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2011年3月 Archive

「『DON!』 最終回」

3月25日(金)NTV「DON!」の最終回に出演しました。

中山秀征さんが司会。馬場アナ、上重アナがアシスタントを務め、色々生活に役立つ情報を楽しくお伝えする番組で、私は金曜日のレギュラー出演者とし東貴博さん、ナイツのお二人、神田沙也加さん、ヨンアさんたちと一緒に参加していました。

金曜グル―プはとりわけ仲が良くチームワ―クがしっかりとれていたので、スタジオで皆と顔を合わせるのがとても楽しみでした。良く考えるとそれは司会の中山秀征さんが細かく気配りをしてくれて、皆が自然体で振舞えるような雰囲気を創ってくれていたからでした。ことほどさようにヒデさんの全体のまとめ方は素晴らしく、ほかの曜日レギュラーの方々からも同じような声をたくさん聞きました。

番組が始まって2年。段々番組の存在感も増し、視聴率も上がって来ていたのですが3月一杯で終わることになりました。テレビ局にはテレビ局の事情があってのことで致し方ないのですが、ここで終わるのは残念で、正直勿体ないなと感じます。

でも一緒に仕事をしてみて、中山秀征さんの人間としての優しさ、温かさ、細やかな気配りを怠らない繊細な神経等魅力的な面をたくさん持った人だということが良く分かりました。類まれな素晴らしさを持ったこの人は益々この世界で活躍できる人だと確信しています。これからの活躍を本当に楽しみにしたいと考えています。

「大地震」

  • Posted by: 草野 仁
  • 2011年3月14日 12:05

2011年3月11日は誰にとっても生涯忘れられない一日になりました。

私はNTV「DON!」の放送を終え、紀尾井町の事務所に戻り昼食のお弁当を食べ終えた瞬間に強烈な揺れに見舞われました。ビルの高層階に事務所が位置するため、初めは余裕を持って「高層階独特の長周期振動があるよ」と言っていたのですが、揺れは一向に収まる気配を見せず、そのうちビル全体が捻じれるように感じられみしみしと音を立てます。このまま行ったらビルそのものが倒れてしまうのではという恐怖感が心の中に顔を出し始めました。社員たちの手前、動揺した気配を表に出すわけには行きませんが内心ひやひやしていました。

6~7分或いはそれ以上の時間が経過してやっと揺れは収まりました。テレビの速報では東北地方が震源に近いとのこと。ほっとする間もなく大きな余震が頻繁に襲って来ました。同じような揺れを何度も経験しているうちにほとんど船酔い状況になり、嫌な気分になってきます。そのうちテレビの速報で異常に大きな津波が東北地方を襲っている様子が強烈な映像として映し出されました。現実に起きているその瞬間は胸をえぐり取られるような感覚に襲われました。このようなシーンがたくさんの場所で起きていたのですから言葉を失ってしまいます。

時間の経過とともに詳細が分かるにつれ想像を超えるスケールの(1000年に一度と言う学者もいます)地震、それに伴って引き起こされた異常に大きくしかも多発した津波、更に想像できなかった程の余震、そして重大な危機に直面している原発の問題、人的被害の大きさ、壊滅した町々。これは正に国難と言うべき、日本の歴史上まれにみる大災害です。振り返れば日本人は過去のさまざまな国難を知恵と努力で克服してきました。現代に生きる我々も力を合わせこの国難を乗り切らなくてはならないと心から思います。

「加藤茶さんの芸能生活50周年をお祝いする会」

去る3月1日、グランドプリンスホテル赤坂にて「加藤茶さんの芸能生活50周年をお祝いする会」が開かれ私も出席しました。お祝いに駆け付けた人850人という途方もなくスケールの大きいパーティーでした。

小野ヤスシさんが司会を担当して和やかで飾らぬリラックスできる雰囲気で会は始まりました。政界(こんなところに出入りしているときではなさそうなのに)からも数人が出席、芸能界は本当にたくさんの人たちが集まり加藤茶さんの人脈の広さが伺えます。ゲストの人たちはグル―プごとに分かれてステージ上に上がり、お祝いのコメントを述べて行くことになり、私も一言を求められました。

昔「炎のチャレンジャー」というテレビ番組で、手にしたバーを決められた時間内に流れている電流と接触させることなく通過させたら100万円というゲームがありました。ある回に加藤さんが登場し、とても器用に次々と難しい局面を潜り抜け、「これで100万円ゲットだな」と思った次の瞬間、「ヒップシッ!」とお馴染のギャグとともにバーが電流に触れ、結果100万円獲得にはなりませんでした。もし自分だったら100万円を取りに行くことに夢中になっていたはずですが、加藤さんはやはりプロフェッショナルです。番組を見ている視聴者のため、わざと「ヒップシッ!」をやることで笑いを取るという作戦に出たのでした。何処までも視聴者第一このサービス精神には感動したことを覚えているというような話をすると、加藤茶さんはにっこりとほほ笑んで下さいました。

私はパーティーの後に仕事が入っていたため2時間で退席したのですが、残りの1時間も楽しいスピーチやパフォーマンスに満ちていて、笑いの絶えない3時間の宴だったということです。加藤茶さんの今後の益々のご活躍に期待したいと思います。

「ファイアーフェスティバル2011in練馬」

2月28日、火災予防週間を直前に控え、練馬区日大芸術学部のキャンパスを借りて東京消防庁主催の「ファイアーフェスティバル2011in練馬」が行われ、私も一日消防署長としてこの催しに参加しました。

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アウトドアのイベントやテレビのロケではこれまでほとんど雨を降らせたことがないというのが心に秘めた自慢の一つだったのですが、この日は予報も100%雨天、実際に朝起きてみるとしっかり雨が降り続いています。

現場に到着しても雨脚は弱まらず、遂に雨の中、しかも強い寒風が吹き荒ぶ中、火災発生、避難、救出活動が迅速に行われ、さらに消火のための放水と続いていきます。私は式台の上で大きな声で「放水はじめ」と号令をかけ、消化状況を確認。そしてよきところで「放水やめ」と大声を出して放水が終わり、現場で救出された人たちの安全確認、負傷者の手当て、搬送などが順次行われ、訓練は終了しました。

流石に消防隊員たちの動きは素晴らしく正確、迅速、素早い決断力など、見ていて大変な心強さを感じました。高層階の人たちを救出に向かったレスキュー隊の隊員のロープクライミング力は驚きのレベルで、隊長に伺ったところ毎日欠かさず訓練を続けているとのことでした。ニュージーランドの地震災害でもレスキュー隊の方々も加わっているそうですが、国際的にも日本の救援部隊は高い評価を得ていると聞き、納得の訓練でした。

内心では雨を降らせてしまったと一寸傷ついていたのですが、良く考えてみると実際の火災は気象条件を選ばず発生するものであって、このような強風や雨という条件の中で訓練を実施しておくことは決して無駄ではない、いやむしろこういうときにやっておくことも大切なのだとつくづく感じました。

訓練の後は火災予防について講演を行いました。徳川時代江戸は大火が頻発したこと、267年間に大阪が6回、京都9回に対し何と49回も街を焼き尽くした火災が起きていたこと、消防も組織化が遅れ破壊消防で延焼を防ぐものでしかなかったこと、更に町火消しどうしの功名争いでけんかが絶えなかったことなどの歴史に触れると同時に、現在の消防の活躍とりわけこの10年前後は火災発生件数、死亡者、損害額いずれも減少していること、また私たち自身が火を出さない工夫努力が必要なことなどをお話ししました。消防関係者の皆さまからも喜んで頂き参加して本当に良かったです。

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