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2012年10月 Archive
「第1回富士山国際ノルディックフェスタ」
- 2012年10月30日 15:22
- スポーツ
先週26日金曜日、富士山5合目に初めて行きました。
この日第1回富士山国際ノルディックフェスタに参加するためです。今日本ではウォーキングがブームになっていますが、ウォーキングよりも更にスポーツ性を高めた運動として、両手にポールを持ってノルディックスキーをするようにそれを地面に付けてウォーキングをするノルディックウォーキングを日本でも広めようという目的で開かれたフェスタです。
初日の26日はゲストとして元巨人軍投手でスポーツアドバイザーの宮本和知さん、クロスカントリースキー選手で2010年バンクーバーパラリンピック銀メダリストの太田渉子さん、そして私が参加して一般の参加者の皆さんと一緒にコースを歩くことになっていました。
一般の参加者はおよそ100人、普段からウォーキングなどをやっている人たちばかり、年代層は50代から少し上の人たちまで女性がやや多い感じです。地上では雲一つなかった好天気でしたが流石5合目まで上がってくると結構雲に覆われてしまいました。コースは決められた片道2.2キロのやや上りこう配の山道です。「余り早いペースで行き過ぎると酸素が薄いため気分が悪くなるのでオーバーペースにだけは気を付けてください」と関係者から注意がありました。
昼食を済ませていよいよ出発です。標高2,300~2,400Mの御中道コース(片道2.2キロを往復)を皆で歩きはじめました。足場は決して良くないのですが、勾配はそれほどきつくは無く、呼吸法だけはしっかり意識して歩きました。普段それ程歩いていないので内心大丈夫かなと気になりましたが、歩くほどに段々ペースがはまって来て良い感じになりました。全く宮本さん、太田さんにも遅れることなく折り返し、帰りは一段とペースが上がり楽々のゴールイン。
初めて挑んだノルディックウォーキングなのに結構自分に合っていそうな感じです。ポールを使うことで体のバランスが良く取れましたし、腕、上体の力も使うので良い全身運動になったように思います。ゴールインの後は皆さんを囲んでのトークショーそしてお楽しみ抽選会などが行われ、気分が盛り上がったところでお開きとなりましたが、皆さんの楽しそうな表情が印象に残りました。
「山中伸弥先生」
- 2012年10月22日 14:57
- 日々の思い
先日京都に仕事で出掛けました。実は前の晩から珍しく一寸興奮気味で眠りも浅かったような気がします。
その仕事とはテレビの番組でノーベル賞医学生理学賞の受賞が決まった山中伸弥京都大学iPS細胞研究所所長にインタビューすることだったのです。受賞決定後、山中先生のところには各方面から取材が殺到して捌ききれないほど大変な状況にも拘らず、私たちの番組に多大な配慮をして頂きました。
館内に入りますと、決して大きな建物ではありませんが多くのスタッフのいる部屋がオープンスペースになっていて広々とした印象を与えます。山中先生の発案でそのような構造にしたのだそうです。日本の研究室の場合は教授単位ごとに部屋が分かれているのが普通だそうですが、そうではなくオープンにすることで多くの人たちがそこで顔を合わせ話ができ、その中から新しいアイディアが生まれたりすることもあるからだということでした。
さてインタビューに入りました。山中先生はとても謙虚な方です。ここまでの研究生活紆余曲折はありましたがスタッフと常に意志を確認し合い、チームで同じ方向を向いてやっていくことの重要性を強調して居られました。iPS細胞の完成にいたる重要なポイントである24個の遺伝子を一緒にして、そこから1個ずつ減らしていって初期化に欠かせないものはどれかを確定すれば良いという妙案を出した高橋講師の発案も凄いことだったと事細かに説明して行く姿勢に、本当に研究者として純粋でとてもフェアーな方だと強く感じました。だからこそできた結束力がこの快挙の基礎になっているのだと強く感じたものです。
山中先生も高橋講師も人間的に魅力あふれる方でしたし、もっともっとご一緒に話を聞いていたいなと思いながら研究所を後にしたのでした。
詳しくは、11月18日(日) 16:00~17:25
テレビ朝日系全国放送
「山中伸弥教授ノーベル賞受賞!今、知っておくべき医療の新常識SP」(仮題)
をご覧ください。どうぞよろしくお願い致します。
「第91回凱旋門賞」
- 2012年10月 8日 14:33
- スポーツ
第91回凱旋門賞で日本のオルフェーヴルが勝利を掴んだかに見えましたがゴール前でソレミアに逆転され2着となって涙をのみました。日本馬は今回も壁を打ち破ることはできませんでした。
オルフェーヴルを管理する池江調教師にとっては1969年凱旋門賞に挑戦したスピードシンボリを子供心に絵に描いたという思いのこもったレース、まして父親の泰郎師が現役時自信を持って挑戦して3着入線も失格という結果に終わったディープインパクトの無念をも晴らしたいと意気込んで、あらゆる準備をして臨んだ今回だけに勝つつもりでいたことでしょう。有力と見られていた馬が何頭か出走を取りやめたこともあり状況はオルフェーヴルに有利に運んでいるようにも見えました。スタートの枠順が発表されると大外18番枠となりマイナス面が出るのではと心配されたりもしました。
しかしテレビ画面を通してみるオルフェーヴルはゆったりと落ち着いていて不安は感じられません。スタートしてしばらくは馬群の後ろをゆったりと進んでいきます。中盤一緒に帯同したアヴェンティーノがコースを誘導するよう外へとオルフェーヴルを導く、良い感じで外に出したオルフェーヴルが最後の直線で一気にスパートを始めると先行馬群とみるみる差が詰まり、そしてあっという間に先頭に躍り出ました。これはひょっとして圧勝劇が見られるのかと思っていると後ろからソレミアが忍び寄ってきます。凱旋門賞優勝経験3回というベテランのペリエ騎手が操るソレミアが勢いを増して迫り、オルフェーヴルが内埒に刺さりながらスミヨン騎手が必死に追うがやや脚が上がり、遂にゴール前で交わされ2着と涙を飲んだのでした。
競馬に勝って勝負に負けたという感じのこのレース。結果論でいえばオルフェーヴルの加速が想像を超えるものでスミヨン騎手もこのままで行き切れると感じたのでしょうが、やはりゴールまで450メートルからのスパートはちょっと早すぎたように思えます。過去このレース2回優勝のスミヨン騎手、それを上回ったのが過去3回優勝ベテランのペリエ騎手の粘っこいレースぶりだったと思います。来年以降できれば3頭ぐらいで日本馬が出走して、日本の馬場で走るのと同じという感覚を全ての関係者が持てるようになる良いななどと感じたことでした。