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2011年7月 Archive
「九州全部行っちゃうぞ!」
- 2011年7月29日 10:23
- 日々の思い
先週の火曜日(19日)に「九州全部行っちゃうぞ! 草野仁の1泊2日の欲張りツアー」というテレビ番組のロケに出掛けました。(オンエアは9月)
丁度台風6号の北上とタイミングが重なって流石に今回のロケは予定を変更せざるを得なくなるだろうと思いました。これまで仕事に関してはいわゆる晴れ男を自称しており一度も予定を変えたことなどなかった私でしたが、今回ばかりは相手が超大型の台風とあってはとても抵抗できないと半ば諦めの気持ちだったのです。
朝の6時半、羽田発鹿児島行きの便に乗るため出発カウンターに行ってみると、「一応鹿児島を目指して出発しますが鹿児島で着陸できない可能性があります。その場合は福岡に降ります。仮に福岡も着陸不可でしたら羽田に引き返します」との案内がありました。もう成り行きに任せるしかありません。
予定より少し遅れて羽田を離陸。上空は意外にも荒れた感じは無く飛行を続けて鹿児島に近づくと、機長から「鹿児島に着陸する予定です。強風のため一回で着陸できなかった場合は二回、三回と着陸をやり直す可能性があります。燃料はたっぷり積んでいますのでその場合でも御心配は無用です」との機内報告がありました。そして見事に一回でソフトランディングに成功。何と鹿児島は雨も降っておらず台風の影響など殆ど無い状況でした。
その足で鹿児島中央駅に向かい九州新幹線に乗って先ず熊本を目指しました。次いで宮崎高千穂峡、別府温泉宿泊、翌日佐賀県伊万里、長崎市、福岡市と回って1泊2日の全行程およそ1,100kmの弾丸ツアーは無事終わりました。台風の影響を受けたのは阿蘇で視界が悪く見通しが利かなかったくらいで、奇跡的に台風が間近を通っていることを感じないままロケを終えることができたのです。お天気は単なる巡り合わせの問題にしかすぎないのですが、これで私の晴れ男としての面目は保たれた感じです。もうロケはどんなときでも大丈夫という気持ちになってきましたがそれは一寸調子に乗りすぎですかね。
「なでしこジャパンの快挙に万歳!」
- 2011年7月22日 14:55
- スポーツ
なでしこジャパンのワールドカップ制覇には正直驚かされました。アメリカが1点先行したときは「やはりあちらのチームが優位なのかな」と思ったのですが、日本も負けじと取り返して追いつきました。延長戦でまたアメリカがリードを奪うと今度はコーナーキックから出したボールを澤選手が見事に蹴り込んでまたまた追いつき、PK戦に持ち込んだのです。その闘いぶりには「負けるはずがない、この戦いは勝つための戦いでしかない」というような空気が漂っていました。まるで東日本大震災の被災者の皆さんの気持ちを背負って戦っているうちに、勝つしかないという信念が全選手の胸の中に一様に生まれ根付いていったような気がします。
一方アメリカは今まで感じたことの無かった日本チームの執念に驚き、これまで持っていた自信がぐらつき始めました。試合終了後のインタビューでワンバク主将が言っていた「今日の日本はいつもとは異なり何かに動かされているような不思議な力を持っていた」という言葉から想像できるように、これまで抱いていた自信に変わってこれで良いのだろうかという疑念が湧き始めたのです。そこが今回の勝敗を分けた一番のポイントだったような気がします。PK戦は水ものと言われ運が左右することも多いのですが、PK戦に持ち込めただけでも儲けものだと選手をリラックスさせた佐々木監督の言葉も力となって見事にアメリカに土をつけたのでした。
本当に歴史上の快挙ですね。体格的には劣る日本チームが見事なパスワークととにかく走り続けたスタミナで世界の頂点にたどり着きました。日本人でもやり方次第で世界に伍していけることを示してくれた素晴らしい見本であると思います。
「オールスターですが・・・」
- 2011年7月12日 22:42
- スポーツ
注目していた大リーグは前半戦を終りオールスターゲームが行われます。今年は日本人選手の出場は無くその分関心も薄れますし寂しい感じがして残念です。
まず、イチロー選手ですが前半を終わって残り71試合で101安打、打率.270とこれまでで最も元気の無い成績です。全般に打撃に波があり、打てなくなるとそれが尾を引く傾向が強くなりました。時々テレビで見ていても何か力感が少し落ちているような感じがするのです。50歳に成っても4割に挑戦したいと語っていた彼ですが、ひょっとして少し衰えが見えて来たのではないのだろうかと気になります。ここまで実績を積み重ねてきた彼のことですからこのままでは終わらないとは思いますが、少し心配です。
一方、松井秀喜選手もとても心配な今年のここまでの成績です。打率.209、ホームラン6本、打点34。今まで見たことの無い不調が続いています。スウィングスピードが落ちている、年齢からくる衰えではないかと指摘する専門家もいます。本人は自覚としてそんな感じはまったく無いと答えていますので大丈夫だとは思うのですが、中々調子が上向いてこないので心配するファンも多いようです。私自身は精神的にやや迷いがあるのではと思っています。一年契約ですからすぐに結果を要求されるという辛さが有ります。後半戦は開き直って思い切りのよい本来の打撃が見られると私は信じています。
「MRO旅フェスタ2011」
- 2011年7月12日 16:47
- 日々の思い
7月10日(日)金沢に出張しました。MRO北陸放送が主催する「MRO旅フェスタ2011」での旅の楽しさを語るトークショーに出演するためです。
25年前に「フードピア金沢」という催しが始まったとき、そのお手伝いに来たのが最初でした。それ以来御縁ができてとても好きな街になりました。この日の出番は2回でMROの前原智子アナウンサーと旅の魅力にお話をさせて頂いたのですが、2回とも大勢のお客様が集まって下さり、場内は大変盛り上がりました。
合間の休憩時間にはMROのアナウンス部長を務めている長田哲也さんが挨拶に来て下さいました。本当に久し振りの対面で「朝のホットライン」での中継のやり取りをしていたとき以来ですからおよそ20年ぶりです。当時から長田アナウンサーは颯爽としていて格好良かったのですが、今も当時と比べても変わっておらず、「やあ少しも変わりませんね、長田さんは」と私が言いますと「草野さんも変わりませんね」と長田さん。これは長田アナウンサー、少し無理をしながらの発言だったようですが、本当に懐かしく、また忙しい時間の中をわざわざお越し下さった長田さんに心から感謝です。とても良い気分で金沢から帰京の途に就きました。
「夏の恐竜特別展 ダイナソー・ワールド」
- 2011年7月11日 16:25
- 日々の思い
7月9日、名誉館長を務める「長崎市科学館」の特別イベント「夏の恐竜特別展 ダイナソー・ワールド」のオープ二ングセレモニーに出席しました。
長崎市野母崎で見つかった恐竜の化石が白亜紀のハドロサウルス類のものであることが判明したのを契機に、子供たちに恐竜とはどういう生き物だったのかを知ってもらい、恐竜が生きた1億6千万年の長い時代に夢を馳せてもらおうというのがこの催しの狙いです。
9時からの開会式にも拘わらず、私の出身校長崎西高の合唱部の皆さんがお祝いに駆けつけてくれ素晴らしい歌声を披露してくれました。既に30度を超える暑さを爽やかな歌声が消し去り、爽快感を運んでくれたのです。とても感動的でした。そして田上長崎市長や市議会議長の祝辞などがあり名誉館長の開催宣言でイベントは始まりました。
今回福井県立恐竜博物館等の協力を得て恐竜の化石、組み立てられた恐竜の骨格など全体のスケールは決して大きくありませんが、とても分かり易く配列展示されています。早い時間には親子連れなど本当に多くの人が来場してくれまして、「来て良かった」と言う声があちこちで聞かれました。
更に、長崎でハドロサウルスの化石を見つけこのイベントにも全面協力して下さった宮田博士とのトークショーも行われました。これからまだまだ長崎で恐竜の化石が見つかる可能性が高いことを博士は強調していました。集まった子供たちも流石に恐竜に高い関心を持っており、宮田博士に細かく質問を浴びせるなどの光景も見られました。いずれこの子どもたちの中から恐竜研究の専門家が生まれて来るのでしょうね。
翌日の10日はさらに入場者が増えたということで、夏休みに入れば長崎の人気スポットになることと思います。
「阪神の女房」を読んで
- 2011年7月 6日 22:25
- スポーツ
昨年まで阪神タイガースのキャッチャーとして活躍し、今季からは野球評論家として第2の人生をスタートさせた矢野燿大さんが書いた「阪神の女房」を読みました。
彼はプロ野球のいわゆるスーパースターではなかったのですが、阪神に矢野ありと誰もがその存在を認める実力派のキャッチャーでしたし、打撃でもここ一番というところで快打を放って勝利に貢献したことも多い、いわば玄人好みの好選手でした。
彼が辿ってきた野球人としての道を見てみると有り余るほどのポテンシャルがあって、自他ともにそれを意識するような存在では全くなかったというのです。兄の影響で野球を始め、やりだすと器用なのと、毎日素振りを繰り返す真面目さで、要求されるレベルにはいち早く到達したようです。
それでも高校大学と進学するときも引く手数多ということもなく紆余曲折の末桜宮高校、そして東北福祉大に進みました。そこで出会った指導者が伊藤義博監督という矢野選手のことを中学のころから知っていて期待していた方だったのです。伊藤監督に引き立てて貰っていた高校一年の夏の甲子園予選の終わりと共に同監督の退任が決まり、監督から「このユニフォームお前にやるから持っていけ」と手渡されました。監督の矢野選手に対する期待の大きさが伺えます。
そして今度は大学進学の時です。伊藤監督は既に東北福祉大の監督として活躍しておられ、矢野選手に対して「良かったら東北福祉大に来ないか」と誘いをかけるのですが、東京の大学で腕を磨きたいと考えていた矢野選手は「すみませんが僕は行くつもりはありません」と断りました。そして勇んで受けた東洋大学のセレクションでは無残にも落ちてしまったのです。
結果的に東北福祉大を一般入試で受けて再び伊藤監督の指導を仰ぐことになりましたが、この東北福祉大での体験が野球人としての矢野選手を一気にプロで通用するレベルに引き上げる起爆剤となりました。高校の最初の一年を共にし、大学で4年間じっくり教育を受けて矢野選手と伊藤監督の師弟関係がついには完結します。
このような出会いも極めて珍しいことです。そして監督の思い、期待に応えようと努力を続けた矢野選手の一途な気持ちが実ったということでもあります。プロに入ってからも一歩一歩段階を踏んで前進し遂にオールスターに選ばれ、リーグ優勝を果たし日本シリーズにも出場しました。ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞2回球界を代表する捕手と評価される選手になりました。
この本は、目立った素質、有り余る素質が無かったとしてもやるべきことをやり続け段階を踏んで上って行けばプロの世界でもこれだけの立派な選手になれるということを教えてくれる、そして野球に限らず他の道であっても目標を持っている若者に必ず努力は報われるのだという自信を持たせてくれる好著だと思いました。