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2011年10月 Archive
「天皇賞 秋」
- 2011年10月30日 23:18
- スポーツ
10月30日(日)、今日はテレビ番組の収録があり、東京競馬場には行けない日でした。従って、その日のレースはテレビで様子を見守るしかありませんでした。
先ず第3レース新馬戦に一口加入しているシャンボールフィズ号が出走してきました。調教を通して小島太調教師は「これ程動く馬を見たことが無い」と言っていたようです。テレビのパドック中継では落ち着きがあって良い雰囲気の馬でした。圧倒的な人気を背負ってレースに臨んだシャンボールフィズ号は良いスタートを切って4、5番手を追走。4コーナーから外へ出して手綱をちょっと動かしただけでいとも簡単に先頭に立ちそのまま独走態勢に入り楽々ゴールイン。「強いな」と思わせるレースで新馬戦を飾りました。騎乗したルメール騎手によると、自分は何もしなかったのにこの強さは「怪物級」な感じだとのことです。馬体が420キロ台とちょっと小さめなのですが、持てる能力はかなりのものがありそうで今後が楽しみです。
一方、京都7レースにはランブリングローズ号が出走。スムーズなレースで直線一端は先頭に立ちましたが最後伸び脚を欠いて4着に終わりました。でも本当にいつも一生懸命がんばってくれて嬉しい限りです。
そしてこの日のメインレース、天皇賞にはブエナビスタ号が出走。この馬に3回目の騎乗となる岩田康誠騎手がどんな乗り方をするのかが注目のポイントでした。5番枠からスタートしてどのあたりで直線外に出すのかそこだけが見所だったのです。スタートは問題なく位置取りは中段とこれまでより少し前にとります。さあ、どの辺で外へ行くのか見ていたところ、一番内をつきました。良馬場ですからどの馬も内に入って来ます。結局行くところ行くところ全て前が支えてラストスパートができず4着に終わってしまいました。
昨年のスミヨン騎手が理想通りの走りを見せて楽勝したのとは対照的なレース内容でした。それでも言われているようにブエナが衰えたわけでもないようですし、JCでの巻き返しは可能と見ました。そのためにはジョッキーの人選も含め考えなければならないことが多いと思います。とは言え、次は人気も落ちるのでやり易くなりそうな気がします。
「リンカーン」
- 2011年10月28日 14:54
- スポーツ
先日、TBSの「リンカーン」からシニア芸能人徒競争への出演依頼を頂き、ロケに参加しました。「リンカーン」の年一回恒例になっている大運動会が行われその中で60歳以上の高齢の芸能人に走らせようという企画でした。
最高齢67歳の私を筆頭に伊吹吾郎さん(65)ヨネスケさん(63)鈴木正幸さん(65)蛭子能収さん(63)というメンバーでした。距離は30メートルという正にダッシュを競うレースです。
千葉県九十九里の学校の校庭で大運動会の合間に登場して、近隣の人たちにも見守られた中でのレースでした。ウォームアップに臨み、ちらちらと他の選手たちの様子を見てみると、鈴木さんが短いストライドで回転を上げるスプリント走法、走りなれた感じが伺えました。他の3名の方々に関しては競争前までに今一つ掴みきれないままのスタートになってしまいました。
ピストルが鳴って割合良いタイミングでスタートを切ることができました。あとはただまっすぐ走るだけ、並ばれることもなくそのままゴールイン、2位は鈴木さん、3位ヨネスケさん、4位伊吹さん、5位蛭子さんの順でした。幸いなことに極端な接戦にならずに勝てたのですが、走り終えた後の感想としては距離がもう少し、50メートルくらいあっても良かったかなということです。勿論、高齢者同士が走っているのですから無理はできませんが。
これからも少しずつ練習して普通に走ることができる様な体つくりをしていきたいですね。
「ランブリングローズ」
- 2011年10月19日 15:41
- スポーツ
先週の日曜日、愛馬ランブリングローズ号が京都競馬場で久々に勝ち星を上げました。
これまでにデビュー以来2勝してはいますが、まだ最下級の500万以下のクラス所属の身でした。藤岡調教師からの報告では極めて出来は良いとのこと。メンバーが発表されてみるとそんなに強敵と思える馬はいない感じなのですが、勝負はやってみないと分かりません。これまでも勝てそうですと言われてなかなかその通りには行きませんでした。
レース当日、私は四国大学の50周年記念講演会に招かれていて徳島に出張。愛馬のレースを見ることはできません。辛うじて休憩時間に電話の実況中継で走りを確認することができただけです。
聴いておりますとスタート良く3番手追走、直線に入ると早目に抜け出しを図って他の馬の追走を振り切って堂々と1着でゴールイン。見事な内容で3勝目を上げたのです。これで福永祐一騎手が乗ってくれるのは3回目ですが、2勝2着1回と完璧な騎乗です。福永騎手が乗ると馬がとても素直に指示に従い、好位置に付けて見ていて安心できるレースをしてくれます。流石日本一のジョッキーですね。
こうしてみると競馬における騎手の巧拙の差は大きいものだとつくづく感じさせられます。もう少し切れる脚があったらもっともっと活躍できそうですがそれは欲だと思います。これまでに元気いっぱい頑張ってレースに臨んでくれているので、とても素晴らしい孝行娘です。この後も良いレースをしてくれることを祈りながら徳島を後にしました .
「稽古は大切です」
- 2011年10月14日 12:43
- スポーツ
このところテレビ番組内で相撲を取ったり徒競走に挑んだりと、すっかり肉体派的な要素の露出が増えてしまいました。
先日、TBS「クイズ☆タレント名鑑」でガッツ石松さんと相撲で対戦しました。相手は私より5歳若い62歳。何と言ってもボクシングの世界チャンピオンになった人なので大変な難敵だと思いました。ガッツさんも相撲はあまり取ったことは無いようですが私自身も5年ぶりの相撲です。
作戦的には立ち合い、先に左上手を取って引き付け右から起こして寄る、もしくは体を左に開いて出し投げというイメージを抱いていました。しかし、普段やっていないと思い通りには体が動かないものです。立ち合いお互いに見合って組み合うまで時間がかかり、ガッツさんは組み合うことを嫌がって離れて相撲を取ろうとし、結局二人がもつれたまま同体で土俵を割るという不思議な取組になってビデオ判定に持ち込まれました。判定の結果はやはり「同体」で取り直しとなったのです。
取り直し後もガッツさんは同じようにあくまで離れて展開させようと図りました。そこで今度は上からやや抱え込み気味に組み、相手の動きを見て左からの小手投げでガッツさんを破ることができました。ところが、この時痛めていた左腕の上腕筋を更に痛めてしまい左腕が使えない状況になってしまいました。
続く一番は相撲芸人として名前を売っているあかつさんとの対戦。この時も先に上手を取ることを念頭に置いていたのですが、立ち合い私が立ち遅れてしまいあかつさんに前廻しを取られ、下から下から押し上げられて完全に後手に回りこれといった抵抗が出来ないまま土俵を割ってしまいました。やはり相撲を取っていない悲しさで体の反応が遅れ遅れになってしまったのです。完敗でしたがもう少し相撲勘を掴んでいればもっとましな相撲が取れたのではと反省しました。
次はきちんと稽古をして準備を整えて臨みます。痛めた左腕はまだ思わしくはないのですが、まだまだ体は動きそうな感じがして捲土重来を期したいと思います。
「嗚呼、鹿児島」
- 2011年10月 5日 12:03
- 日々の思い
もう先月になりますが、講演で鹿児島県の長島と種子島に行ってきました。
鹿児島は私の社会人生活のスタートとなった土地で、昭和42年にNHK鹿児島放送局のアナウンサーとして赴任し3年間勤務した思い出の地で、毎日桜島と錦江湾を目の当たりにしながら生活した今も忘れられない場所です。
3年間の滞在中に県内の色々な所へ取材に行きました。長島町はラジオ番組の制作で録音機を担いで43年前に訪れ、15分のドキュメント番組を作り、九州管内のコンテストで佳作に選ばれました。一方種子島はテレビのローカル番組で厚生省(当時)の「薬用植物研究所」の高城正勝所長に薬草研究の成果などについて語って頂くための取材でした。
そしてこの度、偶然にもその思い出深い長島町と種子島で講演を行って欲しいという依頼があり喜んでお受けした次第です。長島町へは当時船で渡るしか移動手段がなかったのですが、37年前に住民の悲願だった黒之瀬戸大橋が完成し本土との往来は車でできるようになり、町全体が活性化されて住民の皆さんがとてもいきいきと暮らしていらっしゃるように感じられました。船で往来しなければならないのと橋を渡って車で自由に行き来ができるのとでは精神的な意味でも大きな違いがあるはずです。現在長島町の皆さんが伸びやかに暮らしていらっしゃるのは当然のことですね。
翌日は種子島に向かいました。鹿児島空港から27人乗りのプロペラ機で正に一っ飛び。30分余りで種子島空港に到着後、講演会場に向かいました。島内の様子は昔に比べてコンビニがあちこちにできて、建物も増えて、といった変化は間違いありませんが、時間の流れはややゆったりしていて心地良さを感じさせます。
講演も順調に終わりJAXAのロケット打ち上げ基地を見に行きました。何とも素晴らしく眺望の良い海岸に基地がありました。関係者の話によりますと「世界一美しいロケット打ち上げ基地」だとのこと。確かにここからロケットが打ち上げられることを想像しただけで素晴らしい映像がイメージできました。今度は打ち上げの瞬間を絶対に見に来たいと思います。
考えてみると種子島はポルトガル人の漂着によって伝えられた鉄砲を自分たちの手で作り上げて戦国時代の日本を激変させました。そして今優れた技術でロケットを打ち上げ世界の注目を集める存在になりました。日本の行き先に影響を与え、重要な鍵を握る土地として種子島には注目する必要があると私は思うのです。