- 2013年8月 4日 21:23
- 日々の思い
先週ニューヨ―クに行ったのにはもう一つ理由がありました。それは倉岡伸欣さんが経営する「レストラン日本」がこの8月で創業50周年という素晴らしい節目の年を迎えるのでお祝いをしたいという思いがあったからでした。
「レストラン日本」の存在を知ったのは2006年の夏に松井選手の取材をしたときで、彼の行きつけの日本料理店がこの「レストラン日本」だったからです。彼が良く注文するメニューを私も味見してみましたが、これがどれもこれも本当においしかったのです。さらにそのとき、「松井選手のお母さんのカレー」という一品をご紹介頂きました。これは松井選手が小さいときから大好きだったお母さんのカレーを再現すべく、彼のお母さんからレシピをもらってレストラン日本で作られたもので、私も頂きましたが凄く気に入った思い出があります。
倉岡さんは慶応義塾大学を卒業してアメリカに留学、色々な体験を積まれて50年前ニューヨークに日本料理店「レストラン日本」を開業されました。当時は日本食のお店など殆どなく、日本から派遣された商社の人たちは食事もままならない状況だったといいます。そこで彼らに美味しい日本食を味わってもらって思い切り良い仕事をしてもらおうと考えて開業することにしたのだそうです。
しかし始めてみると食品業界やレストラン業界の現実に直面し、大変な苦労を重ねたそうです。でも負けじ魂は人一倍。一つ一つ壁を乗り越えて前進し、やがてその存在が注目されるようになり、現在では幅広い人種的民族的バックグラウンドを持つ人たちを雇用して業界でも高い評価を受けるようになり、今年50周年記念の日を迎えることになりました。
驚くのは、倉岡さんは今日もよりよい食材を求めて世界中を渡り歩いています。そば一つを作るのにもカナダに畑を買ってそばを栽培することから始めました。そこはかつて痩せた土地で大変だったようですが土地改良を進め、より良質のそばを作り出すことに成功しました。さらに日本中のそばの名店を回って美味しいそばの打ち方を研究。とにかくやり始めたら極限まで到達しなければ気が済まない性格で、お客様サービスの徹底に打ち込んできました。
その生き方が次第に高い評価を受けて、新しい駐日大使に決まったキャロライン・ケネディさんや故マイケル・ジャクソンさん、ブルームバーグ市長に支持され、今や政界からショービズに至るまで著名なアメリカ人までも集う場所にもなっているのです。あらゆる苦労を乗り越えてここまでのお店を作り上げられたその御努力には本当に心から敬意を表したいと思います。
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