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2014年2月 Archive

「ソチ五輪」

  • Posted by: 草野 仁
  • 2014年2月27日 15:02

今回のソチ冬季オリンピックはとても見所の多い大会でした。

まずスノーボード・ハーフパイプで銀メダルを取った平野歩夢選手の活躍が見事でした。跳躍の高さはこの分野のレジェンドであるショーン・ホワイト選手(米)にも見劣りしないものを持ち、彼に「歩夢は脅威の存在」と言わしめたほどでしたが、演技の安定感は素晴らしく王者結果的に4位に蹴落としてしまいました。平野君のお父さん曰く「歩夢は天才児と言われますが、そんなことは無くむしろ不器用なタイプでした。ただ練習だけは誰にも負けないほどやっていました」とのこと。銀メダルにはそれを裏付けるだけの継続した練習の積み重ねがあったのだということです。彼はまだ15歳ですから今後の成長が益々楽しみになってきます。

そして、スキー・ジャンプの葛西選手の伸びやかな試技で手にした銀メダル、7回目のオリンピックで初めて手にしたメダルですが、大会前から金メダルを手にしたいと言い続けてそれをほぼ現実のものにしたのですからたいしたものですね。

またスノーボード・大回転で銀メダルの武内智香選手の活躍も颯爽としていましたね。自ら志願してスイスナショナルチームに付いて練習を重ねて技術を磨きあげてきたものの体力不足を思い知らされ、日本に戻ってきて体幹トレー二ングを含め徹底的に体作りをした結果が良い形で結実しました。金メダルを取れると思ったのですが、最後の最後に相手の存在を気にして惜敗したのはちょっと勿体なかった気がしました。

そしてフィギュアの羽生選手は本当に素晴しい演技ができましたね。昔からフィギュア界を見て来た人間からすると、男子フィギュアで日本選手が世界の頂点に立てる日が来るとは夢のようで、本当に凄い時代が来たなという感じです。嬉しかったですね。女子フィギュアと女子のスキー・ジャンプでメダルを取れなかったのは残念でした。とはいえ、合計で8個のメダルを取った日本選手団は本当によく頑張ったと思います。お疲れ様でした。

「長崎がんばらんば国体・大会」

今年、私のふるさと長崎県で45年ぶりに第69回国民体育大会(愛称:長崎がんばらんば国体)と、長崎県では初めてとなる第14回全国障害者スポーツ大会(愛称:長崎がんばらんば大会)が開催されます。国体と障害者スポーツ大会あわせて、73の競技・スポーツ行事などが行われ、長崎県内の離島を含めた21市町すべてが会場となります。

全国から長崎県に集まるアスリートは3万人近く。県民総参加で「おもてなし」の心を持ってアスリートや観客の皆様をお迎えする準備が進んでおります。

その中で私は、この国体と障害者スポーツ大会の式典アドバイザーとして、実行委員会の皆様とともに開・閉会式の内容を企画させて頂いております。

国体の総合開会式は10月12日(日)、総合閉会式が10月22日(水)、障害者スポーツ大会の開会式が11月1日(土)、閉会式が11月3日(月・祝)で、共に諫早市にある長崎県立総合運動公園陸上競技場において行われます。

長崎は古くから海外との交流が盛んに行われた街で、これらの歴史を物語る出来事が昨年ありました。

それは、長崎市の端島炭坑(通称:軍艦島)や旧グラバー住宅などが「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」として、2015年のユネスコ世界文化遺産の登録をめざして、日本政府がユネスコ世界遺産センターに推薦書を提出したことです。あわせて、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」も2016年の世界遺産登録を目指しています。

2020年の東京オリンピックの開催が決まり、日本全体が明るく前向きな雰囲気になっているこの時期に、世界的に重要な資産や価値を持つ長崎県でスポーツの祭典が開催されることは、長崎県が明るく、県民の皆様が元気になるきっかけになるのではないかと考えています。
 
さらに、長崎県の歴史や文化などにスポットがあたり、街のすばらしさを再発見する機会でもあると思います。開・閉会式では、県民の皆様の伝統芸能の披露とともに、長崎の歴史や文化など多彩な魅力を発信するパフォーマンスが行われる予定ですし、長崎県ゆかりの著名人の皆様にも、ご協力頂くことになっています。
 
今後も長崎がんばらんば国体と長崎がんばらんば大会について情報をお伝えできたらと思います。長崎県に注目頂けましたら幸いです。

国体と大会のホームページ

「大雪で・・・」

大雪に見舞われた8日、昼過ぎに仕事で天王寺スタジオに出掛けました。大渋滞を考慮して予め予約していたタクシーでスタジオ入りの約束の時間の何と2時間前に到着してしまいました。皆さん雪を警戒して車に乗るのを控えたようでした。

そして収録もスムーズに終わり、20時20分頃、帰りのタクシーに乗り家に向かいました。首都高を経由して我が家まで掛かっても1時間半くらいだろうとふんでいたのです。最初車は順調に進みましたが、渋谷を過ぎて暫く進んだところでパタと車が止まりました。

そして停まったまま、ほぼ50分全く動かなくなりました。運転手さんに交通情報を聞いてもらってもはっきりしたことは分からないようで、少しいらいらし始めたところで車が僅かに動き始めました。とはいえ、これは良かったと思った瞬間5、60メートル進んだところで再び停車。今度は道路公団やNEXCO中日本に問い合わせても、自動応答メッセージに切り替えられていて情報を得られないまま、更に2時間20分くらい1センチたりとも動かなくなってしまったのです。

普通であれば後方から首都高速か道路公団の車がサイレンを鳴らして走って来て渋滞のポイントに近付いて何らかの処理をするはずですが、この日は全くそして一切動きなし。合わせて高速上で4時間以上立ち往生の時間を寂しく過ごすしかありませんでした。その後東名は動かなくなっているということで、漸く一般道路に降りて走りましたが、道路上次々に動かなくなる車の続出で、結局家に着くまでの所要時間は5時間20分でした。

致し方の無いこととはいえ、朝からあれだけの雪が降って積もっている中で車を出すのであればそれ相応の備えをして出なければならないと思いますが、あれだけたくさんの車が走行不能に陥ったことから見るとやはり利用者の備えが甘かったことが一つ。そして首都高速公団や道路公団が迅速な対応ができていなかったことが混乱を大きくしたと思います。利用者側としては料金を払って利用しているので、情報の的確な伝達を含めたサービスをしっかりと行ってほしいものです。

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