では雨は降らないという予報だったのですが、何とその日は朝から小雨が降り続く天気。流石に雨の中で茶摘みをするわけにはいかず、放送は流れてしまい、プロデユーサーは「T、お前は中継の時は布団かぶって寝てろ」と怒りだす始末でした。

本当にお天気というのは不思議なものです。かく言う私は勿論雨に会ったことがないとは言いませんが、雨で放送予定が流れたことだけは不思議にありません。去年は九州一周1泊2日の旅のロケのとき、台風14号が正にぶつかりそうな気配だったのですが、何とこの台風の進路が変わり何事もなかったかのようにロケができてしまいました。単なる巡り合わせなのに、この時ばかりは「俺は晴れ男」と自分で思ってしまいましたね。

「上沼恵美子さん」

昨日、関西テレビ「怪傑えみちゃんねる」の収録に参加しました。

ほぼ1年ぶり2度目の出演です。前回も上沼恵美子さんの話芸に感心させられたことを覚えていましたが、今回はそのとき以上に上沼さんが繰り広げる話の数々に圧倒されてしまいました。

自身のさりげない話から始まっていつの間にか夫婦間の話に転化し、そこから出産の苦労話になり、おむつや紙おむつの登場の歴史に触れ、おむつがどう進化してきたかなど、凄いペースで本当に面白おかしく聞かせてくれて、出演者や観客を笑いの渦の中に引き込んでしまうのです。これならどんなに緊張している出演者でも一発で緊張はほぐれ自然に同じ意識で仲間入りができてしまいます。

私も少しでも話の仕向け方などを勉強したいと思いながら参加していたのですが、上沼さんの話芸はその域を越えていてとても私などが真似できるものではありませんでした。持って生まれた天性のものとそれを磨き上げてきたご自身の修練によって形作られた最高レベルの話芸であり、他の人の立ち入りが不可能なものと判断しました。

それでいて出演者への気配りもまた素晴らしくいつ伺ってもとても温かい雰囲気に包まれて出演を楽しむことができます。心から素晴らしいなと思う司会者でいらっしゃいます。

「金沢百万石まつり」

先週土曜日、金沢に行き「金沢百万石まつり」を楽しんできました。

と言っても、観光客の一人として伺ったのではなく、北陸放送(MRO)が4時間に渡って中継する番組のゲストとして声をかけて頂いたため、金沢に行きました。同じくゲストには石川県出身のダンディ坂野さんがいて行列の中に入って盛り上げていました。

パレードは金沢駅鼓門前から勇壮な大太鼓の打ち鳴らされるなか、次々と出発して行きました。今年の前田利家公役は川野太郎さん、お松の方は横山めぐみさんが扮して行列を盛り上げていきました。音楽パレードは吹奏楽隊が軽快なマーチで行進。吹奏楽隊の前には躍動的なバトンチームが華を添え、演技場所では総勢およそ700人が一斉にドリル演奏を披露します。そして第35代ミス百万石3人が現れ、派手な獅子舞が登場し、加賀鳶行列540人の行進様々な行進が行われ、4代5代藩主行列が続きます。更に加賀八家老が勇壮な武者行列を繰り広げ、いよいよ利家公入城行列となるのです。

今年の利家公役の川野太郎さんは終始落ち着いて堂々と馬を御し、沿道の観客の皆さんに精一杯近付いて心のこもったサービスを続けられていました。その配慮には心打たれるものがありました。

番組の終わりに感想を求められて「こんなに素晴らしいお祭りをどうして今まで見に来なかったのかそれが悔やまれます」と申し上げましたが、心からそう思った素敵なまつり体験でした。

「札幌大学」

先週土曜日札幌大学に伺い、講演と学長、副学長とのトークを行いました。

講演については聴衆は学生が中心かなと思っていましたら、集まった方はほとんどが一般の方々で自分の「体験的学生生活論」が十分に受け容れられたかどうか少々気になりました。ただこの難しい時代に大学として生き残っていくために、学長、副学長以下学校関係者の皆さんが凄く前向きに取り組んでおられ、聞いていて非常に力強さを感じました。

国立大学でさえ今や独立行政法人となり、生き残りをかけて努力を積み重ねています。存在感、個性をしっかり確立して受験生たちにここへ行きたいという実感を持って貰わなければどうにもなりません。北海道開拓史やアイヌ学など独特の専攻科もあるとのことで、札幌大学は力強くその方向に向かっていくに違いないと感じました。

それにしても大学は本当に自由な空気に満ちていて良いなといつも思います。出来ることならもう一度大学に通ってみたいものだと思うのですが、忙しい身の上を考えると無理なのでしょうね。

「『もう一度会いたい』と思われる人になれ!」

日本を代表する経営コンサルタントである堀紘一さんがこのたび出版された「『もう一度会いたい』と思われる人になれ!」(PHP文庫)を読みました。

ビジネスマンとして成功するためにはということで若い人たちに向けて昨今は色々なノウハウ本が出されていますが、それらはほとんどが小手先のテクニックを示しているに過ぎず、あまり意味の無いことだと堀さんは指摘します。それよりもビジネスで成功するために一番大切なことは何かというとそれは実は「運」だ、と堀さんの師匠でもあったボストンコンサルティングの創業者である故ブルース・ヘンダーソンは言っているのだそうです。

と言うと、「何だ、それは」となりそうですが、堀さんの解釈では「運」は皆が考えるような人知の及ばざるところのものではなく非常に人為的なもの、更に言えば「運」は人と人との出会い、縁できまる。つまり良い人と出会って良い付き合いが始まれば「運」が開けてくるし、悪い人と出会って付き合っていたら行く先は地獄だとのこと。結局目の前にある「運」を掴めるかどうかで人間の行く先は決まるのだということです。

その「運」を呼び込む生き方として堀さんが強調するのは以下のポイントです。
<1> 相手の立場に立って物事を考える。
<2> 安易に頼みごとをしない
<3> 無駄な面会や電話をしない。
<4> 会うにしても早目に切り上げる。
<5> 去り際の美学を心得る。やっと取れたアポイントでも相手が15分でも遅れたら「今日はお忙しいようですので」とメモを残し潔く帰る。
これらのことを心得ていれば相手の貴方を見る目は変わるというのです。

そして何といっても重要なのは、自分自身に徹底的に磨きをかけることです。他人に負けない蓄積を持つと同時に、相手の立場に立ってものを考えることができ、人として相手に敬意と愛情を持って臨む。こうしたことが自然にできるようになれば大丈夫だと堀さんは言っておられるのだなと感じました。

堀さんとは歩んできた道は違いますが、私自身考えながら生きて来たこととほぼ同じことを堀さんも考えてこられたようで、少しほっとした気分になりました。いつも感じるのですが堀さんの物事に対する洞察力は本当に素晴らしいですね。この本は特にこれから職業人として生きて行こうとする人たちには必読の本です。

「タマネギ頭」

黒柳徹子さんとは「日立世界ふしぎ発見!」を通じて27年間のお付き合いがあります。その間にはエジプトやインド、ハワイなど海外旅行もご一緒しましたし、プライベートなお付き合いも含めお互い大体のことは分かりあえている方だと思っています。

黒柳さんはとにかくお話をすることが大好きで、面と向かい合っていると次から次へとお話が発展して、時に果てしなく続いていくようなこともあります。インドにロケに行ったとき、デリーからタージ・マハルに向かうバスの中で5時間余り一時も休まず黒柳さんは話し続け、お相手した私も黒柳さんのエネルギーに感嘆しました。

35年も続いている「徹子の部屋」。恐らく黒柳さんがトットちゃんの頃から気になっていたことを知りたいという黒柳さんの思いを番組にしたもので、ノーベル賞受賞者から芸能界、スポーツ界までの各界各層の最も旬な人にその仕事上の秘密、考え方、実践などを聞いていく人生の生き方の奥深さを教えてくれる宝庫だと思います。従って彼女の頭の中にはありとあらゆる分野の知識が蓄えられているので、これほどの知識を持った方はそうはいない筈です。

その黒柳さんの独特のヘアースタイルをタイトルにした番組「タマネギ頭」がTBSチャンネル(CS)でスタート。毎回ゲストが黒柳さんにクイズを出してタマネギ頭の中味をチェックしてみようという番組です。私もその第一回目のゲストとして番組に出演させて頂きました。

どんなクイズを出そうか迷ったのですが、私が黒柳さんよりも詳しい分野ということで私の出身地長崎に関する問題を幾つか出したのですが、流石に感が良い方で、余り苦労なさらず次々に正解を出されました。その模様は既に放送されておりますが、まだ今後も再放送があるようです。近いところでは4月18日水曜日、23:00から。機会があったらご覧ください。

「長崎堂」

先日テレビの収録で長崎に行ってきました。

私が案内人になって長崎を紹介するというものですが、長崎と言えばまずカステラです。

ポルトガル人によってもたらされたお菓子がカステラの原型で、それを日本人独特の繊細さで皆が好むお菓子に仕上げたのがカステラです。語源は南蛮人の故郷カスティーリア王国のポルトガル発音がカステラだったことからそう言われるようになったという説が有力です。またカステラ製造の際にメレンゲを作りますが、そのときに高く盛り上げてまるでカステロ(お城)のようになれと言ったことがカステラになったなどの説もあります。

長崎でこのカステラ作りが盛んになる契機は「福砂家」が1624年に創業したことにあったということで、何と388年もの長い歴史があるのです。その後「松翁軒」「文明堂」などの名店が次々に生まれ、「カステラ=長崎」ということになっていきました。長崎にいるときは「福砂家」のカステラが一番だと思いこんでいました。そしてあるとき「長崎で一番おいしいカステラはどちらのものですか」と聞かれ、「福砂家のものでしょうね」とは言ったものの、食べ比べをした上での発言ではなかったため、やっぱり自分の舌でチェックしなければと思い立ち、色々なカステラを試してみたのでした。

結論から言いますと、「長崎堂」のカステラが私の口には一番合います。ポイントはスポンジ部分の口当たりの重さ軽さに在ります。余りしっとりしていると重さを感じます。逆に乾いていると軽すぎる感じになります。その兼ね合いが丁度良いのが長崎堂のものです。また甘みも過ぎることなく不足することもなく程良いのが長崎堂のものです。更に底に敷いてあるザラメが少し多めで、味のアクセントとなっているところなど、他の店のものに比べお気に入りのポイントが多いと私は感じ、以来長崎堂の贔屓になってしまいました。

お土産としてもいつも長崎から取り寄せて皆さんに喜ばれています。長崎堂は生産規模が小さいので東京で手に入れるというわけにはいきませんがお取り寄せは可能です。もし食べてみたいと思われたら一度試してみるのもよろしいかなと思います。

「祝 JTB100周年」

3月12日、JTB創立100周年記念式典が東京国際フォーラムで行われました。

私自身JTBのCMに出演させて頂いたり、「世界ふしぎ発見!」で視聴者に旅のプレゼントをJTBが長く受け持ってくださっていたり、というJTBとの深い御縁があって式典のお手伝いをすることになりました。

JTB100年の歴史は決して平坦なものではなく、元々JTBは国策として日本を外国人に知って貰うとともに併せて外貨を獲得しようということで渋沢栄一や原敬といった人たちが関わってスタートしたのが始まりだったそうです。さまざまな活動の中には杉原千畝氏が発行したビザを持ったおよそ4000人のユダヤ系の難民の移送を受け持って無事にアメリカに送り届けたり、戦後大陸から600万人の邦人の引き上げに力を尽くしたりなどの働きもありました。

営業の面では旅行券の代売りで大きく成長したり、インタ―ネットの普及でその影響を受けて浮き沈みも体験したりしましたが、それを常に自己革新や人材力でクリアしてきたという決して簡単には折れない柔軟性を持った組織です。

第1部に続いて第2部として東北観光復興応援プログラムが組まれ、東北観光推進機構会長の高橋宏明氏が今の被災地の状況を解説され、続いて河北新報社の一力雅彦社長が被災地で嫁入りした中国人花嫁が義母をおぶって高台に避難して難を逃れたケースや、漁業研修でやって来ていた中国人研修生が受け入れ先の日本人の指導者の誘導で全員命を落とすことなく高台に避難できたケース(これについては中国でも詳しく報道され日本人に感謝するコメントが多く流されたそうで、来日した中国の温首相が日本の記者会見でも謝意を表したということです)などを紹介しつつ、グローバル化された今日国境を越えて人と人とが手を差し伸べあって生きることだなどと指摘されました。

そして東北の今後の進むべき道を指摘されてプログラムは終わったのですが、とても意義深い時間を過ごせたなと感じ入りました。最後はレセプションが行われて参加者が時間を忘れいつまでも語りあっていたのが印象的でした。

「わが愛しの鹿児島」

昨日26日、鹿児島県肝付町まで講演で出掛けました。

午前10時半からの講演ということで実は前日の25日に鹿児島市内に入って備えていたのですが、大好きな鹿児島ですから心気持は少し高ぶっていました。

夕方城山観光ホテルにチェックインしたところ、丁度結婚式を済ませたばかりのカップルが披露宴会場に向かおうとしていました。斜め後ろから見ただけですからはっきりとは分かりませんでしたが、二人とも幸せいっぱいの笑顔で美男美女の組み合わせのようです。思わず「おめでとうございます」と声をかけたかったのですが係に誘導されて私たちとは別方向に向かって行きました。

それから部屋に入って一時間半くらい過ぎたころ、ホテル館内で営業している薩摩揚げのお店に行き、部屋に戻ろうとしてエレベーターに乗っていると、途中から先ほど会った花嫁さんがお色直しを済ませて会場に向かうため係の方に手を引かれて同じエレベーターに乗り込んで来たのです。鮮やかな緑色のドレスでとても美しい方でした。エレベーターの左隅に居た私が思わず「おめでとうございます」と声をかけますと、花嫁さんがその声を聞いて私の方に向き直り「あ!」と気がついて「わー、嬉しい」と声を上げ「記念に握手して下さい」と言われて握手をして会場のフロアでお別れしました。何だかこちらも幸せのお裾分けをして貰ったような感じでとても良い気分になりました。

夕食は郷土料理のお店「さつま路」でとんこつをはじめ、郷土料理を堪能。支配人の金丸さんが色々と気を遣ってくださり何とも気分の良い夜を過ごしました。

翌朝4時過ぎに起きてお風呂に入り、6時半にはホテルで朝食。7時に出発して大隅半島に位置する肝属郡肝付町に向かいました。まずフェリーで桜島に渡り一路肝付を目指すのですが2時間半くらいかかりそうだとのこと。15分おきに出ているフェリーがこの日桜島でマラソンが行われるせいで車が殺到、7時15分の便に乗る予定が乗れず7時30分の便に乗って出発。桜島はこの日の朝からもくもくと煙を噴き上げていましたが、桜島に渡った後は車も少なくなり9時半には肝付の会場に到着しました。

町長さんほか幹部クラスの方々が挨拶に来られましたが、その中に何と懐かしいことでしょう。40年以上前NHK鹿児島局で一緒に仕事をした田中米蔵(当時報道デスク)さんがいて、今出身地の教育委員長をなさっているとのこと。思わず昔話に花が咲きました。

「田中さん余りお変わりになっていませんね」と言えば、「草野君もそうだね。いや一寸太ったね」と田中さん思わずお互いに笑い合っていました。

さて講演会場には700人を超える人達が詰めかけ熱心に私の話に耳を傾けて下さいました。帰りもまた空港まで2時間半近くの車の旅でしたが、愛する鹿児島の旅だったからでしょう疲れは全く感じない心地よい旅でした。次はもっとゆったりとできる様な日程で来られたらなと思います。

「危険水域」

野田内閣の支持率が危険水域と言われる20%台に落ちて来ました。

不支持はこの倍以上ということですから完全に危険信号が点ったという感じです。一大テーマとして掲げた税と社会保障の一体改革という目標は勿論悪くは無いのですが、それについては精緻な分析と分かり易い説明が国民に向けて発せられなければならないのに、それは不十分なまま。首相自身命をかけてこの問題に取り組むと言ったのですから全精力をかけてやらなくてはどうしようもありません。

加えて、前の組閣で一川防衛大臣を起用して失敗したのですから、その後任については熟慮の上この人だったら間違いないという人物でなければならないはずなのに、後任が田中直紀氏では却って野党から攻め込まれる可能性を拡大してしまいました。このことを考えると野田首相には国の骨格を固めるという発想がそもそも希薄なのではないかと思えてきます。

国防担当の防衛大臣と国民の生命安全を守る国家公安委員長は本来、本当のスペシャリストでなければ困ります。ところが前回はマルチ商法などを巡って問題を抱えた山岡氏を起用して集中的な批判を受けたことは記憶に新しいところです。人材難ということがあるのでしょうが国民がついて行こうと思える布陣を何とか敷いて欲しいなと心から思います。

「梅田陽子さん」

グリーンチャンネルで放送している「草野仁のスタジオ Gate J.」は毎月1回収録を行っています。競馬を愛する有名人に新橋スタジオGate J.に来て頂き、私と梅田陽子さんがインタビューをするという番組です。これまでに眞鍋かおりさん、佐藤藍子さん、さとう珠緒さん、高橋三千綱さん、香田晋さん、手嶋龍一さん、槙原寛己さん、平尾昌晃さん、デーブ・スペクターさん、三浦大輔さん、嶋大輔さんといった人たちをゲストに迎えて楽しいやり取りをしてきました。

番組開始からもう一年になろうとしているこの番組ですが、私の感じているところではアシスタントの梅田さんがとても良い味を出してくれています。梅田さんは多くの女性キャスターが所属するセントフォースの一員です。これまでグリーンチャンネルでの競馬放送やTBS「はなまるマーケット」のリポートを担当してきた人ですが、何と言っても梅田さんが素晴らしいのは他人の話をしっかり聞いて自分の進むべき方向性をきちんと掴んでいるということです。アシスタントを務める人の中には、ややもするとついつい肩に力が入って突出した動きをしたりする人が割といますが、梅田さんにはそういうところは全くなく、やるべきことはきちんとこなしそれでいて絡むべきところにはちゃんと絡んで来てくれます。つまり全体の流れを冷静に見ていて今こうすべきだという鋭い判断力を持っている人なのです。

こうなりますと二人の息はぴったり合って良いコンビネ―ションで進行はスムーズに運ぶものです。これまでにも多くの女性アシスタントの人と仕事をしてきましたが相性が良いと感じるケースはそれほど多くないものです。

2年目に入って更に二人の息が合ってきた、一段と良い感じになったと言われるように更に頑張っていきたいと思います。

「船村徹さん」

7日(土)、テレビ東京の「田勢康弘の週刊ニュース新書」で作曲家船村徹さんの特集を拝見しました。

5000曲を越える名曲を世に送りだしてきた船村さんの作曲にかける心からの思いは、「作詞家が伝えようとするメッセージをより良く理解されるようにお手伝いをすること」だということです。作曲家としては作曲家の立場で自己表現自己主張することがあるのではと思っていたのですが、船村先生のこの奥深い発言には驚かされました。それは「別れの一本杉」を作詞した高野公男さんと共同生活をするなかで育まれていった考え方のようで、それほどお互いの仕事を尊重し大切にしていこうという本当の意味での相互理解が生まれて行ったのだと思います。

「最近の曲は散文調の作詞が多く感銘を受ける曲が少ないのですが」と聞かれて、船村さんは答えました。「いや皆さんそれぞれ良くやっていると思います。ただ星野哲郎さんを初め多くの作詞家達は万葉集に始まり数多くの古典を勉強していました。若い人もそういう勉強は必要だと思います」と。至言だと心から感じました。

昔から船村先生に深い敬意を抱いていましたが、この放送を見て一段と思いは強くなりました。そして船村さんが一曲選んで歌った曲は「都の雨に」という吉田旺さんが実体験を作詞したものに船村さんが曲をつけたもので、若き日に故郷の母を振り切り東京に出て来た男の思いを歌ったものですが、これがまた素晴らしく涙線が熱くなりました。

「東京消防出初式」

6日(金)、東京ビッグサイトで行われた「東京消防出初式」に行ってきました。

勿論生で出初式を見るのは生まれて初めてのことです。昨年練馬で行われた火災予防運動の一日署長を務めて消防関係者の素晴らしい仕事振りに感動し消防庁とは良い御縁を得たことがきっかけで、今回は出初め式への出演になりました。

出初め式は例年通り、開会してしばらくは東京都知事のご挨拶など儀式的なことが続きました。そして表彰などが行われ音楽隊が登場して華やかな演奏を繰り広げます。場が温まった雰囲気の会場にオープンカー2台に、語り部として活躍している平野啓子さんと私が分乗し、それぞれにアドバイザーとして挨拶をするという段取りでした。観客席で見守る観客の皆さんに向かって挨拶をするというのも余り体験の無いことでしたが、皆さんは私が一体何を言うのだろうかという、束になった視線がこちらに向けられていることを感じ取ることができ、却って心地良い緊張感となってスムーズな挨拶ができたような気がしました。

続いて消防庁が誇る消防隊、レスキュー隊、機械部隊(梯子車等)消防艦船、ヘリコプター部隊など、ありとあらゆる装備を兼ね備えた陣容が紹介されました。そして実戦さながらの消火、救援訓練が行われ消防庁が世界でも一線級の実力を持っていることが分かる出初式となりました。これらが実際にフルに機能すれば先ず大丈夫だという安心感を持つことができましたが、余りにも規模の大きい災害であったり、道路が塞がって動きが取れなくなったりしたときには万全とはいえなくなるかもしれません。

それにしても消防庁関係者の方々の不断の努力には頭が下がります。常に世界の最高峰を目指し、中国をはじめ諸外国にも技術指導をし、日本だけではなく地球上の人たちのために尽くそうと考えながら邁進している素晴らしい方々です。

「年頭に思うこと」

2012年が明けました。と言っても例年と何ら変わることは無い新年です。

残りの人生を考えるとやっておかなければならないことがたくさんあるのになかなか思い通りには行かないことの繰り返しです。

先ずは健康の維持、なるべく歩いたり走ったりしようと思い、元日からウォーキングを始めました。その他、筋力トレ、ストレッチもいつも通りのペースで続けております。

そして昨年の暮に横綱白鵬から教わった「四股」を踏むことを始めました。この四股が意外に難しいものです。簡単だと思っていたのですが、片方の足というより「膝」で体を支える意識でしっかりやってくださいと教えられ、その思いでやってみると楽ではないのです。これはあらゆるスポーツ選手に通じると彼は言いましたが私も同感です。今年はこの「四股」をきちっとマスターして下半身強化を図ることを決意しました。

あとは色々なジャンルの知識をレベルアップさせることです。慌ててもできることではないので時間をかけて徐々に積み上げて行きたいものです。できればですが。

後は人と人とのネットワークをより堅固なものにしていきたいと考えています。折角知り合いになっても表面的なお付き合いだけで終わっているケースも多く、もっと密度の濃い関係を作り上げる努力をしなくてはと思うのです。あれやこれやと考えることは多いのですが「焦らず着実に」をモットーに前進したいものです。

「雑感」

野田内閣の支持率が下がり遂に不支持が支持を上回ったという二ュースが出てきました。

スタートしたときから調整型で、余り刺激的な発言もせず一歩一歩前に出ようという姿勢を取ってきたのですが、ここへきてTPPでやる気を見せたと期待させていながら蓋を開けてみると結局その姿勢は曖昧なまま。閣僚の失態にも反応せず続投を命ずるなど期待の目で見ていた人たちにも失望感を与えるようなことの連続で人気を落としたものと思われます。更に消費税増税だけは何としてもやり遂げようとしているのですから、これには国民が納得するきちんとした説明がなければ、このまま命運が尽きる方に進んでしまうのではと気になります。

思うに大改革を試みるのであれば声を大きくしてその必然を説くべきですし、こうすればこうなるという5年先10年先の未来図がそこについて来ないとだめなのでしょうね。その意味で今後の野田政権の対応が見ものです。

さて愛馬「ブエナビスタ号」はいよいよラストランを迎えます。一週前追い切りはなかなかシャープな追い切りで隊長の良さが伺えます。ライバルとなるオルフェーヴル号も素晴らしい動きで好タイムをマークして一歩も譲らぬ気配です。この分で行くと有馬記念は大変なレースになりそうで今から対決が待ち遠しくなります。

「再び夢気分」

つい先日、テレビ東京の「いい旅夢気分」のロケのために群馬県の草津温泉に行きました。

しかも大先輩の徳光和夫さんと一年ぶりの二人旅です。私はこれまで草津に行ったことはなく今回が初めてです。イメージにある草津温泉と言えば高温の温泉で湯もみをする人たちの姿が連想できるくらいで、歴史のある場所ではあるけど昔から余り変化のない温泉町なのではと勝手に想像しており、行くまではそれほどわくわくするようなことはなかったのです。

ところが実際に行ってみると、草津温泉に着き湯畑の大きさや、まるで滝のように流れ落ちる色鮮やかな高温の温泉に驚きました。西の河原商店街通りを歩き濡れおかきや温泉まんじゅうを試食し、町中にテディベア専門の店、モダンなガラス製品を扱う店などを見つけ、更に想像を超える巨大な露天風呂に入ったりしているうちに、この町が時代と共に少しずつ変化を取り入れて新しさを感じさせる要素を持った町並みに様変わりしていることに気がつきました。と言うことは、町の人たちがその点に気を遣いながら相当なエネルギーを注いで頑張ってきたということです。

一泊した宿「季の庭(ときのにわ)」も去年オープンしたばかりでとても雰囲気が良く何処をとっても合格点です。気がつくとすっかり草津の魅力に取りつかれている自分がそこにいました。詳しくは11月16日午後8時からの放送で明らかになります。

「嗚呼、鹿児島」

もう先月になりますが、講演で鹿児島県の長島と種子島に行ってきました。

鹿児島は私の社会人生活のスタートとなった土地で、昭和42年にNHK鹿児島放送局のアナウンサーとして赴任し3年間勤務した思い出の地で、毎日桜島と錦江湾を目の当たりにしながら生活した今も忘れられない場所です。

3年間の滞在中に県内の色々な所へ取材に行きました。長島町はラジオ番組の制作で録音機を担いで43年前に訪れ、15分のドキュメント番組を作り、九州管内のコンテストで佳作に選ばれました。一方種子島はテレビのローカル番組で厚生省(当時)の「薬用植物研究所」の高城正勝所長に薬草研究の成果などについて語って頂くための取材でした。

そしてこの度、偶然にもその思い出深い長島町と種子島で講演を行って欲しいという依頼があり喜んでお受けした次第です。長島町へは当時船で渡るしか移動手段がなかったのですが、37年前に住民の悲願だった黒之瀬戸大橋が完成し本土との往来は車でできるようになり、町全体が活性化されて住民の皆さんがとてもいきいきと暮らしていらっしゃるように感じられました。船で往来しなければならないのと橋を渡って車で自由に行き来ができるのとでは精神的な意味でも大きな違いがあるはずです。現在長島町の皆さんが伸びやかに暮らしていらっしゃるのは当然のことですね。

翌日は種子島に向かいました。鹿児島空港から27人乗りのプロペラ機で正に一っ飛び。30分余りで種子島空港に到着後、講演会場に向かいました。島内の様子は昔に比べてコンビニがあちこちにできて、建物も増えて、といった変化は間違いありませんが、時間の流れはややゆったりしていて心地良さを感じさせます。

講演も順調に終わりJAXAのロケット打ち上げ基地を見に行きました。何とも素晴らしく眺望の良い海岸に基地がありました。関係者の話によりますと「世界一美しいロケット打ち上げ基地」だとのこと。確かにここからロケットが打ち上げられることを想像しただけで素晴らしい映像がイメージできました。今度は打ち上げの瞬間を絶対に見に来たいと思います。

考えてみると種子島はポルトガル人の漂着によって伝えられた鉄砲を自分たちの手で作り上げて戦国時代の日本を激変させました。そして今優れた技術でロケットを打ち上げ世界の注目を集める存在になりました。日本の行き先に影響を与え、重要な鍵を握る土地として種子島には注目する必要があると私は思うのです。

「徳光さん、お疲れ様でした!」

恒例の「24時間テレビ」で徳光和夫さんが堂々と63.2kmを完走しました。

徳光さんとはこのところ一緒に仕事をしてすっかり意気投合したこともあり、10日ほど前大磯で練習中の徳光さんを激励に行きました。10キロ程度走り終えてジムに帰ってきた徳さんはすぐに筋トレと整理運動に取り掛かり、まるで昔からずっとスポーツをやっていたかのように極めてスムーズに全てを終えたのです。

驚きました。数か月間の鍛錬が人間をここまで変えてしまうのだと。つまりそれまでの徳さんは、ゴルフはされるものの他にスポーツらしいことはほとんどやらない人だったからです。やはり何事にも前向きだなと感じたのは、「やり始めてみると次が楽しみになってくるんですよ」と練習を始め、ワンステップずつクリアしていくたびに更に上を目指す気持が生まれてきたことを嬉しそうに話していたからです。この分で行けば問題なく完走してくれそうだと思いました。

そして20日(土)のスタート。徳さんにとって一番の強敵だった気温が何と一気に20度台前半まで下がってくれたのです。これはご自身が自分で引き寄せた強運ですね。21日(日)は丁度私の自宅近くを走ると聞いていましたので7時過ぎに沿道での応援に出ました。

8時を回ったころ徳さんを先頭に走行グル―プがやって来ました。足取りはしっかりしていたので、「ああ、これなら大丈夫」と確信できました。「国道246号線は少々アップダウンがきついですね」と言いながらも表情にはゆとりが見えました。中継ポイントでトイレ休憩をとり暫く私と話をしてまた出発です。「では、ペースをしっかり守って頑張って下さい。お願いします」と徳さんを送りだしました。そしてゴールの瞬間はテレビで見守りました。

70歳という高齢でしかも心筋梗塞という大病を乗り越えて走り抜いた今回のマラソンは同じ病を経験した人達に大きな勇気を与え、同じ高齢者にもここまでのことができるのだと元気を与える素晴らしいパフォーマンスでした。心から徳光和夫さんに拍手を送りたいと思います。

「初めての園まりさんとの共演」

先週の火曜日7月26日に「NHK歌謡コンサート」に生出演しました。といっても歌を歌うわけではなく「時代の歌、こころの歌」というコーナーにゲストとして出演したのです。

このコーナーはゲストの心に残る思い出の歌を紹介しそれにまつわる思い出を語り、その曲を歌っていた歌手の方に目の前で歌ってもらうというコーナーです。NHKからお話しを頂いたときに、私がまず思いついたのは園まりさんの「何も言わないで」という曲でした。

昭和37年、大学に入るために長崎から上京してきた私にとって東京は全てが輝いていて、刺激と魅力に満ち溢れていました。右肩上がりで社会状況は好転していった時代です。そんなときですから誰もが希望に満ちて生きているように映る時代でした。

ある時NHKテレビを見ていると「今日のうた」という短い番組(リリースされたばかりの曲の中からNHKが注目した曲を紹介する番組でした)があり、そこに登場したのが園まりさんの「何も言わないで」という曲だったのです。

「今は何も言わないで、黙ってそばにいて、この小さな幸せを大切にしたい」で始まるこの曲は、恋する乙女の心を歌ったもので、安井かずみさん作詞、宮川泰さん作曲のとても感じの良い曲です。当時、一度聴いただけで心に留り、同時に歌っていた園まりさんがとても愛らしく魅力的ですっかり心魅かれレコードを買いに走りました。以後園まりさんのファンとなりファンクラブにも入会したほどです。

ずっと心の中で園さんを応援していましたが、実は直接お会いしてお話しをしたことはこの日までなく、ファンになって47年ぶりの出会いということになりました。同い年の園さんは今もとても輝いていらっしゃいます。現役で活躍されていて、新曲「もう一度逢いたくて」をリリースしたばかりで頑張っていらっしゃいます。お会いできてお話しができて幸せでした。私もまだまだ負けずに頑張っていかなくてはと決意も新たにしたところです。

「九州全部行っちゃうぞ!」

先週の火曜日(19日)に「九州全部行っちゃうぞ! 草野仁の1泊2日の欲張りツアー」というテレビ番組のロケに出掛けました。(オンエアは9月)

丁度台風6号の北上とタイミングが重なって流石に今回のロケは予定を変更せざるを得なくなるだろうと思いました。これまで仕事に関してはいわゆる晴れ男を自称しており一度も予定を変えたことなどなかった私でしたが、今回ばかりは相手が超大型の台風とあってはとても抵抗できないと半ば諦めの気持ちだったのです。

朝の6時半、羽田発鹿児島行きの便に乗るため出発カウンターに行ってみると、「一応鹿児島を目指して出発しますが鹿児島で着陸できない可能性があります。その場合は福岡に降ります。仮に福岡も着陸不可でしたら羽田に引き返します」との案内がありました。もう成り行きに任せるしかありません。

予定より少し遅れて羽田を離陸。上空は意外にも荒れた感じは無く飛行を続けて鹿児島に近づくと、機長から「鹿児島に着陸する予定です。強風のため一回で着陸できなかった場合は二回、三回と着陸をやり直す可能性があります。燃料はたっぷり積んでいますのでその場合でも御心配は無用です」との機内報告がありました。そして見事に一回でソフトランディングに成功。何と鹿児島は雨も降っておらず台風の影響など殆ど無い状況でした。

その足で鹿児島中央駅に向かい九州新幹線に乗って先ず熊本を目指しました。次いで宮崎高千穂峡、別府温泉宿泊、翌日佐賀県伊万里、長崎市、福岡市と回って1泊2日の全行程およそ1,100kmの弾丸ツアーは無事終わりました。台風の影響を受けたのは阿蘇で視界が悪く見通しが利かなかったくらいで、奇跡的に台風が間近を通っていることを感じないままロケを終えることができたのです。お天気は単なる巡り合わせの問題にしかすぎないのですが、これで私の晴れ男としての面目は保たれた感じです。もうロケはどんなときでも大丈夫という気持ちになってきましたがそれは一寸調子に乗りすぎですかね。

「MRO旅フェスタ2011」

7月10日(日)金沢に出張しました。MRO北陸放送が主催する「MRO旅フェスタ2011」での旅の楽しさを語るトークショーに出演するためです。

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25年前に「フードピア金沢」という催しが始まったとき、そのお手伝いに来たのが最初でした。それ以来御縁ができてとても好きな街になりました。この日の出番は2回でMROの前原智子アナウンサーと旅の魅力にお話をさせて頂いたのですが、2回とも大勢のお客様が集まって下さり、場内は大変盛り上がりました。

合間の休憩時間にはMROのアナウンス部長を務めている長田哲也さんが挨拶に来て下さいました。本当に久し振りの対面で「朝のホットライン」での中継のやり取りをしていたとき以来ですからおよそ20年ぶりです。当時から長田アナウンサーは颯爽としていて格好良かったのですが、今も当時と比べても変わっておらず、「やあ少しも変わりませんね、長田さんは」と私が言いますと「草野さんも変わりませんね」と長田さん。これは長田アナウンサー、少し無理をしながらの発言だったようですが、本当に懐かしく、また忙しい時間の中をわざわざお越し下さった長田さんに心から感謝です。とても良い気分で金沢から帰京の途に就きました。

「夏の恐竜特別展 ダイナソー・ワールド」

7月9日、名誉館長を務める「長崎市科学館」の特別イベント「夏の恐竜特別展 ダイナソー・ワールド」のオープ二ングセレモニーに出席しました。

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長崎市野母崎で見つかった恐竜の化石が白亜紀のハドロサウルス類のものであることが判明したのを契機に、子供たちに恐竜とはどういう生き物だったのかを知ってもらい、恐竜が生きた1億6千万年の長い時代に夢を馳せてもらおうというのがこの催しの狙いです。

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9時からの開会式にも拘わらず、私の出身校長崎西高の合唱部の皆さんがお祝いに駆けつけてくれ素晴らしい歌声を披露してくれました。既に30度を超える暑さを爽やかな歌声が消し去り、爽快感を運んでくれたのです。とても感動的でした。そして田上長崎市長や市議会議長の祝辞などがあり名誉館長の開催宣言でイベントは始まりました。

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今回福井県立恐竜博物館等の協力を得て恐竜の化石、組み立てられた恐竜の骨格など全体のスケールは決して大きくありませんが、とても分かり易く配列展示されています。早い時間には親子連れなど本当に多くの人が来場してくれまして、「来て良かった」と言う声があちこちで聞かれました。

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更に、長崎でハドロサウルスの化石を見つけこのイベントにも全面協力して下さった宮田博士とのトークショーも行われました。これからまだまだ長崎で恐竜の化石が見つかる可能性が高いことを博士は強調していました。集まった子供たちも流石に恐竜に高い関心を持っており、宮田博士に細かく質問を浴びせるなどの光景も見られました。いずれこの子どもたちの中から恐竜研究の専門家が生まれて来るのでしょうね。

翌日の10日はさらに入場者が増えたということで、夏休みに入れば長崎の人気スポットになることと思います。

「政治の混迷極まれり」

大震災から力強く復興、復旧を目指して動かなければならないこの時期なのに政治が止まったまま閉塞状況に陥っているのは不幸なことです。総理大臣が大局的な方向性を定めその方針に従って全体が動くというのが普通のパターンですが、この国の総理は国民受けだけを狙って行動を起こし、後は具体的な考え方を明らかにしないので先の展望が全く開けません。日本の総理は代わり過ぎると言われるからといってリーダーとして相応しくない人をそのままにしておくというわけにはいかないはずです。誰が総理として適任かは難しい判断ですが、とにかく誰か他の人にとりあえずやらせてみる以外に手は無いと思うのです。復興復旧の道を誤れば日本は沈没してしまうに違いありません。早くリーダーを変えるべきだと思うのは私だけではないとおもいます。居座りを許してはいけないはずですよね。

「久々に覚えた感動」

先週末NHKが伝えた二ュースに久々に感動を覚えました。

それは今回の大震災で大きな被害を受けた岩手県久慈市のことです。特に漁業は壊滅的と言っていいほどの被害を受けました。津波で600隻以上の漁船が流失。とても立て直しができる状況ではありません。漁民の方々はどうすべきかアイディアも浮かばず途方に暮れていたのです。

そこへ北海道函館市漁協から何と200隻の小型漁船をプレゼントしてくれるとのこと。それには歴史上の背景があったのです。今から77年も前の1934年(昭和9年)3月21日に函館で死者2166人、焼失した家24186戸という記録的な大火が発生しました。この未曾有の災害に全国から義捐金が寄せられ、岩手県の久慈市からも多額の義捐金が寄せられたということでした。そして今回の大震災で久慈漁協の困窮ぶりを知った函館漁協が今度は自分たちが恩返しをする番と気持を固め、使われなくなったばかりの漁船を200隻集めて久慈漁協に送ったというのです。

久慈の漁民の方々はこの先本当にどうしたら良いのか悩み、中にはもう漁業は諦めるしかないのではと考えていた人もいたそうです。しかし200隻の漁船が大きな貨物船で運ばれてきた様子を目の当たりにしたときの反応は、言うに言われぬ喜びを表情一杯に湛えたものになりました。

心から良い話だと感じました。受けた恩義は絶対に忘れない。機会があればその恩をお返しする。当たり前のような話に思えるかもしれませんが、このところ嬉しくない二ュースばかり聞かされていた私にはとてもぐっと来る二ュースでした。

「両陛下の被災地ご訪問」

4月27日、天皇皇后両陛下は宮城県をお見舞いで訪問されました。両陛下が東北の被災地に足を運ばれたのは初めてで、南三陸町と仙台市宮城野区の避難所をお訪ねになりました。避難所では被災者達とじっくりお話しをされ、被災者達を励まされました。その様子を拝見していると、心から被災者の方々を気遣われて身を乗り出してお話しされるので、被災者の方々も真剣に窮状を訴えて、そこには温かい心の通い合いが見られました。

また、被災した女性が自宅の庭で種を蒔いていた水仙があの大津波から一月半経って自宅のあった場所に見に行ったところ、そこに芽を出して花を咲かせた水仙を見つけ感激し、その花を摘んで皇后陛下に小さな花束として差し出しました。経緯を聞いて皇后陛下はそれを喜んでお受け取りになり、羽田空港に着かれたときにもしっかりその水仙の束を手にされてタラップを降りて来られました。そのご様子も拝見して、とても心が温かくなりました。被災者の方々にとってもきっと元気付けられた両陛下の御訪問だっただろうと想像しました。

「新幹線」

今回の東日本大震災が起きたとき、新幹線は大丈夫だったのだろうかと気になったものです。

時間が経過しても新幹線についての情報はほとんど出てきませんでした。ということは、特に問題はなかったのだろうとも思いましたが、これだけの揺れの中でよく脱線などが起きなかったものだなと感心していたのです。

昨日のNHKニュースでその詳しい状況が明らかになりました。報道によると、JR東日本の設置している地震計が大きな揺れが起きる9秒前に地震を感知して、当時走っていた27本の東北新幹線に停止信号を出したということです。その結果各列車が非常ブレーキをかけどの列車も無事に脱線することもなく停止できました。これはほとんど奇跡のように感じられます。

考えてみると昭和39年に東京新大阪間で運行が始まった東海道新幹線から数えて47年間。大きな事故もなく正確な時刻を刻んで人々を安全に運び続けて来たこの新幹線という乗り物は、これこそ世界に誇れるものだと思います。国家としてももっと前向きに新幹線を世界に向けてアピールすべきではないでしょうか。何事にも積極的に頑張っている韓国の動きを見るにつけ、わが国も自信の持てる分野に関してはもっと前に踏み出して欲しいと強く願うばかりです。

「『DON!』 最終回」

3月25日(金)NTV「DON!」の最終回に出演しました。

中山秀征さんが司会。馬場アナ、上重アナがアシスタントを務め、色々生活に役立つ情報を楽しくお伝えする番組で、私は金曜日のレギュラー出演者とし東貴博さん、ナイツのお二人、神田沙也加さん、ヨンアさんたちと一緒に参加していました。

金曜グル―プはとりわけ仲が良くチームワ―クがしっかりとれていたので、スタジオで皆と顔を合わせるのがとても楽しみでした。良く考えるとそれは司会の中山秀征さんが細かく気配りをしてくれて、皆が自然体で振舞えるような雰囲気を創ってくれていたからでした。ことほどさようにヒデさんの全体のまとめ方は素晴らしく、ほかの曜日レギュラーの方々からも同じような声をたくさん聞きました。

番組が始まって2年。段々番組の存在感も増し、視聴率も上がって来ていたのですが3月一杯で終わることになりました。テレビ局にはテレビ局の事情があってのことで致し方ないのですが、ここで終わるのは残念で、正直勿体ないなと感じます。

でも一緒に仕事をしてみて、中山秀征さんの人間としての優しさ、温かさ、細やかな気配りを怠らない繊細な神経等魅力的な面をたくさん持った人だということが良く分かりました。類まれな素晴らしさを持ったこの人は益々この世界で活躍できる人だと確信しています。これからの活躍を本当に楽しみにしたいと考えています。

「加藤茶さんの芸能生活50周年をお祝いする会」

去る3月1日、グランドプリンスホテル赤坂にて「加藤茶さんの芸能生活50周年をお祝いする会」が開かれ私も出席しました。お祝いに駆け付けた人850人という途方もなくスケールの大きいパーティーでした。

小野ヤスシさんが司会を担当して和やかで飾らぬリラックスできる雰囲気で会は始まりました。政界(こんなところに出入りしているときではなさそうなのに)からも数人が出席、芸能界は本当にたくさんの人たちが集まり加藤茶さんの人脈の広さが伺えます。ゲストの人たちはグル―プごとに分かれてステージ上に上がり、お祝いのコメントを述べて行くことになり、私も一言を求められました。

昔「炎のチャレンジャー」というテレビ番組で、手にしたバーを決められた時間内に流れている電流と接触させることなく通過させたら100万円というゲームがありました。ある回に加藤さんが登場し、とても器用に次々と難しい局面を潜り抜け、「これで100万円ゲットだな」と思った次の瞬間、「ヒップシッ!」とお馴染のギャグとともにバーが電流に触れ、結果100万円獲得にはなりませんでした。もし自分だったら100万円を取りに行くことに夢中になっていたはずですが、加藤さんはやはりプロフェッショナルです。番組を見ている視聴者のため、わざと「ヒップシッ!」をやることで笑いを取るという作戦に出たのでした。何処までも視聴者第一このサービス精神には感動したことを覚えているというような話をすると、加藤茶さんはにっこりとほほ笑んで下さいました。

私はパーティーの後に仕事が入っていたため2時間で退席したのですが、残りの1時間も楽しいスピーチやパフォーマンスに満ちていて、笑いの絶えない3時間の宴だったということです。加藤茶さんの今後の益々のご活躍に期待したいと思います。

「ファイアーフェスティバル2011in練馬」

2月28日、火災予防週間を直前に控え、練馬区日大芸術学部のキャンパスを借りて東京消防庁主催の「ファイアーフェスティバル2011in練馬」が行われ、私も一日消防署長としてこの催しに参加しました。

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アウトドアのイベントやテレビのロケではこれまでほとんど雨を降らせたことがないというのが心に秘めた自慢の一つだったのですが、この日は予報も100%雨天、実際に朝起きてみるとしっかり雨が降り続いています。

現場に到着しても雨脚は弱まらず、遂に雨の中、しかも強い寒風が吹き荒ぶ中、火災発生、避難、救出活動が迅速に行われ、さらに消火のための放水と続いていきます。私は式台の上で大きな声で「放水はじめ」と号令をかけ、消化状況を確認。そしてよきところで「放水やめ」と大声を出して放水が終わり、現場で救出された人たちの安全確認、負傷者の手当て、搬送などが順次行われ、訓練は終了しました。

流石に消防隊員たちの動きは素晴らしく正確、迅速、素早い決断力など、見ていて大変な心強さを感じました。高層階の人たちを救出に向かったレスキュー隊の隊員のロープクライミング力は驚きのレベルで、隊長に伺ったところ毎日欠かさず訓練を続けているとのことでした。ニュージーランドの地震災害でもレスキュー隊の方々も加わっているそうですが、国際的にも日本の救援部隊は高い評価を得ていると聞き、納得の訓練でした。

内心では雨を降らせてしまったと一寸傷ついていたのですが、良く考えてみると実際の火災は気象条件を選ばず発生するものであって、このような強風や雨という条件の中で訓練を実施しておくことは決して無駄ではない、いやむしろこういうときにやっておくことも大切なのだとつくづく感じました。

訓練の後は火災予防について講演を行いました。徳川時代江戸は大火が頻発したこと、267年間に大阪が6回、京都9回に対し何と49回も街を焼き尽くした火災が起きていたこと、消防も組織化が遅れ破壊消防で延焼を防ぐものでしかなかったこと、更に町火消しどうしの功名争いでけんかが絶えなかったことなどの歴史に触れると同時に、現在の消防の活躍とりわけこの10年前後は火災発生件数、死亡者、損害額いずれも減少していること、また私たち自身が火を出さない工夫努力が必要なことなどをお話ししました。消防関係者の皆さまからも喜んで頂き参加して本当に良かったです。

「久しぶりにお会いしました」

先日赤坂の歩道で信号待ちをしていたら、右後方から異常に大きな人が近付いて来るのを感じました。「誰だろう。まるでチェ・ホンマン(崔洪万)さんみたいな人だな」と思って振り返って良く見ると、本当にチェ・ホンマンさんご本人でした。

6年ほど前、テレビ朝日の深夜番組「草野☆キッド」で仕事をはじめてご一緒しました。そしてその他のバラエティ番組でもご一緒して以来久々の出会いで、「あぁ、チェ・ホンマンさんお久しぶりですね」と思わず握手の手を差し出すと、私の両手分くらいありそうな大きな右手でしっかりシェークハンドしてくれました。

「今はずっと日本に居るんですか」と尋ねますと「今映画の撮影に入っているので、ずっとこちらにいます」とのこと。久々の再会だったのに私のことをよく覚えていてくれてとてもにこやかに応対してくれました。

チェ・ホンマンさんといえば何と云っても2m18cmの長身がセールスポイントですが、脚もとても長いのです。6年前のそのロケのときも、広場にチェ・ホンマンさんがスックと立っているところに、猫ひろしさんが走って来てそのまま身をかがめることなくチェ・ホンマンさんの股の間を走り抜けていったことが思い出されます。それほど脚長おじさんでもあったのです。

元々は韓国相撲の偉大なチャンピオンで最近は格闘技の世界で苦労しながらも頑張っていますが、依然と少しも変わらぬ誰にも優しい姿勢にはとても好感が持てました。お互いに急いでいましたので長話はできませんでしたがまた会いましょうと再会を約して別れたのです。

「政権の運命は」

第2次菅改造内閣が発足しました。

普通は内閣改造を行うと支持率が10%位は上がるものだそうですがどの世論調査を見ても3~4%程度の上昇に留まっており、国民の期待感にはさほど変動はないようです。それにしても1月5日に菅総理が生出演した報道番組の視聴率が6.9%と聞き大変驚きました。通常13%前後の視聴率を稼いでいる番組なので、総理の出演で半減してしまったという見方もあり、お正月の特番ラッシュの時期であったとはいえこんなに人気の無い首相も珍しいといえます。

なぜなのでしょうか。元々菅首相は市民運動家の出身で、やるべきことは堅実に実行に移していくタイプの政治家と見られていました。しかし鳩山前首相の辞任の仕方のせいもあるのでしょうか、どの案件から手掛けていけばよいのかについて模索し過ぎたように見受けられます。すると、それまでに評判の良かった事業仕分けに目を向けたり、政治と金の問題で自民党との違いを発揮しなければと思い込んでどこまでも小沢問題を追いかけたり、と自身の評価を上げることに傾注してしまったのが結果を悪くしてしまったように思います。

ではなくて、そもそも菅政権は何を目指し何を実行する政権なのかをまず最初に明確に打ち出し、その上で具体的に政策に優先順位をつけて実行していく必要があったのではないでしょうか。

また、自分はやるべきことをしっかりやっているのにきちんと報道が伝えてくれていないという趣旨の発言がありましたが、在任中の首相がそんな泣き言を言っても始まりません。汗をかいて全力を出し切ってやるべきことをやれば自ずと評価がついてくるものだと思います。厳しい政権運営が続きますがこの政権の運命やいかに。

「エノケン、笠置のヒットソングレヴュー」

戦後の日本の娯楽を支えた「日本の喜劇王」榎本健一と「ブギの女王」笠置シヅ子をテーマにした歌謡レヴュー「エノケン、笠置のヒットソングレヴュー」を見に行ってきました。

会場は浅草ROX4F「浅草まねきねこ館」です。午後1時からの開演を前に館内で食事を楽しむことができるのですが、私はエノケン定食(洋食)1500円也を注文。これが中々良い味で何か得をした気分になりました。

開演の時間になると小倉久寛さんがナビゲーター(活弁士)として画面で登場。浅草六区の歴史的成り立ちから解説をしてくれます。元々六区は火災の多かった江戸で類焼を防ぐための火除地で空き地だったそうです。それが明治時代に土地の整備が行われ、六区にも建物を立てることができるようになって一気に芝居小屋などが軒を並べるようになり、娯楽の中心地となっていったとのこと。ちょっとした「浅草六区ふしぎ発見!」を見た思いでした。

さてレヴューが始まってみると女性7人、男性2人からなる虎姫一座の歌う笠置シヅ子さんの唄、エノケンの唄がとても丁寧で力強く、ダンスもパントマイムも息が合って見事にでき上がっていて楽しめました。7人の女性たちも、とても上品なお色気を漂わせ、エネルギーを出し切って歌い演じていて好感のもてる舞台になっています。なるほどこれくらいのエネルギーがあったからこそ、エノケンも笠置さんも敗戦で打ちひしがれた世の中に活気を与えられたのだと納得してしまいました。

公演が始まって1カ月。虎姫一座の人たちもペースを掴み、流れもスムーズでメリハリの利いた舞台になっています。独身の若い男性であればこの舞台を好きになりメンバーの誰かのファンになって劇場通いをすることになっても不思議ではないですね。この舞台の脚本を書いた株式会社花のエグゼクティブプロデューサー森弘明さんとは仕事を通じての知り合いなのですが、時代背景や当時の状況をよくぞここまで調べ上げられたものだと感心しました。

フィナーレを迎えもう終演かと思わされるほど心地よい緊張感に満ちた立派なステージでした。この流れに乗って虎姫一座が益々レベルアップして行くことを期待しています。

「一年の計」

2011年は冷え込みこそ厳しいものの大きな事件や事故もなく比較的静かな中で明けました。

政治は難問山積。国家としての進行方向も不確かなまま誰もが呆れる体たらくですが、改善の見通しはゼロです。それはともかく自らの今年一年について色々考えてみました。

自分の寿命は分かりませんが、これからの一年一年は自分にとって勝負のときだと思います。何か形あるものを作り上げなくては意味が無いと思いさまざまな構想を抱いてみました。

実現できそうなものもあれば難しそうなものもあり、いずれにせよやってみなければと思います。その一つは身も心も柔軟にということです。ものの考え方は元来どちらかと言うと少し頑ななところがありましたが、情報をきちんと集積して柔軟性のある判断を下せるようにしたいということです。

体もこれまで筋力アップを重視していましたが、より大切なのは体の柔らかさだと考えストレッチに費やす時間を増やして体つくりを始めました。

あとは理科系の勉強を少し積み上げてみたいと考えています。父親は数学者、兄たちも理科系で、「お前も理科系に進むべきだ」と決めつけられていたことに反発して文科系を選んだのですが、この歳になるとやはり理系のことも程々に分かっていなくては不自由を感じることが多くなってきました。食わず嫌いを改めなくてはと感じた次第です。

その他のことは今年が終わるとき進捗具合とともに明らかにしたいと思います。兎に角、今年も元気一杯に頑張ります。

「『歌魂』 本当にありがとうございました」

名古屋中日劇場で「歌魂」というイベントに先週18日、19日の二日間出演しました。

もともと中日スポーツが紙面で「貴方の心の応援歌は何ですか」という応募をしたところ、想像を超える反響があり沢山のエピソードを添えた投稿が寄せられました。そこでこのままにしておくのは勿体ないと、寄せられた投稿をもとにしてそれを歌手の方たちに歌って貰うイベントが企画されたのが今回の経緯です。

野口五郎さん、八代亜紀さん、北原ミレイさん、兵庫ケンイチさん、そして司会陣としてモト冬樹さん、友近さん、私の三人が加わり、皆で分担して歌い綴るというものです。ベテランの野口さん、八代さん、北原さんたちは流石と舌を巻かせる程のエンターテイナーぶりを発揮して下さり、私たち司会陣もトークで繋ぎながら所々で自分の持ち歌を歌うという役割でした。

私は今回、「夜空の星」「吾亦紅」「竹トンボ」「君恋し」を受け持ち、モトさん、友近さんとともに盛り上げに力を尽くしました。イベントはお客様の入りも良くとても盛り上がりました。ステージで歌うのは久々のことでしたがお客様の反応もとても良くて、新たな自信も得られました。客席も近いのでお客様の息遣いが直に伝わってくるのは上手くいったときは快感が得られます。特にモトさんに上手く乗せられて歌い手になったような気分でした。

地元の男女コーラスグル―プも登場して温かい雰囲気の催しで良かったという声をたくさん頂くことができました。不思議なもので多少ミスもあったのですが、終わってみると達成感を得られましたね。来年以降も続くことを参加者全員が願ってお開きになりました。

「『歌魂』 よろしくお願い致します」

今週末18日、19日は名古屋の中日劇場で「歌魂」というイベントに参加します。

これは、中日スポーツが紙面で「貴方の背中を押してくれた歌は何ですか」という応募をしたところ、物凄い数の反響があり想像以上に注目を集める話題となりました。そこで中日劇場と連携してリクエストの多く集まった数々の歌を歌う催しを行うことになり、そこに私は司会の一人として参加することになりました。

一緒に司会を務めてくれるのはモト冬樹さん、友近さんです。ゲストとして野口五郎さん、八代亜紀さん、北原ミレイさん、兵庫ケンイチさんそして地元のコーラスグル―プも加わり、また司会陣も歌にも参加してとても賑やかなイベントになりそうです。

音合わせも既に終り、歌の練習の日々が続いています。自信のもてる曲もあればそうでもない曲もあり、次第にプレッシャーが重くのしかかっています。

でも、皆で歌の楽しさ、素晴らしさ、そして影響力の大きさを感じながら楽しむこういう機会はとても必要なことだと思います。実際にどうなるかはまた後日御報告させて頂きます。

「久し振りに鹿児島へ」

久し振りに鹿児島に行ってきました。5日(日)指宿市で行われた鹿児島県、鹿児島県社会福祉協議会が主催する平成22年度公開講座での講演のためでした。鹿児島空港から指宿まで車の移動ですと1時間半あまりで、アクセス面では一寸だけ難がありますが、個人的には鹿児島市内から左手に海を見ながら走るこのコースが大好きでゆったりとした良い気分で指宿を目指しました。

かつて、もう40年も前のことになりますがNHK鹿児島放送局に在籍していた当時、少し時間の余裕があれば鹿児島市内から一っ走りしたことが懐かしく甦ってきました。素晴らしい天気のもと錦江湾は青く輝き昔と変わらぬ風景が当時のことを否が応でも思い起こさせます。アテンドして下さった方に、「最近の指宿の人気はどうですか」と尋ねますと「大河ドラマで『篤姫』をやっていたときは良かったんですがね、今は一寸寂しくなりました」とのこと。以前は人気だった観光地も時代の流れとともに勢いを失って来ていることは否めないようです。

さて、会場の「ふれあいプラザなのはな館」には比較的高齢の方を中心に多くの方々にお越し下さり、私の話に本当に熱心に耳を傾けて頂きました。講演が終わって退場するときもお客様が握手を求めて集まって下さり、まるでちょっとしたアイドル並みの騒ぎでした。今回だけでなくこの頃講演会で実感するのは皆さんが本当に真剣に話を聞いて下さるということです。感謝の気持ちでいっぱいです。

そしてできればまた昔のようにゆっくり時間を取って鹿児島滞在を楽しみたいなという気持ちが胸の中で大きくなっていくのを感じていました。

「いったいいつまで・・・」

北朝鮮が韓国領延坪島に砲撃を加え、韓国軍兵士2人、民間人2人が死亡した事件は大きな二ュースとなって世界を駆け巡りました。また北朝鮮が例によってアメリカとの直接交渉を求めて起こしたアピールかと解釈した人も多かったように思えます。

ですが今回のやり方が卑劣なのは一般人も巻き添えにしてしまう攻撃だったというところにあります。それにしても一体いつまでこのような暴挙を繰り返せば気が済むのでしょうか。本来なら国際社会がそれを許さないはずですが、現実には中国の庇護の下、いつも難を逃れ、時間が経てば同じことを繰り返すということになります。中国も、北朝鮮の現行体制が仮に崩壊すれば自国にその累が及び難民流入などで大きな被害を受けるため、手をこまねいているように思えます。

北朝鮮の多くの国民は飢餓と戦い、自由を束縛され、恐怖政治に身動きが取れない状況です。本来なら中国こそが影響力を発揮して国民全体が幸せを享受できる体制に変えていくべきなのでしょうが、現実にそこまで構ってもいられないのでしょうか。本当に困ったものです。

「正直、心配です」

菅政権の迷走が続いています。尖閣沖中国船衝突事件では、動かぬ故意の衝突だったと分かる証拠のビデオを保持していながら、有効利用できずにこれを公開しないことにしてしまいました。那覇地検の判断で船長を釈放したものの、衝突ビデオがYouTubeで流されると慌てて国家公務員法の守秘義務違反で告発しましたが、警視庁はビデオを流出させた海上保安官を事情聴取の結果、逮捕を見送ることにしました。

やることなすことが裏目、裏目に出ています。APEC でも中国の胡主席との会談を欲する余り前のめりになり、結局話はできたものの僅か22分間の顔合わせに終わり、胡主席は笑顔一つ見せないまま形の上だけの首脳怪談になってしまいました。ロシアのメドベージェフ大統領からは「これから先のことを考えた方が遥かに有益」と、領土問題に触れることができずに引き下がらざるを得なくなり、全くいいところがありません。

人気回復のあてにしていた事業仕分けも思い通り進まず、率直なところやや進退窮まりつつあるように見えてきます。ちょっと名誉回復の兆しは見え辛いですね。この先どうなることやら。

「ありがとうございました」

10月29日にフジテレビで放送された「第3回オールスター芸能人歌がうまい王座決定戦スペシャル」で幸運にも優勝できて、多くの方々から「おめでとう」と声をかけて頂きました。

この番組は昨年に引き続き2度目の出場で、前回は1回戦では勝ったものの2回戦で敗退。今年は何とか2回戦の壁を乗り越えたいと思って本番に臨みました。欲も無く一つでも上に上がれればそれで良し、と思って戦ったことが結果的には良かったのだと思います。

1回戦、フットボールアワーの名手後藤さんではなく岩尾さんが相手。安全地帯の「恋の予感」でスタートして先ずは初戦クリア。2回戦はJOYさんと対戦。「吾亦紅」で少し調子を上げて何とか勝つことができました。続く準決勝で友近さんとぶつかりこれはもうおしまいだなと思ったのですが、「時の流れに身を任せ」を歌ったら何と僅か1ポイント差で辛勝。奇跡が起きました。

決勝はラサール石井さん、叶美香さんとの3者による対戦。私はグレープの「無縁坂」を歌って判定を待ちました。9人の審査員が3者に3票ずつと見解が分かれましたが、規定により審査委員長の堺正章さんが投票した私が優勝ということになりました。

全体に波乱の連続で決勝に勝ち残ったメンバーも意外性の3人でその意味では誰が勝つか分からないという面白さはあったのではないかと思います。終わってみるとただ力を出し尽くそうと思って戦ったことが功を奏した今年の大会でした。4時間の超枠大スペシャルは今年も17%という高視聴率を稼ぎだしました。

番組創りに懸けるスタッフのエネルギー、意欲、粘り、集中力、創意工夫、には今年も圧倒されました。

「カヌーで夢気分」

今年2月の山形に引き続き、テレビ東京「いい旅 夢気分」のロケで群馬県水上温泉に紅葉狩りに行きました。ちょうど紅葉真っ盛りで久々にその美しさに目を奪われました。

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そしてダム湖の奈良俣湖でカヌーに初挑戦、意外に上手く行って楽しい体験をすることができました。カヌーは二人乗り、現地のカヌーツアーを主宰している「レイクウォーク」の高橋秀典さんの指導のもと、前に徳光和夫さん後ろに私が乗ってスタート。勿論高橋さんの教え方が卓越していたからなのですが、二人ともパドル捌きをすぐに覚え苦労することなく思いのままの方向に進めるようになりました。

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そして広い奈良俣湖をゆったりと周遊、1時間半にわたって湖上から周りの360度パノラマの紅葉を目いっぱい楽しむことができたのです。意外に力を使わずに腕の回転でパドル捌きをスムーズに行ったので、相当量漕いだのですが筋肉痛にも苛まれませんでした。徳光さんとの呼吸も良く合っていて、二人とも気が合うようですねと笑ったことでした。これでカヌーは趣味の一つに加わりそうな気がするほどです。

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放送を通じてではありますが本当に良い体験が出来ました。詳しくは11月10日のオンエアをお楽しみ下さい。

「名医とは・・・」

10月18日(月)、午後10時からのNHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見ました。

肺がん、肺移植の分野で世界的にも高い評価を受けている京都大学医学部教授伊達洋至さんの仕事振りをつぶさに紹介したドキュメンタリーでした。アメリカで肺移植などの最先端技術を修業して帰国し、患者の治療に当たっていた伊達医師は肺の難病で苦しむ少女を担当。肺の移植しか手が無いという状況で両親からの移植を考えたものの血液型が合わず断念。ドナーを求めたものの結局容態悪化で命を救えなかったことが自分の出発点だと語り、そこから患者にとって最善の医療を目指して機能することを信条としてきたのだと言います。

伊達医師はどんな患者にも情報を正確に開示しリスクについても詳しく説明、そして手術に入ると全力で7~8時間の所要時間もものともせず乗り切ってしまうのです。大きな手術の前夜は必ずガーゼを相手に手術糸で縫うことを繰り返して精神の統一を図ります。手術に入るとできる限り患者に負担をかけないように手術時間の短縮を図り、あらゆる可能性を勘案して患者に最も良い対応をしていく。その結果は他に例を見ない程の高い成功率として表現されているのです。

肺がんの患者にも肺の難病の患者にも明るい笑顔で対し、誠意を尽くして臨むその表情は優しさに満ち溢れています。「命懸けで助けを求めてくる人にはこちらも命懸けで臨む」私が親しくお付き合いをして頂いている脳外科医の上山博康先生と全く同じ考えであり、名医と呼ぶにふさわしい方の考えには共通するものがあるということをつくづく感じました。

「検察の責務」

障害者団体向け割引郵便制度をめぐる偽の証明書発行事件で、厚労省の村木厚子局長を有罪にするために取り調べに当たっていた大阪地検の前田恒彦検事が証拠とするために預かっていたフロッピーディスクを勝手に書き換えていた問題ほど世間を驚かせた事件は無いでしょう。

今回は前田検事が、証拠改竄についてその痕跡を残したままにするなど処理に詳しくなかったためにその行為が明るみに出ましたが、もしこれがハッカー並みの技術を持っている人であったら改竄そのものも誰にも知られないままになっていた可能性もあり、こんなに怖い事件はありません。つまり検察がいくらでも事件を作り上げることができ得るという点で国民に恐怖感を与える事件なのです。

このような考えられないことが起きてしまう背景には、事件についての検察の見通しに沿った供述が得られないと起訴ができず上層部から厳しく叱責されることがあるため、証拠に手をつけてしまったのではないかというような見方も出ているのですが、それは自分たちの仕事を全否定してしまう行為に他ならないと思います。検察の責務は悪を排し正義を貫く以外にはあり得ません。前田検事の行為は実はそれを知った同僚の検事などを通して上司にも伝えられていたとのことで、これに蓋をしてしまった上司たちの責任は前田検事以上に重いと言われても致し方ありません。

日本全体に広がっている倫理観の後退や前向きのエネルギーの欠如は誰もが感じていることではありますが、社会の基本的な枠組みの部分にそれが及び始めたら危険極まりないことです。最高検が調べを進めていますが膏薬を貼って痛みを鎮めるのではなく、膿を全部摘出してしまうことができるかどうか注目していなければなりませんね。

「各々の職責を全うすることとは」

高齢者の所在不明問題は当初予想した通りどんどん広がって、とうとう200歳の人が戸籍上は生存していることになっているという、もう笑えないレベルの話になってきました。100歳以上の人だと自治体によっては1000人規模で不明者が存在するということなので、日本が世界最高の長寿国というのはとんでもない作り話だということになります。他国の指摘通りになってしまいました。

確かに戸籍法は、①同居の家族、②同居している人、③大家さんか地主がある人物が死亡した時それを知ってから一週間以内に届けなければならないと規定しています。そしてもしそれを怠った場合過料(あやまちりょう)を取られることになっています。かつては大きな問題は起きずに経過してきましたが、核家族化、家族間の連帯の希薄化、高齢化、地域コミュニティーの崩壊、ホームレスになる人の増加など社会状況の大きな変化が生まれ、人の死に対する認識が希薄になり、戸籍法の拘束力があまり意味を持たなくなってきたせいでしょうか、結果としてこのような事態を生みだしています。

また、戸籍担当の人たちの自身の職務への態度がここまで事態を悪化させたと言われても致し方ありません。それが証拠に各地で問題が出て来たときに、他の場所でも調べてみたらあっという間に驚くべき多数の所在不明者がいることが判明しました。つまり日常業務の中で放置されていたということです。

罰則が無いから致し方ないと考える向きもいますが、私は賛同しません。現行の法律でも自分に与えられた権限を最大限に使って仕事をしていけば、ここまでの失態はなかったはずです。15年前オウム真理教からサティアンの建築申請が出されたときに、上九一色村の担当者が実際に建築基準法をもとに施設内に入って十分な精査を行っていればサリン精製施設を作られることは無かったと思われます。その時その時ででき得る最大限の職務というのをそれぞれの担当者はもう一度きちんと考えてみる必要があると私は確信しています。

「流通経済大学学長との対談」

昨日、流通経済大学学長の小池田冨男さんと上野のホテルで対談を行いました。(後日朝日新聞にて掲載予定)今の教育について、コミュニケーションの大切さについて、また今後の学生たちへの期待などじっくりと話し合いをして有意義なひと時を過ごすことができました。

実は私の恩師東大名誉教授の辻村明先生が今月22日に悪性リンパ腫のために83歳でお亡くなりになったのですが、辻村先生はこの流通経済大学で社会学部を開設したときに招聘され、そのときから小池田学長とは親しい間柄だったということで、不思議な御縁で私も繋がっていたのでした。

流通経済大学は実学教育、教養教育、そして少人数教育を教育の三本柱に掲げています。結果として「汎用性のある社会人基礎力」を備えた人材を育成することを使命として頑張ってきた大学で1965年の創立以来多くのすぐれた卒業生を世に送り出してきました。実は今最も求められている人材とは、高度の判断力や意思決定能力、コミュニケーション力を持った本当の意味で人間力を有した人材であり、そのような人材を育てて社会に送り出し続けてきた個性的な大学なのです。

他の大学がともすると低迷状態に入っている今流通経済大学のような行き方は注目されます。スポーツにも力を入れ大学としての総合力は今後ますます大きなものになっていくものと思われます。小池田学長のとても柔軟性のある奥行きの深い物の考え方、壁を何度も打ち破ってこられた実行力をもってすれば、この大学が成長しない筈は無いと感じられます。

「ドコモ団塊倶楽部」

先週の21日土曜日、文化放送「ドコモ団塊倶楽部」(11:00~13:00)にゲストとして呼んで頂きました。MCは弘兼憲史さんと文化放送アナウンサーの石川真紀さんで毎回一名のゲストを招いて2時間じっくりトークをしようというラジオ番組としては他局には無い個性的な番組です。

弘兼さんにはかつて日本テレビの「THEワイド」で数年間コメンテイターを務めて頂いていた時期があり、いわば戦友のようなものですから出演依頼があったときには喜んで参加させて頂きました。

局に伺いますと担当の制作部の塚本茂さんが丁重に迎えて下さり、スタッフの方々と挨拶を交わし、MCの弘兼さん、石川さんと顔合わせです。数年ぶりにお会いした弘兼さんは以前よりももっと若くなったような気がするほど元気一杯、溌剌とした表情で、お顔を拝見して嬉しくなりました。これも日常充実した仕事をこなし、プライベート面でも健康管理を含めてやるべきことをきちんとこなしていらっしゃるからこその若々しさの維持だと感じます。

当然のことながらトークは本音でということでどのような話でもぐんぐん切り込んで来られて、正直やや防戦に回らざるを得ないところもあったように思います。でも本音でやることは大事ですし、私もそれを望んでいましたので気分の良い2時間でした。可笑しかったのは、若かりし日に二人とも園まりさんのファンで、同じような青春体験をしていたことがひょんな会話から判明したことです。

そしてとても印象に残ったのは石川真紀アナウンサーのことです。勿論以前から活躍されていることは知っていましたが、直接お会いするのは初めてのことでした。席について石川さんが話し始めたときから大変心地よく放送に入っていくことができたのですが、それは石川さんの話し方が自然でソフトで力みが無く、また他人の話をしっかり聞いていていつの間にかそこにいる人と人との間を見事に繋いでいたからなのです。恐らくご自身の仕事はどうあるべきか、どのような方法が最も有効なのかということを常に自分に問い直しながらアナウンサーとして頑張ってこられたのだろうと想像します。数少ない優れた女性アナウンサーを発見して気分が良くなりました。つくづくこの番組に出演できた幸せを感じた私でした。

「堀紘一さんの新刊を読んで」

先々月の話で恐縮ですが、別所哲也さんが主催し国際的にも高い評価を受けている「ショートショートフィルムフェスティバル2010」の特別審査員を今年委嘱されました。

審査員は行定勲監督、監督も務める女優の桃井かおりさん、俳優の塩谷瞬さんと私の4人。驚くほどたくさんの応募作品を見て審査に臨みました。審査では色々な意見がぶつかり合ったものの議論を経て、国際部門とアジア部門は優秀作品を決めることができましたが、日本部門については全体に迫力不足で、やや型に嵌っていて新しいものを作り上げようという気迫が感じられないという厳しい評価で審査員の意見は一致しました。その結果、日本部門の優秀作品は該当なしという苦しい決断をせざるを得なかったのです。

今、日本全体が言いようのない停滞低迷状況に陥っていますが、創作意欲をもったものの集合体である映画創りの現場にもそういう空気が蔓延していることに驚かされました。何と最近は若者が留学したがらない、特に男子にその傾向が強いと聞きます。まあ、国を動かす政治家があの体たらくなので他は推して知るべしなのでしょうが、どうもこのままでは日本再浮上の可能性はもうないかもしれないと思えてきます。

そう考えていた時に(株)ドリームインキュベータ会長の堀紘一さんから新著「日本の成長戦略~こうすれば必ず甦る!」(PHP研究所)が送られてきました。堀さんの主張はいつも極めて明快です。

日本の新成長戦略は①コストではなく付加価値で勝負、②単品でなくセットで勝負、③大ロットではなく小ロットで勝負の三本柱が必要と説いています。良いもの必要なものにはお金を惜しまない人たちを相手に商売をすべし、誰に買ってもらえるのかを最初から意識してビジネスをすべしと主張します。

セットでというのはバラバラに売るのではなく、日本製炊飯器が中国人観光客に人気なのならば「コシヒカリ」「六甲のおいしい水」もセットにして売るべきだということなのです。①と②を推し進めて行くと必ず③の方向に進み、割高になっても小ロットの品質勝負で十分やっていけると堀さんは指摘しています。

また開業以来大きな事故を起こしていない新幹線はソフトの優秀さと相まって世界で堂々と勝負していけるものだそうです。他にも日本の果物などの高級農作物、更に高度の医療技術など世界に売れるものはたくさんあるぞという見方については全く同感です。

更に日本に一番向いている産業の一つとして「環境・省エネ産業」を育てることだとも強調しています。日本は多くの産業分野で高い水準にあり、幅広い技術を持っている日本こそこの分野のリーダーたりうる。清潔好きの日本が創り出したウォシュレットは誰もが認める優れもの。ウェットタオル、ウエットティッシュ、アルコールジェルも日本人の発明品で、この分野の仕事を受け持つのに日本人ほど向いている国民はいないと指摘しています。

また堀さんは重要な改革の柱として大胆な教育改革の断行を上げています。これは私も最も急ぐべき改革であると考えています。この15年くらいの間に日本人の学力は急激に低下し、現在も低落を続けています。長い間先人たちが読み書きそろばんと人間としての基本的な生き方だけはどんなことがあっても身につけなければならないものとしてしっかり教え込んできたのですが、「ゆとり教育」の名のもとに勉強をさせないいわゆる「狂育」が行われてきた結果、恐ろしいほどのレベルダウンが起きてしまいました。これを取り戻すのには20年くらいはかかるかも知れませんが、今すぐ立て直しにはいる必要があります。

堀さんの提言は英語の入試をTOEFLにすべし、から始まり、英語の離せない英語教師の排除など細かく何故それが必要なのかも指摘しています。また、高校卒業後一年間は、青年海外協力隊、自衛隊入隊、福祉活動のどれかを選択して社会勉強をすることの重要性にも触れています。この間給料は月10万円税金で支給。衣食住全般の面倒も国が見る。これを一年間努めて落第の評価が出なかった人にだけ大学受験資格が与えられるようにする。

大学は教養課程を辞め3年間専門課程の勉強をする。と、このようにすればどのコースを選んでも本人の意欲も含め、企業にとってもプラス面が多くなると言うのです。その他日本人がやるべきことやってはいけないことなど、とても示唆的なことに満ち満ちた提言の書になっています。これくらい立体的に物事を考えられる人はなかなかいないのに、ブレーンとして重用する政治家はいないのですかね。久々に元気の出る本を読んだ気がします。

「トーク&サイン会行います!」

暑い毎日が続いています。私は九州長崎の育ちなので暑さには慣れていますし、むしろ暑い方が好きですが、その私が暑いと思わず言ってしまうのですから今年の夏は本当に暑いです。とはいえ、今のところ暑さバテもせず何とか元気に頑張っております。

ところで、このたび8月8日(日)14:00からブックファースト新宿店1FのBLUE SQUARECAFEイベントスペース内で、6月に出版した「信頼は、つくれる」の出版記念トーク&サイン会を行うことになりました。手前味噌名言い方で恐縮ですが、今回の本は割合に読みやすく、多くの方が生きていくときにどこか参考にして頂けることもあるのではないかなと自分では思っています。もし時間があって関心のある方は一寸覗いてみて頂けると嬉しいですね。

いま世の中では高齢者が生死不明のまま放置状態になっていたことが広がりを見せ問題になっていますが、国家としては大変な醜態をさらしたことになるのですが(お隣の国では日本はでたらめ長寿国家と報道されたようです)、厚労相は取り敢えず110歳以上の人たちについては調査をしてみようなんて呑気なことを言っておりますが、内閣としてきちんと早急に処理しようなどという気配は全く見えません。「流石日本、流石日本人」と言われるような対応対処を見せて欲しいものですが、それを望むのは難しいのでしょうか。

「理解し難い行政の対応」

東京都足立区で111歳になっていたはずの男性が、良く調べたら実は大分前に死んでいたと言う驚きの事実が明らかになりました。

この男性のミイラ化した遺体のそばにあった新聞は1978年のものということもあり、死亡して30年以上が経過しているのではという見方も出ています。一方、新しく入った情報では民生委員が18年前から一度もその男性に会ったことがないと言っているとのこと。ということは少なくともこの18年間は生死が確認されていないことになります。いずれにしてもその間年金はこの人物の家族にずっと支払われ、御丁寧に2年前には90歳以上の人で医療機関のお世話になっていない人ということで表彰も受けていたというのですから驚きを通り越してお笑いになってしまう一件です。

このようなことが起きてしまうのははっきり言って行政の怠慢です。そもそも関係部局に聞くと、該当する人についての確認は「電話」で行っていると言うのですから呆れますね。国民の払った年金がこんなに杜撰な形で支給されているとは許せないことです。特に高齢者については直接お目にかかり言葉を交わすべきでしょう。それができないのならお顔だけでも確認しておく必要があると思います。

また、そのような依頼に対して家族が面会を拒絶するというのならその理由をはっきりさせて、次回会えるのはいつなのか、会える条件は何なのかきちんと詰める必要があります。生存の確認すらしないまま年金などを払い続ける役所の気持ちは到底理解できません。

かつてオウム真理教が上九一色村に次々にサティアンと呼ばれる不審な建物を作ったとき、現存する建築基準法だけでも立入検査が可能だったのに、宗教関係施設だからと面倒臭がって黙認している間に教団がサリン生成にまで突っ走ってしまった痛い体験があります。役所の人たちは自分に与えられている権限をフルに使って、脚で稼いで国民のためにできることを精一杯やるように努めなければならないと、今回の件を通じて改めて強く思いました。

「祝 ご当選」

民主党が大敗を喫した先の参議院選挙で、わが盟友有田芳生さんが見事民主党比例代表で
トップ当選を果たしました。

田中康夫新党日本代表から口説き落とされて3年前の参議院選挙で立候補したものの次点で落選。その後去年の衆議院選挙に東京11区から立候補して素晴らしい戦いを展開し、マスコミ各社の出口調査で圧倒的優位が伝えられましたが、蓋を開けてみれば僅差で敗れるという信じられない事態が起きました。残念な結果でしたが多くの有権者が信頼できる候補者と認めてくれた選挙でもあり、もう一度国政選挙にチャレンジしようという決意を抱かせた選挙結果だったのです。

その後田中代表と考え方の違いが生じ、新党日本を離れ民主党からの今回の立候補でした。選挙戦の中で手応えがとてもあるという話は聞いていましたが、民主党候補に冷たい風が吹いている中でやはりジャーナリストとして12年にわたって「THEワイド」のコメンテーター役を立派に果たしてきたことが有権者に支持され、信頼に足る立候補者が少ない今の状況下で誠実な人柄が強くアピールしたものだと思います。

さまざまなタレント候補を抑え民主党比例代表候補として最高得票を記録したのは快挙であり、有権者もきちんと人間を見ている人が多いのだと嬉しくなりました。非常に勉強してコツコツと積み上げて頑張っていくタイプの人だけにこの時代に本当に頼りになる政治家になってくれるものと期待したいですね。今仲間たちと祝勝会の準備をしようという話が進んでいるところです。

「山形さくらんぼ狩りの旅」

恒例の山形上山温泉さくらんぼ狩りの旅に行ってきました。例年ですと6月下旬に上山に行くというのが常でしたが、今年は「世界ふしぎ発見!」のハワイロケが入っていたため、当初は諦めなければならないのではと思っていたのですが、幸いにも春先に寒さが続いた影響で例年よりさくらんぼ食べ頃の時期が10日ほど遅れました。そこで7月中旬の二日間に何とか旅の予定を入れることができ、これで23年連続のサクランボ狩りを果たすことができたのでした。

毎年連続して欠かすことなく上山に行くのには理由があります。日本の宿「古窯」に泊って接客の素晴らしさを味わい、サービスはどのように行われなければならないのか、何処までそれを徹底すべきかなどを毎年勉強したいと思っているからです。従業員一人一人がお客様を心から歓迎し、「楽しかった。ここにきて本当に良かった」と思って頂くために何をすべきかをいつも考えて行動しているところが素晴らしいなと感心しながら、自分自身の場合に置き換えて自分には何ができるかそれを参考にしたいと思っているのです。

さて今年のさくらんぼは既に佐藤錦の時期が終わり、紅秀峰と大正錦の時期を迎えていました。私自身の好みで言えば、実がしっかりしていて甘みも少し強い大正錦が一番だと思うので、逆に時期がずれたことは自分にとっては幸いでした。たくさんのさくらんぼを食べ「古窯」の最高の御馳走に舌鼓を打ち温泉でゆっくり寛いで命の洗濯ができた旅でした。今回は小規模のグループ旅行になりましたが、来年はまた賑やかに行きたいものだと今から楽しみにしています。

「世界ふしぎ発見! 海外ロケ」

「世界ふしぎ発見!」にとっては20年ぶり3回目になる出演者一同の海外ロケが今月23日から25日までハワイ、ホノルルで行われました。今年は番組にとって25年目という節目の年、また番組スポンサーである日立グループは創業100周年の記念の年でもあり、このようなスペシャル企画が実現することとなりました。

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スタジオの代わりとなる舞台は日立のコマーシャルでもお馴染みの、モアナルア・ガーデンのモンキーポッド(日立の樹)の前です。樹齢130年のあの木は幅40m、高さ25mの素晴らしいものでした。元々は中南米産の木だそうですが、ホノルルでしっかりと根を下ろしもはやハワイのシンボルになっています。木の下に入ってみると何か不思議なパワーを感じます。霊力があるように思ったのは私一人ではなく誰もが同様な思いを抱いたと口々に語っていました。

空港に程近いこともありますが、朝早くから観光客の皆さんがどんどん詰めかけて来る(勿論日本人観光客が圧倒的に多いのですが)人気スポットになっています。日立がグループのシンボルとして採用してから35年になるそうですが、当時のご判断に心底感服してしまいます。

さて黒柳チーム、板東チームと二つに分かれてそれぞれがハワイのミステリーを取材して、クイズを作って出題するという、いつもとは違った方式で展開するこの回の放送はとても面白いものに出来上がるのではないでしょうか。

それにしても25年も続いているゴールデン時間帯の番組は他にはありません。継続できたことの理由は、第一にスポンサーである日立がこの番組に深い愛情を持ち、例えリーマンショックのような一大事があっても番組を継続させることにご尽力下さったからです。また、それは日立のような高邁な精神を持った企業でなければできなかったことです。

加えて、レギュラー出演者たちがとても良い意味で仲が良く、馴れ合うことなく真剣勝負でぶつかることを繰り返してきたからというのも魅力の一つになっていたように思います。更に、番組のコンセプトである歴史と楽しく遊ぶという精神を貫き通したことも視聴者の皆さんに好感を持っていただけたのだと感じます。

番組総合演出の本郷幸高さんをはじめとするスタッフの皆さんがいつも細かく心を砕いて番組の新たな展開、スタジオ演出、取材の方向性、タレントの配置などあらゆる側面について研究研鑽を怠らず頑張ってくれていることも大きな力になっており、優秀な人たちと仕事を共に出来る喜びを味わっています。

実際にオンエアされるのは少し先の10月23日ですが是非楽しみにして頂ければ良いなと思っています。

「『信頼は、つくれる』、本日発売です」

この数年何かと忙しかったこともあり、なかなか本を出版できない状況が続いていました。

そんな時、ワニブックスさんから若い人たちの指針になるような本を出してみませんかというお誘いを頂き、編集者の方と色々意見交換をしながら何とか一冊の本に仕上げることが出来まして、いよいよ本日(6月8日)発売になります。本のタイトルは「信頼は、つくれる」で、サブタイトルが「なぜ草野仁は長寿番組の司会者であり続けられるのか?」という少々仰々しいものになっています。

私たちは生きて行くとき、周囲の色々な人たちとの間に信頼関係を築いて前に進んで行かなければなりませんが、往々にしてその点が疎かにされていて良い形の関係が結べずに苦労を重ねている人が意外に多いものです。そこで、ほんの少しの気配りや緻密な配慮で失敗しないで済むものだということを私の体験を通して若い人たちに伝えたいというのが本書のねらいです。

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きちんとお話しをして自分の本当の思いを正確に伝えることの大切さ、誰にでも簡単にできるちょっとした気配り、自分の仕事についてはプロフェッショナルとしての力を発揮すべきこと、その仕事を成し遂げるためには何をなせば良いのかなど、まだ人生経験の十分でない人たちにとっては恐らくヒントや参考になることが結構あるのではないかと思います。一度皆さんにご高覧頂けたら幸せです。定価は798円(税込)です。

「同級生たちとの再会」

6月5日午後、長崎県立島原高等学校を昭和37年に卒業した人たちの集まりである「眉山会」が京橋「美々卯」で開かれました。私は島原高校に一年半しか在籍せず、その後長崎西高校に転校して卒業したので正確には島原高校出身ではないのですが、いつも「良かったら来ないか」と声をかけて貰っていたのです。それでもこれまでなかなかスケジュールが合わず、出席できたのはこの10年で2回くらいでした。そして、今年はようやく日程が調整でき数年ぶりに出席しました。

今回の参加者は34人。30年前に最初の会を開いたときには28人が出席だったということなので、それに比べると今回は素晴らしい出席率であるし、懐かしい顔が揃っていて感動しました。この手の催しの場合何と言っても幹事団の果たす役割は大きく、この30年間毎年盛大な会を開き続けてきたので、眉山会の幹事団の働きは立派の一言に尽きます。

もう年齢でいえば66~67歳の皆ですが、とても表情も明るく元気で近況報告や今後やりたいことなどそちらこちらで話に花が咲いていました。勿論仲間の中には亡くなった人もいるのですが、この場に集った仲間たちは仕事を続けている人もリタイアした人も、残りの人生を楽しく生きようとしていることが感じられ私も元気になれたように思います。

女性の中にはグループを作ってフラダンスの修錬をしている人たちもいて、フラダンスについての基礎講座を行ってくれて、一曲踊って見せてくれたのです。始めて4年というものの見事なテクニックで大きな拍手が湧き上がりました。やはり女性の方が何事にも積極的で前向きに頑張るものですね。

この後の2次会にほとんどの人たちが流れて楽しい時間を過ごしたとのこと。私は一次会だけの出席でしたが昔に戻って旧交を温めることができた気分の良い会合でした。改めて幹事の皆さんに感謝です。

「迷走状態を見るにつけ」

鳩山首相が自ら問題提起して、自ら苦境に落ち込んでいる沖縄の普天間基地問題もいよいよ自身で設定した解決期限まで残り1か月を切りました。この基地問題でも鳩山首相に大局感があれば判断を戸惑うこともないと思うのですが、残念ながら総理就任後の大方の問題処理を見ていても分かる通り、総理はその場その場で立ち止まってから物を考える傾向があり、しかもその場で一番口当たりの良い発言をしてしまうので、一貫性の無い良く分からないリーダーだと言われてしまうのだと思います。そのため日米関係も極めて不安定な状態になってしまい、その他の分野の処理にも影を落としていると指摘されても否めない感じがします。

日本での基地問題の議論では、「基地はいらない、できれば外国に持って行って欲しい」という素朴な声が結構聞かれます。誰にとっても軍事基地は自分の居住地の近くにあって欲しくはありません。とはいえ、国家の安全を守るためには基地が無くてはならないのも事実です。日本が独力で十分に自国の領土を守る力があれば外国軍の基地は不要なのかもしれませんが、憲法上の制約から言っても、アメリカにある程度防衛してもらわなくてはならない今の状況では基地の存在理由はどうしても生まれてきます。また、振り返ってみても、冷戦の時代からずっと米軍のプレゼンス(存在)が共産主義の拡張政策に対して極めて有効な抑止力になってきたことも否定しがたい事実です。

勿論、基地がどうしても必要ならば、やはり周辺に住む住民の安全を第一に考え、そのための具体的方策を実行に移していかなければなりません。更に、一方的に周辺住民が不利益を被らないよう最大限の愛情ある措置が必要です。政府がすぐに手を打たなければならないことは余りにも多いと言わざるを得ません。

政府には是非大局的な見地から速やかな問題解決の方法を探って頂きたいと思います。

「登山もたまにはいいですね」

先日、月刊「文藝春秋」の広告関連のお仕事で山梨県大月市の岩殿山に登りました。

登ったと言っても登り口からの標高差は300m足らずしかないので、それは登ったうちに入らないだろうと言う声が聞こえてきそうですね。

でもそれが実は大変だったのです。標高差は僅かでも階段や道の勾配が尋常ではないのです。まるで最短距離をほぼ上へ上へと登っていく感じのルートでした。登り始めは「たいしたことは無いだろう」と考えて急傾斜の登り道を少し早目のペースで歩き始めました。ちょうどこの日は雨の後急に陽が差してきて気温が上がりだし、この時既に気温は30度を超えていたのです。標高差70mあたりまで来たとき、脚が前に出にくくなり休憩を申し出ました。どうやらオーバーペースの歩きだったらしく、一寸した酸欠状態になってしまいました。そこで少し時間を取って再スタート。今度は自分のペースに合わせて無理をせず一歩一歩を踏みしめる感じで歩き何とか頂上まで到達です。

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実はこの日は、カシオのカシオ・プロトレックPRW-5000-1JFという、本格アウトドアウォッチを実際に私が歩いて試してみることが目的だったのです。実際にこの時計は本当に使い勝手が良く、高度、気圧、温度そして勿論方位も分かり易く計測され安心して山歩きが楽しめるアウトドアウォッチでした。

頂上で風景を十分楽しみ、バナナ1本と水を補給して同行したスタッフとゆっくり語らいました。かつてアルピニストの今井通子さんとロケで南アルプスの低い山に登ったとき、帰りにペースを上げたまま下山して膝が笑った経験があったことを思い出し、帰りのコースは慎重にゆっくり降りました。

降りながら改めてこの道の傾斜がいかにきついものであったかを実感しました。とはいえ、普段余り歩いてない割には良く登ったなと心の中で少しだけ自画自賛したのです。その頑張った分の見返りでしょうか、大分降りてきたところで雲が切れて何と富士山が姿を見せてくれたのです。山はやっぱり登ってみるものですね。

「アイスランド噴火」

アイスランドの火山噴火の影響が拡がっています。航空機の飛行も一部では運行が許可されたところがありますが、全体としてはまだはっきりした見通しは立っていません。世界的に経済が低迷しているときにこの打撃は大きく、噴火が長引けばボディーブローのように効いて世界経済の回復を遅らせてしまうことにもなりかねません。

実は私の知人も噴火の起きる少し前にヨーロッパに旅立ちました。詳しくは話してくれませんでしたが実質的には愛する人との新婚旅行だったようです。イギリスからフランス、ドイツを2週間くらいかけてじっくり旅をすると言っていましたので、時間的な余裕はありそうでしたがそれでも移動の手段にはきっと苦労していることでしょう。

ビジネスや短い休みを利用して移動しなければならない人たちは本当に大変でその苦労がしのばれます。私の知人の場合は時間の余裕があって良かったのと、却って苦労を共にすることで二人の連帯感は強まり、今後の結婚生活にプラス効果をもたらす可能性もあり、私の心配は無用のものかもしれませんね。

新しい情報では火山の噴火がまた強まって来ているとのことで世界中の人たちのやきもき状態はまだ続きます。

「長崎ロケ」

中京テレビの「PS」という番組のロケでMCの高田純次さん、モンキッキーさん、我妻アナウンサーと一緒に長崎を旅してきました。長崎出身の私が皆さんを案内して長崎市内の色々な場所へお連れする内容です。

まずはこの4月から私が名誉館長に就任した長崎市科学館から収録はスタートしました。子供たちの理科離れ科学離れが指摘される中、科学立国を目指す日本としては科学の楽しさ面白さを子供たちに感じてもらうことが一番大切なことだと考えて、今までは長崎市が運営してきたのですがこの4月から民間の手で再生させるべく長崎ダイヤモンドスタッフ株式会社が請け負って新たな出発をすることになったのです。そしてアドバイザー役も兼ねた名誉館長役を私が引き受けることになりました。

科学館でのロケを終えた私たちは、NHK大河ドラマの影響で坂本龍馬ブームが続く中、観光客が必ず足を伸ばす日本で最初の商社と云われる「亀山社中」跡を訪ねたり、天婦羅の店としては長崎ナンバー1と言って良い「天広」で店主と楽しい会話を交わしながら食事をし、カステラで有名な「長崎堂」で焼き立てのカステラを味わったり、国産高級からすみの製造元藤井からすみ店で製造法を教えていただいたりして楽しく長崎旅を終えたのでした。

高田純次さんとは久し振りの仕事でしたが元気一杯に絶妙なボケを披露してくれたり、はしゃいだりとさすが純次さんと思わせるエネルギー溢れる活躍に本当に感動しました。高田さん、モンキッキーさん、我妻さん、そして中京テレビの皆さん、ありがとうございました。

番組は5月9日(日)22:30からのオンエア(中京地区のみ)です。どうぞお楽しみに。

「今年のお花見」

わが事務所恒例のお花見を先日4月1日に行いました。

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事務所のある麹町近辺を出発して新宿通りをお堀端まで向かい、桜を愛でながら千鳥が渕を歩いて靖国通りまで散策するのが常です。この日は温かくお天気も良かったため大勢の人たちとともに桜を楽しむことができました。

年を取ってからふと考えるようになったのは、この桜をあと何回楽しむことができるかなということです。体は健康ですから妙に弱気になる必要は無いのですが、そういうことも思うようになったのも年を取ったからなのでしょう。

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今年は開花が早かったにも拘わらず冷え込む日が多かったせいでしょうか、花のもちが良く綺麗な満開の桜を思い切り楽しむことができました。花見の客の中には外国人の姿も多く見られました。他の国には桜の花を愛でる習慣がないと聞いたことがありましたが、ここで花見をした外国人の皆さんは日本人が桜を愛する気持ちをきっと理解してくれたでしょうね。

歩いてお腹が程良く空いた我々は神田の焼き肉屋さんで花見の後の宴を開きました。美味しいお肉やキムチやありとあらゆる食べ物をもうこれ以上は食べられないというくらい頂いて楽しい花見会は幕となりました。明日からは相当トレ―二ングに精出さなくてはだめです。毎年同じことの繰り返しですね。

「ポカリスエット新CM発表会」

4月6日、品川プリンスホテルで大塚製薬「ポカリスエット」発売30周年を記念して北野武さんを新キャラクターとして制作された新CMの発表会が行われました。今回私はその発表会で北野武さんとト―クをするコーナーセッションの司会を任されました。

ストレートなCMの話だけではなく、まずは笑いの世界を目指した武さんの思いを聞くところから話をスタートさせました。そしてたくさんある武さんのギャグの中でとりわけ印象に残っているギャグ「コマネチ!」(脚を開きながら膝を屈伸させ両手を腿の線とクロスさせながら「コマネチ!」と叫ぶギャグ)はどのようにして生まれたのかを聞きました。武さん曰く「あるとき、モントリオール五輪で活躍したコマネチ選手の顔を思い出したものの名前が思い出せなくて、周りの人たちに『あの白い体操着姿の何て名だっけ』と言いながら自分の手を両腿の線でクロスさせながら聞いたんですよ。そうしたら帰って来た答えは『コマネチ』。『そうかコマネチか』ということであのギャグは生まれたんですよね」とのことです。

実は私が司会を務めていた日本テレビ「あの人は今!?」という番組で、元体操選手の池谷幸雄さんがリポーターとしてアメリカで元体操五輪選手と結婚して子供たちの体操の指導も続けているコマネチさんを訪ねたことがありました。本人のお話を聞き最後に日本で流行した「コマネチ」のギャグを本人にやってもらうようにお願いしたところ、意外にも簡単にOKしてくれ楽しそうに「コマネチ」とやってくれたことがありました。その話も武さんにしてみたのですが、武さんによるとコマネチさんはその後自分が「コマネチ」とやるとそれが日本ではお金になると思ってコマネチパチンコ台を作ろうとまで考えたようだという笑い話も紹介してくれました。勿論これはほんの余談でありポカリスエットの新CM についてはじっくり武さんに語って頂いたことは勿論です。

乾いた大地ドバイの高層ビル群を背景に武さんが人間の体は汗や尿以外に「不感蒸泄」といって気がつかないうちに一日900mlの水分を失っている、だからポカリスエットで補給することが大切なのだと訴えるCMは 説得力のあるものになっています。

「良く似ています」

日本の政治は大丈夫なのでしょうか。いや明らかに大丈夫ではないなと思わせる迷走ぶりが続いています。

普天間基地の移転問題は3月中に政府案をまとめると鳩山首相は公言していたにも拘わらず、3月中で無くても良いし、法律的にそうでなければならないというものでもないと言い出し、挙句の果てに2、3日遅れたからといってたいしたことではないと言い出す始末。自分で言い出しておいて勝手に迷走する何時ものパターンが繰り返されています。

そもそも沖縄の米軍基地に関する問題は十分にかつ慎重に対処されなければならない問題であるのに、周囲から吹き込まれた情報に乗っかってしまい、ひとたびおかしいと指摘されれば慌てて違う方向に舵を切るという、まるでその場しのぎでやってしまっているかのように見えます。首相は確かかつてスタンフォ―ド大学大学院で数学を専攻していたと聞いておりますが、こうした政治上の判断に関しては理系特有の論理思考があまり伺えないのが何とも残念です。

麻生前首相のときも周囲の意見に引きずられてしまうことが問題視されましたが、鳩山首相は麻生さんとは全く異なると思われていたのに実際は良く似ていて、記者団の囲み取材に毎日丁寧に答えようと思うばかり、自分の姿勢のぐらつきが全部表に出てしまうという皮肉な結果になっていることに早く気がついた方が良いと思うのですが。

「混迷の様相」

政権発足時には大きな期待を持って迎えられた鳩山内閣ですが、最新の世論調査では支持率38%、不支持が50%を越えたということで、この数字を見ると国民にとって大きな期待を持って迎えた分手応えのある政策を実現してくれない政権に対して有権者の失望感が横溢してきていることが伺えます。

その原因は幾つもありますが、第一に鳩山総理自身がその場その場で口当たりの良い発言を繰り返してきたところにあると私は考えています。一国のリーダーは直面している問題については明確で筋が通っていて、基本的に揺るがない姿勢を堅持していなくては話になりませんが、鳩山総理は聞かれたその時その時に八方美人的発言をしてしまう傾向があるように見えるのです。時に総理大臣の発言の重さを理解していないのではと心配になります。また昨日言ったことと今日の発言の間に明らかなズレやニュアンスの違いが見られるというのでは信頼を得るわけにはいかないでしょう。

普天間基地問題一つをとってみても総理の基本軸がはっきりしません。政権が変わったのだからその政策方針に変化が出るのは当たり前とばかりに、前政府が合意したものでも新政権なら変え得ると軽く考えていたように見えます。特にこの問題は日米で10年以上の時間をかけて漸く合意したのにも拘わらず、自身の意向が速やかに反映されるものと認識されていたのでしょうか。オバマ大統領に「トラスト・ミー」と直接言ったものの、未だに政府として確定した案が提示できないのは何とも気懸りです。この問題をしっかりと解決できなければ日米関係はぎくしゃくしたものになるでしょうし、アジアの中における日本の影響力も低下して行くのは避けられないのではと思います。

鳩山政権は約束の5月までに基地問題を解決できないだろうと見ている専門家が多いとも聞きます。突破口を見出すことができるのかそれとも政治不信を助長してしまうのかここしばらくは目が離せませんね。

「駿府城の謎 クイズショー」

2月28日(日)静岡市で行われた「駿府城の謎 クイズショー」に司会進行役として参加しました。駿府城というのはおよそ400年前築城された徳川家康公の居城であり、家康公が永眠したということでその構造も含め歴史的にも大変価値の高い歴史遺産です。

この催しは現在駿府城公園として市民に親しまれる場所になっている、その元々の駿府城について正しい知識、認識を持ってもらおうということで市が主催したイベントでした。通常この種のイベントはパネルディスカッション形式のものが多いのですが、真面目で固い話に終始する傾向が見られ、観客からももっと身近に感じられるものにしてほしいという要望が多く寄せられたということもあり、思い切ってクイズショー形式でやることになったということです。

クイズショーの解答者役として、静岡市出身のピエール瀧さん、同じく静岡市出身のアテネ五輪体操金メダリスト水鳥寿思さん、講談師の田辺駿之介さん、NHK静岡の神門光太朗アナウンサー、それにしずおかクイーンの女性三人トリオ、と賑やかな顔触れでした。更にクイズの解説は静岡大学名誉教授小和田哲男さんが担当して下さり厚みのあるものになりました。

クイズは、易しいものからちょっと考えさせられるものまで全部で5問。会場の観客の皆さんも一緒に楽しんで下さり、とても良い雰囲気のうちにエンディングを迎えました。駿府城がとても身近なものに感じられ、もっと色々なことを知りたいなという気持ちにさせてくれたからです。解答者の皆さんも持ち味を発揮し、小和田先生もサービス精神旺盛で分かり易く解説して下さり、終了後も会場には良い雰囲気の余韻が漂っていました。静岡市の担当者の方々からは満面の笑みとともに「素晴らしいイベントになりました。本当にありがとうございました」とご丁寧なお礼の言葉を頂きました。私自身も楽しくて参加することができ、本当に良かったと感じたのです。

「本当にいい旅・夢気分でした」

先週、テレビ東京の長寿番組「いい旅・夢気分」のロケーションで山形に行ってきました。

夏の山形は毎年のように行っていますが、冬の山形は初めてです。蔵王の樹氷、通称山寺と呼ばれる「立石寺」の急階段登り、銀山温泉、最上川ライン下り、などを体験しながら真冬の山形の魅力に迫ろうというもので、今回は酒井和歌子さん、玉ちゃん(浅草キッド)との三人で一緒に旅することになりました。

玉ちゃんと私は「草野☆キッド」以来の盟友で、酒井和歌子さんとはテレビ番組でこれまで何度も御一緒させて頂いているという関係なので、最初からとても良い雰囲気で旅は展開し、最後まで本当に気持ち良くコミュ二ケーションを交わして無事旅は終わりました。終わったときの皆の感想は「またこの3人で別の場所を旅行できたらいいね」というものでしたから私たちの相性はとても良かったのだと思います。

ところで、今回とても嬉しい出来事がありました。山寺でのロケを終え、下まで降りてきて石段に座って一休みしていたときのことです。近くの家でその様子を見ていた小学生の姉妹が私のところまで来てくれて「どうぞこれを召し上がって下さい」と言って地元名産品の「だだちゃ豆おかき」を一袋持ってきてくれたのです。これには感激しました。言葉使いといい、他人を思いやる心の優しさといい、小学生とは思えない心遣いに、旅に出てこんなに感動したことは無かったなと感じ、山形に来て本当に良かったなと思いましたね。勿論、帰京後彼女たちにはお礼の手紙を送りました。旅はやっぱり良いものですね。

「いい旅夢気分」の放送日は10日(水)の午後8時です。どうぞお楽しみに。

「不安な迷走ぶり」

一年前アメリカ人の期待を背負って登場したバラク・オバマ大統領は、核廃絶を目指す大演説でノーベル平和賞を受賞したものの、国内では不況からの脱却には道遠く、医療保険改革法案もなかなか思うようには進んでいません。また、テロ対策に関しても去年の暮れ乗客の機敏な反応と協力で飛行機爆破を未然に防ぐことができたものの、テロリストのリストに含まれていた人物の搭乗を許してしまうなどのミスが露わになりました。さらに、アフガン情勢に関しても更に増派を決断せざるを得なくなるなど状況は悪化するばかりで支持率も40%台に落ちてしまい、「CHANGE」が期待通りに速やかに遂げられるか否かは微妙な状況になっています。

一方、去年9月に誕生した民主党鳩山政権は事業仕分けで部分的には多くの国民の支持を得ましたが、その後はマニフェスト通りに改革が順調に進んでいるというわけではありません。加えて鳩山首相自身の母親からの献金問題や小沢幹事長関連の陸山会の土地購入をめぐる4億円の出所の問題など対応の不適切さも加わって、こちらも支持率は40%台に急落。日米双方とも改革が期待通りに進まず、新政権への期待が大きかった分失望した人も多いという似たり寄ったりの状況です。

このような迷走ぶりの結果困るのはやはり国民です。特に日本の場合は、戦後通用してきたシステムが機能不全に陥っていて、まずは大胆な転換がなされなくてはならない重要な時期に来ているからです。日米安全保障条約を巡ってもむしろ日本側から新しい提案が出され、結果として更に強固な関係が育まれるような方向に歩み出して行かなければならないのに、両国の間に溝を作ってブレーキをかけるような動きばかりが目立つのは一体どうしたことなのでしょうか。また、もっと外に向かって強力に人材を動員し、諸外国と良好な関係を築いていかなければならないのに、これまで通りのODAという形式だけでは本当の意味で友好関係を築き上げることはできないと思うのです。

その点、中国は天然資源の問題も含めあっと驚くほどの人員や資本を当該国に投入して、将来長きに亘っての良好な関係を築き上げるという手法で世界中の重要ポイントを既に押さえているのです。日本の指導者は何故このような展望を考えられないのでしょうか。次の選挙でいかにして勝つことが最大の優先事項となっている現状では臨んでも無理なことなのかもしれないのですが、ついついしっかりして欲しいと考えてしまうのです。

「25年の節目に」

今年の3月で私がNHKを辞めてフリーのキャスターになってから丸25年が経過します。

人間にとってこれから先の25年というのは気が遠くなるほど先のことですが、過ぎ去った25年はあっという間だったような気がしてなりません。私程度の人間がこの間にこうして多くの皆様とご一緒にお仕事をさせて頂けたのは、偏に私が道を踏み外すことのないようにと皆様が配慮して下さり、見守って下さったからであり、改めて皆様にお礼を申し上げなくてはならないと思っております。本当にありがとうございます。

独立した翌年から担当している「日立世界ふしぎ発見!」はこの4月から放送25年目に突入することが決まっており、日立グループの創業100周年に当たる今年はスペシャル回も計画されているようで幸せな年になりそうです。

ここ数年浅草キッドのお二人と一緒に「草野★キッド」を担当させて頂き、お二人の導きのお陰で放送の世界での対応力にも少し柔軟性が出てきたようで仕事の幅がとても広がりました。こうしてみると本当に放送局の方々、広告宣伝会社の方々、企画会社や制作会社の方々そしてたくさんのタレントの方々ととても素晴らしいチームを組んで色々な仕事をさせて頂いて、そしていつも変わらず応援し続けて下さる多くの視聴者の方々からの声援に本当に勇気付けられ、私は最高に幸運な男だと感じています。

今年はこうした皆様への感謝の気持ちを表す機会を模索している心算です。私自身もロートルではありますが少しは進化した部分もあると認めて頂けるようにこれからも努めて参りますのでご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

「年の初めに思うこと」

2010年の年明けは気候の上では冬らしく寒くなりましたが、大きな事件や人々を心配させるような出来事もなく穏やかに明けたという感じですね。それでも良く考えてみると日本にとって現実は厳しく去年よりもっと多くの難題を抱えたままのスタートとなりました。

鳩山政権にとって俗に3Kといわれる「景気」「基地」「献金」の三つの大テーマはどれも危うさを含んだまま解決への道筋がはっきりと見えないままです。やはり一番の問題は、首相自らが国民に向かって堂々とそして分かりやすく語ってくれていないことではないでしょうか。この国の進むべき道、例えば5年後10年後の日本の社会はどのようになり、国民生活はどのように変わっていくのかなどといったことを総理自身の言葉で聞かせて欲しいのです。仮に自分が同じ立場にあったとしたら、考えていること、そしてやろうとしていることについて思う存分語ってみたいという気持ちになるのではと思いますね。アメリカの大統領のように炉辺談話のような形で定期的にメディアに出て国民に向かって話しかけ、思いを語れば国民の方もさまざまな問題について理解をしようとするでしょう。

普天間基地の移設問題ではどちらかと言うと周りに動かされてアメリカの強い反発を招いたように見えたのですが、事態が悪化する中で防衛相から新たにアメリカ通のスタッフを紹介されると途端にその人たちの説明通りにグアムへの移設は無理だと思うと言い出す始末で、首相自身の考えがそもそもそこにあったのか無かったのか、とても心配になってきます。リーダーがブレーンの意見を聴くことは大事ですが、最後はそれらの意見を聞いた上で自分が判断し、その判断が一貫性の有るものでなくてはならないと思います。景気の問題も重要ですが、国家の命綱ともいえる日米関係を容易く不安定にしてしまうようでは日本がアジアの孤児になってしまうのではととても気がかりです。国民が揃って安心して任せられるような強力なリーダーシップを発揮してくれる指導者はもう出て来ないものなのでしょうか。

「今年一年を振り返って」

2009年もあっという間に終わろうとしています。今年もまたあれもやろうこれもやろうと心に決めていながら、完遂したのはごく僅かで多くのことを来年に持ち越してしまいました。

来年こそはもっときりっとした年にしなければと考えているところです。高齢者にはそんなに時間は残されていないのですから心して過ごしたいですね。今年は仕事の面では色々と変わったことにも挑戦してきました。一般の方のお宅にアポなしで出向いて泊めて頂く「田舎に泊まろう」への出演はなかなか体験できないことで衝撃的な番組でした。結果的には本当に心優しい方と巡り合って一夜の宿を提供して頂くことができて幸運でしたが、上手くいっていなかったら大変なことになるところでした。以後泊めて下さった方との交流は続いておりまして人間の縁というものは不思議なものだと感じています。

6月二ューヨークに渡り松井秀喜選手を取材する特番への出演も昨年に引き続き果たしました。今季最後には松井選手がMVPを獲得してくれたので、去年今年と両膝の手術で苦労していた彼の姿を追い続けていた我々としては彼のMVP獲得は自分のことのように思え感激しました。

9月になんば花月の舞台に立たせて頂いたことも印象に残ります。吉本の舞台に立っている人たちのサービス精神あふれるアドリブの連打。それでいて流れを壊さないセンスの良さなど勉強になることが一杯の体験でした。フジテレビの「オールスター芸能人歌がうまい選手権」も、制作の皆さんがじっくりと時間をかけ多くの芸能人の魅力を発揮させながら見事な構成で4時間のオンエアにもかかわらず20%を超える視聴率を挙げて、見せるその技術の高さに舌を巻かされました。TBS「パニックフェイス王」ではダブルエンジン、響の2組にドッキリをかけて驚かすなどということもやりました。深夜番組としてよく見て頂いたテレビ朝日「草野☆キッド」では9.1%という番組最高視聴率も得て視聴者の皆様に応援して頂きました。考えてみると幸せな体験の多かった一年でした。来年ももっともっと見て頂けるような番組に出演して頑張って行きたいと考えております。引き続き宜しくお願い致します。

「第42回日本有線大賞」

先日20日にオンエアされたTBS「第42回日本有線大賞」で今年も司会を担当させて頂きました。今年で3回目だったので全体的な流れは体の中に入っていて落ち着いて仕事に臨むことができました。

2009年は誰もが口ずさめるようなビッグヒット曲がなかったので全体的には少し地味な印象を与えたかもしれませんが、出演した歌手のみなさんの歌を聴いているとやはりプロフェッショナルは声量、テクニック、観客へのアピールの仕方など何処をとっても凄い、流石だなと思わされることばかりでした。

新人賞を取ったさくらまやさんは何と11歳の小学5年生で、可愛い顔で「大漁まつり」という演歌を堂々と歌い上げる歌の実力にはびっくりさせられました。北海道帯広の出身で本名は「草野まや」さんということで、何と私と同姓でした。自分の孫と言ってもおかしくない年齢のまやさんの笑顔とパワフルな歌を聴いているうちに、この先頑張って存在感のある歌手になってほしいと心から思いました。

最優秀新人賞受賞の韓国のグル―プBIG BANGの「声を聞かせて」は歌詞が日本語、英語、日本語という構成になっているのですが、二十歳前後の五人組の彼らの日本語も英語もどちらもとても上手で、聞いている限り日本のグル―プかなと思わされるほどでした。音楽に国境は無いことを改めて認識させられました。

有線音楽優秀賞受賞の樋口了一さんの「手紙~親愛なる子供たちへ」は人生とは何かということを考えさせる不思議な力を持った曲でした。年老いて衰えていく親の姿を見ても嘆かずに理解して欲しい、貴方の人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように、私の人生の終わりに少しだけ付き添ってほしい、と子供たちに語りかけた歌です。聴いていると「人間は何時も今の自分の立場からしか人生を見ない。そうではなくてもう少し視野を広げて、人間は赤ん坊として生まれつき親に手をかけて育てて貰い、大人になって独り立ちすると自分で大きくなったように感じたりもするけれど、でもやがては年老いて周りから助けて貰いながら生きて行かなければならないものだということが分かっていれば周囲の人たちにもっともっと優しくなれる」と樋口さんは訴えたいのだなと感じました。

最後に有線大賞を受賞したのは氷川きよしさんの「ときめきのルンバ」で氷川さんの熱唱で幕が降りました。並外れたヴォリュームと伸びやかな歌語で観客を魅了した氷川さん。歌声を聴きながら「演歌のイメージを一新するような力強い爽やかさに満ちている」と氷川さんを評した専門家のコピーを思い出しました。紛れもなくその通りの歌声でした。

「大きな一歩」

このところ政府の行政刷新会議のワーキンググル―プによる事業仕分けが行われています。これは官僚によって計上されてきた予算の査定を行うものですが、公開で行われていますので連日その模様がテレビ二ュースで伝えられています。とても画期的なことだと評価する声も有れば、仕分け人が担当官僚に厳しく当たり、事業の中止などをその場で決めているので行き過ぎではという懸念の声も出ています。

でもこの状況を見ながら、取りあえず一旦政権交代が行われて本当に良かったなと思うのです。今まではこうしたお金の使い方が国民の目に触れることなど無いままに、ほぼ官僚機構の計画通り予算執行が許されてきたわけですが、それを一つ一つ俎上に上げて本当に意義のある事業なのかを問い質してチェックを行うということですから、そこには大きな変化が起きたということになります。この仕分け作業のやり取りを見ても一目了然ですが、税金の無駄使いがこれまではほぼノーチェックで継続的に行われてきました。戦後64年が経ち、その中でも恐らく日本が財政上豊かになってからのことでしょうが、官僚機構は退職後の身分保障も含めて自由に渡り歩ける組織を上手に作り続け、お金がうまく流せるような仕組みを工夫し、結果的に一見しただけでは絶対に見破れない構造を作り上げてしまった、それがありとあらゆる特殊法人なのだと思います。

「かんぽの宿」をはじめ何百億という資金を投じながら造ったものの、負債を背負いこんで動きが取れなくなって、挙句の果てに極めて低い値段で売りさばいた物件の何と多いことでしょう。国民の血税を何と心得るのか、と言いたくなるようなこのような行為は許容しがたいのですが、現実には誰も責任を問われないまま推移してきました。それは主に長い間与党にいた自民党の政権にしっかりとした管理体制が無かったと言われても仕方がありません。これまで特殊法人などが具体的にどのような事業を行っていて、どれくらいのお金が使われていたのかが、今回の事業仕分けを通じて初めて国民の目に触れるようになりました。短時間で結論を出し過ぎるとかもっと議論を深めるべきだとか色々と問題点が指摘されていますが、何よりも「無駄使いは許されない」という国民の意志に沿う政策がとられているのは事態改善に繋がる大きな一歩だと心から思います。もし政権交代が行われていなければ従来通りの税金の使われ方が継続されていたわけで、その点だけをとっても政権交代のインパクトは大きいですね。この機会を捉えて深部に至るまで問題点をできるだけ明らかにしてほしいと思います。

「はるな愛さん、おめでとう」

来月12月にオンエアされるテレビ東京の特番の収録で先週久し振りに熱海に行きました。

今回は二人で旅をする番組ですが、私のパートナーは何と今をときめく「はるな愛」さんです。大ブレークする前からはるなさんとは「草野☆キッド」を通じて何度も一緒に仕事をしているので、気心が知れていて安心して旅ができるということで今回の旅を楽しみにもしていました。

9日早朝ロケバスでテレビ東京を出発し、東名高速、厚木小田原道路ともスムーズに流れ僅か1時間半で熱海に到着しました。新幹線こだまを利用してもたったの50分ですから熱海は東京から本当に近いですね。簡単な打ち合わせを済ませて収録スタート。はるなさんと駅前の商店街を歩いて買い物をしたり、お店の方とお話をしたりしながら熱海市内をそぞろ歩きました。

このところ客足がめっきり落ちて元気がなくなったと言われた熱海ですが想像以上に観光客の姿が見られ、その全ての人たちがはるなさんの姿を見て「愛ちゃん世界一おめでとう」「愛ちゃんきれいだよ」「愛ちゃん良かったね」と祝福の声をかけてくれたのです。ちょうど1週間前にタイで行われた二ューハーフのミス・コンである「ミス・インターナショナル・クイーン」のタイトルを獲得しましたが、やはり観光客の皆さんは二ュースでそのことを聞いていて、タイミング良くその愛ちゃんを目の当たりにしたものですから興奮気味に大きな声をかけてくれました。

それにしても「はるな愛=二ューハーフ世界一の称号獲得」という一般の事実認知度はほぼ100%で、これは凄いと思いました。今だったら知名度はあの鳩山由紀夫首相より間違いなく上だと感じましたね。はるなさんに聞いたところ、この大会に備えるため6カ月で15kgの減量に取り組み見事成功して栄冠に結びついたというのですから、愛ちゃんの意志の強さは並大抵のものではありません。

また、こんな話も聞かせてくれました。二ューハーフの世界に入り、父親にそのことを報告しようと思ったとき、それまでは男っぽい生き方をしてきた父親だから恐らく怒鳴られてしまうだろうと心配になったそうです。ところが実際には、意外にも涙ぐんだ表情の父親は「お前が決断したんだったらしようがない。その代わりその道で思いっきり頑張るんだぞ」と言ってくれたとのことです。そして「ここまでやってきて世界一になれたので父も喜んでくれていると思います」と語ってくれたはるなさんの目も涙で潤んでいました。私も「はるなさん、これからももっと頑張らなくてはね」と言いながら心の中で彼女に拍手を送っていました。

「再生への道は・・・」

民主党が政権を握って1月余り、まだ具体的な独自の政策が動き出したわけではないのでその成否を問えない段階ですが、全般にややたどたどしいところはあるものの責任を与えられた大臣が懸命になって何かをやろうとする姿勢だけは国民の目にしっかりと映っているようです。先日の神奈川、静岡の参議院補欠選挙では投票率は低かったのですがそれぞれ民主党候補が圧勝しました。現段階では民主党の打ち出している方向性に特に異論はないという感じの有権者の反応でした。

普通二大政党制の下では、どちらかが圧勝した次の選挙では揺り戻しが起きて反対側の党が逆に盛り返すということがごく普通に起きるものです。では今回の衆議院選挙で大敗を喫した自民党が次回の衆議院選挙で嘗てのような勢いを取り戻すことができるかどうかということになりますと、今のところはどうも否定的にならざるを得ないような気がします。麻生太郎前総裁の後任として選ばれた新総裁が谷垣禎一氏は、自民党を根幹から変えていくエネルギーがあるようにも見えず、どちらかと言えば穏健な人柄で調整型のタイプの政治家のイメージが強いので大変動期のリーダーには見えないのです。もっと若々しくて国民の誰もが期待を抱くような人のほうが良いとは思うものの、そういう若手もいないというのが谷垣氏に対抗する対立候補の出方からも伺えました。

そう言えば、テレビで自民党の動きが報道されることも非常に少なくなり、偶に伝えられても映像から自民党の政治家のエネルギーや情熱などといったインパクトが感じられないように思えて仕方がありません。このままの状態で時間が経過していけば何年後になるのかはわかりませんが、次の衆議院選挙でも自民党は勢いを取り戻すことは極めて難しいのではないかと思えます。去る8月の衆議院選挙で大敗を喫したときに自民党の選挙対策責任者の一人である菅義偉氏が「自民党の賞味期限はとっくの昔に切れていたのかもしれない」と語りましたが、それが真実なのではないかと全くの同感です。

賞味期限が切れていたからこそ、自民党をぶっ壊すと言った小泉純一郎氏が自民党総裁になり辣腕を振るって何とか自民党政権を延命させてこられたというのが実情なのでしょう。そしてその小泉氏が退陣してしまって、もはや賞味期限切れが誰の目にもはっきりしてしまったということですね。

だとすると二大政党制の下であっても簡単には揺り戻しは起きそうにもありません。野党となった自民党はこれまでのあり方を続けていても再生は厳しいと思います。政権党の位置に甘んじている間に体の中に巣食うようになってきた生活習慣病的な要素を払拭しなければなりません。組織に頼って上から下へと指令を出して票固めをしておけば選挙に勝てる時代ではなくなりました。国民一人一人の支持を得られなければ選挙には勝利できないことをしっかり噛みしめて一から出直しを図ることが求められていることを認識することでしょう。優秀な人材はまだまだどこにでもいるわけですから、解党的出直しを行い自分たちこそが国民と共にある政党だということを強くアピールしていくことが最も肝要なことだと私は思います。

「真相報道バンキシャ!」を見て

去る10月11日、夕方6時からの日本テレビ「真相報道バンキシャ!」で興味深い内容のリポートが放送されました。

丁度八ッ場ダムについて工事が本当に必要なものかどうか議論が持ち上がっていますが、番組が独自に日本のダムについて詳しく調べてみたところ何と計画のスタートから40年以上が経過しているのにいまだに完成していないダムが結構沢山あるというのです。ダムは住民の生命財産を守り、治水のためにはどうしても必要であるということで計画されたはずなので、着工して4、5年、どれだけ長くても10年くらいのうちには完成させなければ意味がないはずです。それが八ッ場ダムも含め40年を超えても完成していないというのは一体どういうことなのでしょう。その間に大きな治水上の問題は基本的には起きてなさそうなので、そもそもダムは本当に必要なのだろうかという疑問も出てきます。

さらに驚いたのは、あるところではダムが完成したので貯水してみたところ、地盤が軟弱だったため地滑りが起きてしまい貯水できないのでそのまま使われずにいる、という殆ど笑い話にしか聞こえないケースもあるということなのです。素人が考えても、ダムを造るのであればその地域の地質調査をまず重点的に行ってからダムの建設に移るものだと思いますが、いざ完成してみたら付近の地盤が軟弱でダムとしては使い物になりませんでしたというのでは開いた口が塞がりません。

国民は本当に甘く見られているのだなとつくづく思います。基本的にはお上を信用している国民の善意に付け込んで、大切な国のお金が無駄に使われてきたことが今回のリポートを通じて良く伝わって来ました。しかし、こんなにも酷いことが繰り返されてきたのかと思うと呆れるとともにちょっと悲しくなりましたね。戦後の64年間、ただ右から左へと国民の税金を浪費することが色々な場面で行われてきたわけです。確かに政治とはそんなに簡単なものではなく、常に柔軟性を持って時代の流れに順応しなければならないのですが、何よりも未来を見据えて国民全体の幸福を実現するために有効な手段を選択し実行に移すことが大切なわけで、その意味で無駄と思える工事を繰り返してきた従来のやり方には絶対にメスを入れる必要がありますね。

この日の「真相報道バンキシャ!」の放送は重要なポイントに着目し、しっかりとした取材で問題点を提示してくれました。良い意味でテレビの力を見せつけるものだったと思い、独りテレビの前で拍手を送っていました。

「爆笑!ふれあいコメディ こちらかきくけ公園前」

去る9月17日、大阪の「なんばグランド花月」に行きました。朝日放送(ABC)で放映中の「爆笑!ふれあいコメディ こちらかきくけ公園前」にゲストとして出演するためでした。レギュラー陣は交番のお巡りさん役の陣内智則さん、弁当屋「ふじい亭」の店主役の藤井隆さん、コヤブ医院院長役の小藪千豊さん、工事現場作業員役の池乃めだかさん、コヤブ医院ナース役の友近さん、ストリートミュージシャン役のNON STYLE井上さん、石田さんの他に、未知やすえさんや浅香あき恵さんなど芸達者な皆さんが勢揃いして織り成す人情コメディに毎回ゲストが招かれて参加するものなのです。

第25話の放送回のゲストとして御指名を受けて出演することになったのですが、当日の1週間くらい前からプレッシャーがかかり「大丈夫だろうか。皆さんの芝居の流れを阻害したりしないだろうか」と悩み始めました。3日前に台本が手元に届き読んで見ると、私の役は近くの板金工場の社長で、コヤブ医院にて健康診断を受けたところ余命3か月の重病に侵されていて、もう手の打ちようが無いと宣告されて苦悩している立場の人間だったのです。

芸人さんのように上手く演じることはできないでしょうが、セリフだけは全て頭に入れて周りの皆さんに迷惑を掛けないように頑張ろうと決心して備えました。当日は午後2時過ぎから本読みリハーサル、ドライリハーサル、本番に備えてのリハーサルを行い、午後7時半から本番の収録が始まりました。生の舞台劇は勿論初めてだったので大変な緊張状態でしたが、普段は司会者の私がこの場に出てくるとはさすがに観客の皆さんも全く想像もしていなかったようで、いざ私が舞台に登場したときにはびっくりして今まで聞いたことのないような大歓声で迎えてくれました。逆にこれで気持ちが収まり何とか皆さんに迷惑を掛けないで済んだようです。

それにしても陣内さん、小藪さん、池乃めだかさん、友近さんをはじめ出演者皆さんが台本の流れに沿いながらもアドリブを雨あられと繰り出して傍にいて思わずくすりと笑いそうになることもしばしばでした。その中で、台本上では池乃めだかさんが浅香あきえさんに向かって「もういい、もう沢山だ。お前は何時からそうなってしまったんだ。昔はそんなじゃなかった。このガーリック」と罵ることになっていたところを、本番で突然「このブロッコリー」とアレンジしてしまったものですから、その言葉を受ける浅香さんが瞬間言葉に詰まるシーンがあり、結局出演者全員が大笑いしてしまいました。

このような展開で私自身も段々その雰囲気の中に包まれていくところでエンディングとなりました。観客の笑いを取ることに執念を燃やして舞台に上がっている人たちのプロフェッショナリズムに圧倒された今回のお仕事でした。彼らの持っているものから自分の仕事にも生かせることは無いのか、改めてじっくり分析してみようと思いました。

「素晴らしき結婚披露宴」

先週の土曜日12日に結婚披露宴に出席しました。新郎は日本テレビの人事部に所属する森浩一さんで、NTV「THEワイド」でずっと一緒にお仕事をした経緯がご縁でこのたびご招待を頂きました。

森さんは東大法学部出身で日本テレビに入社した時に「THEワイド」にアシスタント・ディレクターとして配属されました。以来12年間番組の取材、制作に関わり常に前向きで確かな実績を積み上げて大きな貢献をしてくれた実力派のテレビマンです。制作の現場ではさまざまな話題の取り上げ方や、お茶の間に伝える話題の優先順位などを徹底的に思案して自分の強い思いをぶつけてくる作り手で、一緒に仕事をしている立場の人間にとってはとても頼もしいディレクターでした。正直なところ、東大出身というと個人的には、「なるほど」と肯かせるタイプの人もいれば、「え、この人が」と首を傾げさせるタイプの人がいるなど人によって受ける印象が本当にまちまちですが、森さんは灘中、灘高、東大といわば受験界の王道をスムーズに駆け上がってきた人で、東大時代は学業も究めながら東京大学管弦楽団に在籍してトランペットを担当し、芸術をこよなく愛する心豊かな青年でもありました。エリートコースを歩いてきた人間が陥りがちな心の狭量さなど微塵も持ち合わせてない本当に優しい心の持ち主なのです。

100人前後の人間が出入りしていた「THEワイド」には学歴を含めさまざまな背景を持った人たちがいました。中にはアルバイトという待遇で殊の外厳しい条件で雇用されている人たちもいたのですが、森さんは一貫してこうした弱い立場の人たちに何時もやさしく接し相談相手になってあげて、その結果彼らからとても慕われていたのです。

そのような森さんが人生の伴侶として選んだ方はどういう人なのかとても興味深かったのですが、新婦寛子さんの笑顔を拝見し、挨拶の言葉を交わした瞬間に流石森さんが選んだだけあって素晴らしい人だなと即座に感じました。山形県の生まれで幼い頃から2歳年上のお姉さんと一緒に合唱団に入って歌の練習を続けているうちに、歌そのものを専門的に学びたいと志して勉学に励み、お姉さんの後を追うように東京芸術大学声楽科に入って優秀な成績で卒業しました。そしてコンサート活動を続けながら大学院修士課程を今年の春終了した音楽界のホープといえる方なのです。お姉さんも大学院博士課程に進んで研鑽を続けているそうで、姉妹同士のお互いを思う愛情の深さなど、姉妹が育ってきたご家庭が家族愛に包まれた心優しい方々の集合体だったのだということがとても良く理解できました。

披露宴の司会は「THEワイド」でリポーターとして活躍した杉本純子さんが担当しました。森さんからするとずっと姉のような立場で親しく接してきた杉本さんが、彼についてはありとあらゆる情報を持っているので、お祝いに来た人たちにその時その時の状況を分かり易く砕いて話してくれました。そのため場内は時に爆笑に包まれたり、「素晴らしいね」と感嘆の声が飛んだりと本当にアットホームな雰囲気に満ち満ちていて、皆が幸せな気持ちになれる素晴らしい披露宴でした。

これは第一に、新郎新婦の清々しさや心の豊かさ、優しさが溢れていたことが大きいと思います。それはとりも直さず、新郎新婦が育ってきた森家佐藤家が愛情豊かな家庭だということでしょう。また、第二に司会の杉本さんの雰囲気作りが絶妙で皆がリラックスして心を開くことができたことも大きな要素でした。私は思わず彼女に「『THEワイド』のときより一段と上手くなったね」とジョークを言ってしまいました。これまで結婚披露宴には随分と出席していますが、今回の披露宴ほど爽やかな気分になった披露宴はありません。出席できたことはとても幸せなことでした。そして「THEワイド」を通じて森さんや杉本さんのような優秀な人たちとご一緒できたということが自分にとってはかけがえの無い財産であることを改めて実感した次第です。

新郎新婦は間違いなく幸せで素晴らしい家庭を築いてくれるでしょう。森さんは何れまた制作の現場に戻ってディレクターとして素晴らしい番組を世に送り出してくれると思います。そして寛子さんは優れた声楽科としてこれからも聞く人たちに安らぎを与えて行かれることでしょう。心よりお二人の末長いお幸せをお祈り致します。

「あっという間の船旅」

小さい頃から体を動かすことが大好きだった私は、小中学生時代は必然的に勉強よりもスポーツを優先させる日常生活を送り続けていました。野球、相撲、陸上競技をはじめ、あらゆる競技に一通りは手を付けたことがあってスポーツは何でも得意という自信を持っていたのですが、そんな私にも実は一つだけ苦手なものがあったのです。

それは水泳でした。小学校入学時のツベルクリン検査で陽転していると言われたため、夏の間水泳をしないようにという指導を受けました。当時は結核が大変恐ろしい病気として警戒され、特に体力のない小さな子供については大事を取り過ぎるくらいの配慮をして患者を出さないようにと学校なりの努力をしていたようです。それからの3年間はじっと我慢して水泳の時間はおろか海水浴まで控えたほどでした。更に、齢の離れた私の兄たちもそれぞれ進学で家を離れてしまったため私に泳ぎを教えてくれる人も無く、漸く4年生になって独りで家の近くの海水浴場に行き、溺れかけながら何とか体を浮かせるコツを掴んでどうにか泳げるようになった始末でした。ですから、水泳大会だけは選手として参加した経験がないのです。

勿論今は泳げますが、それでは海に遠泳をしに行きたくなるかと聞かれれば、とても自らトライしようという気にはなれません。釣り船やヨットに乗ることがあっても余り遠くまでは行きたくないと思う口です。水に対する警戒感とか怖れが未だに体の何処かに潜んでいるような気がするのです。あるとき、運勢占いの方に見て頂いたところ水難の相ありと言われ、やはり自分はそのような星の下に生まれてきているのだと妙に納得したことがあります。従って、船に乗って長旅をするということなど、自分にとって全く関心のあることではありませんでした。

そんな私に「ぱしふぃっくびいなす」号(26,000トン)という豪華客船に乗ってお客様に講演をしてくれませんかという仕事の依頼が来たのは今年春。クルーズそのものは8月28日に横浜港を出て9月7日に同港に戻って来る日本一周の旅でしたが、私どもスタッフを含めた一行はスケジュールの都合上最初の3日間だけ乗船して2日目に講演を行って3日目に寄港地である小樽港で下船をすることになっていました。船内で宿泊する旅はこれまで一度も経験したことがなかったので、(正確に申し上げますと、戦後の昭和21年に中国本土から引き揚げ船で長崎に引き揚げて来たときに船内で赤痢などの患者が出たため佐世保港で一月ほど下船できずに船内生活を強いられたという経験をしているのですが当時2歳の私には記憶が全くありません。)船は苦手という意識がありましたが、何事も経験ということで仕事を受けさせて頂きました。

8月28日は10時30分に横浜港大桟橋に集合、一般のお客様より前に乗船させて頂き船内の状況を見せて頂きました。なるほど26,000トンの豪華客船は想像通り大きく、ご用意頂いたスイートルームはとてもゆとりがあり居住性が優れているので、この部屋で宿泊できるなら船旅が好きな方の気持ちが少し理解できるような気がしました。

全ての手続きを済ませて、正午丁度にぱしふぃっくびいなす号はおよそ300人の乗客を乗せて出港しました。岸壁でテープを握って手を振りながら見送りをしている乗客の家族の方も結構いていよいよ船旅が始まったぞという気分になりました。

好天の下、船は東京湾をゆっくり航行し、とても長閑で穏やかな旅のスタートでした。東京湾を出て太平洋を一路北に進路をとります。時速18ノット(33km)くらいで北上して行くのですがさほど揺れも気にならず、思ったより船旅もいいものだなと感じ始めていました。一つだけ心細さを覚えたのは携帯電話の電波の受信状態が陸地から離れるに従って悪くなり、そのうちに「圏外」が表示されるようになってしまったことでした。勿論船内にはテレホンカードで使える公衆電話があるので、いざという時にはそれを使えばいいことなのですが、現代人の友である携帯電話が使えなくなるというのは妙に寂しさを感じるものです。

乗船してすぐに軽い昼食、そして夕方6時半には夕食が始まります。基本的には船内でずっと生活するので地上にいるときよりどうしても運動量は少なくなります。従って、カロリー量も摂取過剰にならないよう食事には細心の注意が払われていて、初日の夕食である洋食のコース料理も決して味を濃いものではなく、お腹がもたれないようにとても気を配った分量でした。さて、夕食の後は部屋に戻りますと少し船の揺れが大きくなってきました。神経質なタイプの私としては船酔いをしないように大事を取って即座に酔い止めの薬を服用しました。これは正解だったようで以後多少揺れても殆ど気にならなくなり、翌々日の下船までとても気分よく過ごせたのです。

翌2日目の朝食は7時半頃に私どもを引率して下さるスタッフの皆さんとご一緒に頂きました。この船の良さの一つは、船内の何処を歩いていても乗務員の方々から「おはようございます」、「こんにちは」、「こんばんは」、ととても心地の良い挨拶の声が掛けられるというところにあります。当然のこととは言え教育が行き届いていると思いました。

朝食後少し間を置いて、午前10時から1時間半の間、私の講演になります。会場のメインラウンジに乗客の殆どの方々が席を取って待っていてくれました。放送人として42年間に亘って仕事をしてきた経験の中から興味深いと思われるお話をさせて頂きました。その中では特に、日本人は年齢に対し細やかな神経を持っていることが災いして新しいことを始めることにやや消極的になってしまう傾向にありますが、年齢は何かを為そうとするときにそれを阻害する要因にはなりえない、ということを強調しますと、聴衆の皆さんからはその意見に同調するという力強い拍手を頂戴しました。話し手にしてみるとここで良い仕事ができて良かったなと感じる幸せな瞬間です。講演が終わると昼食で、皆さんが先ほど聞いた講演を肴にして食事を楽しんで居られました。

2日目の夕食は翌日の寄港地の小樽にある「小樽オーセントホテル」の中村功二シェフが腕によりをかけて作った和風懐石料理で、一品一品が素晴らしい出来栄えの本当においしい料理でした。小樽では船は港に停泊してお客様は同地でオプションツアーを楽しむ予定になっているので、中村シェフとしては「ようこそ小樽へ」という熱い思いを込めて力を入れて作って下さったのだと想像した次第です。夕食の後はメインラウンジで、フルート奏者前田綾子さんを中心としてピアノ、ドラム、キーボードも加わったユニット「フェリティシモ」がポップスや日本の名曲を披露して楽しませてくれました。演奏の最中に船の揺れが最も大きくなったのですが流石はプロフェッショナル、「私たちも思いきり揺れましょう」と言ってそれを物ともせぬ完璧な素晴らしい演奏でした。

翌日は早めの朝食を済ませると朝8時に小樽港到着です。荷物を纏め精算を終えて10時には下船。私の短い初めての豪華客船の旅はあっという間に終わりました。想像していた以上に快適で色々な楽しみがある船旅。またいつの日かチャンスが巡ってくるだろうと思います。

実は今回、NHK時代にお世話になった二ュースデスクの石井彰さんと25年ぶりに巡り合う事ができました。石井さんはとても心優しい方で、アナウンサーの立場からいつも尊敬の眼差しで慕わせて頂いた二ュースデスクの方でした。石井さんは現在埼玉県和光市で和光市民文化センターの理事長として活躍なさっているということで、昔と変わらず颯爽となさっていました。そして横には素敵な奥様がご一緒で、恐らく多忙だったNHK時代の分も含めて奥様孝行をなさっているのだろうと推察しました。船旅にはこのような久々の思い掛けない再会もあるものなのだな、と今回の旅に感謝したことでした。

「薬物事件を聞くにつけ」

このところ人気芸能人が、合成麻薬「MDMA」を使用で、もしくは覚せい剤の保持容疑で逮捕されるなど薬物がらみの事件が相次いでいます。21世紀の人類にとっての課題の一つは薬物との戦いであると指摘されて久しいのですが、一向にこのような事件が減る兆しはなく、むしろ増加傾向にあることは間違いありません。

科学技術が進み、人間の生活リズムに加速度がついてくると、人間にはより多くのストレスがかかり精神的な不安定感を覚える人が増えてきます。そこに誘惑の手が伸びてきて余り意識もしないまま薬物に手を染めてしまうということが起きてしまうのでしょう。一方薬物を製造、販売する側にとっては捕まるリスクはあってもその収益率の高さは止めるに止められない誘惑の力を持っています。従って、そうした薬物を捌く組織などは手を替え品を替えして覚せい剤を痩せ薬や疲労回復剤などと偽り一般市民にいつの間にかそれを売り渡したりしているのです。また国家として覚せい剤等の製造販売をやっているのではと指摘されている近隣国家からの日本国内への薬物の流入もあって、我々の身の周りには手の届き易いところにこうした覚せい剤などの違法薬物が存在するのが現実なのです。

では、どのようにしたら薬物問題を克服できるのでしょうか。私は先ず何といっても大切なことは「薬物が如何に人体に有害で、使用してしまうと自分だけでなく子供にまで強い悪影響を与えてしまうものである」という実態を幼少期からの教育の中で子供たちに徹底して教え込むことだと思っています。

一度薬物に染まってしまうと、それを完全に克服するには途轍もない時間と労力を要求され膨大な犠牲を強いられてしまうものです。一時期多用されていながら最近は殆ど聞かなくなった「覚せい剤やめますか。それとも人間やめますか」というものがありましたが、このキャッチフレーズほど端的に麻薬の恐ろしさの現実を訴えているものは無く、是非これからもこの言葉を使って薬物の害をアピールしていくべきだと思います。

更に、このような危険な代物を人々に売り渡して利を得ようとする人たちには極刑も含めた厳罰をもって対処するという社会全体の共通認識が必要だと考えます。とかく法律の常識として初犯の人間には温情をもって処するということになっているのですが、この薬物問題だけは薬物そのものが人類共通の敵であるわけですから、他の法律案件とは全く異なる次元での対応が必要になるでしょう。

とにかく、有害薬物だけはどんなことがあっても排除するという強い共通認識をどの世代でも共有できる社会にしていかなければならないと今回の事件を見ていて感じました。

「三枝氏、堀氏の共著を読んで」

先日PHP研究所から出版された「特攻とは何だったのか」(三枝成彰、堀紘一共著)には色々と教えられ、考えさせられました。そもそもは㈱ドリームインキュベータ会長として幅広く活躍をされている堀紘一氏と堀氏と昔から親しい作曲家の三枝成彰氏の二人が力を合わせて「特攻隊」をテーマにオペラを創ろうと考え、堀氏が台本を担当するということでそれぞれ「特攻隊」についての調査、研究、取材を積み重ねたことが本書の生まれる起点となりました。そしてそこから二人が掴みとった「特攻隊」の実像を二人の対論の形で纏めた物が一冊の本として出版されたのが、この「特攻とは何だったのか」に当たります。

先ず私が驚いたのは、特攻隊員として戦死した人の総数が何と1万4009人にものぼるということでした。特攻というものは物量乏しくなって窮余の一策として考えられたものだと思っていたので、その時点で使える飛行機の数も限られているでしょうから、まさかこれほど多くの人たちが死を義務付けられて敵艦船を目指して突っ込んでいったとは思っていなかったのです。

堀氏の分析では「特攻」の経過をたどってみると、特攻作戦が正式に採用される前にも敵に対して攻撃を行っているとき、やむを得ず自分が敵機に対して体当たりを敢行して撃墜し敵機もろとも戦死したケースが見られ、これを仮に「フェーズ1」とすると、有無を言わさず正式の作戦として行われるようになった特攻が「フェーズ2」と考えられるというのです。この段階では小さいながらも敵に与えた損害だけを見ればまだ戦果ゼロとまでは言えない状況だったようで、その後ほとんど戦果が期待できないまま特攻隊員にただ死を強いるようになった特攻「フェーズ3」の段階に入って行きます。そしてさらに事態は悪化し、目的も意味も無くそこに飛行機があり搭乗員がいるからという理由だけでルーティン作業と化してしまった「フェーズ4」まで、もうこんなことは止めさせようという動きも無いままに時間が経過し徒に犠牲者を増やすことになっていきました。

両氏とも感情論に流されることなく論理的に日本の当時の軍隊のあり方や人間の動きを分析して何処がいけなかったのか、どの部分がどう機能すればよかったのかなどといったことを鋭く指摘しています。こうした指摘を耳にしますと、あれだけの大きな犠牲を払いダメージを受けながら、第二次大戦についての国民的な総括が未だにはっきりとなされていないのではと思うこともあります。

明治政府がつくられたときには理想に燃えたリーダーたちのエネルギーが迸りました。ところが日露戦争に勝利してからは、アジアの一流国になったと驕った気分になったからでしょうか、日本の戦略にどうも陰りが見えてきたようでなりません。超大国を相手に戦争に突入するならば、戦後の展望も見据えつつ講和条約の締結やさまざまな対応のシミュレーションをしておくべきなのですが、当時の日本の指導者層はどうもはっきりとした展望も持たないまま国民をあのような結末へとずるずると引き摺っていったような気がします。

そして戦後64年が過ぎましたが、ある意味当時のように指導者層が国家の進むべき方向性を明確に描き出せないような政治の混迷ぶりがあり、そして日本人の最大の武器だった読み書き算盤などの知力が相対的に減退しているという残念な状況を見るにつけ、これからこの国は何処へ向かおうとしているのだろうか、という思いが致します。

この本を読みながら、今からでも立て直しは間に合うのだろうかと考えたりしたものです。その意味で是非皆様にも手にとって読んで頂けたらと思いました。

「オードリーがやって来た!」

日本テレビの人気番組「メレンゲの気持ち」の人気コーナー「ビューティフル・ライフ」出演に際し、人気絶頂のお笑いコンビ、オードリーのお二人が我が家にやって来ました。と言っても、大したものがあるわけではない我が家ですから、どんなロケになってしまうのだろうかと心配していたのですが、オードリーのお二人はさすがです!何ということはない会話の中から面白可笑しくストーリーを導き、終わって見ると何とも言えず楽しかったなあという気分にさせられました。(8月オンエア)

オードリーは高校時代の同級生若林正恭さんと春日俊彰さんが2000年にコンビを組み活動を続けてきましたが、中々スポットが当たらず一時はコンビ解散を若林さんは考えていたそうです。そんなときにも春日さんだけは暢気なもので、スポットが当たらないのは時代が自分たちに追いついていないだけで、必ず何時か自分たちの時代が来ると言い続けていたのだそうです。その陰でネタ創りに精を出し、知恵を絞ってオードリーの基本形を築こうと頑張っていたのは若林さんだったのです。

その当時実は春日さんがツッコミ、若林さんがボケをやっていたということなのですが、ある先輩に「春日のツッコミは変だぞ」と指摘されたことがあったそうです。そう言われ改めて確認してみると、春日さんのツッコミのタイミングやポイントなど明らかに間違えていることが多く、そこが全体の面白さを損ねていることに彼らは気がつきました。そこで春日さんはボケで若林さんはツッコミに転換したところ、とても巧く行くようになったということでした。先輩の指摘が無ければひょっとしたら、今のオードリーは無かったかも知れません。人間にとって持つべきは良き師、良き先輩だとつくづく思うのです。

ここまで書くと春日さんは何もしていないように聞こえますが、勿論そのようなことはなくどんなときにも気持で相方を引っ張って行くそのエネルギーは際立ったものを持っています。磁石のS極とN極が引き付け合うように、若林さんあっての春日さんであり、
春日さんあっての若林さんなのだなとつくづく感じた次第です。オードリーとはこれまで「草野☆キッド」で一緒にお仕事をしたことがありましたが、我が家の訪問を通じて一段と仲良くなれたなと勝手に思い込んだことでした。

「かみのやまへの旅」

弊社の年中行事である山形かみのやま温泉旅行に今年も6月下旬に行ってきました。

さくらんぼ狩りを楽しめる川口観光果樹園でたわわに実をつけているさくらんぼの木から直接実をもいで好きなだけ食べ、上山温泉にある「日本の宿 古窯」に一泊して食と温泉を楽しむという旅行を初めてしたのは今から21年前のことです。丁度、私自身がNHKを辞めて民放で仕事をするようになって3年が経過したころで、「自分の仕事の本質は視聴者の皆様に向けて情報を分かり易く伝える情報サービス業なので何処までも視聴者の皆様に対してのサービスを徹底しなければならない」という認識を持って仕事に臨んでおりました。当時から「古窯」はお客様を持て成すさまざまな工夫と努力を重ねている大変素晴らしい旅館という評判を伝え聞いていたので、観光客を持て成す「古窯」と私とでは業種は異なるものの「サービス」という点においては共通の認識基盤を持つ「古窯」が具体的にどのようなサービスを実践しているか是非この目で見てみたいと思い、足を運んだのが最初でした。

思えばまだ当時は山形新幹線が開通しておらず、まず上野駅からは福島駅まで東北新幹線で移動し、福島駅で山形行きの在来線特急に乗り換えてかみのやま温泉駅まで行くという、合わせて3時間半近くかかる旅でもありました。(現在は東京駅から山形新幹線に乗れば2時間半で着きます)

長時間の移動でしたが、かみのやま温泉駅に降り立つと「古窯」の従業員の方がマイクロバスで迎えに来てくれていて、10人足らずの私たちのグル―プを大歓迎してくれたのです。バスに乗った途端温かくやさしい歓迎の言葉と共に、冷たく冷やしたおしぼりを一人一人に配ってくれました。お客様へのサービスは駅への出迎えの瞬間から始まっていました。この時の冷たいおしぼりの心地よさは何時までも忘れえぬ感激として今もはっきりと覚えております。勿論このおしぼりは季節に合わせて温かいおしぼりにも変わります。その場その場の状況に合わせて従業員の方々が判断して対応するというきめ細かなサービスのスタートポイントになっているのです。

10分ほどのバスでの移動の後、「古窯」に到着すると気持ちのいい「いらっしゃいませ」という声が私たちに掛けられました。その声が音声学的にもとても聞きやすく良い感じなのです。話の専門家である私の印象ですが、おそらく皆で相当研究し、鍛錬を積んで歓迎の言葉を自分のものにしたのだということが伺えました。これほど皆が同じレベルで好感の持てる挨拶のできる従業員がいらっしゃる宿は他に見たことがありません。基礎的なことは勿論のこと、どの段階に至ってもこの旅館はお客様を和ませ寛がせる力を持っていることがとても印象に残りました。

以後この旅行が年中行事になったのは、自分たちがまずは楽しみたいということもありますが、一方で「古窯」のお持て成しからサービスの本質を学びとり、自分の体の中に取り込んでしまおうという狙いもあったからなのです。梅雨時の旅行なので本来ですと道中雨に苛まれて苦労しそうなものですが、実はこの21年間不思議なことに旅行の日は一度も本格的な雨に出会ったことがありません。ひょっとしたら神様が唯遊びに行くだけでなく半分は勉強のためという姿勢を買って雨を降らせないでいてくれるのかも知れないなと思ったりしたものです。

「『おもいッきり』な水曜日」

6月10日、日本テレビ「おもいッきりDON!」に出演しました。番組のMCを担当している中山秀征さんとは昔から親しくさせて頂いていて、彼の結婚式に出席したことを今でも懐かしく思い出します。奥様は元宝塚のトップスター白城あやかさんで、披露宴の席で初めてお会いしたときに「こんなにも清楚で美しく輝いている花嫁さんが本当に存在するものなんだな」とびっくりしたほどそれはそれは素敵な女性でした。その奥様との間に4人のお子様を儲けて少子化問題にも身を持って貢献し、勿論その家族をとても大切にする良き家庭人としても広く知られていますが、仕事の面ではみのもんたさんの後を受けて日本テレビのお昼の顔として大活躍と、今最も輝いている人の一人でもあります。

年下の人からも「秀ちゃん」と呼ばれるほど親しみやすくフランクな人柄で、出演者への細かい気配りも決して忘れないその場を温かくしてくれる達人だと私は思います。この日もとても気を遣って頂き楽しく良い気分で出演時間を過ごさせてもらいました。この番組の出演は昨日で3回目になりますが、回を重ねる毎に出演者のチームワークが出来上がっていくのが感じられ、それだけ「秀ちゃん」の努力が偲ばれます。

この日はゲストとして田原俊彦さんがスタジオ生出演で歌い、語ってくれました。私自身、24年前NHKから民放に転じた年にTBSの人気番組「ザ・ベストテン」で黒柳徹子さんのお手伝いで出演したとき以来の対面でしたが、「トシちゃん」は基本的には昔と変わらずいつまでもお若く、歌いながら右脚を高々と軽快に蹴り上げるその姿に感嘆致しました。体の手入れやトレ―二ングをしっかり続けていらっしゃるんですね。

番組終了後はオフィスで取材を受け、終わるや否や急いで、高田文夫さんが主宰しわが盟友浅草キッドのお二人が中心になって続けている「高田"笑"学校 しょの33」を観覧しに新宿紀伊國屋サザンシアターに向かいました。今回はタイムマシーン3号、松村邦洋、昭和のいる・こいる、マキタスポーツ、浅草キッドの皆さんが出演し今回も大変な盛り上がりとなりました。若いタイムマシーン3号も将来の可能性を感じさせるものをも持っていますし、心停止状態から生還した松村邦洋さんは世襲問題について元首相、前首相、現首相が語り合うというタイムリーなネタが大成功。超ベテランのいる・こいるのお二人はこれが見納めと銘打って持ちネタを披露し、何となく高田"笑"学校とは違和感を覚えるところがまた楽しいものでした。そして我が盟友浅草キッドは時事問題や社会問題にかこつけてシャープな切れ味の風刺で本音トークが聞きたいファンの皆さんに大受けで大爆笑を呼び起こしました。

そんな中初登場のマキタスポーツさんがどんな芸を見せてくれるか注目していましたが、先ずは得意ネタである矢沢永吉さんにまつわる面白トークでお客さんの心を掴み、続いて奥田民生さん、B'z、佐野元春さん、が「風呂」をテーマに作詞作曲したらこうなるというギター演奏を交えての「作詞作曲パロディー」を披露し、最後にはミスターチルドレンまでが出てしまう、秀逸で涙が出るほどの笑いを誘いました。

マキタスポーツさんの卓越な矢沢ネタは「草野☆キッド」を通じて以前から知っていましたが、そこから離れてこれほど幅の広いネタや素晴らしいギターの演奏技術を持っているとは不覚にも知らなかったものですから、彼のパフォーマンスに驚きひどく感動しました。この日のMVPはマキタスポーツさんだと心の中で叫んで会場を後にしました。

「ブログを始めて一年」

ブログを開設して丁度一年になりました。基本的にはその時その時の自分の思いを記録しておこうとして始めたものですが、直接メールで、もしくは出会った方々から口々に「ブログを読んでいますよ」と言われたりするようになり、意外に多くの方々がご覧になっていることに気がつき驚いております。またブログが直接仕事の依頼に繋がっていくこともあり、インターネットの便宜性を改めて感じる昨今です。一年前に始めた当初タイピングの速度は遅かったのですが、ブログの回数を重ねるにつれてスピードが以前より早くなってきました。

元々、原稿というものは原稿用紙を使って自筆で書く方が本当の意味で推敲ができて良い文章になるものと信じ込んでいたのですが、それは単なる慣れの問題であってパソコンに向かってタイピングを始めると、パソコンの字は綺麗で簡単に修正できますし、とりあえず一通り書き上げたものでも一瞥するだけでとても良いものに仕上がったような錯覚にもとらわれます。勿論、錯覚ではなくて本当に良く出来上がっていることもあるんですよ。

ブログを始めて意識していることは、多くの方々が読んで下さっていることを勘案すると、自分の考え方の押し売りにならないように努めて冷静な表現を心掛けています。もっとも「THEワイド」を担当していたときも基本的なスタンスはほぼ同じでしたから、極端に姿勢や意識が変わったわけではありません。読み返してみるともう少し直截な表現が増えても良いのかなと感じることもありますが一凡人の考えですからこんなものなのでしょうね。

年齢を重ねてきてさまざまな世界の一流の人たちと接していると、その人たちがプロフェッショナルとして培ってきた技術の素晴らしさや奥深さに驚き、流石大したものだなと感服することが多くなりました。自分自身の年相応の人生経験によってプロの技術に対する鑑識眼や理解力が育てられてきたということなのでしょうね。色々な世界で活躍する人の中にプロフェッショナルの凄さを感じさせる人が多いのに何故か政界にはなかなかそのようなプロが見当たらないと感じるのは私だけでしょうか。

「田舎に泊まろう!」

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このところテレビ番組への出演ではロケのお仕事が増えています。「世界ふしぎ発見!」や「草野☆キッド」などの番組は基本的に放送局内で収録を行うので、自分自身が外に出てロケに参加するということは殆どありません。ところが最近お声をかけて頂く番組の中には是非ロケに参加して欲しいという要望が増えてきました。そして実際私自身も外に出る方も好きなので、ならばお願いしますと話が纏まることも多くなってきました。

先日は、テレビ東京の「田舎に泊まろう!」という番組からお誘いを受けました。

当初、私の頭の中には色々なことが巡りました。この番組の最大の見所は突然やってきた来訪者に一晩の宿を一般の方々が本当に提供してくれるのかどうかというところにあります。仮に自分がそのような依頼を受ける立場になったら、つまり来訪者を迎える立場になったらどうするだろうかということを考えました。泊めてあげても良いなと思ったとしても、自分の家の事情が許さないこともあるでしょうし、家の中を散らかしたままでこれから掃除して備えるのも大変ということもあるでしょう。またお料理を作って多少の持て成しもしなくてはならないし、それも今からでは困ってしまうなんてこともあるに違い、などという不安ばかりが先行してしまいます。確かに訪れる人はテレビで顔を知っている人だし、本人だけでなくカメラクルーその他スタッフの人たちもついて来るので間違ったことをすることはないだろうと安心できる部分はあるかもしれませんが、かといって「さあどうぞ」とは言い辛いのが一般的なのではないでしょうか。結局、難しいハードルではありますが、それを乗り越えて相手の方に泊めてあげようという気持ちを持ってもらえるかどうか挑戦するだけの価値があることだと思えてきたので、無謀ですがやりましょうと返事をしたのでした。

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さて、目的地も一切知らされず、スタッフに連れて行かれた場所は東京から車で移動できる場所ではありましたが、流石に楽をさせては貰えませんでした。歩きに歩いて最初の申し出はやはり受けては貰えず涙を呑むことになりました。それでも諦めずに宿探しに奔走します。果たして草野仁の運命は一体どうなるのでしょうか。

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6月14日(日)19時からのオンエアをどうぞお楽しみに。

「桜花賞優勝を祝う会」

5月17日の夜、東京銀座で「ブエナビスタ号」の桜花賞優勝を祝う会が開かれました。一口出資会員にとって出資馬がGIレースに勝つというのは極めて珍しいことなので、その分会員にとっては喜びも大きいものです。出資会員40人のうち27人が集まり「ブエナビスタ」号を管理する松田博資調教師、名人芸の手綱捌きで「ブエナビスタ」号を早くもGI2勝馬に導いた安藤勝己騎手、ノーザンファーム吉田勝己社長らと共に楽しい語らいの時を過ごしました。

出資会員になったばかりでこのような強い馬に巡り合った強運の人もいれば、長い苦労の日々を送った末漸くこの馬に辿り着いた人もあり、そこがまたそれぞれの方々の人生とオーバーラップしてとても興味深いものでした。私の場合は初めて会員になった時に持った馬「カッティングエッジ」号がデビューから3連勝して桜花賞候補と言われた強い馬だったのでレースに出場して勝つということはそんなに難しいことでは無いと思っていた時期もあったような気がします。ところが経験を積み重ねるにつれて、生き物である馬を管理調整することが如何に難しいかが分かるようになってからは、そんな不遜な気持ちは雲散霧消しむしろ所有馬がレースに元気な状態で出られるようになってほしい、故障や事故無く順調に調整が進んで欲しいという思いで愛馬たちを見られるようになりました。

それ故、「ブエナビスタ」号がこんなに素晴らしい活躍をしてくれればもう言うことはありません。次の目標は今月24日のオークスで、勝てる確率はかなり高いのではないかとみられているので、会員たちの思いは皆で表彰式に参加したいというところに行っているようです。皆さんのスピーチを聞いていて感じたのは、愛馬の活躍に刺激されてそれぞれの仕事や人生で更に頑張ろうという思いを強く抱いているのだなということです。私自身もこれを契機にもっともっと力強く前進しなければと気持ちを固めたことでした。勝負事は終わってみなければ結果は分かりませんが、興味のある方は「ブエナビスタ」号のオークスでの走りに注目してみてください。

「ナンボDEなんぼ」

GW中、関西テレビで土曜13時から放送されている人気番組「ナンボDEなんぼ」にゲストとして出演し、収録を済ませてきました。

東京ではオンエアされていませんので私も存じ上げなかったのですが、メッセンジャーの黒田有さんが司会を担当し、「ヒト」や「モノ」にスポットを当ててそれを面白おかしく自由自在に斬りまくるという番組なのです。過去には津川雅彦さんが同じくゲストとして出演し、津川さんの大胆かつユーモアあふれる発言にスタジオは一同大爆笑。そのオンエアを見た私も近来これほど面白かった番組は無かったと感じたものです。その番組から今度は私をゲストとしてお呼びしたいというお申し出を最初に受けたとき、「否、どう考えても津川さんほど面白いお話はできませんよ」という理由で一度お断りをさせて頂きました。ところが、制作の方々とお話を重ねていくうちに「自分なりに背伸びをせずお話をすればどうにかいいものになるのかな」との考えも芽生え、出演を決意しました。

収録が始まると、黒田さんそして関西テレビ山本浩之アナウンサーの掛け合い漫才のような楽しいトークからスタートが切られ、そこにレギュラー出演者の円広志さんやシャンプーハットの二人も絡み、本当に緊張がほぐれたところで私が呼び込まれるという展開でした。お蔭様で凄くリラックスして黒田さん主導の輪の中にすんなりと溶け込むことができました。黒田さんの卓越したリードに引き込まれついついセーブしようと思っていたことまで語ってしまい、時間の経過を忘れてしまったほどです。後になってみると、予定していた以上に自分を曝け出してしまったことに気がつきました。関西の人たちのざっくばらんなところにとても気持ち良く乗せられたという感じですね。

最近は関西の芸人の方々と一緒に仕事をする機会が増えましたが、そのたびに彼らが培ってきた話術や個性的な持ち味に惹き付けられて、こちらもまた自分で思っていた以上のものを引き出して貰うようなってきました。何か相性が良いのだなとしみじみ感じる昨今です。

「ナンボDEなんぼ」は5月30日の放送です。関西地区の方々しか見られませんが意外性があって面白いものになっているものと期待しております。是非ご期待を。

「バビロンA.D.公開記念イベント」

先週末、ハリウッド大作の「バビロンA.D.」(20世紀フォックス配給)が公開されました。

「バビロンA.D.」は舞台が近未来で、戦争やテロによって秩序が崩壊した時代にヴィン・ディ―ゼル扮する傭兵トゥーロップが依頼を受け、謎めいた不思議な能力を持つ女性オーロラをカザフスタン、モンゴル、シベリア、ベーリング海峡を経てカナダ、そしてアメリカの二ューヨ-クまで1万キロを旅して送り届けるという物語です。アクション映画ですので何度も命の危険と戦いながらそれをクリアしていくというストーリーの映画です。ヴィン・ディーゼルが強い男であるのは容易に想像できますが彼はタフガイであるだけではなく、判断力や分析力にも優れ困難なミッションを遂行できる際立った能力を有しているのです。ところがそのような彼でさえも死と直面せざるを得なくなります。果たしてどのようにして彼はそこから脱却できるのでしょうか。その部分は是非劇場で楽しんで頂きたいと思います。

さて、去る5月6日に私は秋葉原UDXビルで行われたその「バビロンA.D.」の公開記念イベントに参加しました。外国映画が公開されるときにはなるべく多くの日本人に見て貰うために色々な工夫を凝らした催しが行われるのが一般的になっています。この映画も同様にイベントが企画されましたが、このたびお声を掛けて頂いたので私にできる範囲のことなら何でも頑張ってみましょうということになって話が進んで行きました。そしてAKB48を卒業したばかりの大島麻衣さんと二人で公開記念イベントに出演することになったのです。

秋葉原UDXビルに設けられたイベントステージは屋根のない特設ステージで当日は生憎前日からの雨が降り続くという残念な状況でした。特にイベントの始まる午後3時半頃は雨脚が少し強まるなど条件は極めて悪かったのです。ところがかなり早くから若い男子を中心に100人を超える人たちが傘をさしたまま待ち続けていてくれたのには驚くと共に感激しました。勿論その大多数は大島麻衣さんをお目当てに待ち続けていたのだと思いますが出演者側からすれば嬉しい限りです。

ヴィン・ディ―ゼルには及びませんが、65歳の男でも頑張れるということを示して欲しいとのことで企画された握力測定では懸命に力を振り絞って出た数値に我ながらよくやったという思いです。続いては厚い古本を引きちぎるミッションで、一寸苦労しましたが何とかクリアできました。最後は強い男をアピールするために、大島麻衣さんをお姫様だっこしてのフォトセッションでしたが、何とかやり通すことができたので最低限の役割は果たすことができたのかもしれません。

が、ふとこの年になって自分は何をやっているのだろうかとの思いが巡ったのも事実です。とはいえ、人間は高齢になってもそれぞれの体力に応じて元気に頑張っていくことができるということがアピールできたと思えば、それはそれで良いことなのだと自分でも納得しました。

「にじいろジーン」

5月2日、午前8時30分からの関西テレビ「にじいろジーン」にゲスト出演しました。

この時間帯は民放局総ての番組が大阪の系列局で放送が制作され大阪発で放送されていますが、私もかつて1993年から1997年までの4年間朝日放送の「朝だ!生です旅サラダ」の司会を担当していました。当時は金曜日の日本テレビ「THEワイド」が終わるとすぐに東京駅に直行して新幹線で大阪に向かい、夜9時から打ち合わせをして翌日の放送に備えるというパターンで行動していました。スケジュール上はハードでしたが大阪に移動して生番組の放送ができるということで、楽しい4年間だったことを記憶しています。従って、このたび関西テレビから出演依頼を受け懐かしい気分一杯で前日に大阪入りしました。

翌朝8時頃には打合せ室で全員顔を会わせての打合せが始まりました。司会のぐっさんこと山口智充さんとベッキーさん、レギュラーのガレッジセールやアンガールズの皆さんもテンション高く元気一杯です。不思議なものでそうやって少し気合いを入れながらだと自然に全員が元気になるものなのです。あっという間に打ち合わせが終わり、本番です。

ぐっさんとベッキーさんの力みのなく自然でリラックスした司会で順調に番組は進行していきます。二ューカレドニアからのリポートが入り、静岡焼津市場での取材VTRが放送され、スタジオにマグロ二色丼などが運ばれて来て皆で試食をして印象を話しているうちに番組のエンディングが迫って来ました。あっという間に番組が終了してしまう印象があるということは番組の流れそのものが良いということであり、何よりぐっさんとベッキーさんの人々を包み込む温かい司会ぶりが本当に心地良かったのです。最後に今日の感想を求められて、「あまりにも居心地が良かったので、呼ばれなくても来週もここにいるかも知れませんよ」と言いましたら、ぐっさんに「気を使うのでそれだけは止めて下さい」と釘を刺されてしまった私でした。

「名城大学での講演会」

今年の連休は仕事のためあまり休みが取れずにおりましたが、去る4月30日には名古屋の名城大学に講演のお仕事で伺いました。同大学の1、2年生を中心とした学生たちを対象に、学生生活の中で今後の方向性を少しでも掴めるような話をして欲しいということでしたので、自分自身の体験談をもとにどのように学生生活を送るべきかなどについてじっくりお話をしました。

丘の上にある広大な敷地に設けられた名城大学のキャンパスは自由な雰囲気が充ち溢れ、学生たちがそちらこちらに集って立ち話をしたり、芝生の上に腰をおろし輪になって軽い議論をしたり、学園らしい爽やかさが漂っていて自分自身も何時の間にか若返った気分になってしまいました。そして講演の時間になり会場に入ると、そこは大きな教室で500人を超える学生の数が私を迎えてくれました。

学生たちには以下のようなことを話しました。自分は本当のところは取材記者になりたくてNHKの入社試験を受けたのに実際にはアナウンサーとして採用されてしまい、自分では想像もしていなかったアナウンサーという立場で仕事をせざるを得なくなり不安な思いがあったのですが、実際に仕事をしていくうちにアナウンサーとしてどのように工夫して仕事ができるかをさまざまな場面において習得し、アナウンサーとしての可能性や素養が決してなかったわけではなかったことを知ることになりました。そこから得たことは、誰にでも自分の希望が叶わず予想外の進路を歩まなければならなくなることはあるのですが、その時には覚悟を決めてそのことに全身全霊を打ち込んでみると想像以上に上手くいくことがあるもの、ということです。なぜならどんな人でも自分の思っている以上に色々な能力を複合的に持っていて、いざとなればそうした自分の力でしっかりと対応できることがあるからなのです。また、仕事の軽重によって力の入れ具合を加減するのではなく、いつも集中して全力投球するように習慣付けること。教えを受けたことについてはそれを尊重することは大事だが心の中で常に他に良い方法論はないのかを模索する気持ちを持ち続けること。更に、人間は社会的な存在なのでどんなに能力が傑出している人でも独力で自分自身の業績を創りあげる訳にはいかないので、常に周りの人たちの存在に心を配り感謝の気持ちを忘れないようにすることなどを説きました。

会場に来ていた全ての学生たちが1時間半もの間私の話に真剣に耳を傾けてくれたのには感心すると共に感激しました。今の若い人たちも集中力をしっかり持っていて他人の話をちゃんと聞いてくれるものなのですね。講演終了後は学生たちからも質問が出て久々に楽しい講演会になりました。最後に彼らには、「名城大学の学生としてのプライドを持って欲しいと思います。プライドを持つためには日頃からそれ相応の努力を続けていなければなりません。大学の必須科目をしっかりやるのは当然のこと、自由に使える時間を利用して自分が関心を持ったことについても突き詰めてやってみれば学生生活はもっと楽しくなるはずです」と強調させてもらいました。

自分自身ができなかったことだけに後悔の念も含めてそう思うのです。

「楽しみな今年の競馬」

今年は競馬が本当に楽しめる状況になって来ました。と言うのも一口出資会員として持っている愛馬たちが活躍してくれているからです。

ブエナビスタ号は4連勝で桜花賞を勝ち既に2つ目のG1ホルダーとなりましたし、昨日はウォータクティクス号が6連勝でアンタレスS(G3)をレコード勝ちしてくれて、今後の活躍も期待できそうな内容のレース振りを見せてくれました。3歳馬では今度の青葉賞に挑戦するアプレザンレーブ号は東京コースが得意でダービーに出走できるかも知れません。また、テンペスタローザ号は3戦未勝利ですが3戦目の前走で漸く見せ場をつくり2着でこれから体ができてくれば走りそうな感じが出てきました。その他、リザーブカード号もクランエンブレム号も来月には出走できそうで、皆元気で競馬に参加できるというのが会員にとっては一番嬉しいものなのです。それに反して友人と一緒に所有しているバリオン号は苦しい戦いが続いています。中々上手くは行かないものです。

また、今年新たに千代田牧場の飯田正剛さんと共同所有することになったランブリングローズ号(2歳牝)もどんなレースを見せてくれるか今から楽しみです。ただ、馬主になって10年以上になりますが、本質的に競走馬というのは何の問題もなく元気でレースに出走できるという馬は極めて少なく、足元に問題を抱えていたり、蹄が悪かったり、のどなりという喉の手術が必要な病気になったり、結構さまざまな問題が生じ順調にレースに使えない場合が多いものなのです。従って、競走馬を所有していると必然的に現状を受け入れて事態が改善されるまで待たなければならないことを思い知らされるようになります。

私のように気が短い人間はすぐ結論を急ぎたくなりますので、そうではなく世の中には機が熟すまでじっくり待たなければならないことが沢山あるということを知ることができただけでも人間として大きな収穫があったと言えます。主役は人間ではなくあくまで競走馬なのですから。

「戦友との再会」

日本テレビ系「THEワイド」が終了しておよそ一年半になりますが、先日同番組のリポーターとして大活躍した杉本純子さんと本当に久しぶりにお会いし思い出話に花が咲きました。

杉本さんは「THEワイド」では主に事件現場のリポートを担当しました。オウムによる地下鉄サリン事件、神戸の連続児童殺傷事件、和歌山毒入りカレー事件など世間を震撼させた事件は全て現場に赴き、長期に亘って滞在してその真相を究めようと努め、放送にもその努力が反映して他局の番組に勝る内容のリポートを届けてくれました。

何といっても私たち二人にとって忘れられないのは1997年の神戸連続児童殺傷事件です。多くの取材陣が現場に長く詰めて取材活動を展開したにも拘わらず、警察の犯人逮捕の発表の前に犯人の少年に行き着いた人が一人もいませんでした。ところが地元の人たちの間ではあの少年ではないかと疑いを持っていた人が実は何人もいたと後になって聞かされました。そこで私たちはその取材方法に欠点があったことを認識し真摯に反省し、その上で地元の人たちが共有する情報をどうしたら獲得できるのか、新たな取材方法はないのか考えを巡らせました。

その結果一つの結論に達しました。それは以下のようなことです。取材陣というのは通常マイクを持って取材し、そのマイクで証言や目撃情報を獲得しようとしますが、一般の人たちはマイクを向けられただけで普通身構えてしまうものです。大体の場合、「マイクに向かって話せばこの話が放送を通じて公になってしまう。だとしたらここまでは言えない」との判断から発言を抑制したり、内容のある発言を控えてしまったりする傾向にあります。従って私は、「先ず一人の人間として取材対象の地域に入り、その土地の人たちと普通にコミュ二ケーションを交わすこと。つまり無機質で非人間的と思われるマイクという道具を持たないで話をして信頼されるように努めること。そうすれば地元の人たちも取材者に対し徐々に距離を縮めてくれて話もしやすくなるはずである。だからとりあえずマイクの使用を控えよう」と彼女に提案しました。杉本さんはそれを見事に実践しその後の取材現場で数々の輝かしい実績を残したのでした。

彼女とは「また機会があればあの時のような緊張感の中で一緒に仕事するのも面白いかもね」などと自由気ままな会話を楽しみました。今は所属するプロダクションの東京オフィスの代表として活躍している杉本さんですが、どんな現場にも恐れず踏み込んで最後まで諦めない息の長い取材を続けていた当時の姿を懐かしく思い出し、彼女も本当のプロフェッショナルだったなと改めて感じ入ったものでした。

PS 杉本さんのご尊父、杉本明さんが去る4月24日ご逝去されました。大変残念なことですが故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

「適正な法律の適用とは」

先日、不法滞在を続けていたフィリピン人の両親が本国への強制退去を命ぜられ、13歳の娘であるカルデロンのりこさんだけは取り敢えず日本に残留することを認められたというニュースが伝えられました。テレビでは主に別れを悲しむ両親の涙、そして懸命に堪えても涙が流れ落ちるのりこさんの表情を中心に映像が構成され、そこにナレーションとインタビューで関係者の話が乗るので、一見すると誰が見ても可哀相な一家なのに日本政府はどうしてもっと愛情ある措置を取ってくれないのかという印象を持ってしまいます。

確かに、一家が離れ離れになって別離を悲しんでいる状況は誰もが何とかしてあげられないものかと思いますが、目の前に展開されているシーンだけに情緒的な反応をしてしまっては問題の本質を見落としてしまいかねません。そもそもこのような悲劇に至ってしまった根本的な原因は、両親による偽造旅券を使っての不法入国、そして長期にわたる不法滞在でした。一般に、偽造旅券で入国しようとすることは極めて悪質な不法行為で本来それだけで即刻国外退去となり、再入国は極めて困難なはずです。それを考えると、両親の取った行動は本当に悔やまれる残念な行動でした。

特に気の毒なのは娘ののりこさんで、両親の間違った行動の一端を背負わされる形になったわけで同情に値します。また、彼女の周囲の人たちが多くの署名を集め、彼女の思いを大切にしてあげようと努力したことはとても素晴らしいことだと思います。とは言え、国は国としての立場もあり、法治国家として許されることと許されないこととの線を明確にせねばならず、今回のケースは熟慮に熟慮を重ねた上での判断であると思います。森英介法相も決して短絡的な判断ではなくて当局としてもあらゆることを考慮して最善と思える結論を導き出したと語っていました。

不法に入国した人たちが犯罪に手を染め、社会に深刻な被害や損失を与えることが多い時代ですから出入国の管理はこれまで以上の厳しさが要求されます。厳格で適正な法律の適用が折に触れて必要になってきている昨今、どのようにこの種の悲劇に向き合えば良いのかを考える良い機会となりました。

「一貫性のある姿勢を」

北朝鮮が発射した飛翔体が人工衛星だったのか弾道ミサイルだったのかについてはどうやら凡その結論が出てきたようです。北朝鮮が主張しているような人工衛星は軌道上に見当たらないとアメリカが発表、日本でも同様に衛星の存在を示す状況は何もないとしていますし、ロシアも全く同じような見解を示していますので、人工衛星の打ち上げであったのであれば失敗だったということになりそうです。

また、もしこれが弾道ミサイルの改良実験であったとすれば前回より飛距離を伸ばし3000km以上飛んでいるので北朝鮮としては成功だと見ているという人と、いやミサイルが最終的には空中で爆発したと言われているところから今回も実験は失敗だったとして、この程度の弾道ミサイルをどの国が買いたいと思うだろうかと歯牙にもかけない米軍筋のような見方とがあるようで、本当のところはまだ分かりません。

ただ言えることは、北朝鮮は常にアメリカと渡り合うためには何をどうすればよいのかを考えそこに向けて全てのエネルギーをぶつけてきているので、今後も持っている材料を全部使って自分たちの言い分をごり押ししようとすることでしょう。ブッシュ政権とは違い、どんな相手にも話し合いを交渉の基本にするとみられているオバマ政権が北朝鮮をどのように扱おうとするのかは非常に興味深いところです。民主党としてはクリントン大統領の時代に一旦は北朝鮮攻撃も視野に入れながらも、結果的には妥協して北の言い分を信頼して裏切られた苦い体験があるのですから同じ轍だけは踏まないでもらいたいと思います。

日本が以前の政権とは少しは違うなと感じさせられたのは、今回この実験に対して抗議の意味を込めて北朝鮮に対する制裁措置の延長を素早く決めたことです。交渉相手としては極めて難しい相手ですが一番大切なのは日本側の一貫性のある毅然とした姿勢が相手にはっきりと認識されることだと思います。これまで日本政府の対応は極めて曖昧で交渉に入るに当たって素性のよく分からない人物に頼ったり、政府の正式な依頼を受けたわけではないのに与党の政治家が勝手に身を乗り出してきて二元外交ではないのかと指摘されたりすることもあり日本政府としての本当の姿勢が見えにくい有様でしたが、今回いち早く制裁延長を決めたことは麻生政権の考え方にぶれがないということを示すためには良き一手だと思えました。今後も一貫した日本政府の強い意志が伝わる行動で対処してもらいたいと多くの国民は望んでいることでしょう。

「希望に溢れる新人職員を前にして」

4月6日、今年度東京23区の職員として採用されたおよそ1500人の若者たちにお話をして欲しいということで会場である文京シビックホールに向かいました。東京ドームのすぐ近くにある当会場は造りがしっかりした立派なホールで、希望に溢れる新人職員たちが会場を埋めていました。

「テレビで見たことのある『スーパーひとし君』が出てきたぞ」という雰囲気が会場から皆の期待の篭った息遣いを通して伝わってきたので、その期待に応えなくてはという思いで私の話にも最初から力が入りました。

まず、私がNHKでアナウンサーとして仕事をしていった中で掴んだこと、それはつまり話し言葉を使って自分の思いをどのようにして分かり易くかつ正確に相手に伝えれば良いのかというその方法論について話をしました。勿論、すぐに辿り着ける王道があるわけではなく日頃から折にふれて意識しながら表現や言葉遣いを訓練していく以外に上達の道は無いことや、そうした意識を持って話すことに全力を注げば誰でも良き話し手になれるということも強調しました。

こうしたお話をしたのにも当然理由があります。それは、話を聞いている新人職員たちは今後区役所などで最前線に立って区民と接し、その要望に応えて行かなければならない立場であるために何よりも聞き上手話し上手でなければならないからです。更に、行政サービスという仕事は本来区民に対してそのサービスを徹底しなければなりません。サービスというのは顧客の期待にこたえるのは当然のこと、突き詰めて言えば本当のサービスは顧客の期待を超えるところまで行かなくてはならないのです。

こうした内容の話を1時間20分という時間をかけてじっくりとお話をしました。長い時間の講演でしたが一人として居眠りする人もなくしっかり私の話に耳を傾けてくれました。現代の若者たちの中でも目標を持って仕事に臨んでいる人たちはしっかりしているなと手応えを感じられたのは嬉しいことです。この会場にいた人たちが10年後そして20年後一体どのような行政従事者に成長して、区民に対してどのようなサービスを提供しているのか見てみたいという思いに駆られた昨日の講演会でした。

「桜とディナーを愉しんで」

昨日30日、私の事務所のスタッフら総勢13人でお花見に行きました。紀尾井町からスタートして徒歩で半蔵門に出て後は千鳥ヶ淵をゆっくり散策して桜を楽しもうというものでした。今年は例年より桜の開花は早かったのですが、その後の冷え込みで蕾があまり開かず全体的に見れば3、4分咲きという感じではないかと思えました。

去年は満開の桜の下華やかな雰囲気が漂っていましたがそれに比べるとお花見の人も少なく少し寂しい花見になってしまいました。でも何時も思うのですが桜ほど人の心を温かくしたり、揺さぶったりその時その時の心の在り様で如何様にも心を動かす力を持った花は無いものですね。年を取ってくると本当にこの素晴らしい桜をあと何回楽しむことができるだろうかなどとふと考えたりもするものなのです。

花見の後は神田神保町に向かい、小学館ビルの地下にある「七條」というレストランで皆一緒に食事をしました。なかなか予約が取れないという人気のレストランだそうですがスタッフが手際よく予約を入れてくれたお陰で席も確保でき、店内は満席でしたが一同が座れるよう一つのコーナーに席を作って頂いて食事を楽しむことができました。満足のいく桜の咲き具合ではなかったのですが花見の後は皆気分よく大変な盛り上がりです。楽しく語らいながら食事をするとどうしてあんなにも話に花が咲き飲食も進むのでしょうね。心から皆がリラックスできた数時間でした。

途中、心の篭った美味しい料理を作ってくれた「七條」のオーナーが私に挨拶に来られたのですが、「実は私も長崎県の島原半島の口之津の出身です。草野さんの同級生の方々もよく知っています」と思わぬ自己紹介に驚いてしまいました。ひょんなところで同郷の方と出会ったので正直びっくりするやら嬉しいやら、世の中狭いものですね。でも料金もリーズナブルで美味しく食べられたので気の合う仲間内の会合には向いているお店だと思います。

楽しい気分のまま家路につき明日からも頑張るぞと自分自身に気合を入れたことでした。

「新年度を迎えて」

テレビの番組も昨日から新年度の編成に変わり、情報番組などにも新たな顔ぶれが見られてテレビの世界における年度替わりを窺わせます。思えばテレビ以外でも色々なところで新しくやってきた人、もしくは去って行った人がいてさまざまな感慨をそれぞれの方がお持ちになっていることでしょう。私の㈱草野仁事務所もスタートして丸24年が経ちこの4月から25年目に入ります。多くの皆様に支えて頂いて此処まで頑張ってくることができましたが、改めて人と人との結びつき絆が如何に大切かということを強く感じている次第です。

思えば24年前、タレントは私1人で業界の経験のある女性マネージャーと共に民放での仕事を始めました。実はNHK時代はこんなにNHK的な奴はいない、一寸固くて生真面目風と言われていたのですが周囲の心配をよそに民放への同化は意外に早かったように思います。それは、テレビの世界における私たちの役割は情報サービスを極めること、つまりテレビを見てくれている視聴者の皆さんに如何に情報サービスを徹底できるか、具体的には一度聞いただけで視聴者の皆さんにこちらが伝えようとしたことを十分にかつ即座に理解して頂けるかどうか、そこに全てが懸っているということをいち早く悟ることができたからだと思っています。更に、いつももし自分が視聴者だったらどう感じるだろうかということをしっかり吟味した上で放送に臨む、そのことだけは外すことのないように努めてきた心算です。

毎日突きつけられる視聴率との対峙は結構大変なものでしたがでも基本的には視聴率は正しいもので、こちらがきちんと努力をして備えて行けばそれを裏切らないと思えるようにもなりました。

さて㈱草野仁事務所も多くの方々に支えて頂いて25年目を迎えることができたことを本当に幸せなことと感じております。これからもこれまで以上に事務所一同力を尽くして参りますので、皆様宜しくお願い申し上げます。

「神の手の提言~日本医療に必要な改革~」を読んで

私が司会を担当しているテレビ東京「主治医が見つかる診療所」でも何度か登場して下さり、番組で日本の医療行政の根本的な改革が必要であることを熱く語ってくれた脳神経外科医で、アメリカデューク大学、ウェストバージニア大学などの教授であり、神の手を持つ男と呼ばれる福島孝徳先生の新著「神の手の提言~日本医療に必要な改革~」が送られて来ました。

福島先生は東京大学医学部出身で研修医一年目の1969年、世界で初めて脳のファイバースコープ、内視鏡を使った手術を行い1973年までに60例の手術を担当して実績をあげた天才医師です。その後ドイツ留学などを通じ世界にその名を知られるようになりました。しかし余りにも個性が強くどんな権威に対しても正論で立ち向かっていくため日本の医学界には中々受け入れられませんでした。これほどの並外れた才能の持ち主でありながら結局日本の大学からは声が掛からず、業績を高く評価したアメリカに招かれ彼の国を拠点にして世界各地を回り神の手で数多くの命を救ってきたのです。

福島先生の手術は極めて精度が高く(それ故神の手といわれるようになったのです)、情報開示も当然のようにしっかり行われているので何の心配もなく患者は手術に臨むことができます。先生の目には自分の業績を評価しようとしなかった日本の大学(医学部ないしは医科大学)のあり方がずっと気になっていました。しかしその後も彼らは敢えて福島無視を決め込み、自分の弟子たちが福島先生の元に行って見学をしたり指導を受けたりすれば破門するなどとお達しを出し続けているのだそうです。それでも世界が認める最高の技術、理論を持った福島流を勉強したいと思う医師は「福島先生、私がここに来たことだけは絶対に誰にも言わないで下さい。お願いします」と懇願します。先生のお話を伺うと狭量な医学界だなという印象を持たざるを得ません。

勿論それで日本の医学界が問題なく順風満帆であれば良いのですが、医師養成のプログラムは旧態依然で実力のある医師がなかなか育たず、医療費抑制の厚労省の方針に為すがままとなり病院の破綻や必要な外科医、小児科医、産科医の不足を来たすなど日本の医療は崩壊への道を辿っていると福島先生は指摘しています。時代の流れに沿って患者が信頼できる医師を世に送り出すにはどうすれば良いのか、欧米先進各国の体験をよく見て医療費はただ抑えさえすれば良いというものではないことなど、その他あらゆる角度から日本の医療を良くするための提言が散りばめられた本になっています。

福島先生は強調しています。「医療は3Sである。それはSERVICE(奉仕気配り),SMILE(笑顔),SINCERITY(誠実)である」と。日本の医学界、厚労省もそろそろ先生のアドバイスに耳を傾けるべき時ではないのでしょうか。

「新たなスタートを切るお二人 ~頑張って下さい~」

毎週土曜日オンエアの「日立世界ふしぎ発見!」は来月4月から番組が始まって24年目に入ります。

先日23年目の最後の放送(オンエアは3月28日)となるヴェネツィアをテーマにした回の収録が行われました。実はこの日、2005年4月から番組のアシスタントを務めてくれた小林麻耶アナウンサーが3月30日からスタートする「総力報道! THE NEWS」でキャスターを担当することになったため、私たちの番組のアシスタントとしては最後の収録でした。

番組収録はいつも通り淡々と進み番組のエンディングで、私から4年間にわたって本当に良く支えてくれ、明るく爽やかな雰囲気を醸し出して頑張ってくれた小林アナウンサーにお礼を述べた後に、「小林さんからテレビをご覧の皆様に一言」と言葉を求めました。すると色々な思いが脳裏を過ぎったのでしょうか、少しだけ涙声になりましたがしっかりとした口調で視聴者の皆さんに感謝の言葉を述べたのでした。

小林さんがこの番組に参加してきたとき、私は小林さんというのはどちらかというとキャピキャピした今時の若い女性アナウンサータイプの人なのかなと思って彼女の言動に注目していましたが、実際はその内面は全く対極にあり、むしろ古風といってもいいような控え目な姿勢を保ち、一緒に仕事をする人にきちんと敬意を払いながら前に進んでいくことのできる好感の持てるアナウンサーだったのです。スタッフの人たちとも気軽にコミュニケーションを交わし、いつもにこにこと笑顔で仕事に臨んでくれた小林さんには心から有難うと申し上げさせて頂きます。これからは少し異なる分野での仕事になりますが、順応力のある小林さんですから全力で新分野の仕事にぶつかって頑張ってくれるものと思います。

4月からは小林アナの後任として出水麻衣アナウンサーが登場します。ご存知のように海外生活の体験を持つバイリンガルです。2007年日本有線音楽大賞でご一緒に仕事をしたことがあり、とても気が合うタイプのアナウンサーで小林さんとはまた違う味わいを放送でも出してくれるものと期待しています。小林麻耶アナウンサーそして出水麻衣アナウンサー、共に颯爽と伸びやかな活躍を期待しています。

「恩師 辻村明先生」

私にとって人生の師と呼べる方は勿論何人もいますが、中でも大学時代の3、4年生の時に指導して下さった辻村明先生との出会いは私自身の人生の方向を決めたとても大きなものでした。

大学3年になり社会学科に進学したときに、居並ぶ教授助教授の中から自分の指導教官を選ばなくてはなりませんでした。従って、それぞれの教授助教授の専門分野を吟味して自分が本当に勉強したいことを決め、そのためにはどの先生に付けば良いのかを思案したのです。当時の東京大学文学部社会学科の雰囲気は古典的ドイツ社会学、日本独特の農村社会学、更にフィールドワ―クを駆使したアメリカ的社会学など色々な流れがありました。

その中で辻村明先生は新進気鋭の助教授で、得意のロシア語を駆使して共産主義国家ソ連の社会に内包する矛盾を「プラウダ」などの新聞の内容分析から明らかにするといった独特の分野を創りあげて活躍し始めていた先生でした。しかもテーマは狭い範囲に限定せず社会が注目するような問題には積極的にアプローチするという若々しい今までの学者像とは異なるエネルギーを感じさせる方でした。

私は辻村流の自由な発想で対象に迫る社会学に惹かれ門下生となりました。折しも先生の関心は沖縄問題にフォーカスされているときで私の注目とも合致しましたので、自分自身卒業論文のテーマを「戦後沖縄における対米感の推移」と決めて毎日「沖縄タイムズ」「琉球新報」の東京支社に3か月余り通い続けて、終戦直後からの両紙の22年間の社説の内容分析を行いました。論文提出後、辻村先生からはよく頑張ったねと労いの言葉を頂きましたが、それだけでなく当時社会学科の最高責任者であり怖い感じがするほど風格のあった尾高邦雄教授からも「良く書けているね」とお褒めの言葉を頂いたことも懐かしい思い出として残っています。

さてそれから長い年月が経過し辻村先生は東大教授、静岡県立大学副学長、東北女子大学学長、流通経済大学教授等を歴任され紫綬褒章、勲三等旭日中綬章も受賞されています。

大学をお辞めになった後も社会学者として日本各地を取材して歩き「地方都市の風格、歴史社会学の試み」などの大作を出しておられます。82歳になられた今日も現役の社会学者ですが、2歳下の奥様と共に介護のデイ・サービスを受けるため自宅近くのスマイル介護サービスに2年前から通い始めたということです。そしてその体験談を一冊の本に纏められました。「大いに笑い、大いに歌う ~東大名誉教授、デイ・サービスに通う~」というタイトルで日本経済新聞社から出版されています。内容はデイ・サービスの現場の在り様が描かれています。辻村先生夫妻が実はそこでは最年少で、皆で小学唱歌、軍靴、寮歌などを歌ったり、ゲームを楽しんだり、百人一首に興じたりと楽しく時間を過ごすということですが、その中にも和歌や唱歌寮歌軍歌などには圧倒的に詳しい辻村先生が事の歴史由来を分かり易く解説するので参加した人たちはそれを楽しみに通ってくるということです。いずれにしても、残された人生を出来る限り楽しく交流しながら前を向いて生きようとしている皆さんの様子が生き生きと伝わってきて、その時が来たら自分もこんな風に元気でありたいという思いになりました。そして辻村先生が奥様とともに歩んでこられた日々が相思相愛の本当の愛情で結ばれていたことを知り胸が熱くなりました。

我が師は間違いなく素晴らしい師でした。これからも末長くお元気でいて下さいます様お祈り申し上げます。

「5年目を迎える『草野☆キッド』」

テレビ朝日で深夜に放送されている「草野☆キッド」はこの4月からいよいよ放送開始5年目に突入します。

いわゆるバラエティー番組に出演するのが初めてだった私は、当初どんな戦略で臨めば良いのか実はいま一つはっきりとしたイメージが掴めないまま出演を決断致しました。唯一つ自分にできることは自分の持っている色々な要素をそのままぶつけることだと感じていたので、その場その場において真剣勝負で全エネルギーを投入することを心掛けました。

そんな私のことを浅草キッドのお二人はいつもとても気遣ってくれて何かにつけて「あの一言はポイントを突いていて良かったですね」とか、「あの場の対応力、瞬発力は流石草野さんですね」などと励ましの言葉を掛けてくれました。収録も回を重ね二人にリードされて遅れないようにしがみ付いて行くうちに、視聴者の皆さんに喜んでもらえるとしたらこのケースではどの方向に話を持っていくべきか、また自分はどうリアクションすべきなのかといったことが感覚として次第に少しずつ分かるようになっていきました。勿論そうした反応は決して演技や計算されたものではなく自然に自分らしく振舞うことしかないと心に決めて行ってきたものです。

これまでの4年間、主にお笑いの世界で頑張っている芸人さんたちと一緒に仕事をしてきました。率直な感想としては「人を笑わす」ために仕事をしている人たちの苦労、苦闘、奮戦ぶりというのは我々の想像を超えるほど凄まじいもので、それを乗り越えてきて第一線で活躍している人たちはやはり一般の人々を唸らせる何かを持った人たちだと思います。この人たちの苦労に比べたらアナウンサーの仕事ぶりというのは苦労のうちに入らないなとつくづく思います。

この番組を担当するまではお笑いの世界は遠い世界でただ楽しむだけと感じていましたが今は違います。芸人さんたち一人一人の生きてきたバックグラウンドが気になり、こういう生き方の中から生まれてきた笑いなのだな、だからこんな感じの手法をとるのだなどといったこと全てを理解できたような気分になり、その分楽しみも大きくなりました。

この番組で出会った芸人さんは皆それぞれに素晴らしい芸を持っている方ばかりでしたが、取り分け毎回会う度に舌を巻かされたのは千原ジュニアさんの話芸です。話のポイント、構成、絶妙な時間配分、オチ、何処を取っても隙が無く完成されており、言ってみれば同じ話芸の世界に生きる者としては「お主できるな」と賞賛の言葉を送りたくなります。

5年目の今年もまた色々なことにチャレンジして皆様に楽しんでいただけるものにして行きたいと思っています。今後とも宜しくお願い致します。

「私たちができることは」

民主党の小沢一郎代表が進退をめぐってどのような結論を出すのかが注目されています。

最初に容疑事実が単なる形式犯的なものと見た小沢代表は、衆議院選挙を控え民主党が優勢で自民党が極めて不利といわれる今日の政治的な状況に手を加えようとする意図を持った所謂国策捜査だとこれを突っ撥ねる姿勢を見せましたが、その後大久保容疑者が西松建設に献金要請リストを送っていたなどという事実が明らかにされて世論も小沢代表に責任があるのではと厳しい見方をしていることを感じたせいでしょうか、取り敢えず国民に謝罪し今後の流れを見極めようという様子見作戦に切り替えてきました。ただ自民党の腐敗堕落を糾弾し不正のない社会にしようというのが民主党の主張なのですから、その代表が政治資金規正法に触れる行為をしていたのではないかと指摘されただけでも民主党にとっては大問題だと思うのです。

本来筋論で言えば、即刻辞任して代表の座を降りるということこそ小沢代表が取るべき行動だったと思います。ところが彼に直言できる人は誰もおらず、民主党の議員たちもじっくり様子見作戦に出るわけですから、この党も機能不全に陥っていると指摘されたとしても致し方ないように感じられます。今や右を見ても左を見ても国民から信頼され尊敬されるような政治家が見当たらなくなったのは本当に寂しく悲しいことです。でも嘆いているだけでは事態は改善されません。国民に与えられている選挙権を最大限に行使して、切ない作業ですが絶対的な価値判断ではなく候補者を比較対照して相対的に良いところを持っている人を議員として送り出すということを実践していかなくてはもうどうにもなりません。

しっかりと仕事をしている政治家には拍手を送るべきですし、真面目に仕事をしていると思えない政治家にはブーイングの気持ちで退場を促したいですね。国民にとって大切なのは政治を司る人たちが国民のために、国民の立場に立って仕事をしてくれるか否かということなのですから。

「誕生日のロケ」

先週久し振りにテレビ番組のロケで都内を回りました。

番組は日本テレビの「名医に学ぶ 激うま!! 健康レストラン」という特番で、食に関するこれまでの常識の誤りを正し、最新の医学的立場から実際にどうすれば健康になれるのかを名医の方々に教えてもらおうという内容で、私、板東英二さん、藤田朋子さん、はるな愛さん、ロバートのお三方(秋山竜次さん、山本博さん、馬場裕之さん)、それに日本テレビの藤井恒久アナウンサーがサポート役で加わり、賑やかな顔ぶれで都内5か所を撮影して回りました。

日本テレビをスタートして六本木、銀座、築地、目黒、お台場と駆け巡って食についての最新医学情報を5人の医師に学びました。さまざまな種類のメニューと対峙し、それらの食事をどのように食べれば良いのかを学び、また常識と思われていたことにどんな間違いがあったのかなども指摘してもらい、新しい知識を得たことで自分が他の人たちより一歩先に進んでいくような気分になりました。(勿論この番組をご覧になったら皆さんも同じ立場になるわけですが)人間が体験測で作り上げてきたものは基本的には正しいものが多いのですが、それでも医学の発達で明らかになった事実と照らし合わせてみると、間違っていたといえることもあるのだなというのが今回のロケの結論です。詳しくは3月14日(土)10時30分からの日本テレビの放送をご覧頂ければ幸いです。

このメンバーですから、ロケバスでの移動中はとても賑やかで年齢を超えて修学旅行のようにああでもない、こうでもないとおしゃべりが尽きませんでした。話題が政治にまで及びついつい解説的な話をしたら、私も選挙に出るべきだという話に発展してしまったので丁度この日65歳の誕生日でもう年齢的に無理だと説明して了承を得ました。スタッフの方々にも誕生日をお祝いされ、スムーズに撮影が進み本当に楽しいロケの一日でした。

「速やかな建て直しを」

去る2月24日で私は満65歳になりました。65という数字は余りにも大きな数字で「遂に自分もこんな年になってしまったのか」という思いもありますが、肉体的には元気一杯で普段は年齢のことなどすっかり忘れてしまっております。

実は65才から年金の受給ができると聞いていたので、先日社会保険事務所に行き受給の手続きを行いました。勿論年金に過大な期待を抱いているわけはありませんが、これまでの長期間の納入実績からすれば月に10万円~15万円くらいは受け取れるのではと思って窓口で尋ねてみました。すると、私の場合は今も働いて収入が一定額以上あるので、基礎部分の年金のみの受給ということで実際の月額は自分の予想の半額程度でした。更に、働き続けている人の場合は75歳まで厚生年金の納入を続けなければならないそうで、それを差し引きすると結果としてほとんど貰っているとは言えない状況になるようなのです。それほど期待はしていませんでしたが現実を知ると流石に寂しい気分になります。

私の場合は現在取りあえず収入があるから良いのですが、完全にリタイアした人の場合は年金だけに頼らざるを得ないわけです。ところが、受給額が極めて低い現状、そして未納者が多い状況、加えて社会保険庁の腐敗堕落から生じた記載漏れや横領等の不正、経済状況や出生率の算定の身勝手な基準作りなどあらゆる要素を考え併せると日本の年金制度は実質的には崩壊していると言われても致し方ないのが実情です。このあと一体どうなってしまうのかと呆然とした気持になってしまいます。

現行の制度は、一頃厚労省が謳っていた「100年安心年金制度」どころか10年先にも破綻するのではと見ている専門家もいるほどです。この様に未来への夢を持てない社会では若い人たちが結婚して家庭を持ち、政治にも積極的に参加して社会をより良い方向に導くために力を尽くそうと考えていくこともなくなるのではと危惧してしまいます。とりわけ社会の根幹部分である年金制度などは揺るぎのない形が出来ていなければならないものではないでしょうか。早急に疲弊した制度の建て直しを行わねばならないのですが、誰が責任を持って導いてくれるのかイメージが浮かんでこないのが今の日本なのです、とまたぼやきになってしまいました。65歳になったせいなのでしょうか。

「千代田牧場訪問」

先日北海道日高の(有)千代田牧場に遊びに行ってきました。社長の飯田正剛さんとは昔からの知り合いで、「一度牧場の様子を見に来ませんか」とお誘いを頂いていたので、運良く時間ができたところで次男と二人で現地に行くことにしました。新千歳空港に飯田さんが迎えに来て下さり、気温4度という北海道にしては暖かい好天の中道中楽しく話をしながら車で移動しました。

牧場に近付いたところで、「美味しいお蕎麦屋さんがありますのでいかがですか」と飯田さん。「勿論頂いてみたいです」と即答。「手打ちそばいずみ食堂」に案内してもらいました。鴨山菜そばを注文して、出来上がるまでの時間にべったら漬け風のものとごく普通の漬けかたのものと2種類の沢庵と蕪の漬物が出されたのですが、この味の良さ漬物とは思えないくらい美味しいものでした。そして程なく運ばれてきた「鴨山菜そば」のまた見事な味。旅の素晴らしさはこのように想像していなかったところで、感激的なものと巡り合うことがあるということにもあると思います。

千代田牧場に到着する前に沢山のサラブレッドの生産育成牧場が目に飛び込んできました。
競馬の世界も国際化が進み当然のように競争が激化して規模の小さい牧場、施設が整っていない牧場などの淘汰が進んでいて、外から見ただけでここは上手く行っていそうだなとか、ここは厳しい状況下にありそうだなという感じが伺えて関係者の方々のご苦労が表にも滲み出しているように思えました。

「さあ、着きましたよ」と飯田さんの元気な声が響き渡りました。目の前に広がっていたのは広々とした敷地に、本当に細かく整備が行き届いていて、温かい雰囲気が漂っている素敵な牧場「千代田牧場」でした。飯田さんのご自宅にも案内して頂き、素晴らしい暖炉の前で奥様が入れてくださったコーヒーとケーキを頂きました。

「草野さんの大学の後輩がこの牧場にやってきたんですよ」と言って飯田さんが紹介してくれたのは若くて可愛い女性でした。彼女は「末谷真央と申します。東大工学部の大学院に行っていましたが、どうしても競走馬と関わる仕事がしたいと思い、両親の反対を振り切ってこの世界に飛び込んで来ました。宜しくお願いします」と丁寧に自己紹介をしてくれたので、私は即座に答えました。「良いですね。人生は一度きりなんですから本当に自分が命がけでやれると思うものが見つかったらそれでいいと思います。大学院に行っても思い通りに進んでいける人は意外に少ないんですよ。命を燃やしてこの仕事にぶつかっていけば活路はきっと開けると思います。貴女のように畑違いの分野から来た人がいることが必ずプラスに働くと思いますよ」とついつい力を込めて話をしてしまいました。

飯田さんによると彼女の御両親は堅いお仕事の家系だったので、最初は大反対だったそうですが時間の経過と共に自分の娘が関心を持った競馬というものは一体どういうものなのかとうとう御両親が勉強を始めたそうです。末谷さんはパソコンを自在に使いこなし資料を整備したり、提案書を作ったりと他の牧場ではなかなか見られないような活躍をして千代田牧場の力になりつつあるのだそうです。牧場というのはその世界の人たちだけで運営されているよりは全く異なる分野から入ってきた人も参加している方が、発想が広がり良い刺激になるものと思いますし、何より大学院まで進学した知力能力が役に立たないはずがありません。

さて千代田牧場ですが、場内は隈なく案内して頂きました。4%の勾配の800mの坂路コースをはじめ、幾つもの厩舎その他ありとあらゆるところに細々と心が行き届いた施設が備えられていて、馬の世話をするスタッフ一人一人が心を込めて仕事をしている様子が伺えてとても気分が良くなりました。この牧場出身のニッポーテイオー、タレンティドガールがG1レースを制覇してから随分時間が経ちましたが、また胸を張れるように頑張りますよと飯田さんは力強く語りました。

千代田牧場に幸あれと念じながら日高を後にしました。

「やはり教育なのでしょうか」

中川昭一財務・金融担当相は17日午前中にはまだ職務遂行を目指すと語っていましたが、周囲の風当たりの強さを感じ取って、お昼には2009年度予算案及び予算関連法案が通過したら辞任すると姿勢を変えました。それでも中川批判の声は身内からも噴出し、批判の嵐となっていることに漸く本人も気がついて午後6時20分麻生首相に辞表を提出し受理されたということです。前にも触れたように世界が最も注目している場でのあの醜態は決して許されるものではなく即辞任するのが妥当な対処の仕方だと思うのですが、帰国後いろいろ言い訳をしてその職に留まろうとしていたところを見ると自分の行動が周りからどう見られているかについて客観的な判断ができていなかったと指摘されても仕方がありません。そして中川氏に引き続きその職に留まって精励して欲しいと言った麻生総理も中川氏と同等の認識だったということになります。

このような状況では国民の期待に応える政治をと願ってもとてもそうはならないだろうなと思えてなりません。政治家のレベルは本当に来るところまで来てしまった、落ちるところまで落ちてしまったと表現されても言い返し様がありません。でも冷静に社会状況を観察してみると政治家だけではなく、社会のありとあらゆる層にそうした現象は見受けられるようになりました。かつてはとても考えられなかったようなさまざまな出来事が今の時代は起きるようになったのです。

一流と考えられていた企業や料亭などが不祥事を起こしたときに事態を収拾するための会見を開きますが、全面的な謝罪を怠って言い訳を織り交ぜて問題を矮小化させようと図ったために、後に結局新たな謝罪に奔走せざるを得なくなっていくという展開をこのところ私たちは何回目の当たりにしたことでしょう。責任者が頭を深々と下げて謝罪会見をするという光景が今では決して珍しくありません。こうも常態化してしまうとそれぞれの真摯な反省の思いは伝わらず、表面的な取り繕いに終始しているのだろうなと見る側が考えてしまうようになってしまうことが恐ろしいです。

本来きちんとした教育を受けた人間は物事の道理に従って行動を起こすはずですから、その行いは人々をなるほどと納得させるものであるべきですよね。それが説得力を持たないようになってきたということは人間らしく振舞う力、そうした意味での人間力が低下しているのではと疑問に思います。これは恐らく主にこの数十年の教育がもたらした弱さなのではないでしょうか。早急な是正の必要を感じますがそれにはさら長い時間がかかるのだと推測すると辛くなってしまいますね。

「混迷する政界」

ローマで行われた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)に出席した中川昭一財務、金融担当相が日本時間の15日に行った記者会見が問題になっています。会見の内容に議論が集まるならまだ良いのですが、そうではなくてなんと会見の席でうつらうつらしていて、半分眠っているようにも見えますし、聞かれたことへの答えも要領を得ないしどろもどろ状態で外国メディアからは「居眠り」「深酒」ではと疑われる始末なのです。確かにテレビで映像を見ましたが、言語不明瞭で殆ど寝ているに等しいと言われても致し方の無い何とも無様なその様子、見ている方が恥ずかしくなってしまいます。

100年に一度の不景気といわれ、世界中の関係者が必死の思いで知恵を寄せ合って良いアイディアを出していこうと頑張っているときの公式会見の場で眠気を表に露わにしてしまうなんてとても信じられることではありません。そういえば国会でも中川氏は別に総理を意識したわけではないでしょうが、「渦中」を「うずちゅう」と読んで物議を醸すなど緊張感の有無を疑わせる行動が目についていました。彼についてどうしても思い出してしまうのは、年金未納問題が持ち上がったとき当時の内閣で彼だけはこれまでに唯の一度も年金を収めたことが無かったという、ちょっと呆然とするような実態も明らかになったことです。本当に国のために力を尽くせる人なのか心配でなりません。

今日の日本テレビの世論調査では麻生政権の支持率が10%を切ったとのこと。このところ、麻生氏が小泉氏を批判すれば、小泉氏が激しく麻生氏を非難、さらに森元首相が小泉氏批判をするなど自民党の中も混乱状態で、かといって民主党にもよくぞ指摘してくれたというような真っ当な発言も見られず、政界ここに極まれりという感じがしてなりません。普通の国家であればとっくに沈没しても不思議ではないのですが、それでもまだ国としての力をなんとか保ち続けていられるのは製造、生産、ものづくりに携わる民の力の賜物だと思います。政治の世界のこの恐ろしいまでの低迷を破る人は出てこないのでしょうか。なんとかして欲しいですね。

「『世界連鎖恐慌の犯人』を読んで」

100年に1度の不況といわれる昨今。何故このような事態になったのかということについて分かり易く説明してくれる人に中々巡り合えなかったのですが、1冊の本を読んで大体の状況が分かってきました。その本とは今年の初めに発行されたばかりの堀紘一さんの「世界連鎖恐慌の犯人」(PHP研究所)です。

多くの経済評論家によるとアメリカのサブプライムローン問題が世界的金融不安の根源になっているということですが、具体的にどのような仕組みでそうした金融商品が商品化され世界中に出回っていったのかについて、そして何故世界中を震撼させることになったかについて、これまでのメディアの報道だけでは今一つピンときませんでした。ところがこの本ではその点についてとても理解し易く説明されているのです。

本書によると、グリーンスパン前FRB議長がアメリカの未来を過信し、金融市場に倫理性に裏打ちされた制約を加えられないうちに金融工学の天才たちが危険な商品を次々に作り出し、それが世界中に出回ってしまい結果として今日の状況を引き起こすことに繋がったということです。

もともと金融工学の人たちは地銀の顧客を3種類に分けて考えるといいます。すなわちそれは、(1)プライム、(2)オルトA、(3)サブプライムの3種です。(1)はお金を貸してもいい人たち。(2)は勤務先や年収などにやや難点はあるがとりあえず貸しても良いだろうという人たち。(3)は本来決して銀行がお金を貸してはいけない人たち、という具合に。サブプライムローンというのは(3)のサブプライムにお金を貸そうというのですから問題が起きないはずがないわけです。しかもその金利設定たるや最初の2年間は5%程度の低金利で3年目からは10%と倍に跳ね上がるというのですから順調に行くはずがありません。しかもサブプライムローン成立の前提は不動産価格がこれからも上がり続けるというものですから何をか況やという感じがします。

更にこのサブプライムローンや企業版生命保険ともいうべきCDSジャンク債、公債などたくさんの金融商品を盛り込んだデリバティブがCDOと呼ばれるものでこれがまた今後大問題になってくるのではと心配されるそうなのです。こうした欺瞞性の高い商品を大量に創り売り歩いていたのはインベストメントバンクであり、そのインベストバンクを産み出した金融資本主義世界の崩壊も自然の流れだという見方は非常に説得力を持ちますし、こうしたアメリカ流の金融資本主義と訣別して知恵と汗の結晶で価値を作り出す産業資本主義的な社会に転換していく方策をわれわれ日本は世界に提示していく必要があると堀さんは強調しております。

また、堀さんは次のように訴えます。優れた理科系の人たちは本当に頭が良い故に理詰めで考えを突き詰めていくと原爆や水爆といったものまでも創り上げてしまうこともあります。従ってそこには常に人間性を尊重し倫理を踏み外さないという制約が必要になってきます。少なくとも真っ当に生きている人たちが悲劇の中に落とされてしまうような商品を創り出してはいけない筈です、と。金融の世界も人間が運営している以上はその中に人間らしい血が通うものでなければならないのだという指摘に強い共感を覚えました。こうした堀さんのような考えが日本の経済政策の中にどんどん取り入れられていくべきだと思うのですが、理解できる政治家は少ないかもしれませんね。

「競馬場の達人」

1月17日、競馬専門チャンネルとしてお馴染みのグリーンチャンネル「競馬場の達人」の収録のため早朝から中山競馬場に出掛けました。実は2005年10月に同番組に出演したことがあります。そのときは前半は出足良く15~16万円のプラスに成っていたのに、後半狙いが外れだし結局終わってみると50万円ぐらいのマイナスになってしまい、「何処が達人やねん」という結果に終わって恥ずかしいやら口惜しいやらの思いを経験していました。従って、今度はリベンジしなければならないし、何よりも視聴者の皆さんに「こいつは競馬をちゃんと考えてやっているんだな」と思って頂けるような馬券術で対処したいと考えていました。

前回を良く思い返してみると、それまでテレビで馬券を買うということでは深夜番組で3回体験しいずれも運良く勝っていたので今回も勝つのは当たり前と勝負の神様をなめきって臨んだ、という傲慢さが裏目に出ました。出だしが良かったためまた比較的楽に行けそうだなと思いこんだところに大きな落とし穴があったのです。途中で流れが悪くなったときについつい「こんなはずではないのに」と冷静さを失ったのでした。その反省から、今度はテレビを見ている人の立場に立って、番組を見終えたとき中々楽しくて面白かったなあと感じて頂けるように私自身が思いっきり1日を楽しんで収録に臨むことにしました。

幸いにお天気は最高。風が無く温かく建物の外に出てもコートも必要ありません。楽しもうと思ってやってみると本当に力が抜けてリラックスできるのですから不思議なものですね。前半からとてもスムーズに良い結果が付いてきました。でも思い通りにはならないのが勝負事です。途中からスランプにはまり始めます。さあここから、どのように対応していったのでしょうか。オンエアは2月15日22時30分からです。お時間のある方はご覧になって下さい。

「雪の降る富山にて」

今年に入って初めての講演会のため1月11日夜富山県富山市に向かいました。講演会そのものは翌12日の午後にANAクラウンプラザホテル富山で行われる予定でしたが、雪の時期ということで飛行機が突然運航中止になったりする可能性があるため前日から富山に入って欲しいという主催者からのご要望があり、また実際に日本海側の地方はその前からかなり雪が降り続いていましたので確かにその方が良いと判断して前夜のうちに現地入りをしたのです。幸いにも11日はドカ雪にもならず飛行機も揺れたりせず無事富山に到着。会場でもあるANAクラウンプラザホテル富山にチェックインしました。ホテルに入ったときから従業員の皆さんの対応がとても機敏で、的確で持て成しの心に充ちていて気分良く一夜を過ごすことができました。

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問題は翌12日の天気でした。朝食をレストランでとっていてふと外を見ると、天気予報通りに雪が降り続いていました。講演会のお客様の入りも当然のことですがお天気の具合に左右されます。「このまま降り続いたら入りが心配ですね」と担当者に聞きますと、「そうですね。1000人は入る会場ですが余りに雪が降ると100~200人は減るかもしれませんね」という思わず心配になる返事を頂きました。ガラガラだったらどうしようと心配しても仕様がないことをついつい考えたりしながら開始を待ちました。

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ところが講演開始の10分前に担当者がにこにこした顔で控室に駆け込んで来ました。「たった今1000人の席が満席になりました。有難うございます」とのこと。こんな雪の中にも拘わらず講演を聞きに来て下さっている皆さんのお気持ちを考えると、何が何でも楽しくてためになったと思って頂けるように全力投球で魂を込めて話をしようと、いつも以上に気持ちが燃え立ちました。

かつて富山県の壮大なスケールの縄文遺跡(桜町遺跡)を取材に伺った時(10年前の7月31日でしたが)にフェーン現象で気温が38.8度まで上がり富山としては観測史上2番目の暑さになった思い出があります。また、私自身民放に移って初めて担当した「朝のホットライン」という番組で富山県出身の落語家立川志の輔さんと出会ったことも富山に親近感を抱くことになった大きな出来事でした。特に志の輔さんは当時、いずれ放送の世界に「おしゃべリスト」という話術のプロのジャンルを切り拓いていこうという努力をされていて、それから20年あまり経った今日その努力が今の落語界における志の輔さんの揺らぐことのないポジションに繋がっているのです。こうした地元とのエピソードを冒頭で紹介すると満員のお客様もしっかり耳を傾けて下さり、本題の話に入ると一段と興味を示して身を乗り出して聞いて下さいました。話し言葉を使って自分の気持ちをより分かって頂けるように力を尽くすことの大切さ。更に「日立世界ふしぎ発見!」を通じての黒柳徹子さんや板東英二さんの仕事に懸けるエネルギーの大きさ凄さなどを紹介すると驚きの表情で聞き入り私の一言一言にとても素直な反応を返して下さったのです。

これくらい盛り上がった講演会はこれまでもあまりなかったような気がして充実感の中で講演を終わることができました。終了後控室の窓から雪の降りしきる中を帰途につくお客様(全員女性の皆様)の姿を見送りながら何度も有難うございましたと独りでお礼を申し上げていたのでした。

「新年にあたって」

本年もどうぞよろしくお願い致します。

2009年は静かに明けたという感じですが、それは気象状況だけの話で経済も政治も暗闇の
中に身を置いたままで行く先の展開は全く読めないというのが今の日本の有様だと思います。専門家に詳しく聞いたところでは、麻生総理としては2009年度予算を通過させた後の解散を視野に入れているということですがそれも全てが順調に行った上での話であり、処理にもたつけば時期は更に遅れてしまうとのこと。そうすればタイミングを失って任期満了まで解散できないことも考えられるというのですが、では今のように弱体化している麻生政権がそれまで保つのかというと、それもとても考えられないということでした。恐らく今後の対応の中で大きなミスが出てしまうとその瞬間にジ・エンドとなってしまうこともあり得るのでしょう。経済状況も全く予断を許さない感じで今の見通しよりももっと悪くなることも考えの中にいれておくべきなのではないかと思います。

こうした状況下で生きていくためには自分自身の中に他人には負けない自分ならではの強さをしっかり保っておくことが大切なのだと私は思っています。色々なことが考えられますが第一に健康であることがとても大事です。肉体を鍛え体力を蓄えると共に精神的なスタミナも併せ持つことが要求されます。苦しいと感じることでもそれをやるのが当たり前だと思っていれば意外に簡単にやり抜くことができるのです。

後は時間がかかりますが、他の人より深い専門性を必要な分野できちんと身につけることだと思います。それができれば必要とされる存在になるはずです。もう一つ言えることがあるとすれば、過去の失敗やミスを必要以上に引き摺らないということですね。過ぎたことをくよくよ考える時間が有るのなら、この先何をすべきか考えることの方にエネルギーを費やすべきです。考えられる最良の策は何なのか。次善の策はどうなのか。そうしたことに思いを巡らせることの方がよほど肝心でしょう。

さて私自身ですが視聴者の皆さんが本当に求めている情報をタイムリーに的確に提示できるような機会に恵まれたら全エネルギーを注いでぶつかってみたいと考えています。全くの余談ですが、競馬の一口馬主として3歳牝馬のブエナビスタ、4歳牡馬ダート戦4連勝のウォータクティクスを保持していますがそれぞれの今年の活躍がとても楽しみです。

「第41回日本有線放送大賞」

12月17日の第41回日本有線大賞は氷川きよしさん、倖田來未さんの常連組、着うたで880万ダウンロードというギネス記録更新中の青山テルマさんといった強敵を向こうに回しEXILEが堂々と他を圧倒して大賞受賞を決めました。

今年はアーティストに思い切り実力を発揮して貰おうと音響面でも評価の高い中野サンプラザが会場に選ばれました。2000人の観客が詰め掛けて出演した歌手の皆さんに声援を送り、また観客の反応がストレートにアーティストに伝わるという形になったためオープ二ングからスタジオで行われた去年を遥かに上回る盛り上がりでした。

前半は新人賞受賞の5組が登場、中でも注目を集めたのはジェロさん、清水博正さんの二人です。23歳のジェロさんは祖母が日本人でアメリカペンシルバニア州ピッツバーグ出身。小さい頃から美空ひばりさんなどの演歌を聴いたり口ずさんだりしていた祖母の影響を受け演歌が大好きになり、何時か日本に行って演歌歌手になって紅白歌合戦に出演できるような歌手になりたいと目標を決めたというのです。そして日本にやって来てから大学で日本語を勉強し、和歌山で英語教師をしながら演歌の勉強を続け、NHK「のど自慢」に出演して鐘3つを鳴らして注目される存在になりプロの演歌歌手への道が開けたのでした。さすがに演歌の道を目指しただけあって考え方や生き方はとても堅実で誠実な印象を受けます。もう一人18歳の清水博正さんは小さい時から目が不自由でしたが、祖父が聴いていた演歌に魅かれいつの間にか自分も演歌を歌うようになっていったそうでした。耳が頼りだけにその集中力は凄まじく幼くして正確に演歌を歌いこなす力を身につけていったのです。若い2人が祖母や祖父の影響で演歌の歌手になる、こういうケースが今の時代にもあるのだなとちょっと不思議な感じがしました。

有線音楽優秀賞を今年も受賞した水森かおりさんは2002年の「東尋坊」に始まり毎年「鳥取砂丘」「釧路湿原」「五能線」「熊野古道」「ひとり薩摩路」とご当地ソングを歌い続け、今年は「輪島朝市」でヒットを飛ばしました。このような形で各地の地域興しに貢献してきたその努力ぶりには心より拍手を送りたいと思います。個人的には有線音楽賞受賞の堀内孝雄さんの「置き手紙」がとても味わい深い曲だと思いました。作曲が去年「吾亦紅」で大ヒットを飛ばしたすぎもとまさとさんだと知って確かに杉本ワールドの曲調だから心に沁み入る力を持っているのだと納得したものです。

さて有線大賞争いは5回目の受賞を目指す氷川きよしさんとEXILEの事実上一騎打ちのように思われましたが、司会席から見ていたところでは今回は総合力でEXILEに軍配が上がったようです。「Ti Amo」の切ないメロディー、甘い歌声とダンスパフォーマンスで盛り上げる手法はとても効果的で観客の反応も最高でした。氷川さんも年々大変なパワーアップで凄い歌手に成長しているなと強く感じましたが今年はEXILEが勝ったということですね。リーダーのヒロさんの方向性を創り戦略を巡らし全体をまとめ上げてきた努力に敬意を表したいと思います。

受賞式後の打ち上げの席で有線音楽賞受賞のあさみちゆきさんが言いました。「先日、警備員の方とお話をしました。その警備員さん曰く『どの会場になるかは当日にならないと分からないけれども現場に行ったらまず2つのことを確認します。1つは公衆トイレの場所、もう1つは公衆電話の設置場所です。というのもその公衆電話から僕たちも有線放送にリクエストの電話をしているのです』と。そうしたファンの方々で成り立っていることを考えたら命がけで歌わなくてはと思いました」と。

今年の有線大賞の放送のテーマは「ハート」でしたが、歌を作った人、そこに命を吹き込む歌手の皆さん、そしてこれは良い歌だと感じてリクエストをしてくれるファンの間には眼には見えないけれどそれぞれのハートを繋ぐしっかりした輪ができているのだと感じた次第です。

「指導者の判断力」

麻生政権の支持率が急降下して20~22%程度になってしまったそうです。

逆に不支持は60%を大きく超えているわけですから黄信号を通り越して一気に赤信号が点ったと言っていいでしょう。ピンチに追い込まれた自民党にとって選挙を戦う顔はもうこの人しかないということで選ばれたはずなのに、たった2ヶ月余りでこのような状況になってしまいました。失言癖が治まらない、漢字が読めない、などなど色々な欠点が指摘されますが、私は麻生さんにとって一番の問題点は決断が遅く結果として物事の実行のタイミングが悪くなってしまうところにあるのだと思えてなりません。

国会解散のタイミングがそうです。これまでに2回は解散を考えたと言われておりますが、結局決断できずに見送りになってしまいました。首相自身は選挙を麻生対小沢の対決に持ち込めば負けるわけはないと考えていたようですし、実際就任早々の世論調査では麻生首相の方が小沢代表を上回っていたのも事実です。ならば攻めるタイミングを計り続けなければならないはずなのに、それもきちんとできていなかったようです。

国民への給付金の問題もそうです。政権にあるものが使える権利を最大限に行使しようとするのであれば、一人当たり12000円などと細かいことは言わずせめて30000円ぐらいは無条件で支給し何か買い物をしようと消費への意欲を掻き立てて欲しかったです。しかも支給の方法などを巡って内部の意見の対立が見えてしまい、結局それを地方自治体に丸投げしてしまいました。更に何時支給されるかも分からないというのでは何のための給付金だったのかと国民の側が白けきってしまい、ここでも政権にとってマイナスに作用する結果になりました。

一国の命運を握る総理にはマクロの視点でも、ミクロの視点でも狂いのない判断力が要求されますし、緊急切迫した問題については瞬間的な決断ができなくては話になりません。その意味ではここまでの麻生首相にはとても心配なところが多いというのが正直な印象です。ただ、折角与えられた任務なのですから腰を据え、腹を決めて難局にぶつかってもらいたいと思います。間違っても三代続けて首相の座を投げ出したりしないで頂きたいですね。

「押阪忍さんアナウンサー生活50周年記念の集い」

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12月1日、京王プラザホテルで「押阪忍さんアナウンサー生活50周年記念の集い」が開かれました。かつて私が担当していた番組に押阪さんが出演して下さったり、奥様の栗原アヤ子さんとは東京ドームで開かれたイベントで一緒に司会を担当したことがあり、その御縁で声を掛けて頂き出席したのでした。華々しい活躍を続けてきた押阪さんだけに、会場には本当に大勢のテレビ、ラジオ、雑誌、広告関係の方々が集まり祝賀ムードが一杯という雰囲気でした。私自身はこの世界で生きてまだ41年ですが、押阪さんの仕事の幅の広さと人脈の厚みに圧倒される感じがしたものです。

この会の司会は押阪さんの長男で、FM放送でDJやディレクターをしている押阪雅彦さん(SOプロモーション代表取締役社長)が担当しました。御父さんとは少し感じが違いますがなかなかシャープな顔立ちの方です。雅彦さんの進行に御父さんが時々入ってきてペースアップを促したりするのですが、その御父さんの表情には立派に成長した息子のことが嬉しくて仕方がないという気分が伺えました。

会場では、スクリーンに映し出された押阪さん50年のテレビやCMでの活躍ぶりを皆が懐かしみあちこちで思い出話に花が咲いていました。そして押阪さんと仕事などを通して関わりのあるアナウンサー司会者が壇上に呼ばれました。朝岡聡さん、生島ヒロシさん、大沢悠里さん、小倉智昭さん、梶原しげるさん、岸ユキさん、佐々木信也さん、東海林のり子さん、鈴木治彦さん、鈴木史朗さん、鈴木文弥さん、高嶋秀武さん、露木茂さん、徳光和夫さん、福留功男さん、南美希子さん、そして私の合計17人です。

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それぞれが押阪さんとの思い出話やお祝いの言葉を述べるということで、17人いますからそれだけで50分くらいの時間が過ぎてしまいました。面白かったのは、立教大学5年後輩の徳光さんが学生時代洋品店でアルバイトをしていたとき、結婚前の押阪さん栗原さんお二人がその店に仲良くやってきてお互いにマフラーなどを買ってプレゼントしあったそうで、「そのときの応対をしたのが実は私だったとはご存じなかったでしょう」と語って、とっておきの実話で押阪夫妻をびっくりさせたのです。そして更に「押阪さんはテレビ朝日に勤めていたとき局の仕事よりアルバイトに精を出しそれによって豪邸を建ててしまったのです」などとジョークを交えて先輩に迫ったりして場内を沸かせました。とどめに、「もっと時間があったら『みのもんた』さんについても語りたい」と笑いを誘っていました。

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かつて、プロ野球二ュースで一緒に仕事をした佐々木信也さんは押阪さんの声の感じが昔と少しも変わらないのが素晴らしいとその元気さを褒め、それは夫婦の仲が良くお互いを大切にしているからだ、私のところがそうだから間違いないですと力説されました。皆も納得です。私は高校から大学生時代にテレビで見た押阪さんの印象「話術は勿論、ハンサムで格好良くとても好感のもてるアナウンサーが遂にテレビの世界に登場したと感じ、テレビ時代の到来を実感した」というよう話をさせて頂きました。いずれにしても、これだけの数の司会者たちが顔をそろえる事は珍しく、改めて押阪さんの人的ネットワーク力には頭が下がります。楽しい催しでした。

「絶えぬ飲酒運転」

このところ何とも痛ましい轢き逃げ死亡事故が大阪で連続して起きてしまいました。大阪市内で早朝道路を横断しようとして車に轢かれ3キロも引き摺られて亡くなったのは不動産会社でマンション販売の実績を挙げていた若手有望社員でした。そして今度は富田林市で新聞配達中の16歳の少年をはねた車が6キロもそのまま少年を引きずって死亡させて逃走するという信じがたい事件が起きました。被害に会った少年は200軒の配達を一生懸命こなし、前日初めての給料を貰ってお爺さんに好きなお酒でも飲んでと数千円をプレゼントしたばかりだったという思いやりのある少年の姿を偲ばせる話も聞かれました。

二つの轢き逃げ事件はともに運転手が飲酒をした上で車を運転して起こしたもので、飲酒そのものがばれると拙いという判断で現場から逃げようとして、被害者が車に挟まれていようと何であろうと関係なく何キロもの長い道のりをそのまま引き摺って逃走するという普通の神経ではとても考えられないものです。勿論道路交通法では、運転者は人身事故を起こしたらまず何を置いても被害者の救助を図らなければならないと定められており、現場から逃げるということは被害者がどうなっても良いと考えたことになります。従って仮に被害者が死亡すれば未必の故意による殺人と言ってもいいものだと思うのですが、残念ながら現行法ではそのようには解釈されないようです。

さて、私たちが日常ごく普通に足代わりに使っている「車」とはどのようなものなのか、今一度良く考えてみる必要があるのではないでしょうか。どんな所へも自分の思い通りに行くことができる「車」は文明の利器の最たるもので、誰にとってももはや「車」無しの生活は考えられません。しかし、「車」は使い方を誤れば一転して人間に牙をむく「凶器」となるものであり、だからこそ慎重にかつ丁寧に法律に従って扱われなければならないものなのです。そのことを忘れてしまっていると、いい加減な気持で車を運転して事故を起こすことに繋がってしまうのだと思います。

従って、車の運転教育をする第一段階で車はまず慎重にそして丁寧に扱わなくてはならない。そして、車を運転するときは遵法運転を何より心掛けねばならないことを徹底して叩き込むことが必要だと考えます。つまり、飲酒運転に代表されるような法律を度外視するような行為は許されない罪であることを運転者の胸に深く刻み込むことが大切なのです。

そして、実際のペナルティも酷く厳しいものにすれば良いと思います。飲酒して車を運転したら、事故は起こしていなくても即免許剥奪は当然、否もっと厳しい罰を用意しても良いのではないでしょうか。未だに絶えない飲酒運転による死亡事故のニュースを聞くにつけ、飲酒運転を根絶するには本気で取り組まないと大きく改善されることはないような気がします。

更に、事故を起こして被害者を置いてそのまま逃げるなど、救護策を講じなかった場合にも最も重い刑罰を課すことも視野に入れる必要があるものと考えます。この期に及んで、危険運転致死罪を適用するのは困難ではなどという議論をしている段階では無い筈です。性善説のみに立脚してものを考えることはそろそろ改めて欲しいと考えているのは私一人だけでは無いと思うのですが。

「総理の周りには」

安倍晋三氏、福田康夫氏と二人の総理大臣が相次いで任務を投げ出して辞職するという、おそらく世界中を見回しても例がない異常事態の中で誕生した麻生太郎政権だっただけに、今度はどんなことが起きようとも男らしく総理大臣としてその任を全うしてくれるだろうと多くの人たちが期待していたはずなのですが、どうも雲行きが怪しくなって来たような感じです。

麻生氏の総理大臣としてのイメージの中には常に祖父吉田茂元首相が在るため、強いリーダーシップを発揮して、時に独断ででも施策を打ち出してくるのではないかという期待感がありました。ところが解散を巡って何度も気持ちが揺れ、そして連立を組むパートナーの要請とはいえ定額給付金の案件を巡って手続き面の調整で二転三転し、最後は市町村に丸投げするという決断の悪さを披露してしまい、想像していた麻生太郎とちょっと違うぞと感じさせられるところが出てきてしまいました。

そして更に基礎的な国語力に欠けるとしか思えない誤読を繰り返して、この方は本当に大丈夫なのだろうかと心配が先に立つ状況になってきています。「踏襲」を「ふしゅう」と読み(「ふしゅう」というと「腐臭」くらいしか思い立つ言葉はありません)、「頻繁」を「はんざつ」と読む。読もうと思ってもそうは読めませんが、「未曾有」を「みぞゆう」と読む。挙句の果てに株式市場の「前場」を「まえば」と一瞬言い間違えてしまうなどちょっと考えなれないミスの連続です。誰もが読み間違えてしまうようなものならまだしも、上記のような間違いは辛すぎます。

このような失態をこれ以上招かないように早急に組織作りを行うことはできないのでしょうか。アメリカであれば演説に関しては専門のスピーチライターがいて読み間違いなど無いように準備が整えられていますし、身だしなみに関してはヘアメイクからコーディネートまで「我らが大統領」を最高にショーアップするためのシステムが出来上がっています。我が国でもそろそろ、最高指導者については格好よく映り、仕事の上で防げるミスは防いで馬鹿馬鹿しい過ちで信頼感を損なうようなことのないように守ってあげる態勢を整えるべきだと考えます。それにしても「ふしゅう」や「はんざつ」の誤読は無いですよね。意味が通じないのですもの。

「堀紘一さんの新著を読んで」

去る10月10日に発売されたばかりの「一流の人は空気を読まない」(角川書店)を著者の堀紘一さんから送って頂き、読ませて頂きました。読み始めてぐいぐいと引き込まれとても強い納得感を抱きながら読み終えました。衰退、退廃の道を辿っている今の日本に必要なことがたくさん書かれてあり、さまざまなジャンルのリーダーに是非読んで頂きたいと思います。

堀紘一さんの父新助氏はイタリア大使、パリーグ会長などを歴任した元外交官でした。そうした名門の出身でありながら堀紘一さんは父親とは全く異なる道を歩んで自力で今日の自分を創り上げてきた人です。東京大学法学部を卒業していますが、既に高校時代にだらだらと受験勉強はしたくないと決意。そして効率的な受験対策として過去10年に遡って東大の試験問題を苦労しながら集め、徹底分析して出題傾向に特徴的な流れがあることを発見。更に問題出題者を探し当てて直接インタビューして、何故そのような流れが生まれたのかを解明した上で来るべき年の出題傾向を予想し、短い時間の受験準備で見事東大入学を果たしたというのです。単純に今年は「この種の問題が出るであろう」と山を張ることとは違い、試験問題がどのように作られ、どのような範囲までを問題の領域として出題者が考えているかという問題作成の本質を自分の努力で解き明かしたもので、発想自体が普通の高校生の域を超えています。

東大を卒業すると読売新聞の記者として活動を始めます。初任地富山では取材し原稿を書く毎日。しかし、地方都市でトップ記事となるような出来事が頻繁に起きるわけもなく、かといってじっと待っているだけではどうしようもないことに気が付きます。そこで小さな出来事でも視点を変えて纏め次第では一本の立派な記事になると考え、富山の色々な出来事に注目して、工夫した原稿を書き続け二年目には遂に先輩たちを超えるエース格の記者になっていたそうです。

これも如何に自分のクリエイティビティを発揮していくのかを考えたところから生まれた知恵でしょう。以後今の自分に甘んじることなく挑戦を続け三菱商事に入り、ハーバード大学大学院に留学し、日本人としては数少ない成績優秀者に贈られる金時計を受賞するほど頑張り続けました。そしてボストンコンサルティングに入り、数々の輝かしい実績を挙げて日本法人の社長となって多くのテレビ番組にも出演し注目される存在になりました。

でも彼の挑戦は続きます、ボストンコンサルティングを退社し、新たにドリームインキュベータという会社を興し、夢を抱いて起業したベンチャービジネスマンたちをサポートしています。そして投資を続け、特にベトナム、中国、モンゴルなどで輝かしい成果を上げています。

このように、常に自己改革を志し、狭い枠の中に留まらず構想力を発揮してsomething newを求めて燃焼してきたからこそ今日の堀さんがあるのだと言えます。堀さんは強調します。「会社でも組織の中でも、協調することだけを考えて空気読みの達人になってはいけない。自信を持って自分の頭で練り上げた独創的な構想を提案し、そのためのロードマップを提示できるような体勢を持っていなければならない。それが備わっていれば例えKYと云われても問題ない」と。

さらに堀さんは言います。「人間には失敗はつきもの。勝負に負けることもある。そこから何かをつかみ取り、ここが本当の決戦場というときには立ち上がって戦うこと。迷うことなく持っている全ての力を発揮しなさい」と。私は堀さんほどの能力はありませんが、仕事を通しての体験からいえば堀さんの主張と100%同じことを考えています。皆さんにも是非ご一読を。

「吉永さんの素晴らしさ」

11月1日愈々東映映画「まぼろしの邪馬台国」が封切りになります。

テレビや雑誌などでたくさんの宣伝が行われていましたので、心待ちになさっていた方も多いのではと想像しています。長崎県島原市が生んだ盲目の文学者宮崎康平氏と彼を支え続けた妻和子の、苦労を重ねながら歩んだ夫婦の愛の物語を、竹中直人さんが宮崎康平そして吉永小百合さんが妻和子に扮して熱演した素敵な映画です。私も宮崎康平氏と同じ島原出身という縁があって端役で出演しているということは前にもお伝えした通りです。

今回東映の岡田社長から地域担当プロデューサーという肩書を頂き、映画館で上映される予告編のナレーションを担当し、プレス向けのメッセージを送り、東京国際フォーラムで開かれた完成披露試写会の司会も務めさせて頂きました。私の出演部分は本当に僅かなものですが、宣伝活動に関わるうちに次第に自分も立派な映画人であるような錯覚に陥り、この映画を何としてもヒットさせなくてはという気持ちになってしまったから不思議ですね。1シーンだけの共演でしたが、宮崎康平に成りきっていて島原弁で自在に台詞を話す竹中さん、台詞の無いところでも夫を気遣う実に細かい息遣いで素晴らしい演技を見せる吉永さん、お二人の役者としての動きそのものが圧巻であり、プロフェッショナルとはかくも卓越した仕事をされるものなのだということを教えられました。

そして、先日11月22日に椿山荘で行われた「吉永小百合シネマトーク」にもお招き頂きました。これは勿論「まぼろしの邪馬台国」公開記念の特別企画として行われたものですが、私はゲストとして後半のコーナーで20分ほど吉永さんとトークをさせて頂きました。

吉永さんは事前に私のことをしっかりと下調べをされていて、生意気だった私の少年時代の話から切り込んでこられました。そのため、先生に余り敬意を払っていなかったために色々先生とぶつかったり不利な扱いを受けたりして、挙句の果て転校までしなければならなかった体験を皆さんの前で告白する羽目になってしまいました。でも自分の反省として、少なくとも学校に行くときは先生には尊敬の念を持って通うべきだという教訓を得たこともお話させて頂きました。最後に私から見た吉永さんの人間として素晴らしい魅力のポイントなどをお話しした後、サプライズゲストの宮崎和子さんを壇上にお迎えして「まぼろしの邪馬台国」の成功を祈り、とても良い雰囲気のうちにトークショーは終了しました。

その2日後、吉永さんにお礼状を出そうと便箋を手にして書き始めたところに何と吉永さんから直筆のお礼状と素敵なプレゼントが届いたのです。またまた恐縮しながら急いでお礼状を送った次第でした。ご挨拶、お礼状と本来私の方から出さねばと思っているのに、いつも吉永さんに先を越されこれで3連敗になってしまいました。吉永さんのいつも変らぬこの謙虚で人に優しい姿勢を私も早く自分のものにしたいと思います。

「ことばの重み」

ことばの重みについて考えさせられることが最近とみに多い様な気がします。とりわけ公人としての立場にある人は発言した一字一句が俎上に乗せられて議論の対象となるのは止むを得ません。それだけに発言するときには脇をしっかり固めてどの部分を責められても論破でき、それが相手の理解を得られるようでなくてはなりません。

記憶に新しいところでは麻生内閣で国交相に就任したばかりの中山成淋氏が「日本は単一民族」と事実誤認の発言を仕出かしたのをはじめ、「日教組の組織率が高いところは学力が低い」「日教組が諸悪の根源」などと発言して強い反発を招き結果的に辞任に追い込まれてしまいました。

彼自身は文科相時代全国各地の教育の現状をつぶさに見て歩き、日教組にさまざまな問題があり今日もその状況を引き摺っていることを確信していたのであのような発言に繋がったということのようですが、もし言うならば日教組のやってきたことの具体的にどの部分が問題であり何処がどのようにあるべきだったのか実証的に示さなくては話になりません。日教組の組織率の高さと学力の低さには相関関係はありそうに見えるが断定できるレベルではないと本人も認めているとのことですから、ならば具体的なデータを揃えてから議論すべきだったと思うのです。

麻生首相もかつて、日本の米が輸出されて韓国や中国に入ったとき関税などが上乗せされてキロ当たりで日本での価格より何倍ものばか高い価格になることを例にあげて、これはどちらが高いかはアルツハイマーの人でも分かると発言して、病気で苦しんでいる人たちや家族の気持ちを考えもしない配慮に欠ける発言だとして問題になったことがありました。これは同じ内容の話を別の場所でした際、この価格の違いは子供でも分かると言ってみたけど反応が鈍かったので病気の人たちでも分かると表現して受けを狙った結果だったというのですからちょっとお粗末だった感は否めません。また他にも、大雨の被害を受けた愛知県安城市や岡崎市の人たちを怒らせた「これが安城岡崎だったから良かったが名古屋だったらこの辺みんな洪水さ」という失言もありました。これらは善意に解釈すればできるだけ分かり易く砕いて話そうと思ってのことでしょうが、比喩表現はどのような立場にいる人が聞いても適切なものでないと誤解を招き自ら墓穴を掘ることになってしまうのです。

今年も213本のヒットを打ち8シーズン連続200安打以上を記録したシアトルマリナーズのイチロー選手にもハッとさせられる発言がありました。8年連続オールスターにファン投票で選出されるという快挙を成し遂げたとき、彼は言いました。「ファン投票で選出されるメンバーを見ていて、年々歳々メンバーが小粒になっていくなあと思っていたけど今年ほど地味な顔ぶれはない」と。確かにこれは彼の実感だったのでしょう。だがしかし、アメリカの野球ファンがこの発言に素直に肯くでしょうか。自分の実感であっても表現が余りダイレクト過ぎると反感を招く恐れが十分にあると私には思えます。何故ならアメリカの野球ファンは大リーグこそ最高のプレイヤーたちが揃っている場であり、どの時代でもオールスターファン選出メンバーは地味なメンバーではありえないと考えています。

またつい最近、ソフトバンクホークスの王貞治監督が今シーズン限りでユ二フォームを脱ぐとニュースで伝えられたとき、アメリカから日本人選手たちのコメントが紹介されました。その中で、イチロー選手が「王さんは選手として凄い記録を残しただけではなく、人間としての器の大きい本当に尊敬できる人です」という完璧なコメントを出していました。ところがそのあと更に発言が続き「野球界には尊敬できるような人はほとんどいませんがね」と語っていたのです。野球界の先輩方の中には、「え、それはどういうこと」と引っ掛かりを覚える人も多かったのではないでしょうか。これもイチロー選手の正直な気持ちだったのでしょうが、多くの人に抵抗を感じさせてしまっては損だと思います。

この場合、「野球界に心から尊敬できる人がそんなに沢山いらっしゃるわけではありませんが、王さんだけは別格です。選手としても破格の記録を残されたけれど、一人の人間としても器の大きい無条件で尊敬できる方ですね」といった言い方であれば誰にとっても違和感を覚えさせないコメントであったのにと思います。このように、良かれと思って発した発言が本人の意図通りには受け取られないことがあることをよく考えて慎重なコメントを出すような習慣をつけておくことがとても大切だと言えます。とりわけ公人や誰からも注目される存在の人たちにとっては。

「信賞必罰の原則」

日本テレビ「THEワイド」が終了してから一年が経過しました。公の場で社会問題に自らの見解を申し上げることが少なくなりましたが、これだけは物申したいと思うことがあり筆を執りました。

それは、今世間を騒がせている「事故米」の問題です。黴が生えたり農薬が許容量を超えて含まれていたりなど食用にはできない輸入米を事故米と呼ぶということも初めて知りましたが、それを工業用の糊にするという名目で購入していながら偽装して食用米として転売していたことが発覚し、更にそれが一部の悪徳業者だけではなく、ほぼ全面的に当り前のように行われていたというのですから驚愕してしまいました。この件について一切の管理責任を持つ農林水産省が実質的な監視や調査など徹底しないで、農水省には責任があるとは思わないと言い切るのですから、日本も凄い国になったものだと思います。

このような有様では、毒入り餃子事件に関して日本政府が中国を一歩的に批判することにとても違和感を覚えてしまい、哀しい気持ちにさせられてしまうのは私だけではないでしょう。国際的な取り決めで一定量の米を買い上げなければならない義務があることは理解できますが、輸入に当たっては厳密な検査を行って不良品は突き返し、お金を出して買えるものを要求するのは農水省の最低限果たすべき務めだと思います。ところが実際は不良品であろうと何であろうと買うだけ買って内容の吟味もせず、黴が生えていても許容量を超える農薬が含まれていても、先方にクレームもつけられないとは恥ずかしい話で、自分たちの務めを放棄していると指摘されても致し方ないのではないでしょうか。

まして、こうして抱え込んだ事故米を工業用の糊の素材として売り出す場合、少なくも工業製品専門の業者を相手に販売しなければならないはずなのに、売り渡し先がほとんど食品業者だったというのは一体どういうことなのでしょう。厳しい言い方をすれば、後はどうなろうと知ったことではない、食品に転用されても自分たちの責任では無いという姿勢が根底にあったと言われても仕方ありません。極めて嘆かわしい状況です。

13年前、日本を恐怖の底に陥れたオウム真理教がサリン事件などの凶悪事件を引き起こしたとき、大きな反省材料として挙げられたことを思い出します。あの上九一色村に彼らがサティアンと呼ばれる施設を次々に作ったとき行政機構はほとんど調査もせず、それをいいことに彼らはサリンなどの化学兵器の製造に邁進していきました。勿論それは明らかに間違いで、不審な建物が一度出来上がれば建築基準法等現行法を緻密に運用し、社会にとってのマイナス要素を排除することに本来は行政機構が責任を負わねばならないはずです。であるにも拘らず、相手が宗教法人だからクレームを付けられたら面倒だと言うことで結局は野放しにしてしまいました。

本来自分たちの職責を果たすためには持っている権限を最大限駆使して国民のため社会のために積極的に力を尽くすべきなのに、何もしないでじっとしていた、所謂不作為の罪の大きさがそこにあったのです。今回の「事故米」問題も行政側の怠慢が国民を大混乱の中に陥れてしまったといえます。それにしても、「偽装」というものが社会全体に充ち溢れ、もはや信じられるものは無いという感じすらしてきました。

その原因の一つは、社会全体に「信償必罰」の原則が貫かれなくなってしまったからだと私は思っています。素晴らしい業績をあげた人は賞賛され、悪事を働いた人はペナルティーを受けるというごく当たり前のことがなされなくなってきたのです。

とくに、悪いことをした人たちは言い訳を述べるだけで、責任を取らなくなってしまいました。経営上の大ミス、食の安全を失わせるような行為、一生ものの買い物であるマンションの偽装など、責任者が形式的に頭を下げ謝罪を行うことを目撃することはありますが、本当の意味で責任を取った人がいたのでしょうか。このような無責任体質を放擲し、一人ひとりが各々に課された義務と責任は最低限果たす、そして出来る限り他人に優しく対処することを社会の原則にすべきだと常々思うのです。

「レクイエム」

テレビ東京のオリンピック放送のため日本を離れていたのでブログもそのままになっていましたが、今日から今まで通り続けていきたいと思います。

北京にいたのならオリンピックリポートを書けばいいじゃないかと言われそうですが、大会期間中は写真の使用も含めIOCが細かい制約を色々設けていますので、少し時間を置いて感じたことを報告したいと思っています。

さて、8月15日の早朝、長崎県島原市で暮らしていた父親が前日夜遅く亡くなったと言う連絡が届きました。102歳の父は今年の6月半ばから食事が取れなくなり入院していたのですが遂に力尽きました。知らせを聞いた瞬間、本当に最後まで頑張った父親の人生に拍手を送り、父親が私のためにしてくれたさまざまなことに心から感謝を捧げたいと思いました。(実は、北京での滞在中に亡くなる可能性が大きいと考えていたこともあり、悲しみよりも比較的冷静に死を受けとめることができたのだと言えます。)

振り返ると小さい頃、田舎(長崎県島原市)で育った私は生まれついての自然児という感じで時間さえあれば運動場や野山を駆け回っていました。机に向って勉強するなどということは全く考えもしない子供だったのです。大学教授であった父親から勉強しなさいと何度言われてもそれを守ったことは無く、常に鉄拳制裁を食らう有様。4人の兄弟の中で末っ子の私だけはとても扱い辛い存在だったようでした。

中学に入る時、父が私に言いました。「お前も明日からは中学生だ。明日からは学校であったことは全てきちんと報告しなさい。例えそれが自分に都合の悪いことでも、包み隠さず私に全て伝えるんだぞ」と。そうは言っても実際は中々報告し難かったのですが、どんな時でも父は私の話をちゃんと聞いていて、「その件に関して言えばお前は悪くないな。先生の方が間違っている。」などと私を弁護してくれることもあったのです。客観的な立場でものを見ていてくれることで私は父に対し、自分のことを本当に心配してくれているとても心強い味方なのだと感じるようになりました。怖いイメージしかなかった父がとても身近な存在になったのです。

そうは言っても、私の勉強嫌いは直らないままで、陸上部で練習に励んでいた高2のある日突然、「仁、たった今陸上部の退部届を俺が出してきた。これからはちゃんと腰を落ち着けて勉強しろ」と言い出したのです。びっくりして、「どうして」と聞いたのですが、父はこう続けました。「お前は考えたこともないだろうが、運動選手の選手生命はもの凄く短いんだぞ。寧ろスポーツをやめてからの人生の方が遥かに長い。つまり、その後の人生の方が大切なんだぞ。だから今からしっかり勉強して、長い人生を乗り切れるような力を身につけろ。そもそも、お前のように軟弱な性格では運動選手としても大成するとは思えない」と。

話の主旨は勿論理解し、渋々退部届けの件も受け入れたのですが、だからと言ってそれからすぐ気持ちを勉強に切り替えられる筈も無く、悶々とした日々が続き結局受験も失敗し、1年間の浪人生活をすることになってしまいました。

浪人生活を送っている間も「アルバイトはしないで勉強しろ。仕送りはちゃんとするから」。
就職すると、「周りの人たちへの感謝を決して忘れるな。常に謙虚でないといけないぞ。人真似だけでは駄目。クリエイティブであれ」など機会あるたびにそうした注意や指示を受けてきました。「それくらい分かってるよ。くどいな」と思ったこともありましたが、今にして考えてみると、やはり父は本当に良く自分の子供を観察し分析して良い方向に導いていこうとしていたことが分かり、今では感謝の気持ちで一杯になりました。

私のイメージに残っている父の姿は何時も机に向い自分の専門分野の数学の勉強をしていたか、剣道の稽古に精を出していたかといったもので、乱れた姿を目にしたことは一度も無いのです。

そんな父がある時、私に言いました。「お前はひょっとして俺を石部金吉みたいな男だと思っているのか」と。そして私が一瞬返答に戸惑っていると、「人間、そんなことはあり得ないからな」と言ってにっこり微笑んだことがあったのです。その時、妙に父を一段と身近に感じました。

赤貧洗うが如しといった環境の中で小学生の時からアルバイトをして学費を貯え、独力で旧制高等学校、大学を卒業し数学者として働いた父。そして旧満州国新京工業大学で教鞭を取っている時に進駐してきたロシア軍に徴集されシベリア、カザフスタンに送り込まれて3年半の重労働に耐えて生還した父。明治生まれの強い男であった父の人生を振り返ると、何処を取っても勝てるところは無く、唯唯父親は偉大だったなという思いになり、大きな感謝の気持ちと共に「貴方の息子で良かった」と心から感じています。ありがとう親父。

「楽ではないけれど」

このところキャスターやアナウンサーの不倫が話題になっています。いつの時代にも必ず出てくる話ではあるのですが、今特に注目を集めている人たちがターゲットになったためさまざまな媒体で大きく取り上げられてしまったということでしょう。

聞くところによると、こうした話題の情報は殆どがターゲットになる人の身近にいる人から寄せられるということです。取材する側にとってはより信憑性を伴う情報ですから取材に入りやすく、いざ取材が始まると一、二ケ月は勿論更に時間を掛けて対象となる人物の行動追跡が緻密に行われるようですから、気をつけていてもどこかで写真に撮られてしまうことになるそうです。

実は、私もNHKを辞めフリーになったとき、これからお仕事をご一緒する放送局の方から次のような注意を受けました。「何か不利になりそうな事態が起きたとき、貴方が局員であれば局として色々配慮して守ってあげられますが、フリーの方々についてはそういうわけにはいきません。従って自分の事は自分で守って頂くしかありません」と。

よく考えてみればごく当たり前のことです。誰でも一人の人間として自由を謳歌したいと思うものです。仮にそれが市井の人で周囲に何の影響も与えない人ならば、不倫は法律に反する行為ではないので、受け取る人の考え方次第でさして問題にされることはないでしょう。ところが、裁判官、教師、聖職者を始め常日頃から人間のあるべき姿を世間に向かって説いている人たちは同様のスキャンダルを惹き起こしてしまうと、普段から言っていること実際に行っていることが違うではないかという指摘を招き、説得力も失い仕事になりません。

同じ様に、社会に強力な影響力を持つテレビで情報番組などを担当している人たちもまた番組を通じて世の中の出来事に批判を加えたり、物事のあるべき姿についても論じたりするわけですから言うことと行うことが相反するのは問題だと捉えられても仕方ありません。また、これは日本独特なのかもしれませんが、一般にテレビに出ている人たちに対する信頼感や期待がとりわけ強いため、期待に反する行為にはより多くの非難が集まるのだと思います。

テレビに出ることで誰でも有名になり注目されるようになります。そしてややもすれば自分の存在の大きさを過大評価するようになり、時に尊大な行動に出てしまうものです。しかし、そんな時こそ今一度自分自身を振り返り、自分の現実の姿を冷静に見つめる心の余裕を持つことが肝心だと、ある方に言われたことを思い出します。その方には、「テレビを見ていて下さる方々がこんなにも自分に対して期待して下さっているということを感じたなら、それを裏切らないようにしよう、期待に応えられるようにもっと頑張ろうと思えば良いのだ」とも言われました。

人間誰しもストイックに生きることは決して楽なことではありませんが、番組を見てくれる視聴者、そして多くのファンによって今の自分があることを考えれば、自ずと自分の行動に対する責任感が生まれてくるものだと思うのですが。

「続 医師のあり方」

先週のブログでも触れたのですが、入院して初めて癌に冒されていたことが分かった私の知人の女性が亡くなりました。

卵巣と大腸が癌に冒され、腹水にも癌細胞が見つかるなど状況は末期で、はっきり言えば打つ手も殆ど無い状態でした。最初に入院した病院では、癌の原発部位を確かめないと抗がん剤が使えないからということで、体力的に弱っていて今は検査を受けたくないと言っている患者を、医師が自分の論理で検査がどうしても必要だと説き伏せて強引に下剤を飲ませてしまったところまでは前に書きました。今は検査は嫌だという患者の意志を尊重して私が医師に電話をして検査の延期を要請したのですが、その後も患者の医師に対する不信感は変わらないままで、できれば転院したいという患者本人の希望を汲んで友人である新見正則先生(帝京大学医学部准教授)にお願いして練馬総合病院に転院することになったのです。

練馬総合病院は巨大な病院ではありませんが、全てに新しいシステムが出来上がり、医療技術もハイレベルでこの世界では高い評価を受けている病院です。患者を担当してくれることになったのは腫瘍内科の栗原直人先生でした。優しい話しぶりに患者の立場を良く理解して治療を進めようという医師の心が伺えました。患者も「転院出できて本当に良かった。これからちゃんと治って家に帰ることができるように頑張りたい」とまで言ってくれたのでした。

しかし運命は皮肉なものです。患者が戦う意欲を抱いたその時から容態は悪化し始め、時間の経過と共に患者は息苦しさを訴えるようになり遂に転院から4日危篤状態になり、5日目の未明に帰らぬ人となってしまいました。

癌は転移するだけ転移し最後は脳にも転移したようで、言葉も発せられなくなり、不随意運動で体が思わず動いていたとのことです。そしてその動きを繰り返すようになるなど患者が可愛そうだと思える状態となり、結局最後の時を迎えてしまいました。

でも、栗原先生は最後の瞬間まで懸命に手当てを施してくれました。「何としても治してあげたい、そう思って手を尽くすのですが思い通りにはなりません。そんな時、医師として無力感を覚えることもありますがそれに引きずられてしまうわけにはいきません。治療を待っている人に力を与えられるように私たちは頑張るしかないと思っています」と話してくれました。そして、「もう少し元気な状態に戻してあげたかった。心残りがあります。ご家族の皆さんの期待に添えなくて申し訳ありません」とも語ってくれました。

本当に純粋で誰に対しても心優しかった人の命が絶えて声を掛けても答えてくれない亡骸になってしまう人生は無常だなと感じさせられます。ただ今回私たちは患者を自分の家族だと思って何とかしてあげようと手を尽くしてくれる医師たちが居るということを目の当たりにすることができました。このような医師たちであれば何の心配も無く運命を託すことができるという実感を持てたのです。

専門家に聞いたところでは、ここまでのレベルに到達している医師はまだまだ多くはないとのことです。であれば、私たちの側があらゆるルートを使って何処にそういう医師が居るのかを調べることが必要なのだと強く感じた次第です。ただじっと受身の態勢で待つのではなく自らも積極的に動いて道を拓く努力をしなければならないのだとつくづく思いました。

「わが師匠 羽佐間正雄さん」

元NHKのチーフアナウンサーで、現在はフリーで活躍している羽佐間正雄さんが新著「勝者の流儀」を著し、7月7日その出版を記念するパーティーがグランドプリンスホテル赤坂で開かれました。

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羽佐間さんはNHKを代表するスポーツアナウンサーとして夏冬合わせて11回のオリンピックを中継したということで全米スポーツキャスター協会賞を受賞している唯一人の日本人アナウンサーです。

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このパーティーでは私とニッポン放送のアナウンサー増田みのりさんが司会を担当しました。羽佐間さんとの関係はNHK時代、昭和45年私の初任地である鹿児島から福岡に転勤した直後に、羽佐間さんが東京から管理職として福岡に赴任してこられた時まで遡ります。スポーツアナウンサーとして第一線で大活躍されていた羽佐間さんは正に私の憧れのアナウンサーでした。「憧れの人と一緒に仕事が出来る」というそのことだけで興奮状態でいたところ、着任早々羽佐間さんは私を呼んでこう次のように言われたのです。
「おい草野君、君には何故俺が東京から福岡に転勤してきたか分かるかい」

私は即座には答えられず「分かりません」としか言えませんでした。そして、続いて出てきた羽佐間さんの言葉に私はたちまちノックアウトされてしまいました。

「俺は専門職のスポーツアナウンサーとして東京にそのままいても良かったんだが、わざわざ福岡まで来たのは実は君を育てるためなんだよ」

これ以上は有り得ない最高の殺し文句でした。その言葉を聞いた瞬間、私の魂は天に昇っていました。でも次の瞬間には、何時もの冷静さを取り戻し、「そうだ、自分自身が頑張るのは勿論のこと、これは羽佐間さんの為にも恥をかかせることのないように全力を尽くして仕事に邁進しなくてはと気持ちが奮い立ってくるのを感じたものです。

それから三年の間、あらゆるスポーツの放送について羽佐間さんから直接ご指導やお叱りを頂くことで私自身修練を積むことができました。そしてスポーツアナとして次のステップを踏みなさいということで私を大阪放送局に送り出して下さいました。

ですから私にとって羽佐間さんはこの道の師匠であり、羽佐間さんには勿論沢山の弟子たちがいるのですが私こそが一番弟子だと(本当は不肖の弟子なのかもしれないのですが)自分では思い込んでいるのです。私が東京に転勤してNHKを退職するまでの間、仕事を通じても私的な面でも様々な導きをずっと頂いてきました。

今日このようにアナウンサーとして頑張ってくることができたのは羽佐間さんという素晴らしい先輩の存在があればこそであり、師匠に対して何時も尊敬と感謝の念を忘れたことはありません。誰でも職業人として成長して行く過程で色々な出会いを体験しますが、矢張り素晴らしい上司や尊敬すべき先輩に巡り合えるかどうかというのは、その人の将来を大きく左右する運命とも思えるものだという気がしてなりません。その意味で私自身は最も大事な時期に羽佐間さんと出会うことができたという本当に幸運な人間だと思っています。

さて羽佐間さんも今年の11月で77歳になられます。今回の出版はこれまでのスポーツについて自らが蓄積してきたものを集大成する形で発表しようと企図したもので、書いていくうちに何と400字詰め原稿用紙で1000枚にも及んでしまったそうです出版社からは「これでは新著3冊分になってしまいますよ」と言われてしまったとのことでした。従ってこの秋に第2弾が出版されることになっているそうです。

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この類希なエネルギーと今もって衰えを感じさせない美声(パーティーでは自慢の歌も2曲披露されたのです)。吾が師匠は本当に凄い人だなと弟子として改めてその存在の大きさを嬉しくそして誇らしく感じたものです。

「アメリカ独立記念日パーティー」

7月4日、アメリカ合衆国の独立記念日を祝う米国大使館主催のパーティーに招待され初めて出席しました。例年このパーティーは米国大使館で開かれていたそうですが、今年はサミットを前にG8外相会議が開催されていたためにすぐ隣のホテル・オークラで行われました。

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何分初めてでしたので、どんな感じのパーティーなのかとても楽しみでした。厳重なセキュリティーチェックを受けて会場に入ると、カントリーミュージックの演奏がゲストを迎えてくれていました。

日本の場合ですと、まず司会者が出てきて挨拶や乾杯などが冒頭に来るのが通例ですが、ここではまず、飲み物や料理など(と言っても、これまたアメリカ流でホットドッグ、ドーナッツ、ビール、カクテル、ソフトドリンク、アイスクリーム、スナックなど)を自由に楽しんでもらい、コミュ二ケーションを深めて頂こうということでざっと一時間ぐらいの時間が歓談ということで用意されていました。そしてその間、BGMとしてのカントリーミュージックバンドは休み無く演奏を続けていました。こういう格式張らないフランクなところがアメリカ流なのだなと感じ、とても心地よい感じがしたものです。

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さて、アナウンスの後、J・トーマス・シーファー駐日大使が徐に登場、続いて高村外相が登場し、それぞれに日米の友好の大切さを称えあい、更なる連携の強化が必要だと強調しました。

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そして、女性シンガーのクリスタル・ケイさんがアメリカ国歌を見事な歌声で歌い上げ、一通りの儀式を終えると、大勢の招待者の間をシーファー大使が回って親交を深めるという段取りで進行していきました。

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実はシーファー大使とは昨年お会いしました。当時担当していた「THEワイド」のインタビューコーナーで私自身大使館を訪れてお話を聞く機会があったのです。お忙しい中、番組のために長い時間を費やして番組のために日米関係についてお話し下さいました。

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(昨年の「THEワイド」のインタビューで)

ブッシュ大統領の信任がとても厚く、生真面目で、物事に真っ向から真剣に取り組む人で、日本にとって素晴らしいパートナーです。拉致問題にも深い憂慮を抱き、解決のために出来ることは何でもしようと手を差し伸べ、横田早紀江さんとブッシュ大統領との対面を実現させたことは余りにも良く知られています。日本のためになることは最大限の努力をしてそれを現実のものにしようと努めてきました。

今までも親日家と言われた米国大使は当然何人もいましたが私はシーファー大使こそ真の親日家だと確信しています。来年早々ブッシュ大統領の任期が終わると同時に大使の任期も終わりです。あと半年で日本を去らなくてはならないわけですが、そのことを語るときの表情には少し寂しさが覗いていました。

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日米関係の重要性を考えると、シーファーさんのような人を今後も継続的に繋ぎ止め、折に触れてアドバイスをもらえるような関係を保つべきだと思うのですが、もしそのようなことを考えている政府関係者が少ないとしたら、極めて残念なことと感じます。

「医師のあり方」

近しい知人が病に倒れました。突然具合が悪くなって病院に担ぎ込まれたのです。お腹が痛い、息苦しい、排泄が上手くできないなどの症状でどうにもならなくなり、近所に住む友人が色々手配をしてくれて何とか入院できました。

そこでの医師の診断の結果は周囲の想像を遥かに超えて、卵巣がん、大腸がん、また腹水の中にもがん細胞が見つかったというのです。本人への告知はされておりませんが、進行度で言うとレベル「4b」、つまり末期で回復の見込みがほぼ無い状況だということでした。しかも余命については月単位というより週単位で考えるべきだというのがその家族に対する担当医師の説明でした。

それを聞いて私も大変驚きました。昔その知人の家に泊まると、朝は美味しいチーズトーストを沢山作ってくれて持て成してもらったことを今も懐かしく思い出します。何事につけても温かい心配りでその優しさが自然に心に伝わる素敵な人なのです。その人が不治の病に侵され、極めて重篤な状況に置かれているのは何と残酷な現実なのだという思いで一杯です。

辛いことですが、この人のために何をしてあげるのが最良のことなのかを考えていかなければならないと周囲は考え始めました。そこで本人の性格を熟知している家族は本人が受けるショックの深度を危惧し、本人への告知は当面控えようという結論に達し、その点は医師にもお願いしました。

すると、担当医師は先ずがんの原発部位が卵巣なのか大腸なのかを確定する必要があるので患者の大腸のカメラ検査を行いますと家族に伝えてきました。とはいえ、患者本人は腹水が溜まっているため呼吸をするのも辛いと訴えている状況を見ると今すぐ大腸検査をするのは却って患者の体力を消耗させるだけで得策ではないと考え、検査は暫く先に延ばして欲しいと看護師さんを通してお願いしたのです。勿論、患者本人も極度の疲労や苦しみから今はとても検査は受けたくないと強く言っていたことも考えてのことでした。

ところがそのようなお願いをしたにも拘らず、医師は家族のいない間に、家族の了解も得ず本人にがんの告知を行い、原発部位の確定を行わないと治療ができないので予定通り明日大腸検査を行いますと通告をしたのでした。

家族から連絡をもらい、説明を受け相談をされた私はすぐ担当医師に連絡を取り、何故依頼通りに延期してくれなかったのかを問いましたが、返事は要領を得ませんでした。患者も同意してくれたのでと繰り返すばかりです。埒が明きませんでしたが、とにかく今回は延期してタイミングを見て実施することにして下さいと要請して電話を切りました。後に聞きましたが、患者は飲まされた下剤の影響で一晩中トイレに通って辛かったということです。

不審に思ったこともあり、このままではいけないと考え翌日家族側と医師たちとの間で話し合いが行われました。

そこでは、家族の側からは患者第一で患者の気持ちを大事にして診て頂きたいということを切にお願いしました。医師の側もできる限り要望に沿うようにしますという見解が示され、双方の側にあった溝は少しだけ埋まったような気がしましたが心配が全くなくなったわけではありません。

実はこの時、私の友人でもあり担当しているテレビ番組「主治医が見つかる診療所」にも出演中で素晴らしい見解を何時も披露してくれる、帝京大学医学部准教授の新見正則先生に家族側のアドバイザーとして同席をお願いしていました。先生は第三者の立場で質問をしたり、双方の間をまとめたりなど本当に大きな役割を果たしてくれたため、家族はとても救われた気分になったのです。

病院には病院の事情、医師には医師の事情があるのは十分理解できますが、患者の心理状況や性格そして病状などの要素を総合的に精査して、できるだけ個々の事情に則したケース・バイ・ケースな対応をしてもらいたいと感じた次第です。

新見先生は信条として「患者さんを診るときはいつでもその患者さんを自分の親と思って接して下さい」と自分の学生たちには教えています。その言葉通り、全ての医師がそのような考えを持つようになれば今存在する問題はかなり良い形で解決できるのではと思うのですが、現実はまだまだそこまで至っておりません。新見先生の指摘で改めて医師のあり方について考えさせられました。

「悲劇を繰り返さないためにも」

秋葉原で起きた無差別殺傷事件,またしてもこんな酷い事件が起きてしまったのかと暗澹たる気分にさせられてしまいました。

何の罪も無い人達が命を奪われ、肉親や関わりの深い人たちを癒されることの無い悲しみのどん底につき落とすこのようなことが二度と繰り返されてはならないはずです。断片的な情報から事件の背景に迫る報道もありますが、未だ事件の全体像までは明らかになっていません。全般に容疑者の人間像を解明しようと、生い立ちや彼が残した携帯サイトの書き込みなどを細かく追い求めている報道を見ますと、事件の最前線に立って取材をされている方々もさまざまなご苦労をされていることと察します。

私自身何よりも関心があるのは、何度も繰り返されるこのような事件が起きてしまうことをどうしたら防ぐことができるのか、または仮に起きたとしても被害を最小限に止めるにはどのような方法論が考えられるのかということです。そこから具体的にできることを社会全体で実践に移していくように進んで欲しいと思います。

残念ながら日本人の弱さの一つは、事件が起きた時にはわっと大騒ぎをして議論が沸騰しますが時の経過と共にそのことを忘れてしまい、結局きちんとした対応策も打ち出せないで終わってしまうところにあるような気がします。従って、同じような事件が繰り返されたとき、前回と同じ様に右往左往して苦吟しなければならなくなるといった光景を目にすることになるのです。やはり、もっと冷静にそして時にもっと冷徹に論理的に有効な手立てを厳しく追求することが大切だと思います。

思えば、地下鉄サリン事件という世界が経験したことの無い事件で甚大な被害を受けたにも拘らず、同じ様なテロに対して何処までの抑止力を社会全体として持ってきたのかを検証してみると現状は13年前とそれほど劇的に変化していないことを以前担当していた番組でお伝えしましたし、正直その時は慄然としました。

このままでいい筈はありません。何の理由も無く輝かしい未来を奪われてしまった人たちの魂に少しでも報いるために二度と類似の事件を起こさせないように努めることが何よりも肝心なのだと私は思います。このことは社会全体で真剣に考えなければならないし、とりわけ政治家たちはもし犠牲になった人たちが自分の家族であったら、自分はどう反応し、どう行動するだろうかという現実感をもって迅速な行動をとって欲しいものです。最終的に国民の生命や安全を守るのは政府ですし、そして同様に政治家一人一人の責務なのですから。

「ごあいさつ」

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日常のテレビ番組出演を通して感じたこと、こうあるべきではと思ったことなどを折りにふれて明かにしていきたいと考えています。又、番組を離れても一人の生活者として考えたこと、趣味の世界との関わり等についても逐次述べて行くことにしたいと思っています。

1回目の今回は「女優 吉永小百合」さんについてです。

3月上旬、私は東映映画「まぼろしの邪馬台国」に出演する為、長崎へ向かいました。ロケ現場は長崎大学経済学部の広い講義室で、私の役は邪馬台国についての研究シンポジウムの司会者。主演の竹中直人さんが映画の主人公・盲目の宮崎康平役、吉永小百合さんは何時も夫の傍らで支えるその妻和子役。シンポジウムでは大学教授の邪馬台国についての説に康平が反論、嫌悪な雰囲気が漂う、司会者である私は何とか二人を上手くつなごうとするが...というシーンの撮影だったのです。

ロケ現場に入ろうとすると反対側の入り口から入ってきた吉永さんが私の所に飛んで来て、「吉永です。今回はお忙しい所を長崎まで来て頂いて本当に有難うございます」と御挨拶をして下さいました。本来なら私の方が先に御挨拶をしなくてはならないと思っていたのに物の見事に先手を打たれ、心地良い一本を取られてしまいました。

そう言えば10年以上前、幕張NKホールのイベントでお会いした時も吉永さんが先に私の部屋まで来て下さり、丁寧に挨拶して下さったことを思い出しました。これで二連敗です。日本を代表する大女優ですが人と人との交わりは挨拶から始まるということを身を以って示していらっしゃるのだと強く感じました。

それから六時間近く撮影は続きましたが、カメラが回っていようといまいと、スタッフにかける声が優しく穏やかで、でも言いたいことはきちんと伝えるという彼女独得のものでした。又、このシーンでは吉永さんにはセリフは無く、康平の言動を心配しながら傍についているというものでしたが、実に細かい動きの一つ一つに夫に対する絶妙の思いやりが感じられてプロの俳優の演技の奥の深さに思わず感動してしまいました。更にこの日、彼女はこの映画のタイトルの入ったジャンパーを秘かに作ってきて撮影の合間にスタッフ全員にプレゼント。チョイ役の私まで頂戴してしまったのですが、スタッフの皆さんの喜びようときたらそれはそれは大変なものでした。

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俳優という仕事は撮影現場で全能力を出し切れば良いのであって、日常はどんな枠はずれの生活をしていても関係ないという考え方の人もいるでしょう。しかし、私が目の当たりにした吉永小百合さんは女優としても凄い方であると同時に、一人の人間としても最高の感性と他人への思いやりの心を持った本当に素晴しい人でした。
60歳を過ぎて女優としても美しく輝き、次々にヒット作に出演されるのにはこんな人間的魅力があるからなのだと痛感した次第です。

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